第23話 真・グレートソード村
下が見えないほどの高さに足が浮くような感覚に襲われ、思わず後ずさった。
前方には霧をまとった無機質な岩山がどこまでも連なっており、後方は、小屋などなく岩壁だった。
こちらはかろうじて果てが見える。
三、四メートル上で壁は終わっているようだった。
「驚いた?」
上城梓は悠然と景色を眺めている。
「凄いでしょ? 初めて見たときは、いつまでも眺めてたいと思った」
「勇敢なんだね」
「鈍感なのかもよ?」
どう返したらいいのか解らず曖昧に笑った。
上城梓は掌で「こっち」と指し示し、水無月を導く。
岩壁の一角に、人ひとりが通れるくらいの階段があった。
岩をくり抜いて作ったような粗さで、一段一段の高さも不揃いだった。
上り終えるとそこにはまた想像もしなかった景色が広がっていた。
「どう?」
隣に立った上城梓に訊かれた。
「どうって」
今度は愛想笑いもできない。
水無月の立つ場所からは近郊の世界が一望できた。
しかしその世界には、ほとんど
「なにもない」
草も生えていない岩だけの平原。
その先に広がる砂漠。
見渡す限り、生き物の気配を感じない。
「あそこに村がある」
上城梓の示す方向には、確かに建物のようなものが幾つか見える。
景色と色彩が同化していたので気付かなかった。
「でも明らかに」
水無月がさっきまでいた村とは違う。
そこでもうひとつ、不自然なことに気付いた。
太陽が出ている。
先程まで傾き、沈む寸前だったのに、真昼のような位置にあった。
「どういうことなんだ。ここは、どこなんだ?」
「当然の質問だね」
上城梓は水無月の反応に満足したように笑い、続けた。
「ここはグレートソード村だよ。本当の。もうひとつの」
「昔々、グレートソード様が空間を裂き、世界は繋がった。
そこには女神様がいらっしゃって、滅びるしかなかった村を救ってくださった。
すくいきれないほどの黄金と、子宝によって村はかつてない繁栄を実現した。
女神様はさらにその繁栄を子々孫々まで維持するための教えを授けてくれた。
我々はそれを守り伝え、次代に受け継がなければならない」
歌うようなリズムで上城梓が淀みなく言った。
「村に伝わる伝承だよ。村に生まれた子なら、みんな知ってる」
「上手く飲み込めない。その女神の継承者が、巫女なのか?」
「巫女は女神そのものではないよ。でも、その存在を村人たちが決して忘れないようにするための象徴ではある」
「駄目だ、理解が追いつかない」
考えることを放棄してしまいそうな脳味噌に鞭打ちながら、ため息をこらえる。
「解らないことが多過ぎるよ。洋画を字幕なしで見てるみたいだ」
「ファンタジーだよ」
「え?」
「ある朝目を覚ますと、そこは不思議の国でした。
夢か幻か、はたまたリアルなのか……どっちにしても、元の世界に戻るためには大冒険をくぐり抜けて、魔王を倒すなり世界の謎を解き明かすなりしなきゃいけない。
それが物語のルールってものだよ」
「魔王を倒せる唯一の剣が、このグレートソードだなんて言わないよね?」
久しぶりに手に持っていた剣のことを思い出す。
ほとんど重量がないので無意識に握り締めているのを忘れていた。
「残念だけど、そんなにたちのいいものじゃない。太刀だけに」
「笑えないよ」
「うっさい。
とにかくね、あなたはウサギを追って不思議の国まで迷い込んでしまったアリスだよ。引き返すチャンスは何度もあったのに、むしろ突っ込んできてしまった」
どうしょうもないひとだ、と言ってかすかに笑った。
「まさかその剣を抜けるなんて考えもしなかった。
もう戻る道はない。私も隠すことはなにもない。
してあげられることは、全てを教えて、寄り添うことだけ」
「じゃあ教えてよ。ここは一体……」
言いかけたとき、なにかが爆ぜるような音がした。
焚き火に入れていた栗が破裂したみたいだ、と思った直後、続いてもっと大きな音が響き、大地が僅かに揺れた。
音のしたほうに首を向けると、上城梓が「本当のグレートソード村」と言った辺りから煙が立ちこめている。
上城梓が、軽く目を閉じ、深呼吸をしてから静かに言った。
「百聞は一見にしかず」
指し示され、水無月は歩き出した上城梓に着いていった。
辿り着いた先では、消火活動が行われていた。
建物から登り立つ煙と炎はもはや怪物のように広がっていたが、人々は諦めず水をバケツで浴びせかけていた。
水無月と上城梓は少し離れた高台からその様子を眺めた。
熱気と、燃えてはならないものが燃えている臭気が空気を介して伝わってくる。
そこからやや離れたところにある鉄柵の外では、武装した集団が剣を交えている。
集団は、鋼の白い鎧を纏った一団と、それに抗す軽装な革装備の一団に分かれているようだった。
怒号と、金属の打ち合う音が途切れることなく続く。
水無月は一言も発することができない。
その場から動くことも、目をそらすことも、見えている情報を整理して考えることも、なにひとつ行動を起こせなかった。
「後悔したかな?」
上城梓が顔を覗き込む。
常と同じく、飄々とした顔つきだ。
見慣れたけどやっぱり綺麗だな、と思いほんの少しだけ我に返る。
「さすがに引いたよね。聞いてねえよ、責任者出てこい、って感じだよね。
でももう遅いの。ごめんね」
上城梓は水無月の手を握ってしばらく同じ方向を見つめていたが、やがてそのまま手を引いて、村の奥に連れて行った。
防衛戦争をしてるんだ、と上城梓は歩きながら言った。
「ここはとても貴重な場所だから。水が湧き出す、命が育つところだから、狙われてる。
私たちは守らなきゃいけない。百年以上も、そうしてきた」
辿り着いたのは先程の荒涼とした景色とは裏腹な、竹林の中だった。
あるポイントから突然地面が緑になり、見上げてもてっぺんが見えないほどの竹が密集している場所へ入った。
奥には四畳半くらいの小屋があり、隣には岩壁から出る湧水と泉がある。
小屋の中に入って、上城梓は窓を開け放つ。
竹林自体が薄暗いのだが、互いの顔が認識できる程度には明るくなった。
座布団を勧められ、水無月と上城梓は向かい合って座った。
「ここなら落ち着いて話ができる。どんな話でも」
「戦争ってなんだ? ここがどんな世界で、グレートソード村とどう関わる?」
まくしたてるように言ってから、水無月はばつの悪そうな顔をした。
「いや、なにから訊いたらいいのか解らないんだけど」
「私も、なにから話したらいいのか、とは思ってる」
目を軽く閉じ、瞑想するように正座で指を組んでいる。
「遠回りに思えるかもしれないけど、全てを話すよ。
村の始まりからこれまでのことを。
本当の歴史を」
窓から入る光が、スポットライトのように上城梓を照らしていた。
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