第27話 戦部VS水無月

 水無月は牢、というか籠に入っていた。


 たまに出る大型の獣を捕らえたときに使う檻だ。

 立ち上がることもできない高さなのであぐらをかいて座っていた。


「なかなか立派な家だな、水無月」

「村長! あずちゃんも」

「水無月くん、うける」


 かわいくないペットみたい、と笑ったら、眉毛をハの字にして


「出してくれよ」


 と格子を掴んだ。


「あれ、グレートソードは?」

「なくした、と戯言を言っている」


 口を挟んだのは焔山だ。


「いつの間にかなくなっていたなどと、そんなはずがあるか」

「本当ですよ。あなたたちが殺意を剥き出しにして追ってきたせいでしょう」

「お前がそもそも無断で持ち出したのだ。自分の罪を棚上げするな!」


 一喝され、水無月は黙る。

 いい子にしないとほむらやまさまが怒るぞ、というのは村の子どもに対する言い聞かせの常套句だが、激昂した焔山には大人でも言い返せない。例外は村長くらいのものだ。


 その戦部が、二人の間に入って水無月に言った。


「聞いたぞ。一年の結婚じゃ満足できねえそうだな」


 水無月が驚きをあらわにして見てきたので、上城梓は手振りだけでごめん、とやった。


「はい」


 俯きがちに答えた。


「なるほど外じゃそれが常識なんだろう。

 しかしな、考えてみろ。

 夫婦ってのは行き詰まるもんでもある。結婚してみて、相手の見え方が変わる例なんていくらでもあるだろう。

 いざ一緒に住むようになり、生活習慣や嗜好が合わなかったらどうなる?

 四六時中束縛を求める夫や、些細なことに都度キレる妻だったら別れたくなるかもしれん。

 そのとき、一年の辛抱だと考えればまだ救われる人間もいるんじゃねえか?」

「でも、愛し合う人たちにとっては苦痛です」

「本当か? お前は、結婚の経験が?」

「ありません」

「愛し合ってきた。

 俺は全ての妻に等しく愛を注いだ。

 時には名残惜しさや未練も生じた。

 しかしそれとて、十年後どうなっているかは解らん。

 逆に、一年で離れたからこそ綺麗なまま残る印象もある。

 それをお前は全て否定するか?」

「そういうわけでは……ないですが」

「ではなんだ?」

「それでも一緒にいたい夫婦を強制的に引き離すのは、間違っていると……」

「しかし、システムがなければ結婚できない奴らもいる。

 病気で敬遠される者、罪を負った者、経済力に乏しい者、極端にコミュニケーション不全の者、そういった社会的弱者が妻や子を持つことにより生物として必要とされる幸せを感じ、それを村全体でサポートする。

 理想的な社会とは思わないか?」

「全員がそこそこの幸せを得るために、一部の人間に犠牲になれって言うんですか?」

「犠牲、とは正確じゃねえな。

 放っておいたら一部の人間だけが得ることになる幸せを、村人たちに分け与えるんだ」

「詭弁です。搾取されたほうの苦しみは消えない」

「そうだとしてもやがて折り合いを付ける。村に住む以上は。

 外の価値観を持つから苦しむんだ。

 棗と話しただろう? あいつは我が身を憂いていたか?」

「……いいえ」

「ほとんどの者はそうだ。

 結婚とはそもそもそういうものだ、と捉えれば苦しむことはない。

 梓」

「え、はい?」


 唐突に顔を向けられ、思わずまばたきをする。


「お前が苦しむのも、外の価値観を知ったからだろう」

「まあ……」

「それともうひとつ」

「はあ」

「お前の顔がいいから苦しむ」

「はい?」

「自分が選べる立場であれば、理想は自ずと高くなる。

 逆にお前が直視できない醜女で、外の価値観を知ったらどうだ?

