第28話 恋愛はあったぞ

 水無月は危機的状況にあった。


 梓も去り、トイレに行く以外は檻に入れられたままひとりで一夜を過ごした。

 足を折りたたんだ状態で眠るしかなく、目覚めは節々の痛みに挨拶をするところから始まった。


 本祭は緑の大地の前で行われるの、と上城梓が言っていた。

 一夜にして組み上げられた櫓で巫女が純潔を失った証を示し、次の巫女に受け継ぐ手筈だ。


 村長はああ言ったが、焔山が水無月を犯罪者と主張している以上、結局水無月が巫女の相手役としての資格を持っているのかどうかも曖昧なままだった。


 でもきっと、村長がなんとかしてくれるはずだ。


 信じるしかない、と覚悟を決めた。


 

 が、期待は見事に裏切られた。


 起きて手足をほぐした水無月の前に、血走った目の雪仁がひとりで現れたからだ。


「いなくなってもらうよ。兄ちゃん」


 目以外は静かな、覚悟を決めた顔だった。

 檻の鍵を開け、水無月に出ることを促す。


「せめて檻の外で死なせてあげるよ。俺は兄ちゃんが決して嫌いじゃなかったからね」


 笑顔には狂気が混じっていた。


 抜き身の刃を持った相手が構えているのにのこのこと出られるわけがない。


「俺を殺せば、グレートソードの在処が解らなくなるぞ」


 それは切り札だったが、雪仁はあっさり


「そんなのどうだっていいよ」


 と吐き捨てた。


 どうすればこの窮地を脱せるか考えたが、あまりに行動の選択肢は少ない。

 背中には汗が浮かぶ。

 そのくせやけに身体は冷たく、心はここにないかのように俯瞰的だった。


 死を前にすると、こうなるのか。



 水無月は状況を見て、絶望的だと悟った。

 死ぬわけにはいかないという思いと、どうにもならないという思いが溶けて混じった。

 ドラマや漫画のように、誰かが助けに来てくれなければ無理だ、という結論になった。


 水無月は檻を出た。

 瞬間、雪仁の振りかぶった刀に


「死んだ」


 と思いながら同時に掌をかざす。


 片手はくれてやる、と、諦めの悪い水無月の一部が吼え、床を蹴った。

 しかし予想に反して水無月を襲ったのは鈍い衝撃だった。

 転がりながら、蹴られたんだ、と気付くのに数秒かかった。


「ひと思いに済ませようと思ったけど、やめた」


 雪仁が狂気を隠し、紳士的に微笑む。


「全身の骨を折って、真っ直ぐ見られないくらいボコボコにしてからばいばいしよう。

 姉ちゃんが見て、元の姿を思い出せないくらいのトラウマにしたら面白いよね」


 雪仁が床を蹴る。


 優男、もっと言えば幼い少年。

 水無月が雪仁に抱いていた印象には荒々しさが全くない。


 背は年齢を考えると平均的な女性よりも低く、顔立ちも幼く態度も無邪気さが目立つ。

 しかし目の前の小兵に重なる部分は全くない。

 鍛え上げられた拳が的確に水無月のガードをかいくぐり、内臓や関節を抉る。

 そのくせ気絶に繋がるような急所はひとつも狙わない。


「独断か? 焔山の指示か?」


 口が動くうちに、と思い言った。


「さあね」

「こんなことをして、お前は大丈夫なのか」

「今さら俺を庇うようなことを言って気を引こうとするのはやめてよね。

 姉ちゃんの最初を誰かに奪われる人生なんて、生きていても仕方ない。

 そう思っているのは、俺だけじゃないはずだよ」


 ふたりの間にどんな記憶があるのかは解らない。


 が、上城梓が村にいたのは、巫女を本来引き継ぐはずだった年齢、十六歳までだったはずだから、雪仁からすれば実際は幼いころの数年を過ごした程度だろう。

 それにもかかわらずこのこだわりようは、少々異常にも思えた。



 思い込んだんだな。

 恋を、したんだな。



 ある意味自分と同じだ、と思った。

 違うのは、若さと経験のなさに任せた独善的な対応だ。


 好きなひとが世界の全てで、失われれば生きている意味がない。

 相手を幸せにすること以上に、自分の思いが成就することにこだわってしまう。


