第25話 罪人水無月

 話し終えると上城梓は立ち上がり、水無月の隣に来て腰を落としてからおもむろにしがみついてきた。


「ごめん、ちょっと泣かせて。変に昂ぶっちゃって」


 小さな子どものように嗚咽を漏らす間、水無月は言葉を探したがなにも浮かばず、頭にそっと手を置いた。

やがて少しだけ落ち着いた上代梓は水無月の肩に首をもたれかけ


「初めて言葉にしたから、自分でもびっくりした」


と笑った。


「顔見ないでね。化粧落ちたと思うから」


「あずちゃんは綺麗だよ。いつでも」

「口説かないでよ、こんなときに」


 口説くよいつだって、とおどけてみせる。


「今さらそんなことしなくても、私、水無月くんが選んでくれたら結婚するよ」

「一年だろ?」

「村の決まりだからね」

「俺はそれじゃ嫌だ」

「だけど私は、この村を捨てられない」

「捨てなくていい」

「じゃあどうするの?」


 水無月はそれには答えず、掌を上城梓に重ねた。


「引いたでしょ? さすがに」


上城梓は目を閉じて体重を預けてくる。


「まだあんのかよ、って感じだよね。

 まだ水無月くんが村に来る前、あなたは部外者です、だからこれ以上話せません、みたいなこと言ったけど、そもそも予備知識のない人には説明力の問題で説明できないよ。

 複雑過ぎる」

「確かに。でも俺、意外なほど引いてないよ」

「ほんとに?」

「慣れちゃったのかも、予想外の出来事に。もしくは上城さんが取り乱してくれたから、逆に落ちついてるのかもしれない」

「なんでそこ、上城さんなのよいきなり。やっぱ引いてんじゃないの」

「いや、なんとなく。そもそもあずちゃんって呼ばれるの、嫌だったんじゃないっけ」

「なんとなく恥ずかしいだけ。水無月くんにそう呼ばれるのは、実は結構嬉しい」


 上城梓が姿勢を変えないまま見上げてきた。


「ねえ」

「うん?」


 息が触れそうな距離で目が合った。


「さっき話したとおり、この小屋ってそういう場所、だったんだよね」

「うん」

「水無月くんが嫌じゃなければ、私……今がいいなあ」


 上城梓が眠るときのような無防備さで目を閉じる。


「喜んで。ただし……五股じゃなければね」


 トラウマがあるんだ、と笑いながら、水無月は上城梓の下唇をなぞるようにくわえた。






「出てこい! いるのは解っている」


 ドアが壊れそうなほどの力で叩かれ、水無月は


「はいはい、今出ますよ」


 と起き上がった。

 魔剣を革紐で腰に携える。


 上城梓から、恐らくつけられていることは聞いていた。

 なかなか聖域たる緑の大地から出てこないことに業を煮やしたのだろう。


 扉の鍵を開けて出て行くと、刀を帯びた男が数人、一定の距離を取って道に立ちはだかっていた。

 その中のひとりが前に出る。


「水無月、だな」

「いかにも」


 時代劇風の口調を気取って腕組みをした。


「何用じゃ」


 上城梓が袖を引く。


「なんで無駄にテンション高いの、水無月くん。恥ずかしいんだけど」

「あ、そう?」


 とはいえ内心、これが浮かれずにいられるかってんだよ、と思っていた。


「大罪人め。余裕ぶっていられるのも今のうちだと思え」

「俺、なんかしました?」

「自覚がないとは恐ろしい。グレートソードを持ち出し、儀式前の巫女を連れ出した上、この世界に無断侵入しただろう」

「連れ出した、ってさ?」

「まあ、私がここにいるのがあなたのせいなのは間違いないよ」

「えー、そうなの?」

「村長はお前を気に入っているようだが、さすがに庇えまい。

 そもそも結婚前の巫女に村長以外の成人男子が不用意に話しかけること自体村のルールを犯している。お前は堂々とそれを破り、こともあろうに雇って接客までやらせた。

 前代未聞だ。もはや見過ごせん」

「え、そんな決まり知らなかったんだけど」

「だろうね」

「そもそも仕事は、あずちゃんから手伝うって……」

「なんか文句ある?」

「まあ、ないけど」


 ていうか会話とか接客どころじゃないことしちゃったけど。


「そもそもあの人誰?」

ほむらやま。村長の次に偉い村のナンバーツーだよ。異界が管轄だから普段はこっちにずっといる。こっちでは実質的にトップだ」

「ええ! それ結構やばいんじゃないの、この状況」

「やばいよ」

「の割に緊張感ないね、あずちゃんも」


 気まずそうに顔を赤くして、上城梓は水無月の脇腹をつねった。


「察してよね。さっきまであんなことしてたのに、突然切り替えらんないよ」

「うわ、可愛い」

「なにを小声で喋っている!」


 焔山が神経質そうな皺を目尻に浮かべ、刀を抜き放った。

 洒落にならない雰囲気に思わず後ずさりする。

 顔立ちが中年の割に身体は引き締まり、動きには無駄がない。

 武道の心得などない水無月にも、目の前の男がただ刃物を持っているだけではないことが解った。


 背後には小屋と岩壁しかなく、周囲は竹に囲まれている。

 まともに通れるのは今、焔山たちが立っている道だけだ。


 ようやく水無月は追い詰められていることを自覚した。


「グレートソードは返す。見逃してくれないか」

「交渉が稚拙過ぎて笑えるな、小僧」


 焔山が刀を中段に構え、切っ先を水無月の喉に突き付ける。

 数メートルはあるが、水無月はそれだけで動けなくなった。

 一秒にも満たない時間で、刃が首を貫き通す絵が鮮明にイメージできた。

 既に、間合いだ。


「お前を今、ここで殺してしまっても良い。戦に巻き込まれた、と言えば理由は後からどうとでもなる」


 水無月はグレートソードの柄に手をかけた。


 戦う意思を見せたのではない。

 急に冗談のように震え始めた手を留め置くためだ。


 前傾姿勢で少しだけ後ずさる。

 無意識の行為だったが同じ分だけ焔山も摺り足で間を詰める。

 視線に全てをさらされ、全身から汗が噴き出す。

 反面喉が酷く渇き、呼吸もままならなくなった。


 情けない!


 思った瞬間、身体が勝手に動きグレートソードを抜き放つ姿勢に入ったが、腕を予想外の方向から押さえつけられた。


 あずちゃん!?