 村の仕組みに感謝したかもしれねえ」

「……それは暴言だよ、村長」

「だとしても真理だ。水無月、お前は梓の外見が好きなんじゃねえのか」

「そりゃ、好きですよ。こんなに綺麗なひとはいない。

 でもそれだけじゃ」

「ないとしても、お前は人間の外見を見ずに中身だけを見て好感を持つなんて器用なことができるのか?」

「それは……できませんけど」

「仮に梓が俺の顔だったら、お前は愛せるか?」


 戦部が水無月の眼前まで顔を突き付ける。

 水無月は数秒間近で見つめ合ったものの、こらえきれなくなったように顔ごと逸らした。


「水無月くん!」

「見ろ梓、これが事実だ。

 別にこいつがお前のうわべしか見ていない、と言っているわけじゃない。

 しかしお前が類い稀な美形でなければ、こいつが村まで追ってくるほど惚れ込むことはなかった」

「……村長は、私たちを味方してくれるんだと思ってた」

「甘えるんじゃない」


 戦部は先ほど二人で話していたときの雰囲気が嘘のように睨み付けてくる。


「俺は恋愛そのものは否定しない。

 だが外に蔓延する恋愛至上の物語に毒された輩は吐き気がするほど嫌いだ。

 恋愛は釣りやゴルフ、写真と同じく趣味のひとつに過ぎん。

 熱を上げることもあれば飽きることもある。

 そんなものを人間誰もがするものとし、結婚するには恋愛を経なければいかん、とする価値観が蔓延したが故に日本は晩婚化が進み出生率も低下、そのくせ二十代半ば以降の独身にアンケートを取れば彼氏彼女を欲する輩は多い。

 自治体や民間の開催する婚活パーティーは一大市場を形成し、アラサー女にインタビューすれば『出会いがない』だ。さらに王道の恋愛ドラマや漫画に価値観を作られた奴らは、恋人になること、結婚することがゴールだ。

 人生はドラマチックに結ばれた場面でカットアウトしない、そこでエンディングテーマは流れない。

 夫婦間で家庭に対する満足な話し合いもせず、成り行きで夫は妻に家事を押しつけ、稼いだ金は公平な分配と運用を決めず、互いの価値観を押し付け合って破綻する男女のなんと多いことか。

 知っているか?

 どこかのデータでは、夫婦の三割は離婚する。

 海外じゃない、日本の話だ。

 恋愛成就と生涯生活することには全く別の覚悟とスキルが要る。

 システムによる解決を試みない政治ではこの問題を社会的に解決することは極めて難しい。

 お前らにはその認識があるのか?」


 上城梓は返答に窮する。

 水無月は口を開きかけ、閉じ、顔を上げようとしてまた俯く。

 ようやく「俺は」と言うが、その先は続かない。


 ほら見ろ、と戦部が鼻で笑った。


「梓。この程度だ。

 覚悟など持ち合わせない、ただ薄っぺらい倫理観で正しさを語り、思いどおりにならなければふて腐れる」


 上城梓は拗ねたように唇を尖らせるが、親に叱られた子どものように黙り込む。

 水無月は下を向いたまま


「確かに……そうなのかもしれない」


 と呟いた。


「水無月くん?」


 水無月は顔を上げた。

 戦部の視線をまともに受け止める。

 目には意志が宿っていた。


「俺、今まで村長が言うようなこと、考えもしなかった。

 頭から結婚は恋愛の先にあるものだって思ってたし、生涯を懸けてひとりの女のひとを愛することが、結婚だと思い込んでたんだなって、初めて解りました」

「認めるか。思い込みだと」

「はい」

「み、水無月くん!?」


 水無月の視線が上城梓に向く。


「あずちゃん。

 俺は村長の話を聞きながら、昔の日本のことを考えてた。

 以前は適齢期になっても独り身の男女を放置しないお見合い奨励おじちゃん、おばちゃんがいたとか、女性が仕事をし続けるのは社会通念として許容されないことだったから、女は家庭に入って子育てをするくらいしか選択肢がなくて、亭主関白の中で堪え忍んできたとか……それが今のグレートソード村のシステムと同じような役目を果たしてたのかもしれないって。

 いいか悪いかはともかく、そういうシステムがあったから人口は増えて、世界トップクラスのGDPになれた。だから俺たちは小さいころから飢えることもなく先進的な文化に囲まれて生きてこられた……それも否定できない事実だと思ったんだ」


「そうだ。システムによる解決が合理的であると認めたか」

「そう、ですね……。

 時代が変わってシステムが崩壊した日本は、晩婚化が進んで少子化に歯止めが利かない。

 国力が数十年先には衰退して次の世代がツケを払わなきゃいけないのは目に見えているのに、お見合いパーティーとか自由恋愛とか言ってるのは、飢え死にしそうなのにフレンチのフルコース以外は喉を通らない、と言うようなものかもしれない」

「なら……梓とは、最初の一年だけだと承諾するんだな?」


 上城梓が悲壮な顔で両手を胸の前で合わせる。

 水無月は睨み付けるような目を戦部に向け、かつ笑って言った。



「嫌です」



 一瞬、間ができる。


 聞き間違いか? という表情になって戦部が問う。


「……なんだと?」


「絶対嫌です。あずちゃんは誰にも渡さない」

「お前、自分がなにを言っているのか解ってんのか?」

「もちろんですよ、戦部村長」


 水無月は檻に捕らわれているとは思えないほど挑戦的な目を見開く。


「システムに必然性があることは理解できました。

 確かに村人たちにアンケートを採れば、もしかして支持する声のほうが多いのかもしれない。

 それに俺はシステムの撤廃を求めているわけじゃない。

 新参の、ついさっき村の歴史を知った俺がそんな偉そうなことを言うのは愚痴でしかないでしょう。

 ただ、俺自身の思いは別だ」


 楽しくて仕方がない、という余裕すら浮かべて歯を見せた。


「我が儘ですよ。

 だけどちゃんと村人としての義務と、愛を両立してみせる。

 約束します」

「どうやって両立するつもりだ?

