第3章 没続きはマジへこむ⑦

「で、私のことは何て呼んでくれるの、稀莉ちゃん?」

「え?」

「だっていつもあんたで、名前はおろか苗字すら呼んでくれないじゃん」

「そ、そうだけど」

「奏絵さん、かなちゃん、かなかな、かなえっち、吉岡先輩、吉岡先生、吉岡様、吉岡隊員、何でもいいわよ」

「後半可笑しいから!」


 困惑する彼女を楽しく見る。


「よしおかんはよしおかんよ。それ以外の何物でもないわ」

「ちぇっ」


 まぁ今はそれでいいとしよう。いきなり敬意を持たれて呼ばれたら、それは私と佐久間さん、いや稀莉ちゃんと私の関係ではない。


「って、もうこんな時間じゃない」


 稀莉ちゃんが腕時計を見て慌てる。

 喫茶店に入ってから1時間以上が経っていた。

 30分で事務所の車が迎えに来ると言っていたが、余裕でオーバーしていた。あちらも空気を読んだのか、全く連絡してこなかったな……。

 稀莉ちゃんが急いで電話すると「ちょうど着きました」と長田さんは答える。絶対嘘だ、何処かで待機していたに違いない。

 悪いことしちゃったな、今度お礼を渡さないといけないなと反省し、コップを持って立ち上がる。コップの中身はもう空っぽだけど、満たされていた。



 外に出てすぐに長田さんは見つかった。


「吉岡さんも乗っていきますか?」


 四人乗りの車なので、ちょうど私も乗ることができるが、丁重に断った。これ以上、長田さんに迷惑をかけるわけにはいかない。


「それでは」


 長田さんが助手席に乗り込み、別れの挨拶を告げる。

 後部座席の窓が開き、稀莉ちゃんが顔を出した。


「どうしたの?」

「あの」


 何か言いたそうだが、なかなか口に出さない。なので、私から先に言葉を述べる。


「今日は楽しかったよ、ありがとう稀莉ちゃん」

「そ、それは良かったわ」

「今度はご飯食べようね」

「き、気が向いたら行ってあげてもいいわ」

「うん、楽しみにしているね。じゃあね、稀莉ちゃん」

「またね……よしおかん」


 そう挨拶をし、車は発進していった。

 車はあっという間に小さくなっていく。


 「またね」か。

 じゃあ「また何処かで」、「会えたら会おう」、「縁があったら」じゃない。私たちはまた会える、一緒にラジオがやれる。

 もう車が見えなくなった道路を眺め、思いにふける。

 こういうの久しぶりだな。

 それは子供の時には当たり前だったこと。明日も明後日も私は子供で、大人になるというのを考えなかった時のことで、今では当然じゃなくなったことだった。

 地下鉄へ足を向ける。

 足が軽い。

 少しはパートナーに近づけたかな。

 気を抜くとスキップしそうな足を諫め、でも顔は感情を抑えきれず、笑っていた。



 こうして私たちは変わっていった。

 佐久間さんから稀莉ちゃんになった、呼び方だけの話じゃない。

 化学反応は、シナジーは確かに起きたのだ。

 私たちはお互いを知ろうとし、理解し、前へ歩き出したのだ。

 

「もっと堂々としなさいよ」


 彼女の言うとおりだ。何、いちいち余計なことを考えている。

 何がアラサーだ。結婚だ。夢だ。

 適当な言い訳を並べるのはもうこれっきりだ。

 ―私だって頑張らねばならない。

 電車の窓に冴えない人はもう映らなかった。

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