第17話 効率的な結婚のシステム

 三月になっても、表を歩くのがはばかられるくらいの寒さだった。


 グレートソード村の冬は、雪こそほとんど降らないものの空気は日中でも肌を刺すように鋭く、動植物の気配はほとんどない。

 村全体が、冬が過ぎ去るのを必死で耐えているようでもあった。


 仕事を始めてから早くも半年近くが経とうとしていたある日、店に村長の使いと名乗る娘が来て、


「戦部が呼んでいます」


 と言付けていった。


 戦部って誰だ、と思って上城梓に訊くと


「なに言ってんの、村長じゃん」


 と一般常識を知らない馬鹿を見るような目で見下された。

 そういえばそんな風に名乗っていた気もする。


「村長が俺になんの用だろう。ねえ、こういうのってよくあるのかな?」

「知らないよ」


 心なしか上城梓は普段より突き放すような態度だった。



 へまをした心当たりはない。

 しかしこの村で村長という存在がどれほど力を持った存在であるかはもう十分に解っていたので、呼び出しに応じない理由はなかった。


 いつでもいい、という伝言だったので、仕事がひと段落した昼過ぎに出掛けた。






 最早村長は役場にいないものだという確信があったため、最初から丘の上の家へ向かった。

 前に訪問したとき、これからは道場に直接来い、と言われたことを思い出し、迷路のような入口ではなく、裏手の隠し通路のような狭い道を通って道場に向かった。


 村長は水無月が来ると解っていたかのように腕組みして座布団にあぐらを掻いていた。

 向かい側には空の座布団と湯飲みが置いてある。


「あの、こんにちは」


 一礼して入ると、顎で座るよう示された。

 湯飲みからは湯気が立っており、今しがた入れたばかりのものであることは間違いなさそうだ。


「どうして」


 俺が来たと解ったんですか? と聞き終える前に村長は


「よくやってくれてんな」


 と言った。



 なんのことか解らずまばたきしてから、パソコンのことかと合点がいって「あ、はい」と愛想笑いをした。


「恐縮です」


 などと、完全にタイミングを逃してから恐れ入ってみたりもした。


「俺はお前が気に入った」


 なんの溜めもなくそう言うと、村長は破顔した。

 思わず見惚れるほどの砕け方で、笑うこととは相手に信頼を示すことなのだ、とその場で水無月が一種悟りのような境地に至るほど意外だった。


「村に加えてやろう」


 今までの村長はなんだったのだ、と思うほど暖かみのある声色で、水無月はなんだか泣けてきそうなほど喉が詰まった。


 村に加えるってなんだ?

