第26話 戦部VS焔山

 上城梓はついさっきまで確かに感じていた水無月の体温を思い返していた。

 まだ掌に熱が残っている気がする。


 異界の、焔山の屋敷の一室に押し込められてはいたが、特に不自由を強いられているわけではない。

 本祭まで軟禁するつもりだろう。


 前夜祭は巫女のために開かれ、催しの全てを目にすることで結婚相手を選ぶという仕組みのはずではあるが、あくまで建前でありここ十年以上巫女不在で行われてきたのでもはやただの祭だ。


 先ほどまでここに雪仁がいた。

 今は監視役のひとりとして、扉の外か屋敷の回りにいるはずだ。


 情熱的な文句に心が揺れない自分は酷い女だろうか?


「姉ちゃんは騙されてるんだよ」


 と雪仁は言った。


 どう騙されているのかはいくら説明を受けても納得がいかなかった。

 僕は誰よりも姉ちゃんのことを愛してる、と詰め寄られても冷めた視線しか返せない。


 言葉は空虚だ。

 その場だけで、気持ちひとつあればなんでも言える。


 他人の愛と比較検証したわけでもないのに「誰よりも愛してる」なんて台詞は「嘘つき」としか思えない。


 かといって橋の上から飛び降りて「俺はお前のためなら死んでもいい」なんてのも論外だ。愛というものを根本的に勘違いしているとしか思えない。


 そもそも好きな相手がどういう愛を欲していて、それを満たすために自分がなにをすればいいか考え、実行するのが本当の愛だと上城梓は考えている。

 自分の激しい思いを持て余して相手に叩き付けるだけ叩き付けて、受け入れられなければ競争相手を罵ったり拗ねたり怒ったりする……それはつまり


「俺を愛してくれ!」


 であって


「愛している」


 ではない。


 愛してもらうためなら死んでもいい、と飛び込まれた上に「ここまでしたのにお前はどうして愛してくれないんだ」とキレられては、ぽかーん、とするしかない。


 という趣旨のことを、少しだけオブラートに包んで言ったのだが雪仁は立っていられないほど落ち込んでしまった。

 そして一瞬、物凄い目をあさっての方角へ向け「あいつのせいだ」と呟き、出て行った。



 まずかったかなあ、と水無月が心配になったが、盛部が一緒だから大丈夫だろう、と納得することにした。

 村を出る前は素行こそ悪かったものの武術で右に出る者がいなかったという盛部は、最近も異界で指南役を務めるほどだ。

 老いたとはいえ簡単にやられる腕ではない。


 ふとドアがノックされ、返事をする前に開いた。

 覗いた顔は想像するどれとも違った。


「村長」


 戦部がいつもの無表情で佇んでいた。


「ノックするなら、返事してから開けてよ。着替え中だったらどうすんの」

「そうしたらお前、ラッキーなだけだろう」

「うわ、セクハラ……パワハラ?」

「あいつ、抜いたらしいな」


 椅子に座り、おもむろに言った。

 ベッドに腰掛ける上城梓とは、向かい合う格好だ。

 相変わらず言葉が足りないものの、水無月と魔剣のことを言ってるとすぐに解った。


「うん。さらっと。

 今まで数え切れないほど多くの人たちが鍛えて、挑んで、それでも成し得なかったことだなんて歴史を一切知らずに……普通に抜いて、持ってた」


 戦部は皺だらけの顔をよりくちゃくちゃにして笑った。

 ははは、と声を立てるのを聞くのは上城梓も初めてのことだった。


「いいじゃねえか。お前、あいつを選ぶんだろう?」


 前触れなく核心を突かれ、返事に窮する。


「俺は賛成だ。あいつこそ、待ち望んでいた村を変える人間かもしれねえ」

「だけど村長。断られるかもしれない」

「どうしてだ。あいつはお前を追って来たんだろう」

「だからだよ。一年だけの、子どもを作るためのシステムに乗りたくはないって」


 戦部は一旦黙り、目を閉じる。


 この状態になると長くて一時間以上思索にふけることがあり、寝ているんじゃないかと思うときがある。

 しかしこのときは数分で目を開けた。


「新参者が偉そうに、歴史ある仕組みに口を出しやがって。文句があるなら出ていけ」


 そう言って、その後首を横に振る。


「そう、思っただろうな。昔の俺なら。

 特に盛部を知る前の俺は村を、疑ったことがなかった。

 しかし俺の代で村は衰退に向かってる。

 時代に取り残され、女は生まれなくなり、変わらなければならねえと解りながらも方法が見つからねえ」

「村長だけのせいじゃ」

「変えるときが来たのかもしれねえ」

「え?」


 それってどういう……と続けようとしたとき、ドアが開き、焔山が現れた。

 戦部を見て軽く驚いた表情になるが、すぐに平静の顔を作る。


