第1章 タイトルコールは突然に②
初めて主役を貰った時、全てが上手くいく、私には輝く未来が待っている、そう信じて疑わなかった。
「370円です」
仕事帰りで疲れているのだろう、くたびれた会社員さんから千円札を受け取る。
漫画雑誌250円とコーヒー缶120円で合計370円。
雑誌の表紙には「ゴウカのヒーロー、ついにアニメ化!」と文字がでかでかと書かれている。表紙に描かれたツインテールの可愛い女の子が私に笑顔を向ける。
やっと情報解禁したのか。
レジに千円札を通す。
「実は私、このアニメに声をあてているんです」と言ったらどう思うだろうか。疲れ切った会社員さんは驚いてくれるかな?
実際は「何言ってんだコイツ」と変な目で見られるだけだろう。
まあ単なるモブ役なんで驚かれても、喜ばれても微妙な気持ちなのだが。
「630円のお釣りです」
自慢の声もこんなコンビニバイトで使うものではない。もっと輝く場所があるのだ、画面の向こうで、スクリーンの向こうで、ステージの上で私の声は光るのだ。
だが、現実は甘くない。
主役ならこんな深夜のコンビニでバイトをやっていない。
「ありがとうございましたー」
男性は無表情のまま、コンビニから出ていく。
コンビニは私一人だけになった。私だけの王国。吉岡王国。誰も慕うものなんていないけどね。
「売れたいなー」
誰もいない王国で私は嘆く。
そう、私、「吉岡
バイトから帰ってきたら深夜1時。
夜更かしは体に毒、肌に悪い。
そんなのは知っている。稼ぐため、食べるためには仕方がないのだ。昼より夜の方が、時給が高いし、シフトの調整もバイトだと可能だから。
ただ、そんな心配も今は必要ない。
現在レギュラー無し。
とても声優の仕事だけじゃ食っていけなかった。
アニメのちょい役のモブや、携帯ゲームのキャラを演じ、誤魔化し誤魔化し、声優と名乗っている。
東京で暮らすだけでも一苦労だ。そもそも東京の家賃は高い。地元の青森なら、同じ値段でもっと優雅で余裕のある暮らしができるだろう。でも、青森に声優の仕事は必要ない。ここじゃなきゃ、東京で生きていかなきゃ駄目なのだ。
お湯の注いだカップラーメンを机に置き、テレビをつける。
「無邪鬼」が始まる時間だ。
今どき珍しい、時代劇アニメだ。
浪人が腐敗した村、そこに住む人々を救っていき、幕府と対立していく、世直しストーリー。剣劇がかっこよく、話も痛快爽快でなかなかに評判がいい。
オープニングが始まった。
慌てて眼鏡をかけ、ジャージ姿で3分経ったカップラーメンを食べ始める。
「良く動くなー」
アフレコ時は落書きみたいな絵コンテの切り貼りの映像でよくわからなかったが、ここまで進化するとは驚きだ。スタッフの皆さま、お疲れ様ですと感謝したい。
CMになったところで、冷蔵庫に行き、缶ビールを取り出す。
「くはっ、うまい」
一日の終わりはやっぱりこれね。疲れた体にアルコールは良く染みわたる。
「始まる、始まる」
CMが終わる前に急いで座布団に座り、テレビに向かう。
「うん、今日もいい話だったな」
いよいよ城に突入し、この後どうなるのかというところで、アニメの放送は終了した。主人公は幕府を倒すことができるのか、続きが気になる引きである。
だが、私は台本貰っているので続きの話を知っている、いいだろう視聴者諸君。これは制作に関わるもののアドバンテージだ、モブなんだけどさ。
曲がかかり、エンドロールが流れる。
「佐久間
上から2番目のキャラにその名前があった。
去年から急に売れ始めた新人声優の名だ。
なんといっても17歳。女子高生だ。
この春クールだけで主要キャラを2つ、来期の夏クールも1つ確定している。今最も勢いがある声優だ。
皆、そんなに若い子がいいのか。
いや、いいだろう。こんな27歳のアラサー声優より、ぴちぴちで初々しい女の子の方がずっといいに決まっている。若さは武器で、かわいいは正義なのだ。
私の名前が流れるのは次のページ。
「村人:吉岡奏絵」と表示される。
村人、名前すらない役。
誰でもいい役。
ソシャゲ以外で名前のある役を演じたのはいつだろうか。半年、1年前? 名前を思い出せないほどのちょっとした役だったのだろう。
そろそろ潮時だろうか。
20代ならまだ取り返しがつく……と思いたい。今更スーツを着て、会社員になれる気はしない。それでもこのままでは良くないのは分かっている。コンビニバイトをしたまま、30歳を迎えるのは絶対になしだ。
でも、私の中で反対する声もある。
「簡単に諦めていいの?」と。
せっかく夢に見た、憧れの声優になれたのだ。声優学校のほとんどの同期が一度も演じず辞めた中で、私は声優になれた。
私は選ばれた。
あの時確かに私はヒロインだった。
今はたまたま運が悪いだけ。そう、巡り合わせが悪いだけだ。
……そう言い訳をしてきて3年が経った。
過去の栄光に縋るのももう限界だ。運が悪いだけでは片づけられない。実力が足りない。私には何かが足りない。
床に落ちた台本を拾い、ページをめくる。
「平八さん、逃げて! 私はいいから、お願い、あなただけは助かってほしいの。あなたがいないと私は駄目。せめてあなただけでも」
わからない。何が足りないのか。佐久間稀莉と私じゃ何が違うのか、何が駄目なのかわからない。
いける。
私だってヒロインを演じられる。
ヒロインを演じたい。もっとたくさん声を届けたい。
ピロリロリロ。
そんな声が通じたのか電話が鳴る。
マネージャーの片山君からだ、こんな時間に何だろう。
「はい、吉岡です」
『あっ、出た。こんちゃーす、吉岡さん。深夜にすみません』
いつも通り軽い調子の声が耳に響く。
片山君は入って半年のマネージャーだ。「俺、将来ビッグになるんすよ」が口癖の23歳の男の子。明るい茶髪で、シャツのボタンがいつも上から4つだらしなく開いている。
私が声優になったばかりはいつもスーツをビシっと決めている、ベテランのできるマネージャーさんだった。
それが今ではチャラチャラした若い兄ちゃんだ。
事務所からの、私への期待の低さがわかる。
「いえ、起きていたので大丈夫です。オーディションの結果ですか?」
『いや、違うんすっけど』
「そうですか……。じゃあ、何の話ですか?」
『急で申し訳ないんっすけど、明日お昼からいけます?』
「ええ、別に大丈夫ですが。何の仕事ですか?」
『ラジオっす』
「えっ、ラジオ?」
聞きなれない単語につい聞き返してしまう。
ラジオ、ラジオか。
『吉岡さん、ラジオ嫌いですか?』
「いや、嫌いじゃない、むしろ大好きです」
声優になってラジオのアシスタントをやっていたこともある。電波に乗せて声を届けるのは楽しくて、大好きだった。
『それは良かったっす。場所はこの後メール送るんで宜しくっす』
詳しいことは現場に行ってから、ということで電話は切れた。
どういう巡りか、唐突に仕事はやってきた。
内容はよくわからない。でも私の悲痛な願いが届いたのだ。今度、お賽銭箱に奮発して千円札を入れるとしよう。
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