 水無月にも、心当たりがないわけではなかった。

 そして同時に、村の歪んだ恋愛観にも気付いた。



 戦部村長。

 恋愛はあったぞ、この村にも。



 ずっと一緒にいる、とは決して言えないからこそ、始めの一年にとことんこだわる。

 せめて最初の恋人になって記憶に残りたい。


 そんな思いが拳から伝わり、水無月は涙を流した。


「泣いてんの? 兄ちゃん。かっこ悪い。大人なのに」

「そんなことはねえ」


 倒れ伏していた体勢から膝をついて雪仁を見上げる。


「大人だから泣くのは情けないとか、そもそも泣くのがかっこ悪いとか、そんな価値観で生きてねえんだ。

 上城梓とグレートソード村に関わってから、俺の人生は足下からぐらついてる。

 会社は辞めたし交友は断絶しかけてる。

 身に付けてきたものは少ししか役に立たないし、想像を超える常識に何度も殴られた。

 仕事にくたびれて、飲んでくだ巻いて生きてく将来を疑ってなかったのに、てっきり大人かなにかになったつもりでいたのに、全部、勘違いだった」


 低い体勢のまま水無月は渾身の力で床を踏み、前へ出た。


「なんでだろうなぁ」


 泣きながら、笑う。


「それなのにこんなに生きたいと思った半年はなかったんだ」


 将棋サークル兼ラグビーサークルだった同級生、たかやまの顔が浮かぶ。



 膝より下だよ、水無月。



 足首を狩るんだ。

 間合いに入ったら、身体で押して、腕で引け。

 体当たりじゃない、引き倒すんだ。


 数年ぶりに会った恋人へ対するように、水無月は力一杯足首にしがみついた。

 雪仁が傾く。

 足が浮き、仰向けに倒れ込む……と思った瞬間小兵は身体をひねり水無月の束縛を解いて、さらに片手をつくことで転倒を回避した。


 しかしその一瞬を、水無月は見逃さない。


 出口に向けて一目散に駆ける。

 足は、動く。手も振れる。鈍い痛みだけが全身を駆け巡る。

 そうだ、痛いと感じているうちは大丈夫だ。まだ、生きられる。


 気配がする。

 雪仁が追ってくる。


 そりゃそうだ。ダメージを与えたわけじゃない。

 意表を突いてもよろけさせるのがやっとだ。

 向こうは十八、こっちは三十過ぎ。

 さらに軍隊上がりとメタボに片足突っ込んだおっさん。


 階段を、跳んだ。十数段を一歩で降りようとした。

 また全身に痛みが走る。大丈夫、まだ走れる。


 建物を出る。方角は解る。運ばれながら来た道筋を記憶していた。

 広場に出る。まだ緑は遠い。


 首根っこに手の感触がする。


 引っ張られる。抗えず、仰向けに倒れる。呼吸ができない。

 目の端に顔を真っ赤にした雪仁が映る。刀を下向きにして、振りかざす。


 あ、と思った瞬間切っ先が首めがけて迫り、勝手に身体が動いた。


 すんでのところでかわしたが、もう指くらいしか動かない。

 溜まっていた疲労が一気に押し寄せた。

 身体が恐怖で震え、様々な原因の汗が額から足の指先まで一斉に流れる。


 今度は外さない、と言わんばかりに雪仁は心臓の辺りを踏みつけて押さえてくる。

 もう一度喉仏に刀の切っ先を合わせた。


「手こずらせたね」

「あーあ、ここまでか」


 ふたりとも肩で息をしていた。


「なんて、言うかよ!」


 指先で地面の土を抉り、水無月は雪仁の目を狙った。

 あっさりかわされる。

 笑うしかなかった。雪仁も笑う。


「往生際が悪い男だったと憶えておくよ、兄ちゃん」


 しかしその顔から笑みが消え、水無月とは違う方向を見た。


 刀を身体の前に構える。

 そこに、もう一本の刃が重なった。

 雪仁の身体は押され、水無月の拘束が解かれた。


「おっせえよ!」


 顔を思い切り歪めて、水無月は天に向かって叫んだ。


「悪い」


 盛部が短く言った。

 雪仁と数回刀を合わせ、一気に弾いた。雪仁の手元から武器が飛ぶ。


「こっちも囲まれてすげー思いをしてたんだ。まったく、老人はいたわるもんじゃぞいよ」

