第10話 ならば責任と義務の発生する台詞を

 光の射さない道を歩いている。


 それなりの幅があるくせに街灯もろくになく、鋪装もされていないため歩き慣れた人間でなければ十メートル進むのに三回は転んでしまいそうな道だ。


 ここだけが特別ではない。

 この村の道路は一部の基幹道路を除いて全て同じような状態だ。

 なにせ村には国道が一切ない。

 県道も一本のみ、しかもこの村を終着点とする。


 もちろん鉄道など通っていようはずもない。

 意識しなければ外からこの村の、少なくとも集落に辿り着くことはあり得ない。


 上城梓の家は最も奥のほうにあるため、用事があって村の中心に行くと帰りは大分歩かなければならない。

 しかし今はそれが好都合だった。

 落ち着け、と自分に言い聞かせながら歩く。

 先ほどの村長の困惑顔が浮かんだ。


「お前が帰って一ヶ月だ。そろそろ来年度に向けて、候補を考え始めろ」


 幼いころからの刷り込みで、村長の肩書きを持つ者に口答えなど、しようと思ってもできない。

 曖昧に肯定して笑った。


 外でもずっとそうしてきた。

 決断も拒否も回避する一番の方法、と思っていたが結局回避ではなく先延ばしにしていただけだったのかもしれない。


 海外でもどこでも行けば良かったのに、行きたいところはどこにもなかった。

 逃げたい対象があるだけだ。


「村の連中が、大袈裟に言えば殺気立っとる。時間をかければかけるほどに無用な諍いが生まれる。解るな?」


 そう言われれば頭を下げるしかない。

 観念して帰ってきたはずなのに、往生際が悪いと自分でも思う。

 しかし実際に数多くの視線にさらされると、吐き気が込み上げるのを止められない。

 ひとりで心を静めるのに、夜道はちょうどよかった。


 ただ、あまり外を出歩くな、とも村長は言った。


 狭い村だし、誰がいつ見ているかも解らん。

 いたずらに刺激することはよくねえ、と。


 それを思い出すと、今このときも村中に監視されているような気がして背中が汗ばむ。

 丸裸にされてスポットライトで照らされているような気分になった。


 唐突に、赤い染みが脳裏に浮かぶ。


 あの夜、使われたことがないのが明らかなほど真っ白な旗に滲む鮮明な色を掲げ、まだ若かった今の村長が吼える。

 呼応して広場に集まった群衆たちは言葉になりきらない叫び声を上げる。

 賞賛、慶びの他、確かに妬みや憤りがマーブル状に絡みついていた。


 布切れの赤い部分は細切れにされ、待機していた女児らに飲み下される。

 そのひとりが上城梓だった。



 守れ。



 と当時の村長が言った。

 女児らが全ての村の男たちの視線を集める。

 見守られ、讃えられているのに、嫌な感じしかしなかった。

 呪いはあのときかかったのだ。



 魔剣さえなければ、と上城梓は幾度も反芻してきた。



 大仰な台座に突き刺さった村の象徴。

 あれさえなければこの村は、のどかで退屈なだけの故郷でいられたかもしれないのに。


 家の前に着くとドアの前に人影があった。

 とっさに身を隠そうとするが、シルエットに見覚えがあることに気付いて立ち止まるだけにしておく。


ゆきひと


 思い当たった名前を口にすると、呼ばれた少年が顔を上げて子犬のように笑った。


「姉ちゃん」

「どうしたの、こんな夜更けに」

「落ち着かなくて」

「ルールを知らないわけじゃないでしょ。駄目だよ、こんなところに来ちゃ」

「そうだけど」


 叱られたように俯き、身体を左右に振る様は子どものようだ。


「一緒に寝たら駄目?」

「駄目に決まってるでしょ」

「けど村を出て行く前は」

「何年前の話? あんたもう、十八でしょ。誰かに見られたらただじゃ済まない」

「けど、だけど」


 煮え切らない様子で手を組んでは放す。


「俺」


 再び顔を上げた雪仁は異常な量の涙を流していた。


「俺が、一番になりたいんだ。どうしても」


 めまいに襲われる。

 生まれたときから面倒を見てきた子犬に噛み付かれた気分だった。


 倒れそうになるのをこらえ、せり上がってきそうな吐き気を無視しながら


「帰りなさい」


 と言った。

 それからすすり泣き続ける少年を置き去りにして、家に入った。






 ひょっとしたらと思ったが翌朝ドアの前に人影はなく、思わず溜息をついた。

