第1章 タイトルコールは突然に③

 その日は清々しいほどの青空だった。

 都内海沿いにある、駅からすぐの建物。

 周りにはきちっとしたスーツ姿の男性、女性が忙しそうに歩いている。

 間抜けな顔をしてビルを見上げる私は、初めての現場ということで小奇麗な格好をしてきていたが、明らかに浮いていた。


「ここがマウンテン放送の本社ビルか……」


 アニメ関係のラジオでも最大手の放送局だ。本社に来るのは初めてだった。

 ぼけーっとしているからか、警備員が不審そうに私をじっと見ている。

 私、怪しいものじゃないですよ。はい、ええ、ワタシ、フシンシャジャ、ナイヨ。

 逆に怪しい。

 ここにいてもしょうがない。たどたどしい足取りで自動ドアに突入する。

 警備員がきっと睨んだ気がしたが気のせいだ。

 始まりはいつも緊張するもの。いずれ慣れる、これが私の新しいスタンダードとなるのだ。



「おはようございます!」


 部屋の扉を開け、大きな声で挨拶をする。

 中には何人かのスタッフが準備をしていて、私を見て「おはようございます」と挨拶を返す。

 一人の男性が近づいてきた。すかさず自己紹介を始める。


「93プロデュースの吉岡奏絵です。これから宜しくお願い致します」

「ああ、宜しく。私が構成作家の植島です。植島作雄。うえしー、さっくん、何でもいいよ。宜しく」


 眼鏡をした長身のひょろりとした男性が自己紹介する。髪はぼさぼさで目はあまり開いていないが、口調だけは明るい。


「はい、植島さんですね。宜しくお願いします」


 初対面であだ名を呼ぶ勇気は私に無い。

 いくつものラジオ番組を持つ敏腕作家、らしい。そんな覇気は感じないが、人は見かけで判断してはいけない。声優だって街中に溶け込めば、ただの人だ。人のことは言えない。


「うーむ、もう一人、これから相方になる子が遅れているからさ、そこら辺の椅子に座って待っていてくれる?」


 そう言い、彼は奥の椅子を指さす。

 私は「はい」と返事し、とことこ歩いていると、植島が「あっ」と思い出したように呼び止める。


「そうだ、台本読んでないよね?」

「あっ、はい。うちのマネージャーがファイル添付し忘れたみたいで、まだ中身は見ていないです。ごめんなさい」


 そのマネージャーの片山君は「寝坊しました、すいません」と言い、今日の現場は私一人で来ている。大丈夫かな、私の事務所。


「いいよ、いいよ。急な呼び出しだし、連絡遅れたこっちが悪いんだ」


 そう言って、私に近づき、濃い赤表紙の台本を手渡す。


「ありがとうございます」


 椅子に座り、台本の表紙をまじまじと見つめる。

 どんな内容なんだろう。どんな楽しいラジオになるのか。

 ワクワクが抑えきれず、すぐに表紙をめくる。


「えっ」


 でも、その希望はすぐに打ち砕かれる。

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第一回目 ラジオ

 〈開始の挨拶〉

   キャッチ―に面白く。


 〈コーナー1:もうこれっきりにしたいこと〉

   コーナー紹介。面白く。


 〈コーナー2:なんでもお便り募集〉

   いわゆるふつおたのコーナー


 〈コーナー3:エチュード〉

   演技力活かして。いい声で。


 〈終わりの挨拶〉

   次も見てくれそうな挨拶

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「ナニコレ」


 あまりに大雑把。

 仰々しい表紙のくせに書かれているのは1ページだけ。残りは真っ白なページが続いていた。メモや落書きにはちょうど良いが、これは台本だ。

 あまりの中身の無さに苦笑いを浮かべる、

 事前に貰っていなくて良かった。

 空白が多すぎで、逆に深読みして、余計なことを考えて、悶々とし、一日が潰れてしまう。あまりに簡素な台本だった。


「吉岡君、唖然としているね」


 私の驚きが顔に出たのか、植島さんが指摘する。


「すみません、予想外の台本だったので、最近のラジオはこうなのかなーって驚いちゃいました、アハハ」

「吉岡君、アニメとラジオは違うよ」


 スイッチが入ったのか、さっきまで大人しかった植島さんの声に熱が入る。


「ラジオに余計なものはいらない。決められた台本なんて本当はいらないんだ。ラジオに装飾はいらない。余計な脚色、演出は不要、無意味だ。私はただ道筋を示すだけ。そう、大事なのは化学反応。演者二人のシナジーなんだ」