 まさか裏切ったのか、とは思わなかったが勢い余って姿勢を崩した。

 視界の端に焔山が刀を振りかぶる姿が映り、あ、死んだ、と悟った。


 しかし刃と水無月の間に上城梓が割り込む。

 駄目だ、と言葉になったかどうか、水無月が吼える。


 その眼前で刀の切っ先が弾け飛んだ。


「……え?」


 呟いたのと同時に、水無月たちと焔山の間に影が入り込む。

 一瞬後、焔山が後ろに飛び、影が追う。

 金属の打ち合う音が響くが、とっさになにが起きたか目で追うことができない。


「離して!」


 という声がして、振り向くと焔山に従っていたうちのひとりが上城梓の腕を拘束していた。


「やめろ!」


 グレートソードを振りかぶると、上城梓から


「やめて!」


 と言われ留まった。


「どうしてだよ」

「人と戦う剣じゃない。それは、きっと振っちゃいけない剣なんだよ」


 上城梓が引っ張られて苦痛に顔を歪める。

 やむを得ず水無月はグレートソードを腰に差し、拳を振り上げた。

 しかし届かず、逆に前蹴りを鳩尾に食らった。


「やめて、雪仁」


 上城梓の声に顔を上げる。拘束している男が武装した雪仁であることに今気付いた。


「どうして……」


 そこに続く言葉もなく声が漏れた。


 雪仁がこれまで水無月に向けたことがない激しさを帯びた目で、睨みつけてくる。


「どうして? それはこっちの台詞だよ、兄ちゃん。

 まさかこの前までよそ者だったくせに結婚相手として巫女を狙ってるなんてね。

 しかも前夜祭の最中に抜け駆け? 村を舐めるのも大概にしてくれよ」

「雪仁、誤解だ」


 言ってからいや、結果的に全く誤解ではないかと思い直す。


「僕はずっと待っていたんだ。

 自分が結婚に参加できる十八になるのを。姉ちゃんが帰ってくるのを。

 そしてそのふたつが同時になったとき確信した。これは運命だって。

 僕が姉ちゃんの初めての夫になるんだって、決めたんだ。それを」


 雪仁が左手で上城梓を押さえ付けたまま右手で刀を抜く。


「横から入ってきたお前なんかに、邪魔されてたまるか!」


 突きを、かろうじて後ろに倒れてかわす。

 後ろ歩きで起き上がりながら一定の距離を取った。


 背中がなにかにぶつかり、視線を向けると男と背を合わせる格好になっていた。


「一旦退くぞ、水無月」

「え?」


 声で気付いた。盛部だ。

 先ほど焔山との間に割り込み、助けてくれた影は盛部だったのだと知った。


「駄目だ。あずちゃんが捕まってる」

「梓は巫女だ。手荒な真似はされねえよ。

 というかむしろ、お前から救い出した、というのが彼らの立ち位置だろう」

「でも」

「分が悪りい。四人相手じゃお前を庇いつつ梓を救うのは不可能だ。命と引き替えでもな」


 上城梓を押さえている雪仁以外、焔山とふたりの男が取り巻くように間合いを縮めてくる。


 考えている暇はない。


 解った、と言った瞬間盛部が


「走れ!」


 と言って道のほうへ駆ける。

 立ちはだかるひとりと鍔を合わせ、水無月が通れるスペースを作る。


 水無月は一目散に逃げ出し、盛部はそれを確認してから煙玉を放った。






「どうして、盛部さんが」

「お前たちが異界に来たと、焔山に言ったのは雪仁だ」


 村の柵を越え、荒野の岩陰に身を隠しながらふたりは息を整える。


「味方をしてくれると思ったんだろうな、ご丁寧に俺のところにも教えに来た。

