第18話 盛部の過去と逃げ出すチャンス
十八のころだ。俺は村を追放された。
盗みや暴力沙汰を繰り返して、村にいられなくなった。
しかし村の特殊性が外に漏れてはまずい。
監視付きで四年間、外の大学に通った。
村の息が掛かったアパートからな。
外の世界は可能性に満ちていた。
外に出た俺は普通の大学生と同じくそれなりに学び、大いに遊んだ。
グレートソードを崇拝する必要もなければ結婚や子づくりのことばかりを考える必要もない。
鬱屈した感情を抱えなくなった俺は村にいたころの粗暴さも忘れた。
しかし大学を卒業し、赦され村に戻された俺を待っていたのは孤独だった。
小さい村だ。
四年という歳月で俺への印象は風化するどころか固定されていた。
結婚の指名をする気すら起こらなかったよ。
指名すれば、されたほうはそれだけで卒倒するほど恐れるだろう。
それにあのシステムは、男女比によってあぶれる人間が少しは出る。
当時も男のほうが多かったから、俺はあぶれる筆頭だった。
俺自身も外の常識を知った上で、一年限りの結婚をすることと価値観がずれてきていた。
その女に会ったのはそのころだ。
歳はまだ十四。
盗みや暴力沙汰を繰り返す……どこかで聞いたような問題児だ。
しかし俺と同じように追放することはできなかった。
何故なら彼女、
荒れていた雪は、怖いもの見たさで俺に近付いた。
話し相手にも事欠くようになっていた俺はすっかり牙が抜けていたから、むしろその美しい少女を歓迎した。
最初は三メートルの距離から。
俺は外の世界の話をしてやった。
鬱屈した気分は誰よりも解っていたし、なんとかしてやりたい、という思いもあった。
雪は明るく、聡明で、想像力に長けていた。
俺の下手くそな話から外の世界を想像し、何度も同じ話を聞きたがった。
他愛もない学生の日常が、雪には現実を忘れさせてくれる異世界に映ったらしい。
そのうち距離は三メートルから二メートルになり、一メートルになった後一メートル半まで戻り、やがて三十センチになるころ雪は十六歳、巫女をやめて結婚する歳になった。
およそ二年の間、雪は俺に愚痴を言ったり、荒れていた理由を話したりすることはなかった。
その雪が、結婚相手を選ぶ段階になって、初めて涙を見せた。
美しい涙、なんてものじゃない。子どもの大泣きだ。
嫌なことを全身で拒否する、世界の終わりが来たかのような号泣だった。
いや、ような、じゃない。
確かにあのとき、雪の世界は終わろうとしていたんだ。
惚れた女にそんな風に泣かれて、突き放したり、村の掟だから仕方ないとなだめるような選択肢は俺の中になかった。
村を出るか、と言った俺に雪は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、今度は赤ん坊のような笑顔を向けた。
巫女、は過去、六年に一度選ばれていた。
村の始祖である女神の依り代、村の象徴として、最も美しい十歳が村人たちによって指名され、その子は結婚までの六年間、貞操を守ることを義務付けられた。
そして十六になった次の年度初めに、結婚相手を選ぶための、祭が行われる。
男たちはそれぞれの技能で巫女に自分の存在をPRする。
腕自慢の者は格闘大会で、職人は自らの作品展示で……陸上、水泳、クイズ、ペーパーテスト、早食い、手品、漫才……あらゆる競技等が開催の数日に凝縮される。
そして祭のクライマックスが巫女の結婚、同時に、巫女継承の儀式だ。
かつて女神が住んでいたという祠で巫女が結婚相手に指名した男と契り、しるしの付いた布を切り刻み、次の巫女とさらに次の巫女候補たちが飲み下す。
六年ごとに繰り返される、グレートソード村がグレートソード村であるための儀式だ。
雪は前もって打ち合わせしていたとおり、結婚相手として俺を指名してくれた。
これと言って長けた技能を示したわけではなかったから、周囲の批判は物凄かったさ。
しかし表立ってなにかを言う者はなかった。
そして儀式を滞りなく済ませ、祭が終わった直後。
村がまだ余韻に浸り、最も酔っ払いが多くなるそのときに俺と雪は村を出た。
それから……色々なことがあった。
外を見た雪は歩き始めた子どもみたいになんにでも触れ、俺に質問を投げかけた。
初めは日雇いの仕事を中心に生計を立てた。
毎日仕事が終われば家で雪と家族になる。
生活は当然楽とは言えなかったが、家庭という概念がないグレートソードには存在しない幸せがあった。
一年後には、子どもが生まれた。
その男の子には
生まれたときには弱々しく泣くだけだった望が、寝返りを打ち、笑うようになり、はいはいをして掴まり立ち、遂に一年三ヶ月後には歩くようになった。
