第16話 とりあえずでいいなら
三日目の朝、ドアを叩く音で目が覚めた。
生徒か客の誰かだろうか。
寒さも手伝って起き上がる気はせず、寝言のように
「ごめんなさいね、休業中なんですよ」
と呟いた。
しかしうとうとして、次に覚醒したときにも音は止んでいない。
五分かそこらだとは思うが、さすがに無視し続けるのも申し訳なく思って寝間着のまま玄関を開ける。
すると上城梓がいた。
「おお」
予想していなかったので思わず感嘆詞だけ発し、その後とりあえず「こんにちは」と挨拶し「どうしたの?」と訊いた。
「いや、こっちの台詞なんだけど」
何故か怒ったような表情で上城梓は腰に手を当てる。
「なにが?」
「どうしたの?」
「だからなにが?」
「いきなり店閉めて三日だから、死んだのかと思った」
「おお」
もう一度感嘆詞を発し、手を打って言った。
「心配してくれたのか」
「私を追ってこんなとこに来て死なれたんじゃ、寝覚めが悪い」
ぶっきらぼうな口調ではあったが、水無月は顔がにやけるのを止められない。
「なによ?」
「いや、嬉しくて。ここじゃ寒いし上がってく? 時間があるならお茶でも飲もうよ」
これまでの流れだと辞退される可能性が高いと思いながら誘ったら、意外にも上城梓はすんなり頷いた。
先にリビングに通してから水無月は簡単に着替え、顔を洗ってから戻った。
「とりあえずやかんがあったからお湯、沸かしたけど。お茶とかどこ?」
台所に立つ上城梓になんとなく感激しながら、茶葉と急須等を渡した。
ふたりでこたつに入り、湯飲みをふたくちほどすすってから上城梓が言った。
「酷い顔、してる」
「がーん。イケメンだとは思ってなかったけどそんなにか」
「そういう意味じゃない」
「汚れてる? 今、洗ってきたんだけど」
「疲れてる」
おどけても乗ってこないので、水無月は肩の力を抜く。
「そうだね。顔色が悪いのは認める」
「店、大変なの?」
「贅沢な悩みだけどね。大繁盛なもんで」
「よかったね」
「まあ、閑散としているよりはね。これでも仕事の量を調節しようとしてるんだけど、現実的に対応可能なレベルまでの調整ならともかく、自分が楽をするための調整はどうも、しづらい」
「そんな顔でなに言ってんの。現実的に対応可能じゃなくなったから休んでるんでしょ?」
「結果的には」
「だったらもっと絞らないと。仕事はストレステストじゃなくてライフスタイルだよ。続けられなきゃ自分にとってもよくないし、結局はお客さんにも迷惑をかける」
「そのとおりなんだけどね。見誤ったんだろうなあ」
「ばかだね」
「厳しいね、あずちゃん」
「仕事が人生だって勘違いをしてる男を見ると腹が立つ」
部屋に入ってきたときよりも細めた目で上城梓は言い切って、次にその目を見開いた。
「てか誰があずちゃんよ。いつからそんなに親しくなった?」
「いや、いつからでも親しくなりたいんだけどね。そう呼んだら駄目?」
大きく溜息をついて、上城梓は半眼になる。
「
「ナシコ? なんで?」
「水無月くん、弱ってると甘える癖あるでしょ。無自覚?」
「あー」
思い返しながら天井を見る。
「でも、誰だってそうなんじゃないの?」
「どんなに困窮してても、人に甘えられない、やり方が解らない人はいるよ」
「あずちゃんがそう?」
「まあ、どちらかと言えばそっちだね」
目をそらして答える。
「だから誰があずちゃんよ」
突っ込みには答えず、水無月は先程の上城梓の台詞にコメントする。
「ちなみに俺は、仕事を人生だ、なんて思ってないよ」
「だったら倒れるまでやらないと思うんだけど」
「倒れるまではやってないよ。
ほら、今疲れてはいるけど致命的に身体を壊したりはしてないわけで、つまり限界を超える前にブレーキをかけたんだ。
がんばればまだしばらくはやれたかもしれないし、そうこうしてるうちに楽になったかもしれないけど、そのチャレンジをしなかった。
仕事に命を懸けるタイプなら、今ごろまだパソコン組んでるだろうね」
「だけど、一生懸命やってたんでしょ?」
「そりゃあそうだよ。