 住民票はとっくに移してるけど、とかそういう現実的なことは一切浮かばず


「ありがとうございます」


 と、嗚咽混じりで言った。

 僅かに数か月ではあったが、これまでの苦労はこのためにあったのだ、という気にすらなった。


 後に思い返してから、このときのことを「催眠術にかかったようだった」と自らで形容することになるが、渦中の水無月は感極まってそれどころではない。

 茶を飲め、と言われ温度も確かめず一気に飲み干そうとしてこぼしてしまうほど周りが見えなくなっている。


 しかし、


「今は年度の終わりだからよ。皆、つがいを変える。お前も、来年度の妻を選べ」


 という次の言葉を聞き、さすがに止まっていた頭が動き出す。

 起動音として、


「え?」


 が出た。


「なんのことか解らんか。まあ外から来たならそうだろう。細かい話は、なつめにさせる」


 説明もそこそこに、村長は立ち上がってそのままいなくなってしまった。

 混乱した頭で先程の台詞を反芻していると、店まで言伝に来た娘が入ってきた。


「棗です。改めまして、水無月さん。よろしくお願いします」



 小柄な中学生くらいの体格に、黒いスカートスーツを身に付けている。

 顔立ち含め子どもに見えるが口調にたどたどしさはなく、水無月の知る十代前半のあどけなさは感じられない。

 もし棗が外見相応の幼さを持っていたら、村長が呼んでいるという伝言も子どものいたずらと疑ったかもしれなかった。



 棗が話した内容は、衝撃的だった。


 説明を聞き終えるまで、水無月は幾度「本当に?」「嘘だろ?」と反応したか数え切れない。


 短いながらもグレートソード村で過ごし、異文化には少しずつ馴染んできたつもりだった。

 しかしそれでもなにかの冗談としか捉えられないような説明だった。

 棗は子どもだからなにかを勘違いしているんだ、と思いたかった。



 水無月は村長の家を出て、その足で上城梓の家を訪れた。

 上城梓は水無月の顔を見ると、なにかを悟ったように口の端を上げ、中に通してくれた。


「知ったんだね」


 炬燵を挟んで向かい合わせに座る。

 湯飲みとみかんを勧められたが手を付ける気分にはなれない。


「これが呪いなのか」


 視線を落として言った。呟きに近い声量だったがしっかり反応が返ってくる。


「まあね。それもひとつだよ」

「想像してなかった」

「間違っていると、思う?」

「本人の意思に関係ないなら、間違ってる」

「関係ないわけじゃないんだよ。男は妻としたい女を希望順に十人選び、女は希望した男たちから夫を選ぶ。自分の意思でみんな選択できるんだ」

「選ばない、という選択肢も?」

「それはない。結婚できる年齢である以上は」

「どうしてこんな決まりがあるんだよ」


 意図せず語尾が荒くなる。


「訊かなかったの?」


 訊いた。

 感情の込もらない棗の声と表情を思い返すと、気分が悪くなる。


 上城梓は


「産まなきゃいけないんだよね、これがさ」


 と、受験生が仕方ないから勉強するか、と言うような口調で言った。

 棗も同じ趣旨の説明をしていた。



 これは効率的なルールなんです。

 日本が少子化なのは結婚や出産が強制的ではなくなったからでしょう。

 このままでは世代別の人口バランスが崩壊し、年金制度は崩壊、消費人口および労働人口の割合は低迷、やがては国家財政破綻、国民の生活が立ち行かなくなるのは目に見えています。

 それなのに実質なんの有効な対策も打てていない政府には、正直失望します。

 私は生まれていなかったので存じ上げませんが、かつては日本にも、適齢期には結婚して子を成すのが当然、といった風習があったと聞きます。

 いわばそれをさらに突き詰めたのが、村のシステムです。

 子どもができやすい、できにくいというのは男女の相性でも決まりますし、できる子どもがどういう素質を持つかも、両親の組み合わせによって変わります。

 様々な個性を持った村人を大量に増やしていくには、一年交替でパートナーを換え、妊娠の確率を上げるのが良いのです。



 説明を受けても受けても、疑問はとめどなく溢れてきた。

 その全てに棗は眉根を少しも動かすことなく応じた。



 一年の間に女性が妊娠したら、二年目以降も夫婦でいられるの?


 いいえ、女性はもちろん出産の年は夫婦のシステムからは外れますが、男性は次年度もサイクルに入ります。女性も、出産の翌年からまたサイクルに入ります。


 それじゃあ両親で子育てができないじゃないか。


 子どもは独立の年齢になるまでは、専門の施設で育てられます。

 育児を担当する施設の職員は原則子作りに適さない年齢となった方々です。

 子育てについても、産んだ親が手探りでやるより豊富な経験を持ったプロがやったほうが優秀な人材が育ちやすいのです。

 他の労働力としては引退せざるを得ない高齢者たちにとっても、生きがいになりますし。


 愛情の欠けた子どもにならない?


 どうしてです?

 乳母たちは真心を以て子を真摯に育て上げます。

 村で生まれた子は村人皆の子です。

 本の知識で恐縮ですが、外では地域社会の崩壊、というキーワードもあるようですね。

 村では乳母だけでなく、全ての村人が子を育む意識を持っています。

 誰が生んだか、ということはさほど重要ではないのです。


 夫婦の愛情って、そんな簡単に、一年ごとに割り切れるものか?


 なにを仰りたいのか私が理解できていないかもしれませんが、村での結婚、夫婦、という概念は、システムを基盤に成り立っています。

 外での概念は解りませんが、グレートソードでは、これが結婚であり、夫婦です。


 君は? 君はどうなんだ。それでいいの?

 将来、結婚するとき、そんなシステムに組み込まれる形で不満はないの?


