第2章 二度目はグレートソード
第11話 スタート オブ グレートソード ビレッジ ライフ
この村には電波がない。
まず最初に違和感を覚えたのはそれだった。
よく見ると村人の誰も携帯電話に準ずる端末を持っていない。
「なにそれ? かっけー」
そのとき路上でナチュラルに話しかけてきた少年とはこのごろよく話す。
歳は十八らしいが、小柄な体格と高い声から、中学に入りたてくらいにしか見えない。
「今夜はカレーが食いたい」
リクエストしてくるのは隣人の
髪は真っ白だが毛根は強そうな老人で、一度、カレーを作り過ぎてお裾分けしたところ、味を占めたのかちょくちょく夕飯をせびられるようになった。
毎日ではないので水無月としても迷惑とは感じない。
むしろ右も左も解らない土地で、話し相手になってくれる情報源は貴重だった。
雪仁少年と盛部老人。
この妙な組み合わせのふたりと、既に両手では数え切れない程度には水無月家で卓を囲んでいた。
「もし俺のことを気遣って甘口にしてるなら、気にしなくていいよ」
「待てよ少年、俺の歳を考えろ。辛いもんなんか食ったら寿命が縮まる」
「なに言ってんの。むしろ細胞が活性化して若返るかもよ」
「マジか、じゃあオッケー。おい水無月、次からはハバネロカレーで」
合意に至ったらしい老人と少年に「勝手に決めんなよ」と苦笑する。
「大体、甘口からハバネロは段階を踏まな過ぎだと思う」
「人生には『やる』か『やらない』かしかねえよ。
アクセルを踏むなら踏む、踏まないなら踏まない。
中途半端にブレーキなんぞを交えていたら、周囲に埋没する面白味のねえ人間にしかなれねえ。
問題は、全てに対してアクセルを踏むことは時間が許さねえってことだ。
せいぜいふたつかみっつ……いや、究極的にはひとつしか目指せねえ。
どのくらい踏むか、なんて考える暇はねえ。なにに対して踏むかだけだ」
「はいはい、ハバネロな」
盛部の話を遮る。
「じじいの長話がまた始まったぜ、みたいな反応するんじゃねえ」
「いや、そんなことは」
ない、と本気で思っていた。
盛部の話がくどいのは、恐らく歳のせいではないと踏んでいる。
「てめえら若者は大抵そうだ。老人といえば十把一絡げの固定観念に押し込めて見やがる。
腰が曲がって、手が震えて、口を開けば理解不能の独り言、口は臭いし入れ歯は飛ぶし、やたら文句と説教が多い、語尾は『~ですじゃ』、どうだ、当たりですじゃろう!」
「盛部さんが若者を固定観念で見ているのがよく解ったよ。なあ、雪仁」
振られた少年が頷く。
「なんだよ『ですじゃろう』って」
食事が終わるとふたりは話も早々に切り上げる。
いつまでいるんだよ、という感じになりそうだと予感していたので当初は驚いたが
「また来るっていうとき、水無月が断りたくなるようなことはしない」
というのが雪仁の説明だった。
盛部も補足する。
「それがこの村の文化だ」
ひとりになると、部屋は急に広々とする。
外の静けさが壁をすり抜けて身体にまで浸透してくるようだ。
特にこれといってすることもないので、パソコンを組み立てることにした。
一台はOSのインストール中、一台はマザーボードにCPUとメモリを挿したところだった。
パソコン自作が趣味というわけではなく、今の仕事だ。
村長に挨拶は済ませたか? と水無月に言ったのも盛部だった。
水無月の感覚では、引っ越し先の自治体の長に個人が挨拶に行くなんて常識はなかったから
「え、そんなことするもんですか?」
と言ったら「当然だろ」としかめ面をされた。
世田谷区に引っ越して区長にご挨拶を、と区役所窓口に言っても取り合ってもらえない気がするのだが、ところ変われば常識も変わる。
郷に入っては郷に従えという言葉が浮かび、素直に従うことにした。
村長は自宅にいた。
最初は村役場に行ったのだが、受付の若い女性に「普段はここにいない」と言われた。
挨拶を、と告げたらすんなり住所を教えてくれたので「いきなり訪ねていいものですか?」と訊いたら、女性は事務的に「武器は持たずに行ってくださいね」と真顔で言った。
