第10章 ふつおたではいられない②

 今年は織姫と彦星が出会ったのかどうかは知らないが、七夕も終わり、じめじめとした梅雨もすでに開けていた。

 やってくるのは夏。


「あっつー」


 幸い、ラジオの収録ブースは冷房がしっかりと効いており、非常に快適だ。

 私は青森育ちなので、暑いのは苦手なのだ。夏休みは好きだったが、残念なことに社会人に夏休みなど存在しない。いや、普通の会社に勤める人ならあるのかもしれないが、声優に夏休みは存在しない。むしろイベントが増加して、休める日が少ない。それは売れている証拠だから嬉しいことなのだけどね!

 今年の私はそこそこに忙しそうで嬉しい。それにある予定が三日後に迫っているのだ。

 

「遅くなりましたー」


 収録現場にやってきたのは制服の女の子。


「あついね、稀莉ちゃん」


 鞄から取り出したタオルで彼女は汗を拭う。


「本当、やってられないわ。早く冬が来ないかしら」

「まだ夏が始まったばかり!夏を満喫しなくちゃ」

「それもそうね」

「はいはい、打ち合わせ始めるよー」


 ぼさぼさ髪の植島さんに声をかけられる。この人は暑くても髪を切らないだろうか。さっぱりした植島さんを見てみたい気もするが、街で声をかけられても絶対に気づかない気がする。


