第15話 村長かわら版から始まるひとりブラック
半信半疑のまま、翌日役場を訪れた。
やはり村長は不在で、丘の上まで何百段もの狭い石段を登る羽目になる。
前回と同じように建物内で迷い、お化け屋敷のようなタイミングで村長が現れた。
相変わらず人の話を聞いてるのか心配になるほど無反応だったが、石像に話しかける心持ちで開業の旨を説明すると
「解った。おめでとう」
とだけコメントされた。
その後は気まずい沈黙があるのみだったので、数分と耐えられず水無月はその場を辞退した。
次の日、異変が起きた。
水無月が目覚めて換気のため二階にある寝室の窓を開け放つと、目の前の道に人が並んでいるのが見えた。
なにかの祭りか?
と寝ぼけ眼をこするが、道の左側には果てしなく列が続いているのに、右側には続いていない。
どうやら先頭はこの付近にあるらしい、というかうちか?
にわかには信じられず、おそるおそる裏の庭側から外に出て、物陰に隠れながら家の前を覗くと、確かに先頭は水無月の家だった。
家の中に戻り、とりあえず深呼吸をする。
時刻はまだ開店時間の三十分前だ。
気持ちを落ち着けようとトーストを焼いてコーヒーを沸かす。
しかし次の瞬間、何故かトーストにコーヒーをぶっかけて頬張っていることに気付き、こりゃいかんと頭を振る。
寝ぼけているのかと、冷水を頭から被るが、タオルを用意しておらず、床まで水浸しになってしまった。
その後始末をしているうちに開店時刻になってしまい、水無月はずぶ濡れの寝間着姿のまま、慌てて土間に行ってシャッターを開けた。
列の先頭にいた若い男と目が合い、愛想笑いをする。
「あ、いらっしゃいませ」
呟いてから、行列に今気付いたというように「えええっ」と身を引いた。
「こりゃおったまげた」
人生で初めて使う言葉で驚きを表現し、先頭の男に言ってみる。
「あの、ここはリンゴの店じゃないですよ?」
なにを言ってんだ? という顔で見返されたので、顔を引き締めて
「少々お待ちください」
と頭を下げて準備に取りかかった。
数分後、着替えて店内にあるパソコンの電源を全て入れてから、最初の客を通した。
五人までは店の中に入ってもらい、接客はひとりずつだ。
気付いたら夜になっていた。
昼食どころかトイレもろくに行ってない。喋りっぱなしで喉は枯れた。
パソコンは一台も売れてない。というか売らなかった。
解っていたつもりだったが、村人のパソコンに関する知識はゼロに等しい。
数字を知らない人間に電卓を売るようなもので、ひとりあたりの接客時間はどんなに短くしても一時間だ。
近年、スマホの普及によりケータイショップでの接客時間が非常に長くなっていると聞いたが、それ以上に過酷な状況かもしれない、と思う。
昼を大分過ぎた時点で十人未満しか接客できておらず、しかもひとりひとりに満足のいく説明はしきれていない。
行列は朝と変わらずどこまで続いているかも解らない。
こりゃ無理だ、と今の方法に見切りを付けて、水無月は方針転換を決意する。
十分ほど昼休憩です、と客に言って、簡単な一ページのワード文書を作った。
同じ内容を百ページほどにコピーし、印刷をかける。
店を再開し、出力したそばから客に配っていった。
「お待たせして本当にすみません。
私の準備不足もあって、効率よく皆様のご対応を行うことができていません。
このままだと日が暮れてもお待たせすることになってしまいますので、改めて説明会を開かせてください。この紙はそのときの招待券になります。
右下にほら、番号が書いてあるでしょう?
