第29話 三度目
緑の前には、村人たちほぼ全員と思われる数が集まっていた。
想像はしていたが、思いのほか少ない。
高校の全校生徒が確かこれくらいだったか……しかし、これがひとつの家族、と考えればむしろ途方もない人数だった。
人をかき分け、水無月は前を目指した。
いつ組んだのか仮設ステージができており、その上に見知った顔があった。
戦部、焔山、そして上城梓。
上城梓はヴェールのようなものをかぶって、肩の出たドレスを纏っていた。
ウエディングドレスとも違う、和風のような中近東テイストのような……幾何学模様を取り入れたものだ。
こんなときでも、思わず見とれた。
ステージによじ登る。
最初に戦部が気付いてこちらを向いた。
「水無月。遅かったな、迎えに寄越した使者はどうした?」
「水無……」
「あずちゃん!」
呼び終えられる前に躊躇なく上城梓の手を引いて、簡易階段を駆け下りる。
水無月の腫れた顔に気付いて「どうしたのその顔」と質問してきたが、それには答えず
「盛部さんが危ない」
とだけ言ったら、上城梓はむしろ率先して前へ出た。
「道を開けて」
それだけで、水無月が先ほどやっとかき分けた群衆は左右に割れる。
俺は右か? 左か、と迷う者はいても遮ろうとする者は皆無だった。
「待てお前たち!」
焔山の怒号が飛ぶが、振り返らない。
バージンロードさながら、ふたりで村人たちが作った道を通り終えてから上城梓は振り返り、言った。
「ついてきて!」
それだけだったのに、一瞬の逡巡の後、塊が動き出す。
上城梓を先頭に、水無月と数百の村人が付き従う。
通ってきた道は役割を終えて塞がり、焔山らの通行を許さない。
走り出したときとは逆に手を引かれる格好になった水無月は、わけもなく可笑しくなった。
初めは遠慮気味にこらえていたが、すぐに吹き出す。
青空を仰ぎ、高らかに笑った。
「なに?」
上城梓が不思議そうに一瞥だけしてきた。
「巫女すげぇーっ!」
横隔膜の痙攣が止まらない。
ドレスの巫女に引っ張られて走るぼろぼろの男。
ふたりの後を整然と、訓練でも受けているかのように付かず離れず追う群衆。
それに阻まれ、先頭に辿り着けない権力者。
全てが陽に照らされたその景色を一枚の絵として想像すると、悪くない。
感覚的に、来たときの半分以下の時間で広場近くまで戻る。
盛部が見えた。
片膝をつき、肩の上下が冗談のように激しくかつ不規則だった。
対する兵の数は、さほど減ってはいない。
盛部は峰打ちと打撃で戦っていたので、一度倒しても復活して来るのだろう。
「
上城梓の呼びかけに盛部が幻覚か、といった顔で振り向く。
「ど、どうしたんだお前ら」
囲んでいた兵たちにも動揺が広がるのが、目に見えて解った。
大衆の前で剣を持ち続けることを躊躇する様が見て取れた。
「ありがとう、あずちゃん」
立ち止まった上城梓と村人の中から、水無月は前に出る。
「本当は櫓のとこでやるつもりだったけど、ここでいい。むしろ、お膳立てされた綺麗な舞台より、こっちのほうが俺らしいかもしれない」
その場の全てが見守る中、盛部に向かって歩く。
「水無月、何故戻ってきた」
「食卓を囲んだ家族を見殺しにするやつがあるかよ」
途中で止まり、上城梓のほうへ身体の向きを戻した。
困惑する顔。
なにかを期待する顔。
様々な顔が並んでいた。
水無月のいる位置は浅い窪地のようになっており、村人たちを軽く見上げるような格好になる。
「俺はパソコン屋の水無月! 新商品よろしく」
勝利を宣言するように握り締めた片手を真っ直ぐ伸ばし、声を張った。
喉はからからで身体も痛い。
顔も大分腫れている。
今すぐここで倒れ伏し眠りたい衝動を抑えた。
「あずちゃん!」
唐突に呼ばれ、上城梓が目を丸くする。
「はい」
「俺と――――」
言葉が、突風にかき消される。
伝わったのか、あっけにとられた表情だった。
その顔のまま上城梓は水無月を真っ直ぐ見続けた。
「ふざけるな、待て!」
もう一度繰り返そうとしたとき、人波をかき分け、焔山が顔を出した。
「そんなことが許されるか。村の掟は」
「それどころじゃなくしてやるさ。たった今から」
水無月はグレートソードを振りかぶる。
天に向けて突き出し、柄を両手で握り締めた。
「世界なんて変えなくたって、本当は自分を変えられる。
だけどそれは本当に難しいことで……だから誰もが、世界が変わってくれることを望む。
ここではないどこかを求め、退屈で理不尽な日常をぶち破るなにかを求める。
それは甘えかもしれないよ。
でも本当に、救われたから。
俺は、上城梓の世界に触れて変われたと思うから……。
今度は俺が、この村を、世界ごと変えてやる。
だからみんな呪いから、目を覚ませ!」
振り切る。
いや、斬る。
刃は虚空へ向けられたのに確かな手応えがある。
丈夫な布素材をはさみで切るかのような感触がする。
斬れるはずのないものが斬れ、裂けるはずのないものが裂ける。
堅いジッパーを力任せに下ろしたような音が聞こえる。
それだけだった。
派手な爆発や発光があるわけでもない。
しかしたったそれだけで、なにもなかった場所に縦の線が走った。
その線の間から淡い光が漏れ、線が電子レンジで加熱したチーズのように溶け出した。
浸食は瞬く間に広がり、大人がふたり、横並びで通れるくらいになった。
向こう側に覗いているのは、目映いほどの緑だ。
戦部がいつの間にか群衆の前に出ている。
「おお……」
眼球がこぼれてしまうのではというくらい見開いていた。
頬にはひと筋の液体が伝っている。焔山も、群衆も言葉を失っていた。
その場にある視線を全て集めた水無月は、さっきかき消された言葉を、たったひとりに向けて言い直すために口を開く。
「好きだ」
とも
「結婚しよう」
とも違う。
村に来て、住んだからこそ見つかったそのありふれた台詞を笑いながら口にする。
そしてそれを察した上城梓もまた、全く同じタイミングで唇を開く。
冗談のような量の涙を溢れさせながら、命そのものをぶつける鮮烈さで。
『死ぬまで、一緒にいよう!』
奇跡のような静けさの中、ふたりの絶叫が重なった。
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