「今日も宜しくお願いします」

「「宜しくお願いします」」


 椅子に座り、ほぼ何も書かれていない台本と、ペンを取り出す。

 さぁ、三日後の彼女とのお出かけのために、気持ちよく収録を終えようではないか。


***

奏絵「暑い時は何を飲む?」

稀莉「スポーツドリンクに、炭酸水とか」

奏絵「甘いジュースとか飲みたくならない?」

稀莉「そんなにかな。よしおかんはどうなの?」

奏絵「ビール!」

稀莉「聞いた私が間違いだったわ」

奏絵「夏の暑い日のビールは最高なんだって!」

稀莉「未成年の私にわかるか!」

奏絵「働いた後は最高。昼に飲んでも最高」

稀莉「ただ飲みたいだけじゃない!」

奏絵「いつか一緒に飲もうね?」

稀莉「その頃にはよしおかんは30オーバーね」

奏絵「そういうのは言うなー!」

稀莉「はいはい、次に行くわよ」

奏絵「仕方ないな。それでは次のコーナーです」


稀莉「劇団・空想学!」


奏絵「はい、こちらのコーナーは久しぶりですね。劇団・空想学ではリスナーから募集したお題を元に即興劇をやります」

稀莉「もうとっくに終わったコーナーだと思っていたのに……」

奏絵「終わっていないよ!勝手に終わらせないで」

稀莉「だって、疲れるんだもん」

奏絵「気持ちはわかる。でもやるよ、はいはい、ボックスからお題を引いて」

稀莉「楽なものが当たりますように、とりゃっ」

奏絵「どうぞ」

稀莉「ラジオネーム『ニンニク増し増しまっしー』さんから。ちょっと息臭いんで読むの辞めましょうかね」

奏絵「メールで匂いがわかるかっ!」


稀莉「お題『ナイトプールではしゃぐウェーイな女子大生2人』」


奏絵「ナイトプールだと!?」

稀莉「私、よくわからないんだけど」

奏絵「若い女の子たちの間で流行っていたそうです。最近は、だいぶ落ち着いたかな。あっ、どうも。植島さんから詳細です」

稀莉「名前の通り、夜プールに行くことなのね。主な目的は、泳ぐのではなく、写真を撮ること……なにそれ」

奏絵「あー、SNSに自分の可愛い水着姿の写真を乗せるんですね」

稀莉「泳がないんで、何が楽しいの?」

奏絵「綺麗な写真が撮れる。それを色々な人が『イイね!』と褒めてくれる」

稀莉「それがどうしたのというの?」

奏絵「自己顕示欲が満たされる?」

稀莉「わからない世界だわ……」

奏絵「そうだね……。でも始めようか。始めないと終わらないから」

稀莉「レッツ」

奏絵「デイドリーム」



奏絵(女子大生)「今日、おにゅーの水着買っちゃったんだ、えへへ。似合うでしょ」

稀莉(女子大生)「ちょっと布面積少なすぎじゃない。男の目線を集めているわよ」

奏絵(女子大生)「いい男がいたら捕まえるのよ。今日はそれも目的じゃない」

稀莉(女子大生)「ええーそうなの」

奏絵(女子大生)「もうキリタンはやる気ないんだから。何よ、その水着」

稀莉(女子大生)「えっ、この水着?中学の時の競泳水着」

奏絵(女子大生)「物持ち良い。って違う!今日はSNSで皆に褒められるような写真を撮りにきたのよ、全然だめじゃない」

稀莉(女子大生)「そう思って持ってきたのよ、じゃん」

奏絵(女子大生)「これは?」

稀莉(女子大生)「ナマハゲのお面」

奏絵(女子大生)「わー、めっちゃ斬新!って違うわ、全然可愛くないじゃない。ナイトプールにナマハゲのお面って軽くホラーじゃない」

稀莉(女子大生)「誰もやっていないわ」

奏絵(女子大生)「どや顔やめい」

稀莉(女子大生)「ほらほら、空いたよ、シャッターチャンスよ」

奏絵(女子大生)「皆、やべー奴らがいると思って避けているのよ」

稀莉(女子大生)「はい、泣く子は」

奏絵(女子大生)「いねがー。って何、このシャッター合図」

稀莉(女子大生)「ねえねえ、見て。いい写真だよ」

奏絵(女子大生)「めっちゃぶれている!」

稀莉(女子大生)「お前への気持ちはぶれないぜ……」

奏絵(女子大生)「なぜ、そこでかっこつける」

稀莉(女子大生)「えーっと、……オチが思い浮かばないんだけど」

奏絵(女子大生)「メタな発言!ごめん、私も思い浮かばない」

稀莉(女子大生)「……」

奏絵(女子大生)「……うわー、ウイルスに感染して周りの人たちがゾンビに!」

稀莉(女子大生)「超急展開!?」

奏絵(女子大生)「私たちは、ナマハゲのお面を被っていたから無事だったみたい」

稀莉(女子大生)「ナマハゲつえー」

奏絵(女子大生)「うわー、ゾンビたちが寄って来るわ。逃げるわよ」

稀莉(女子大生)「ちょっと待って、あれは」

奏絵(女子大生)「あれは何?」

稀莉(女子大生)「ゴジ〇」

奏絵(女子大生)「わーでかい!……ごめん、もう収拾つかない」


奏絵「終了ー!」

稀莉「ひどい」

奏絵「途中からB級映画になったと思ったら、ゴ〇ラが出てきた」

稀莉「もうこのコーナー、本当に辞めましょう」

奏絵「今なら同意する」

稀莉「なので、新しいコーナーを考えて、どしどし送ってきてくださいー」

奏絵「植島さんも頷かないっ!」

***

 

 柱にもたれかかり、腕時計を見る。

 珍しくお洒落をしてしまった。ほどよい甘さのベージュのマキシスカートに、ボーダーのトップス。足は涼し気なサンダルで無防備。

 ついまた腕時計を見てしまう。まだ待ち合わせ時間にはなっていない。

 約束して、待つというのは久々の感覚だ。待っている時間も苦ではなく、胸をドキドキ、心をワクワクしてしまう。


 駆ける音が聞こえ、顔を上げる。

 彼女を視界にとらえ、顔が自然と綻んでしまう。

 

「待った?」

 

 この日をずっと楽しみに待っていたよ、稀莉ちゃん。


「ううん、全然。待っていないよ」

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