 でまあ、まずいなと。

 戦部に伝われば見逃されるかもしれないが、雪仁は興奮していた。お前への敵意を剥き出しにしてな。

 前夜祭では、男たちはおおっぴらに巫女へ話しかけることができる。

 雪仁はようやく来たチャンスをものにしようと、梓を捜し回っていた。そしたら何故か祭を抜け出して北の車庫へ行き、水無月と落ち合って異界に行って、さらに巫女以外は原則立ち入り制限になってる『緑の大地』に入ってったって言うじゃねえか。

 俺はほっとけと言ったんだが、素直に聞く風でもなかった。

 こりゃ荒っぽい連中に声をかける可能性があるなと慌てて装備を持ち出してきたわけだ。

 まさか焔山のレベルまでいくとは思ってなかったけどよ。

 考えてみりゃ、雪仁が軍にいたとき目をかけられてたって噂だった」


「軍?」


「梓から、あらかたのことは聞いたんだろ? この世界のことも。

 村のほとんどの男は防衛のため徴兵される。

 普通は十八の成人前に一年、成人後に二年なんだが、あいつは自ら志願して成人前に三年いた。巫女に相応しい強さを身に付けたい、とな。

 巫女の最初の一年に寄り添うためだけに青春を犠牲に努力を続けて来た。

 まだ若いあいつには、人生の全てと言ってもいいだろう」

「それを俺が横から台無しにしたのか」


 自分の掌を見つめる。


「殺意を向けられたのは初めてだ」


 殺す、という明確な方向がある意志は怒りや悲しみをぶつけられるより具体的で、解りやすく、逃れがたい。

 思い出すとまた背中に汗が滲んだ。


「まあ、ただよ……梓には全然その気はねえんだ。

 グレートソード村に縛り付けられたくないと考え続けてきたからな。

 結婚をちらつかせるような村の男は、情熱的であればあるほど逆効果さ。

 梓が十代なら、感じ方も違ったのかもしれないが……」

「そうかな?」

「そうは思わねえか?」

「十年前のあずちゃんを知ってる盛部さんに、知らない俺が言うのもどうかとは思うけど。

 彼女は、変わらないと思うよ。

 俺たちはこじらせたんだ。

 十代か二十代か解らないけど、大人なんてものになるタイミングを逸して、三十路を越えたことも精神的に自覚せず、未だ手に入らないなにかを追ってる」

「なるほど。だがそれは悪いことか?」

「いいとか悪いとかじゃなくて、そうなんだよ。

 人によってはいつまでもふらふらしてるとか、大人の落ち着きがないって言うかもしれないけど。

 盛部さん前に言ってたよね、老人、と言えば人は十把一絡げの固定観念に押し込めて見るけど自分はそんなのと違う、って。

 多分そうなんだ。ステレオタイプな十代も、二十代も、三十代もいないんだよ。

 善悪じゃなくて、それが事実なんだよ」


 どうして今、自分がこんなことを口走ったのかは解らなかった。

 しかしずっと前に梨子に言われた


「水無月君こそ、こじらせ三十代の代表取締役みたいな人じゃん」


 という台詞がずっと頭の片隅に残っていた。


 そして今なら、その台詞に「そうだね」と笑い返せる自信があった。



 盛部が学校の先輩のような距離感で見透かしたように目を細めながら笑う。


「まあ、そうだな。

 お前と梓が高校生カップルみたいにうぶな恋愛と初体験をしたとしても、俺は肯定してやるよ」


 水無月は視線を向けずに鼻で笑った。


「余計なお世話だよ」

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