第9章 編集点からReStart④
でも、テンションを下げるわけにはいかない。
「稀莉ちゃんはこの後、お仕事?」
「そうね、雑誌の取材があるの」
「さすが稀莉ちゃん、忙しいことで」
「嫌味?」
「違うよ、いいことじゃん!」
「まあ、悪いことではないわね」
「うん、食べるためには必要なんだ……」
「闇を感じるわ」
「グッズについては今度真剣に考えよう、ね」
「そうね、また」
稀莉ちゃんはマネージャーの長田さんと出ていった。
そう、予定通りだ。
稀莉ちゃんがこの後、仕事なのは知っている。事前に知っていた。
なぜなら、稀莉ちゃんはその場にいてはいけないのだから。
「さて、私も旅立ちますか」
無事に帰ってこれる保証はないけどね。
電車に乗り継ぎ、目的地のある駅に辿り着く。着いたのは白金台駅。一時期話題になった、「シロガネーゼ」と呼ばれた専業主婦が存在する、都内を代表する高級住宅街だ。
もちろん降り立ったのは初めてだった。プラチナ通りに私が縁があるわけがないのだ。
そう言いながら、今日はスカートを履き、精一杯のお洒落をしているのだから、私も情けない。今日は決戦なのだから身だしなみをしっかりしないといけない理由もあるのだが。
さて、地下鉄への階段前で集合なのだが、どうやらメイドさんは来ていないようだ。……言葉にすると可笑しいが、何も間違っていない。私はメイドさんと待ち合わせをしているのだ。秋葉原でもなく、白金台で。
「こんにちは」
大学生ぐらいの清楚な雰囲気の若い女性から声をかけられた。揺れるポニーテールに、マルチストライプ柄のスキッパーシャツに、紺色のワイドフレアパンツ。
「吉岡さんですよね?」
知らない女の子に、私の名を呼ばれる。君の名は―?ここで私の呼ぶ人に、心当たりは一人しかない。待ち合わせをしている人。でも釈然としない。
「メイド服じゃないんですね?」
「えっ、着ませんよ?」
オタクの夢が破壊された瞬間であった。
彼女が、私と待ち合わせしていたメイドさん。
「柳瀬です。稀莉さんがいつもお世話になっております」
柳瀬晴子さん。稀莉ちゃんの家で、メイドという名の家政婦をしている女性だった。
「まさか連絡をいただくとは思っていませんでした」
柳瀬さんと徒歩で目的地へ向かう。
柳瀬さんはマネージャーの長田さんから紹介されたのだ。目的地にたどり着くための、案内人だと。
「急にすみませんでした」
「いえいえ、一度会ってみたかったんです」
「私とですか?」
「ええ、だって毎日」
「毎日?」
「……何でもありません」
「毎日なんなの!?」
ふふと笑い、誤魔化す仕草は可憐で、画になる。
改めて稀莉ちゃんは凄い家に住んでいるのだと思い知らされる。家政婦がいる家って何だよ。文字通り別世界の人間だ。
「何だか初めて会った気がしませんね」
「もしかしてどこかで会ったことありましたか?」
「そんなことはないです。でもですね、ふふ、想像していた通りの人ですね」
「そうですかー」
「そうですよ、ふふ」
どう想像されていたか、聞きたい気もするが聞けない……!想像通りガサツな女性ですね!と言われた日には、駅へ折り返してしまいそうだ。
「稀莉ちゃんは家ではどんな感じなんですか?」
「私の口からは、残念ながら言えませんが、いい子ですよ」
緘口令が敷かれている。いい子だけど何なの!?いい子の裏に、色々と隠されている気がするが、柳瀬さんは話してくれないだろう。
「稀莉さんの家で働くのは6年になるんです」
「へー、長いんですね。学生さんの時からですか?」
「いえ、高校を卒業してからです」
ということは柳瀬さんは今24歳なのか。見た目はまだ学生さんにしか見えないが、丁寧な話し方を聞くにもう立派な社会人だと納得されられる。
「どういう経緯でメイドさんになったんですか、なんて踏み込んじゃっていいんですかね?」
「ええ、大丈夫です。あっ、でももう着いちゃいましたね。ここです」
「へ?」
思わず変な声を出してしまった。
目の前にあるのは大きな門。
その先にあるのは、都内に似つかわしくない真っ白な豪邸。
大豪邸だった。
「ここがあの稀莉ちゃんの家ね……」
「はい、稀莉さんのお家です」
お家というには立派すぎる、お屋敷だった。
ここ東京だよね?おかしくない?土地の余った青森でもこんな家ないよ?
門が自動で開く。
「いらっしゃいませ、吉岡様」
呼び方が、さん付けから様に変わる。
……来てしまった。稀莉ちゃんのお家。
そして、稀莉ちゃんの母親が待つ決戦の場所に。
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