 誤解をなさっているようですが……いえ、これはよく勘違いをされるのです。

 私は子どもではなく、現巫女と同じ年代です。

 今年度は戦部の妻を務めさせていただきました。

 手前ごとで恐縮ですが、もちろん光栄に思っています。

 村長の妻だったというだけで翌年からの指名は長年にわたって約束されたようなものですし、今後誰の夫になろうとも、男性は私を丁重に扱ってくれるでしょう。

 残念ながら今年子を成すことはできませんでしたが、素晴らしく貴重な経験をさせていただいたと思っております。



 納得したわけではなかった。

 ただ、迷いなく回答を重ねる棗は感情を殺して無理をしているようには見えなかったし、突然姿を明らかにした異文化に呑まれてもいた。

 村人の多くが同じ考えを常識としているなら、確かにこれは呪いかもしれない。


「まあ、水無月くんはがんばったと思う。凄いよ。一年も経たずに村長に認められて、村に必要とされる存在になった」


 上城梓の声で我に返る。


「正直、ここまで期待してなかった。今なら、私を指名してくれれば結婚できるよ。私が君を選びさえすれば」


 その言葉で意識が完全に覚醒し、さらに沸点を通り越して一瞬で頭に血が上る。もちろん結婚できると言われ舞い上がったわけではない。



「とりあえずでいいなら、いいよ」



 以前結婚してよと言った水無月への返答の意味が、ようやく飲み込めた。


「そんなものになりたくて、俺は君を……」


 言葉に詰まり、しばらく止まったが結局続かず、水無月は歯を食いしばって背を向けた。

 今はこれ以上話すと、八つ当たりをしてしまいそうだった。






 家にも戻りたくなくて、思考がまとまらないままその辺りをうろうろしていると、声をかけられた。


「お、水無月。ちょうど良かった、今から行こうと思ってた。焼き鳥でも食わせてくれ」

「盛部さん」


 善良に見える老人の笑顔も、今はなにか禍々しいものに感じられる。


 この男もシステムに組み込まれるまま何十人もの妻を持ち、そのうちの何割かに子を産ませたのだと思うと吐き気が込み上げてくる。

 客の顔を幾つも思い出しては、あの人も、あの人もだ、と頭を掻きむしりたい衝動に駆られた。


 さながらそれは、純朴な少年が初めて大人の多くが性行為をする、という事実に触れたかのような感覚だった。

 それがこの村では非難されることではないと理解した上で、水無月は盛部を睨み付ける。



「どうして教えてくれなかったんだ。盛部さんなら、この村の結婚がよそとは違うって、解ってたんだろう?」


 上城梓には避けた理不尽な感情が生き物のようにうねり、盛部を攻撃した。

 しかし盛部は憤りをあらわにすることもなく、風に揺れるすすきのような穏やかな目になった。


「すまん」


 余計なものを全てそぎ落とした、水無月の気勢をそぐには十分な言葉だった。

 うなだれ、


「ごめん、盛部さん」


 と言うまでにそう時間はかからなかった。






 盛部は水無月の家に上がり、あり合わせの材料で、相変わらずどうやって作るのか想像も付かない料理の数々を生み出した。

 見た目も味もその辺りの飲食店では太刀打ちできないほどの質で、なにより温かみを感じさせた。

 ささくれだった精神を解きほぐし、静めるだけの力があった。


「どうして盛部さんは、こんなに料理がうまいんだ? それなのに、普段はあんまり作ってくれないよね?」


 水無月の作る大雑把な飯などこれらに比べればうまいはずがないのに、しょっちゅう来ては卓を囲む。


「そのふたつの質問に対する答えはひとつだよ、水無月」


 盛部はすまし汁をすすって一拍置いた。


「俺がずっとひとりだからだ」


「ひとりって……独居ってこと? もうシステムから外れたから?」

「違う。昔から、ずっとだ。俺はこの村で一度も結婚したことがない」


 思わず箸を動かす手が止まる。盛部の顔をガン見してしまった。


「ひとりだから、なんでも自分でやる。料理だって、年期の入り方が違うんだよ。そしてひとりだから、来る日も来る日も自分の飯を食ってきたから飽きた。水無月が作ってくれるならそれにこしたことはねえんだ」

「けど明らかにレベルが違うよ」

「飯をうまくするのはなにも醤油や味噌の専売特許じゃねえ。食卓を共にする人間の存在や作らずとも出てくるという事実は、最高の調味料だと俺は思う」

「でも……」


 うまく言葉が出てこない。

 料理の話を深掘りしたいわけではなかった。


 この短い間で聞いた様々な話が脳味噌の中で絡み合い、散らかった部屋のようにどこから手を付けていいのか解らなくなっていた。


 それを汲み取ったように盛部は口の端を上げ、常の盛部にはない表情をした。

 哀れむでも蔑むでもない、ひどく優しい顔に水無月はふと、この人は長く生きているんだ、と思った。


「俺が花嫁にしたかった女はひとりだけだった」


 それから水無月の言葉ではなく、表情と対話するように話し出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る