ひとつひとつの変化が奇跡のように眩しく、下手くそながらも父親をやるうちに、生んだ親たちが自ら子育てをすることの幸せを感じた。
けど結局そんな日々は二年半しか続かなかった。
ある秋の夜だ。
村の追っ手二人が仕事で疲労困憊した俺の前に現れ、突然タコ殴りだ。
何が起きたのか初めは理解できなかったが、倒れた俺から物盗りをするでもなく執拗に暴行を加え、「裏切り者が」などと吐き捨てるところから気付いた。
どのくらい後か、男たちは去って行った。
指を動かすこともできないくらい全身に攻撃を受けた俺は、妙に冷めた頭で空を見ていた。
このまま死ぬかもしれない、と思った瞬間、望と雪の顔が浮かんだ。
ふたりが危ない。
そう思ったら、動かなかったはずの指が地面を掴み、足が前に進んだ。
どうやら右足は折れていたが、這うように家へ戻った。
一秒ごとに襲い来る激痛よりも、焦燥のほうが上だった。
しかし既に家は体温を失っていた。
割れた食器や雑貨が床に散乱し、なにかがあったことを示していた。
村に連れ戻されたに違いない。
そう思った俺はその足で村へ向かうべく、駅に戻った。
しかし見るからに全身大怪我、血まみれの俺をすんなり駅員が通すはずもなく、そこで一旦俺の意識は途絶えた。
覚醒したのは数日後、病院のベッドだ。
全治三ヶ月と言われたが、待つわけにはいかない。
松葉杖付きで動けるようになった俺は退院し、そのまま村に向かった。
結果は、惨敗だ。
怪我人がひとりで村に侵入し、元巫女のところまで辿り着けるはずがなかった。
再び半死半生になって逃げ出した俺は、作戦を練り直し、幾度も挑戦した。
今回は右手を怪我していた、今回はあそこでああしていれば、今回は運が悪かった。
毎回違う言い訳をしては失敗を繰り返した。
どのくらいの月日が経ったか気付いていなかった。
あるとき、いつも俺を妨害する屈強な男が言った。
「いい加減やめろ。既にあんたの求める女は、死んでいる」
全身から力が抜けた。
人形が操り糸を切られたようにその場に崩れた。
男は語った。
黙っていろと言われていたと。
何度でも挑ませ、退け、決して殺さない。
それが村を裏切った男に課す罰だ、と。
「しかしもう俺にはできない。
あんたの持つその意志は、村の誰よりも激しく、強い。
俺にはあんたがだんだん、間違っていないんじゃないかと思えてきてしまった。
俺のためにもあんたのためにも、もうこんなことはやめてくれ」
男は雪が、村に連れ戻された次の年度末に自害したと言った。
子を村に奪われ、見知らぬ男の妻にされることに耐えかねたのか……真相は定かでない。
俺はそのとき、妻を失ったということに頭の全てを乗っ取られ、他のことが考えられなくなってしまった。
望がまだ生きているという事実も無視し、悲しみに暮れた。
後を追うことを何度も考えたが、実行間際にはいつも、雪と望と囲んだ食卓の温かさを思い出し、どうしてもできなかった。
俺が死ねば、あの光景はこの世から本当に消えてしまう。
さりとて望の奪還を試みるほどの気力はもう、どこを探しても出てこなかった。
それから何十年、俺は外で生きてきた。ひとりでなんでもしてきた。
仕事も一から積み上げた。
初めは土方から。
事業を幾つも立ち上げては、失敗し、しかしその幾つかは成功した。
やることがなかった俺は、やがて過去を振り切るように生活の全てを仕事に傾け、全てを忘れようとした。
そして今から十四年ほど前だ。
戦部と名乗る男が俺の前に現れた。そいつは俺に、雪が死んだと告げた男だった。
戦部は俺に依頼があると言った。
もちろん俺は聞くつもりなどなかった。
俺から全てを奪った村が、今さらなにを頼むというのか。
しかしその内容は俺にとっても衝撃的なものだった。
「巫女を守ってくれ」
俺が村を抜け出した後、つまり雪の次の巫女の代になって、急に女の子が生まれなくなったと戦部は説明した。
生まれてくる子がほとんど男で、それが何年も何年も続いた。
とうとう十六年前に三人の女の子が生まれたきり、次がない。
当然その子たちのひとりは巫女になったが、十六になっても引き継ぐ相手がいないので引退できない。
次の子が産まれ、十歳になるまで巫女でいてほしいとその子に言ったら、交換条件を出したという。
「だったらそれまで、外で生きさせて」
次の子に巫女を受け継ぐ日まで村を出る。
それが巫女の要求だった。
呑まなければすぐにでも貞操を捨て、巫女の歴史に終止符を打ってやると言い放ったらしい。
村は監視役を設けることで渋々承諾せざるを得なかった。
そして俺に白羽の矢が立った。
どうして俺に?