 口ではなんとでも言える。

 具体的な方法があってそんなことをほざいているのか?」


 戦部の目が吊り上がる。

 鬼のような形相にも、水無月は怯まず、両手の指を全て開いて顔の前に掲げた。


「十人」

「あ?」

「最低三人、目標十人生みます。俺とあずちゃんで」

「……は?」


 上城梓が口元を引きつらせて目を開く。


「夫婦ふたりで子どもひとりじゃ少子化まっしぐら、ふたりでもとんとん、三人生めばちょっと増える。

 十人なら、五倍だ。

 人口増に貢献すれば、別に俺とあずちゃんが恋愛し続けてたっていいでしょう!」


 大口を開いた。


 上城梓も、戦部も、焔山すら


「こいつはなにを言い出した?」


 という顔で唖然とした。



 完全にネタを外し、それでも外したことを認めない芸人のように水無月は表情を崩さず、戦部を見続けた。


 ややあって戦部が根負けする。


 パンクしたタイヤのように空気を漏らし、肩を揺らして忍び笑いをする。

 すぐに爆発に変わり、笑い声が部屋に響き渡った。


「なんだそりゃあ!」


 戦部はツボに入ったように腹を抱えて笑う。

 上城梓と焔山は「今のなにが面白かった?」という顔で固まっている。


「システムの必然性を認めたくせに、最後は根性論か。話にならんな」


 言葉とは裏腹に、戦部は酷く愉快そうに顔を皺だらけにする。


「まあ、俺も同じか。

 今の村のシステムが破綻しかけているのに、変えようとしてこなかった。

 外からの転入も推進せねばならん現実を思えば、変化は避けられん。

 合理性を求めるなら余計に、次の最適解を探さなければならんのは解っている」

「じゃあ」


 期待に満ちた目を向ける水無月を、戦部は「馬鹿」と一蹴する。


「俺もお前も、駄目だ。

 今はまだ、お前の答えと村の現状には隔たりがあり過ぎる。

 一年の間に死に物狂いで考えろ。

 二年目以降も、梓と夫婦でいたいならな」

「……それって」


 水無月の顔に戸惑いと、歓喜が浮かぶ。


「村長」

「戦部殿!」


 焔山の放心が解け、我慢ならんといった激しさで水無月と戦部の間に割って入る。


「黙って聞いていれば勝手なことを。

 こんな小僧になにができるというのです。なにを期待しているのです。

 何十年も村を率いてきたあなたらしくもない。

 我々は、あなたが迷わなかったからこそこの世界で戦い続けてこられたというのに」

「迷いだらけだったぞ」


 戦部は笑顔を一瞬で引っ込め、代わりに苦悩を刻む。


「迷わない日はなかった。

 村を負う者は皆そうだ。

 先代も、先々代も無表情の裏に迷いを隠してきたのだ。そうでなければ務まらん。

 だからお前には無理なのだ、焔。

 こいつになにができるのか、正直俺にもよく解らん。

 解っているのは、村の価値観に縛られた俺たちでは無理だ、ということだけだ。

 なにができるか解らんというのは、希望だ」

「納得いきません」


 焔山は一歩も引かない。


「私だけではない。

 誰も納得などするものか。

 小僧、貴様は全ての村人を敵に回すことになるぞ」


 最後の台詞は水無月に吐き捨て、焔山は苛立ちを露骨に表した足音で出て行った。

 戦部はそれを見送ってから


「すまねえな。完全に焔を敵にしちまった」


 と、水無月に柔和と言っていい視線を向ける。


「儀式は明日だ。

 焔がなんと言おうと今年の巫女の相手は、梓が選ぶ以上はお前だ。

 今はまだ、村の価値観に寄り添ってくれ。頼む」


 そう言い残し、部屋を後にした。

 残された上城梓と水無月は台風が通り過ぎた後のように呆然とし、顔を見合わせる。


「檻から出してはくれないのかよ……」

「意外と似合ってるよ。かわいい」


 ふたりは目線を絡ませてから、声を立てずに笑った。

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