「これは、戦部殿。突然異界にいらっしゃるとは珍しい」

「事前連絡をしたことなどない」


 戦部の顔はたった数分前までとは別人のように険しい。


「本日は何用で?」

「水無月に手を出すな。追っ手を出しているだろう。退け」

「や、お待ちを」


 焔山はあくまで感情の宿らない視線を向けるが、座っている戦部を見下ろす姿勢で言った。


「有事の際、こちらの世界での判断は私に権限があるはずです」

「有事だと?」

「巫女が前夜祭の日に連れ出され、グレートソードが盗み出され所在不明。

 これが有事でなくてなにが有事なのです?」

「なるほどな」


 戦部は座りながら焔山を見下した。


「では焔山殿にお頼み申す。

 うちの水無月がとんだ誤解を招く行為をしており、誠に申し訳ない。

 この件は責任を持って俺が片を付ける故、黙って見ていてもらいたい」

「それが人にものを頼む態度ですか」


 端から見ている上城梓にも、戦部が言葉の中身以外は命令しているようにしか見えない。


「いいから退け、焔」


 開き直ったかのように言い放つ戦部はまるでたちの悪いクレーマーだ。

 しかし焔、と呼ばれた瞬間、焔山の作られた仮面が一瞬崩れ、動揺が覗くのを上城梓は見逃さなかった。

 内心、異界の長も冷静ではいられない状況であり、戦部は十分それを把握して発言しているのだと気付く。


「変わるときが来た。

 金は遠くない将来尽き、そうなれば表に入り込んでいる権力者たちはいずれ失墜する。

 村が他の自治体から特別扱いされることもなくなり、今の形を維持できなくなる。

 そもそも人口がこれ以上増えない。女性が生まれない。他からの移住も今の村では望むべくもない。

 力はどうだ? 外で次々に新しい技術と商品が生み出され普及するのを、俺たちは眺めるだけだった。今や二十年は遅れている。

 守るべきものと、無意味に守るべきではないものを区別するときが来た」


「あなたに責任のあることだ」

「そうだ。お前にもな。ふたりで引退するか」

「なにをとぼけたことを。今の村に、我々の代わりが務まる者がいるとは思えない」

「今のままを維持するならな。変化を最優先とするなら、水無月に任せてもいい」

「なんですと?」


 焔山の顔面に明らかな亀裂が入った。

 これまで硬直しているのではないかとすら思えた表情筋が激しく揺れ動く。

 眼球を剥き出しにして、血管のような皺を顔面中にほどばしらせた。


「正気で言うのか、戦部殿」

「お前には解らん。村を思うあまり目の前しか見えないお前には」

「あなたこそ目の前を見ろ。

 村を再生するため、多くの者を生み出した。村を守るため、多くの者が死んでいった。

 グレートソード村は日本の田舎村ではない。

 この荒涼たる世界で命を育むことができる、聖地だ」

「時代は変わる。取り残されるぞ、幕末に全てが終わってから京に着いた始祖のように」

「村は変わらない。変わるわけにはいかない。

 死んでいった仲間たちのためにも、女神と始祖から受け継いだものを捨てるわけにはいかない」


 上城梓は部屋に充満する覇気のようなもので意識が遠のきそうなのを堪えていた。


 村のツートップがこれほど感情的に言い合う姿を見たことがない。

 恐らく、村で最初の目撃者だろうと思いながら、私のいないところでやってよ、とも思った。

 しかし聞き逃せない台詞もあった。



 水無月くんを、村長に?



 焔山が驚愕するのも無理はない。

 水無月を村では誰よりも知る上城梓が聞いても「村長、さすがに早まり過ぎ」と思う。


「とにかく、退くなどとは承服しかねる。

 ここに来たのは、こんな言い合いを演じるためではない。それに」


 焔山は視線を上城梓に切り替えた。


「既にあの男を捕らえたという報告があった。私はそれを言いに来たのだ」


 耳鳴りがして、上城梓は倒れそうになる。

 戦部は


「盛部が一緒だと聞いたが?」


 と平静の声に戻る。


「あの、追放者ですか。

 過去を流し指南役に抜擢してやったというのに……やはりにわかに外を知る人間は駄目ですな」

「奴も捕らえたのか?」

「いや、残念ながら取り逃がしたようです。

 衰えても虎は虎。深追いは禁物と指示していました」

「水無月はどこだ」


 戦部が立ち上がる。

 焔山は溜息をつき、渋々といった表情で


「いいでしょう。ただし、私も同行しますよ」


 と言った。


「来い梓」


 促され、上城梓も二人に続いて扉をくぐった。

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