村に馴染んで一員扱いされないと、君を苦しめてるものがなんなのかすら解らない。
俺はこの村に就活しにきたわけじゃない。婚活しにきたんだ」
「それ、かっこいいつもり?」
「別に。でも口説いてるつもり」
上目遣いで目を合わせる。
上城梓はそらさない。
照れてもいないが、嫌悪でもない。
「それ、どういう反応?」
沈黙に耐えきれず水無月が訊く。
「呆れ半分、感心半分」
「きゅんっ、としなかった?」
上城梓が突然弾けたように笑い出す。
「水無月くん、それ面白い」
「感心ってなに?」
ウケを狙ったわけではないので仏頂面になった。
「いや、上手いかどうかは別として、こんなタイミングでぶっこんでくるんだなあ、って」
「そりゃあね。あずちゃんとあんまり話す機会もないし。チャンスは活用しなきゃ」
「そんなに疲れてても初志を忘れないところは凄いと思うよ。嫌味じゃなく、本当に」
「じゃあ結婚してよ」
「じゃあ、が解らない」
「じゃあ、じゃなくてもいいから結婚してよ。とにかく。とりあえず」
「いいよ」
全くテンションを変えないまま上城梓は頷いた。
「とりあえずでいいなら、いいよ」
「え、マジで言ってる?」
水無月は自分の言い出したことながら、予想外の返答が来たことに硬直する。
「ただし今じゃなくて、年度末にね。それと」
上城梓は右手のひとさし指をあてがうような柔らかさで唇に持っていって、薄く笑った。
「このことは村の誰にも言わないって約束して。誰かに漏れたら、それが誰であってもこの話はなし。いい?」
「ふたりだけの秘密ってこと?」
「まあ、そうだね」
「どきどきするね」
「まあ、そうだね」
さして気持ちのこもっていない口調で言うと、上城梓は自分の唇に触れていた指を引き寄せられるように水無月の唇へ移動させた。
「約束だよ」
世間話のテンションのままだったが、水無月は息を呑んで一度だけ深く頷いた。
「それからもうひとつ」
「なに?」
「休み明けから仕事を手伝ってあげる」
「え?」
「考えてもみてよ。ある程度パソコンが解る、アシスタントになりえる人材は外に行ってた私しかいない」
「いいの?」
「もちろんただとは言わない」
「それは当然。だけど」
「高給は求めてないから安心して。村に帰ってきてからやることなくて暇なんだもん。映画は図書館にある古いのばっかりで子どものときからもう何度も見たし、ゲームもネットに繋がらないやつしかないし」
「ゲームするんだっけ?」
「言ってなかったけど、個人で東京ゲームショウに毎年行ってた程度には好きだね。引いた?」
「まさか。でもじゃあ……もしかしてコスプレとかする?」
「やー、さすがに」
「やってみればいいのに。絶対可愛いよ」
「ありがたいお言葉ですけど、もう年齢的に無理だよ」
「そんなことないよ。二十歳そこそこでやってる人、たくさんいるでしょ」
「いや……二十歳そこそこなら確かにいいかもしれないけどね」
「二十歳そこそこでしょ?」
「え?」
「ん?」
お互いの顔を見つめ合う。
「水無月くん、私の歳知ってると思ってた」
「え、もしや実年齢より若く見られる系?」
「まあ、そうなのかな」
「待って、当てる」
額に二本の指を当てて考え込む。
「二十六歳!」
「ぶー」
「それより下? 上?」
「上」
「二十八!」
「上」
「二十九!」
「上」
次の言葉は喉に引っかかって一瞬出てこなかった。
「さ、んじゅう?」
「ぴんぽーん」
無味乾燥な声で言い、上城梓は放心する水無月の眼前で手を振った。
「言っておくけど私、悪くないよ。一言も二十代だなんて言ってないから」
水無月は目をこらして上城梓の額から首元までを眺める。
「こら、やめてよ。肌のアラを探すのは」
「いやでも、全く解らない」
「化粧してるからねー」
冗談めかして口元から下を両手で隠し、上城梓は笑う。
「引いた?」
水無月は、勢いよく首を横に振る。
「驚いた」
「でも梨子さんとか水無月くんだって二十代に見えるよ? ぱっと見」
「俺、化粧してないけど」
「してる、って言ったらびびる」