「盛じい、なんで邪魔すんだよ。結局あんたも、外の人間なのか」

「馬鹿野郎」


 盛部が雪仁を殴った。


 軽く腕を振っただけに見えたが、雪仁は人形のように吹っ飛び、受け身も取れず倒れる。

 足首を狩られても倒れなかった男と同じ人間には見えなかった。


「食卓を囲んだ家族を殺す奴があるか」

「でもこいつは、姉ちゃんを」

「そうだ。梓の心を開いた。

 お前にはできなかったことをした。

 こいつを殺したとしても、梓の心はお前には向かない」


 雪仁の顔から溶けるように険しさが消え、代わりに年相応のあどけなさと、苦悩が表れた。

 突き放すでも諭すでもない声色に、涙を浮かべ歯を食いしばり、声もなく崩れ落ちる。


「やられたな、水無月」

「おかげさまで」

「走れるか?」

「寝てたいけど、どうやらまだなにも成してないみたいなんでね」


 盛部が頷き、駆け出す。


 水無月は一度だけ雪仁を見て、かけられる言葉なんて到底ないことを確認してから後を追った。



「孫が迷惑をかけたな」


 横に並んだ途端、盛部が言う。


「孫……えええ!?」

「村では名字があまり意味を成さない代わりに、子どもに親や祖父母の文字を継がせる」

「雪……」

「そういうことだ」

「雪仁は、それ」

「知ってるだろうな、薄々は。

 村の中で聞き込みをしてたらしいから。

 なあ水無月、どんなに巧みなシステムであっても、自分の親やルーツを知りたくなる人間はごまんといるってことなんだと俺は思うぜ。

 自分はちゃんと生物として道の途中にいるのか、孤独な存在ではないのか確認したくなるんだ。

 子どもができたとき、俺にもようやくそのことが解った。

 バトンを渡す相手は、思い入れを持って自分で育てたいと思うじゃねえか。

 経験がなかろうとどんなに稚拙だろうと……それを望むことが罪であっちゃあいけねえよ。

 内心は、そう思っている奴が少なくはねえと思いたい」


 水無月は頷く。


「うん」

「さて見えてきたぜ」

「見えてきた?」


『緑の大地』はまだ先だ。


「俺がさっき巻いてきた奴らだ」


 前方に、十数名の武装兵が見える。


「倒してきたんじゃないの!?」

「無理言うな。

 ひとりひとりが訓練を受けてるし、俺も歳だ。

 倒すまでやってたらさっきお前は確実に死んでた。

 あいつらも雪仁と同じだ、お前が儀式を受ける前に殺しちまおうって思ってる」


 そう言って盛部は携えていたグレートソードを水無月に放る。


「死ぬんじゃないぞ。

 異世界から来た勇者殿」


 走る速度を数段階上げて突っ込んでいった。


 盛部さん、と声をかける暇もなく遅れる。

 なにが歳だ。

 一体どうすればあれほどの力を残したまま齢を重ねられるのか聞いてみたい。


 盛部が敵のひとりが振りかぶる刃に飛び込んだ、瞬間相手が倒れる。

 怯んだ近くの男の胴を一線、さらに止まらず、三人を立て続けに斬り伏せた。


 道ができ、水無月は全速力で真っ直ぐ走る。

 学生時代の五十メートル走を思い出した。

 だけど今は五十メートルで止まるわけにはいかない。


 後から追われる気配がしたが、すぐ消えた。

 首だけ一瞬振り返ると、盛部が、追おうとしていた兵に刀を投げ、柄の部分を見事頭蓋にヒットさせていた。


「盛部さん!」


 丸腰になった老人を見て、さすがに足を止めた。


「馬鹿野郎止まるな、行け!」


 盛部は敵から目をそらさず怒鳴る。


「でも」


 盛部へ同時に三人が襲いかかる。

 次の瞬間、全員が宙を舞った。

 ふたりの鳩尾に拳を叩き込み、三人目は蹴り上げたのがなんとなく見えた。


「行け!」


 驚愕の動きを見せても、盛部は決して余裕の表情をしていない。

 兵たちは警戒しているもののまだ圧倒的優位な数で、盛部は肩で息をしている。

 しかし邪魔になるだけだ、と自分に言い聞かせ、背を向けて走った。

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