第5章 また今日もジングルが流れる④
「現場のスタッフが運んでくれたんです」
私が倒れた後、急いでスタッフが車を出して病院に連れていってくれた。救急車も考えたが、きちんと呼吸はしており、病院が近所にあったことからすぐに運ぶことを決断した。事務所にも電話があり、連絡の入った片山君が大慌てで病院に駆け付けたとのこと。
ただの風邪と疲労で熱も38度前半だったが、急に倒れたのでこのような大きな病院に運び込まれたということだ。しかも豪勢に一人部屋。大泣きできたのでありがたい。
「今日は一日入院ですので、ゆっくりしてくださいっす」
たかが風邪に至れり尽くせりだった。
「ラジオはその後収録したんですか?」
「はい、佐久間さんが一人で収録したらしいっす」
「そっか……」
稀莉ちゃん一人に番組を背負わせてしまった。
一人でやりづらかっただろう。あんな後にどう明るく振舞って収録すればいい?平常な気持ちで収録なんてできないだろう。
どう稀莉ちゃんに謝ればいいのだろうか、いや謝る機会はあるのだろうか。また彼女に会うことができるのか。
私が『これっきりラジオ』に戻る機会はあるのだろうか。
そう思うと胸が締め付けられ、動悸が激しくなる。
コンコン。
ドアがノックされ、扉が開く。息を飲む。
見知った顔だった。忘れるはずがない。
そこには稀莉ちゃんがいた。
「良かった、目、覚ましたんだ」
ほっと安心した顔を私に見せる。
今日見たはずの顔が、もう遠い過去のように感じられ、その懐かしさに温かみを覚える。
「稀莉ちゃん……」
その後に続く言葉がうまく出てこなかった。
「あー起き上がらなくていいから。安静にしてなさい」
近づいてきた彼女が私を無理やりベッドに寝かせる。
何を言うべきだろう。まずは「ごめんなさい」と謝罪か。「私がいなくて平気だった?」そんな調子のいいこと言えない。
それとも「私なんかいなくてもいいよね。私なんか必要ないよね?」か。メンヘラか。いや、精神不安定だからあながち間違いじゃない気がする。
熱のせいか、突然の来訪に驚いているのか、まったく考えがまとまらない。
喋らないと、稀莉ちゃんに伝えないと。何か言わないと。
でも、先に声を出したのは彼女だった。
「はい、これ」
彼女が細長いパーツを差し出した。
「何、これ……?」
「USBメモリ」
「USBメモリ? 何でそんなのを私に?」
「今日の収録音源が入っているから」
がくんと揺れる。
収録音源。
私のいない、これっきりラジオの収録。
それがこの小さな容器に入っている。
収録したものが渡されることなど、通常ではありえない。スタッフからの手配か、うちの事務所からなのか、植島さんからの通達なのか、稀莉ちゃんからの……何なのか。真意が見えない。
何も言わず、私は震える手で得体の知れない小さな塊を受け取る。
「って、あれパソコンないか」
「俺が持ってきているんで大丈夫っす」
そう言って片山君がノートパソコンを鞄から取り出す。
「これで環境はばっちりね」
この中に何が詰まっているのか、希望か、絶望か、それとも。
私の不安を感じ取ったのか、彼女が言葉を口にする。
「聞くも聞かないも自由だから」
聞かなくてもいい。逃げてもいい。勇気を出さなくてもよい。
「でもね、この収録に私の想いが詰まっているから」
稀莉ちゃんの思い。
何、それは何?
決別宣言?
怖い。
言葉にしてよ、今すぐ教えてよ。
怖い、嫌だ、嫌だ。
でも私の口からは何も出てこなかった。
「じゃあ、あんまり長居すると悪いから、これで」
そう言って帰ろうとする彼女に、小さな声で「ありがとう」と言うのが精一杯だった。
彼女は「うん」と小さく微笑み、片山君と共に病室を後にした。
一人になった。私、一人取り残された。
手に残されたUSBメモリが軽いはずなのに、重く感じる。
この中に私が消えたラジオの音源がある。
気になる。
でも、なかなか聞けなかった。
怖かった。
何が収録されているのか。ここには私の知らない『これっきりラジオ』がある。
私がいなくてもこれっきりラジオが成立するのか。普段と変わらないのか。
私は「いなくても」良いのか。
この中に答えが、全てが、未来がある。
逃げたい、捨ててしまいたい、なかったことにしたい。
でも、ここには稀莉ちゃんの想いがある。
決心がつく頃には夜になり、消灯の時間になっていた。
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