 雪仁の身を案じてか、自分の身を案じてかは解らない。



 家の前にトラックが停まっていた。

 村がほとんど外界と隔絶されていると言っても郵便や宅配便くらいは来るので、不思議はない。

 顔見知りの配達員と目が合い


「今日、私になにかありますか?」


 と訊いてみる。


 配達員は汗だくになりながら段ボールをふたつ抱え


「ないよ」


 と答えた。


「今日はほとんど貸切だ。同じ奴に何十箱も。どうやら引っ越しらしい」

「……引っ越し?」


 警戒心の塊のような最近の上城梓だが、好奇心が勝ってトラックの逆側を覗き込む。

 長く空き家だった古い一戸建てに、ひとりの配達員が何度も往復する。


 別にこの村への引っ越しが禁止されているわけではないし、過去に皆無だったわけでもない。

 しかしとにかくアクセスが悪いし、物件も古いものしかないため、上城梓が知る限りでは今まで生きてきた中で一度あるかないかだ。


 知らない人が村に移り住むことに対して、村人はそう敬遠しない。

 歓迎とは言わないまでも来る者には寛容だ。


 しかし上城梓は想像を巡らせ、ひとりで心配になった。

 宅配便で引っ越しということはファミリー層ではないよね。よかった。

 でもじゃあ単身者?

 女だったらすぐ出て行くように勧めなきゃ。

 男だったら……考えたくもない。


 そもそもどうしてここに来たのだろう。

 最近は観光バスを出しているので妙に気に入った人か。


 作業を眺めながら想像を巡らせていると、ドアから配達員ではない人影が現れた。

 顔を見て硬直する。



 なぜ?



 と疑問符が一瞬で頭の中を埋め尽くす。


 彼、は上城梓に気付くと会釈をする。

 全ての荷物を運び終えたらしく、配達員がサインを受け取りトラックに乗り込んで立ち去った。



 彼はそのまま家には入らず、上城梓のほうへ歩いてくる。


 どうも、とお辞儀をしてから言った。


「なんの責任も義務も発生しない台詞」

「え?」


 一定の距離を保ったところで立ち止まったので、やや声は聞き取りづらい。


「君はそう言った、好きという言葉に対して。

 確かにそうだよなー、って感心した。

 好き、は事実を説明してるだけだから、行為をコミットする言葉じゃないよね。

 行為の動機にはなるかもしれないけど」


 完全に世間話のテンションだった。

 久しぶりという感じもなく、昨夜見たテレビ番組の感想を言うような口調だった。


「だからこそ誰にでも口にできるし、それ以上の言葉は行為のコミットが発生するから容易には言えない。

 言われたほうにも決断が要るから、いきなり言うのは非常に迷惑なんじゃないか、とも思う。断られたときのダメージもでかいしね」


 彼はそれ以上近付こうとはしない。

 見えない壁でも存在するかのように佇み続けた。


「あなたは他人です」


 上城梓は相づちも打たなかったが、彼に気にした様子はない。

 決して淡々とした感じではなかったが、静かに言葉を重ねる。


「村には関係ない部外者です。だからこれ以上は教えられません。

 君はそんな風に言った。

 そしてそれにもかかわらず、あなたと過ごす時間は楽しかった、って言ったんだ。

 だから」


 接続詞で言葉を切り、彼は一旦目を閉じた。

 深呼吸をしているのか、僅かに胸が上下している。


「頭がおかしいと思われるんじゃないかとか迷惑なんじゃないかとか、色々考えて、何度も自己否定したんだけど……」


 それきりしばらく黙る。



 この先に私はなにを望んでいるんだろう?



 とっさに浮かんだ思考に、上城梓は唇を強く噛み締める。

 なにも望むようなことはない。


 眼前にはずっと、真っ黒な壁が見えている。

 狭くて暗い、窓もない部屋の壁だ。

 牢屋よりもたちが悪く、望むものは現実的な範囲であればなんでも叶う。

 そう、義務さえ果たせば。


「水無月くん」


 その先に続くのは「言わないで」だったのか「続けて」だったのか。


 上城梓が自覚できないまま、彼……水無月は目を開けて一歩踏み出す。

 

 後ずさることも迎え入れることもできずに、上城梓は息を呑む。

 気楽さも切実さもなく、ただの事実を告げるような素朴さで水無月の唇が動いた。


「結婚しよう」

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