この番号が若いほど、早くから並んでいただいたということですから、優先してお話をさせていただきたいんです」
そういう内容のことを紙にも書いていて、実際に五人単位くらいでひとりひとりに話してもいった。
開店前から待っていてくれた人たちに、心から頭を下げたかった。
これだけの説明なのでそんなに時間はかからないが、それでも行列がなくなるまで数時間を要した。
その後も客は定期的にやってきて、ストックしていたコピー用紙が危うくなくなりそうなほどだった。
全部で百五十枚ほどを配り、今後の方向性を考え、整理し終えたころには暗くなっていた。
「おい水無月、飯食わせてくれ」
「くれー」
と、日常感を漂わせた盛部と雪仁が来て、ようやく我に返った水無月は一気に身体の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
「ど、どうした!?」
腹減った、と声にすることもできず水無月は燃え尽きたボクサーのように笑った。
「うめえ! うますぎる」
力尽きた水無月の代わりに盛部が台所に立ち、名も解らない、しかし見ただけで完成度の高いことが解る料理の数々を作り出した。
水無月はゲームのような解りやすさで体力が回復した気分になり、今日一日のことを盛部と雪仁に語った。
「まあ、よかったじゃねえか。客が来て」
「来過ぎだよ。これまでとギャップが激し過ぎる。盛部さんが当面のターゲットって言ってた二百人が、ほぼ一日で来たんだよ?」
「全員が買うと決まったわけじゃねえだろ」
「そりゃそうだけど」
「なんでみんな、今日からそんなに来たの?」
雪仁が訊いた。
「かわら版に載ったらしい」
「村長の?」
「そう。昨日行って話したんだけど、かわら版については載せるとも載せないとも言ってなかったんだ。でも客の何人かに訊いてみたら、かわら版に載ってたから来てみた、って。よっぽど大きく掲示してくれたのかな?」
「いや? 確かに載ってたが、右下のほうに米粒みたいな字で二行ほど書いてあるだけだったぜ。『水無月パソコン開店。ウェルカム』って」
「そんだけ?」
「そんだけでも百人くらいを集める効果はあるのさ。村人の、特に知識層は隅々まで新しいトピックスがないかチェックするからな。逆に村長はお前に気を遣って、最小の枠で出したのかもしれねえぞ?」
「でっかく書いたらもっと来てたってこと?」
「まあ、村人の九割は来るだろうな。村全体のイベントと同じレベルの扱いだよ。あと今回の場合、既に各村人の家にチラシがばらまかれていて、注目している奴らがいたんだろう。村長のお墨付きであれば行かない理由はない、ってもんだ」
「そういうもの?」
「そういうものだ。この村のセオリーってやつだな」
「でもさー、村長んとこ行って一杯客が来る準備してないって、駄目駄目じゃん。みんな怒らなかった?」
雪仁がからかうように笑う。
「いや、それが、全然」
思い返して言う。
「列も乱れなかったし、待たされて怒り出す人もいなかったし、この村の人たちは凄いなって思ったよ」
「うんまあ、そうだろうね。みんな、家族みたいなもんだから。しょうがないなあ、って思ってたんだと思うよ」
余計に申し訳ない、と思う。
そういえば盛部も雪仁も、初めのころからやたら親しげで、まるで数年以上共に過ごしたかのように気安い。
広告屋の上滝も、最初から怒鳴り込んできたかと思いきや、話したらすぐ打ち解けた。
村人同士の距離感が意識の上で非常に近い、ということだろうか。
不意に上城梓の他人行儀な態度を思い浮かべ、まあ、例外はあるよな、と苦笑した。
翌日は夜明け直後の早朝から店の前に張り紙をして、昨日と同じ印刷物を置いて自由に取っていってくださいと注意書きをしてから役場に向かった。
当然まだ空いていなかったので、寒さに耐えながら広場を歩き回る。
店の前に人が集まり初めてからでは抜け出せなくなる、と思ってこの時刻に出た。
かわら版を見ると確かに小さく水無月の店のことが書いてあったが、黒板に書く日直当番の名前よりずっと小さい。
同時に掲示してある商店街イベントや野菜収穫の手伝い募集の告知のほうがよほど大きい。
ちなみに一番スペースを取っているのは『来年度の結婚相手、もう決めましたか?』という結婚相談所かなにかの広告だったが、水無月にはピンと来ない内容だった。
役場が開いたと同時に窓口へ直行した。
この村で、大人数に説明会ができるような貸しスペースはないでしょうかと尋ねると、役場の会議室を紹介された。
「目的がまともであれば無料です」
との説明があり、下見をさせてもらった上で借りることにした。
しかし考えてみればネットがないので説明会の日程を知らせる術がない。
店には掲示するにしても、不十分だろう。
窓口のお姉さんに相談すると、役場で開催されるイベントはかわら版に載せられるとのことで安堵した。
部屋の定員が三十名ほどだったので、説明会は数回に分けて行うことにした。
商売の話はせず、ひたすらパソコンになにができるのか、どんな感じで使うのかを簡易的に説明した。
あとは、具体的な相談会は当面予約制にすることも話し、その場で予約も取っていく。
店は突然軌道に乗った。
ジェットコースターの速度で回る観覧車のように、一定のサイクルで回り始めた。
週の頭に説明会を行い、対象の三十名の個別相談を当日含め五日かけて行う。
あと一日で都内まで行って仕入れを行い、一日で組み立てる。
一度の相談で成約する率は十から二十パーセントくらいだったので、週に三台から六台を作ればよかった。
当然のように、休みを取る暇はない。
睡眠時間もそこそこに、平行してパソコン教室のテキストやカリキュラムも作った。
二ヶ月もすれば最初に興味を持った人はひと段落するから、週に対応しなきゃいけない人数は減って余裕が出るだろう。
むしろ突然暇になってしまうかもしれないと恐怖を覚えていた。
開店当初の、全く客が来ずになにをどうしたらいいかも解らないまま確実に生活費と時間を消費していたころに比べれば、やることが果てしない今のほうがましだった。
しかし秋が過ぎ、年を越しても手が空くことはなかった。
新規の説明会参加者は減ったものの一定数以下になることはなかったし、二回目三回目の相談者も出てきた。
パソコン教室も週二回、四グループ対象でスタートし、パソコン購入者への応用機器、ソフトウェア紹介も行うようになり、このままずっとこれが続くんじゃないか、ということがリアルに恐ろしくなってきた。
寝不足で体力的にも限界に近い、と思ったある日、水無月は二週間の休みを宣言し、気絶するように丸二日近く眠った。
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