もちろんそう思ったさ。
村を裏切った俺に巫女を預けるなんて、まともな判断じゃない。
「外をよく知り、決して巫女に手を出さない人間が適役だ。あんたを置いて他にはない」
そう言う戦部に
「何故俺が手を出さないと言い切れる」
と挑発したが、意味ありげに
「あんたはこの話を受けるよ」
と笑うだけだった。
そして後日巫女を見てその意味が解った。
雪だ。
雪がいた。
遠目からでもはっきりと、その子が彼女の血を引いていると確信した。
そのときの俺の心中を想像できるか? 水無月。
死んだ家族に再会したような驚き、懐かしさ、ああそうだこんな顔だった、と思い出し納得する気持ち、守れなかった事実を反芻し自分を殺したくなる気持ち、望を見捨てた後ろめたさ、それでもなお、生きていてくれた、繋がっててくれたという、つま先からせり上がってくる抑えようもない喜び。
全てが同時に体内を駆け巡り、その場に崩れ落ちて泣いたよ。
雪が死んだと教えられたときと同じように、指先にも力が入らなかった。
だがあのときとは明らかに違う。
止まっていた時間が動き出すかのような感覚だった。
そうだ。
その子が、梓だよ。
梓は俺に初めて会ったときも特に感慨はなさそうだった。
それはそうだろう。
血縁とは知るよしもないし、そもそも村では血の繋がりを重視しない。
自分の実の親が誰なのかも、知っている者は少ない。
監視役と言えば監視対象と極力接さず、影ながら対象を見張り、時には守るのが務めだ。
だがそんなセオリーは知ったこっちゃなかった。
俺は梓にしょっちゅう話しかけ、外のことを教え、ざっくばらんに接した。
梓も次第に気を許してくれ、学校での悩み事を相談してくれたりもした。
大学生になってからは居酒屋で飲んだくれることも少なくなかった。
巫女の貞操を守れとは言われたが、酒漬けにするなとは言われなかったからな。
大学も半分を過ぎるころには、梓はテキーラをロックで飲むまでに至った。
ずっと続くわけがない時間なのに、俺はまた夢を見た。
途切れたはずの道が続いてて、ここに繋がった。
ならばこの先にも道は続くんじゃないか。
散々希望を削り取られて生きてきたくせに、梓のせいでまた夢を見てしまった。
梓も
「今が、終わらなければいいのに」
と言った。
そんな俺たちの頭に冷水が浴びせかけられたのは、梓が二十歳の時だ。
村から使いが来て
「女の子が生まれた」
と伝えた。
それはつまり、梓が十年後、村に帰らなければならなくなったことを示していた。
蒼白になる梓に使いはうっすらと涙すら浮かべ
「おつらいでしょうが、あと十年の辛抱です」
と言った。
大方女盛りの二十代の全てを村の外で、女の悦びも知らずに過ごすなんて哀れな、とでも同情したのだろう。
さて、この話もそろそろ終幕だ。
あとは知ってのとおり、梓は社会人になって職を転々とし、最終的にはお前と同じ会社で派遣社員として働いていた。
十年間、梓は死に向かうような気分で生きてきた。
選択肢のない人生に葛藤し、全てを捨てて逃げることも考えていた。
誰か助けてくれと、何度思っただろうな。
俺には応えられなかった。
誰にも、応えられなかった。
とうとう村に帰らなくてはならない直前には、声をかけてきた男たち全員と会っていたりもした。
なんの期待もしていなかったとは思うが、すがるような思いだったのだろう。
傍目から見ていて、一瞬頭がおかしくなってしまったのかと思うほど、常の梓からはかけ離れた行為だった。
そうだ、水無月。
俺はお前を、この村に来る前から知ってた。
いつぞやは別れ話でこじれそうになった折、間に入ってくれてありがとう。
正直、仕事を辞めて村まで追ってくるとは梓も俺も想像だにしなかった。
この十年、唯一の想定外だったと言っていい。
今も梓は、内心お前にかなりの部分、救われているはずだ。
残された外との、最後の接点として。
だがそれは期待じゃない。
巫女をやめシステムに組み込まれる日までの、安定剤のようなものだ。
ひとりの力で巫女の人生を救うことなどできないというのは、俺が今話したとおりだ。
妙な気を起こす必要はない。
お前は十分梓の力になっている。
あと一年、あいつに夢を見させてやってくれ。
初めての夫としてこれからも支えてやってほしい。
盛部と別れてからも、水無月の精神は台風が来る直前の海のように波打っていた。
盛部は上城梓が村に戻る段階で、過去のことを赦され一緒に戻ったらしい。
戦部が村長になっていたことが大きかったという。
「俺が今から、全てをなかったことにして村を出たらどうなる?」
そう言った水無月に、盛部は
「驚かない。むしろそれが普通だ、と梓も思うだろうな」
と口の端を上げた。
「もしその選択肢も考えてるなら、今が最後のチャンスだぞ。これ以上深く関われば、村はお前を決して逃がさない」
「それは、グレートソードのことを言っているのか?」
「無関係じゃねえな。巫女のこと、儀式のこと、そして以前お前が探していた『魔法使いの庭』。村が何故最近になって外向けのツアーなんぞを始めたのか……全てはひとつの線に繋がっている。だがそいつを聞けばもう引き返せねえ。よく考えてから、次の一歩を踏み出すんだな」
翌日、水無月は仕事を早めに切り上げてからひとりでグレートソード村を出た。
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