「は、はあ」


 急な言葉の捲し立てに圧倒される。

 だが、言いたいことはわかる。ラジオは演者が作り出す空間だ。

 ただわかるけど、理解するのは別だ。

 「〇〇だ!」と言われて、「なるほど!」と納得できるほど、私は素直じゃないし、若くない。

 そんな捻くれた私の元に新しい風が吹く。


「おはようございます!」


 ガチャリとドアが開き、空気がガラリと変わる。

 そこには白いシャツに、水色のリボン、濃い青を基調としたチェック生地のスカートをはいた、制服の女の子がいた。


「遅れてすみません、授業が長引いちゃいました」


 そう言って舌を出して、てへっと謝るポニーテールの小柄の女の子。

 スタッフも制服姿の彼女の可愛らしい仕草に頬が緩んでいる。

 佐久間 稀莉さくま きり

 今一番勢いのある、人気女子高生声優が私の目の前にいた。


 「今日は宜しくお願いします」、「お願いしますね」とスタッフ一人一人にお辞儀しながら挨拶していく。

 礼儀正しい。

 見ただけでわかる、いい子だ。

 そんな彼女が私のラジオの相方となる人間だった。


 ……何故、私が相方に選ばれたのか、わからない。

 今を時めく売れっ子声優と、アラサーオワコン声優。

 謎の組み合わせだ。誰がどんな思惑で決めたのだろう。

 輝く星の隣に、別の明るく輝く恒星を置くのを嫌がったのか。光っていない惑星の私なら彼女の輝きを殺さないと思ったのだろうか。

 落ち着け。今はネガティブな発想を振り払え。まずは彼女に挨拶することが優先だ。


「佐久間さん、おはようございます。これから一緒にラジオを担当する吉岡奏絵です。宜しくお願いします」


 そう言って、私は満面の笑顔をつくり、彼女に手を差し出す。

 彼女が私を見る。皆に振りまいていた笑顔が急に真顔になる。

 そして、そっけない感じで挨拶を返してきた。


「あっ、はい、初めまして」


 ……あっ、あれ? はじめまして?


「あ、あの、佐久間さん、えっと、初めましてじゃないよ」

「えっ」


 驚いた声に、目を大きく開ける彼女。


「今やっている『無邪鬼』で共演しているじゃん。確かに私、モブ役で影薄いけど、挨拶したじゃーん。佐久間さんも人が悪いな~」


 彼女の顔から驚きが消え、冷徹な声を発する。


「共演していたんですね。すみません、私、モブ役の人の名前と顔いちいち覚えていないんですよ」

「な」


 ハハハと彼女は口を抑えながら小さく笑う。

 ……な、何だこのクソガキ。


 いい子だと思っていた、少し前の私を殴りたい。とんだ猫かぶり女じゃないか。

 モブ役の人の名前覚えていない?現場は人が多いからしょうがない。ただ言い方というものがあるだろう。

 でも、それでもだ。

 太ももをつねって怒りを押し殺す。


「そ、そうなのねー。でもでも、これからパートナーになるんで仲良くしようね」

 引きつった笑顔で彼女へ歩み寄る。しかし、それは無残にスルーされる。

「パートナー? えっ、あなたが? 共演はしますけど、相方? まぁ、せいぜい私の足を引っ張らないように頑張ってくださいね」


 大人だ、私はいい大人だ。子供の挑発に乗るな。これから始まるんだ。ここで終わりにしちゃだめだ。

 私の手は握られることもないまま、宙に浮いていた。

 仕事じゃなければ放棄したい。

 それが私と彼女の第一回放送の出会いだった。

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