第8章 場内の撮影は禁止です②
「この後、空いている?」と言い、数秒の沈黙の後、彼女が口を開いた。
「空いていないことも、ない」
「どっちやねん!」
「あ、空いているわよ、馬鹿!」
何故怒られたし。空いているなら良いけどさ。
「ファミレスでいい?」
「嫌よ」
即答。「じゃあ何処がいいの?」と聞いては、誘ったのが私なので申し訳ない。給料日前なので戦力が心もとないが、ここは稀莉ちゃんも許してくれるお洒落な場所を選択するべきだろう。「まだなの?」と訴える目の彼女を早く安心させてあげないとね。
「それでは、稀莉お嬢様。私がエスコートしましょう。さぁお手を。ついて来てください」
「く、くるしゅうない」
かっこつけた私の演技に乗って来るとは、さすが稀莉ちゃんも役者だ。
「さあ、出発しましょう、稀莉お嬢様」
「う、うん。ちゃんと連れてきなさいよね」
勢いで手を繋いで歩き始めてしまったが、いいか。どうせ姉妹にしか見られないはずだ。外のむわっとした蒸しついた空気も気にせず、街へと繰り出した。
「……」
「……」
どんどん上がっていくエレベーター。エレベーター内ってついつい無言になってしまい、気まずい。
チンと到着した音に一安心。呼吸困難にならなくてすんだ……。
辿り着いた先は、地上から遠く離れ、エレベーターを上がった先は新宿を一望できる高層ビルのレストラン。
「なかなかに大人な店ね」
「はい、稀莉お嬢様もお気に召すと思いまして」
「そろそろ演技辞めなさい」
普通に言うと恥ずかしいんだから、こう演技したくなるだって、とは言わない。
「わかったよ。じゃあ入ろうか」
「うん」
薄暗い店内に入り、びしっと決めた格好のお姉さんに案内される。ラッキーなことに窓際の席が空いていた。
座るとエレベーターから見た景色よりも広く街が一望できた。まだ19時だが、すっかり夜も暗く、街明かりがきらめき、キャンバスを彩る。
「どう?いい景色でしょ」
「うん、そうね」
言葉少なに反応するも、その目はきらきらと輝き、夜景から目を離さない。連れてきたかいがあるというものだ。
一度、事務所の人に連れてきてもらったことがあるお店だ。べらぼうに高いというわけではなく、いつか来ようと思ってリストアップしてあった場所。値段以上に素敵な夜景を見ることができる穴場だ。ただ高くないとはいっても、当分は安売り弁当が続く覚悟をしなくてはならない値段ではある。
「乾杯しようか」
「え、ええ」
注文したのはソフトドリンクだが、コップからしてお洒落で、写真映えしそうであった。本当はお酒を飲みたいところだが、今日はそういう場ではない。未成年の彼女の前では我慢、我慢。
「君の瞳に乾杯」
「ふるっ!昭和か!」
「昭和の人に謝れ!」
これでも平成生まれだ。元々は映画の台詞らしいが、見たことはない。
「はいはい、乾杯するわよ」
「乾杯―」
グラスを軽く合わせ、口にする。すっぱさの中にも、甘さがあり、繊細なハーモニーを奏でる。自販機では味わえない美味しさだ。いや、この場所なら自販機のジュースをコップに注いだだけで美味しく感じそうではあるが、うん、とにかく美味しい。
目の前の稀莉ちゃんも満足気だ。
「なんだか大人になった気分ね」
そんな一言もこぼれる。目の前にいる子はまだ学生なのだ。しっかりとした仕事っぷりからついつい忘れてしまうが、まだ10代の女の子。
でも夜景を前に飲む姿は色っぽく、ジュースを飲んでいるようには見えないな。
「すぐ大人になるよ」
嫌でも大人になる。人生は子供の時間は短く、大人の期間の方が長いのだ。
「そうね」
まだ学生!の時期はすぐに終わってしまう。それからが大事なのだ。学生時の声優はチヤホヤされる。声優一本の、一人立ちしてからが肝心。
肝心だったんだ。
今の私は後悔してないけどさ。
「こないだの打ち上げ楽しかったね」
「あんたは飲んでばかりだったじゃない」
「そうですね、そうですよ。だってあそこでしか飲めない日本酒なんだから。たらふく飲むでしょ。そうオタクは限定品に弱い!」
「それは否定しないけど!」
稀莉ちゃんも意外と何かを揃えているのだろうか。こう見えてオタク?突っ込んでいきたいが本題からズレていくので追究しない。
「それで、貰って渡したチケットだけどさ」
彼女が頬をぴくりとさせる。
「私と行きたくなくなった?やっぱり友達と一緒に行った方が楽しいなーとか」
「へ」
「そうだったら遠慮しなくていいからね」
「そんなことないわよ」
「そう?」
「そうよ。遠慮なんかしていない」
「でも、なかなか話題にしてくれないからさー」
「……言いづらかったのよ」
言いづらい理由ね……、そうか。
「ラジオの現場で話すとネタにされちゃうからねー。なるほどなるほど、そういうことかー」
私は勝手に納得したが、稀莉ちゃんは渋い顔をしている。あれ、正解だと思ったが違う?
「まぁいいや。行く日にち決めようか」
「そうね」
弾んだ声が返ってきた。
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