「アンチエイジングとか、そういうのもないよ?」
「あなたに限って言えば、中身が幼いからじゃない?」
「精神年齢低いって?」
「そう」
「なに俺、ディスられてんの?」
「半分は褒めてるんだよ」
「褒めるなら全部褒めてよ」
そういえば、と水無月は思う。
前に梨子もこの類の話をしていた。
「……ギャップがあるんだな」
「ないよそんなの、この村に。ユニクロだってしまむらだってない」
「そういう冗談言うんだ……じゃなくて、実年齢と見た目と中身にギャップがあるんだって思ったんだ、ふと」
「水無月くんが?」
「だけじゃなくて、あずちゃんも、ナシコも。ぱっと思っただけなんだけど、若いもしくは精神年齢低いままの三十代って、結構多いのかもしれない」
「明らかにおっさんおばさん化してる人もいるけどね」
「まあ、人によるって言っちゃそれまでだけど。例えばあずちゃんは三十って言ったけど、見た目は俺の感覚では二十三、四だ。で、中身の話だけど自分ではどう思う? 精神年齢というか、あずちゃんが思い描く二十代前半くらいだと思う?」
「私が二十代そこそこの中身かって?」
「そう」
「そんなに若くないよ。会社の新人とかと話して、わっかいなーって思ってたし」
「だけど三十過ぎでもないんじゃない?」
「うーん、言われればそう思うかな。まだおばさんとは呼ばれたくないし」
「でしょ? だから、実年齢が三十で、見た目が二十代前半で、中身が二十代後半、みたいな。君や俺だけじゃなくて、そういうギャップを持つひとはたくさんいるかもしれない」
「なるほど」
一旦頷いてから目を見開く。
「ところで、なんでこんな話になったんだっけ?」
「あずちゃんがコスプレイヤーになるって話からだよ。パソコン屋を手伝ってくれるなら、店頭で、どう?」
「たとえ十代でもやらない」
「あ、そう……」
翌日から、仕事を手伝ってもらう上での体制を考えて、上城梓と毎日打ち合わせをした。
二週間はすぐに過ぎ、ふたりで店を開ける。
客は相変わらずひっきりなしだったが、店員がひとり増えただけでスムーズに回り始めた。
会社では一緒に仕事をする機会はなかったが、彼女は言われたことを期待以上のスピードでこなし、言われていないことも進んでやる。サポート役としてこれ以上望めないほどの有能ぶりだった。
新規の客がふらっとやってきたときには率先してチラシを配り、頭を下げて予約を取るようにしてくれたし、パソコンの組み立ても教えたらすぐできた。
教室のカリキュラムに至っては、一度に説明するべき内容の見直しとテキストの修正までしてくれた。
それでいて水無月の仕事を奪うようなことはせず、どこまでを水無月が求めているのか、すぐ理解してくれた。
「美人で仕事ができて出しゃばらないんだから、反則だよね」
一ヶ月が経つころにはそれなりに息が合い、仕事を進めるペースができてきた。
少しは周りを見る余裕ができたのか、顧客リストを作成し、各ユーザーの好みや客層などを分析して提案や教室の授業に反映させることができた。
その中で気付いたことを、水無月は上城梓にぶつけてみる。
「ファミリー層がさ、いないんだよね。客に」
「ふーん」
「反応薄いな」
「まあ、そうだろうね」
「そうなの? でも、若い人しかいない、というわけでもないんだ。年代は十代から七十代まで幅広いのに、子連れとか、夫婦がいない。もっと言うとカップルすらいない。これって、パソコンがオタクのもの、みたいな印象があるから?」
「そんな印象はないよ。この前までほとんどそれがなんであるかすら知らなかったんだから、みんな」
上城梓は目を細めて笑う。なにかを含んだ、引き寄せたくなるような笑みだった。
「それも、この村の特徴だね。家族という単位は概念として存在しない」
「どういうこと?」
「すぐに解るよ」
「それってもしかして、呪いに関係ある?」
少しだけ迷うように視線をあさっての方角にやってから、上城梓は
「あるよ」
とだけ答えた。
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