教えてもらった住所はすぐ近くだったが、なかなか見つからず歩き回った。
これまでなら初めて行く場所はスマホの地図アプリで検索してナビを使っていたが、なにせ電波がない。
結局三十分は迷ってから、視界に選択肢として入っていなかった岩壁の上だという結論に至り、細く急な螺旋状の石階段を上った。
手すりも休憩スペースもない百段以上を上り終えるころには、腿の筋肉が膨れ上がり、酸素をまともに取り込めないほど呼吸が乱れていた。
建物は巨大な三階建てで、コンクリートの壁が威圧感を醸し出していた。
そこまでの間には水の張ってある幅二メートルほどの深い溝があり、転落を誘っているかのような細く簡易的な橋が架かっている。
堀だ、と思った。
先程の石段といい、まるで攻め込まれることを想定しているようだ。
入口には表札もインターホンもなかった。扉すらない。
口を開けている、人間一人が通れるくらいの高さの穴に入ると、すぐにコンクリートの壁が立ちふさがった。
通路は右と左に続いており、どちらも薄暗い。
勘で右に向かうと、道は斜め左に曲がっており、しばらくしてまた分岐があった。
何度かそれを繰り返した時点でようやく水無月は自分のミスに気付く。
「しまった」
と呟くころにはもう遅い。
戻り方が解らなくなっていた。
「誰だお前は」
「うわ!」
背後から耳元で囁かれ、お化け屋敷でマジびびりするようなリアクションになってしまった。
飛び退きながら振り返ると、水無月よりも頭ひとつ分は背の高い髭面が見下ろしていた。
「村の者じゃねえな。なんの目的があって来た」
薄暗い中、瞳が提灯のように光っている、ように見えた。
男の右手は懐に入り、何かを取り出そうとするような姿勢で止まっている。
「返答次第では」
その続きを聞きたくなくて、水無月はとっさに言った。
「村の、者です! あ、いや、今日から。そうなれるといいなー、って」
「出鱈目じゃねえのか」
目を細める男に、水無月は具体的な家の位置と隣人である盛部から言われてここに来たことをまくしたて、それから遅れて名乗った。
「水無月……ふん、盛部がな」
感情の読めない口調で言って、男は背を向けた。
「ついてこい」
いくつもの曲がり角を男は迷いなく選択し、光のある部屋に出た。
そこは板張りの二十畳ほどはありそうな道場で、隅のほうには鎧と、太刀大小と弓矢が置かれていた。
板に直接あぐらを掻いて、男は水無月にも座るよう促した。
明るいところで改めて見ると、筋骨隆々ながら男の身体の至る所に毛細血管が浮き出ているかのような皺がはっきりと浮き出ており、かなりの高齢であることに気付いた。
顔にも模様のように隙間なく皺が張り付いていて、そのくせ目だけはメイクをした女子学生のように輪郭がはっきりしている。
若者のように淀みのない声で男は言った。
「お前はなにができんだ?」
意図が解らず口を開いたまま固まった。
「逆上がりならなんとか」
などと、思いついた軽口を実行しようものなら、即座に隅に置いてある太刀でばっさりいかれそうな雰囲気を感じていた。
「仕事だ。この村にどう貢献できんのか訊いてる」
このときまだ水無月は会社を辞めてはいなかった。
しかしさんざんサボり倒した後でもあったので周囲の見る目は以前と劇的に変わり、またこの村から通勤するとなるとどうがんばっても公共交通機関を乗り継いで二時間半から三時間はかかるから(うち村内の徒歩が一時間)限界を感じてもいた。
ただ、自らの属する自治体に貢献する仕事というのがどういうものか考えたことがなかったので、容易に言葉をひねり出すことができない。
仕事はパソコン関連機器の企画担当だったので、ようやく
「パソコン関係なら、少しは」
とだけ言った。
男はそれにも反応らしい反応を見せず、腕組みをして目を閉じた。
そのまま数分、さらに十分以上が経つ。
寝ているのか? と思って水無月が顔を近付けて覗き込んだとき、突然目が見開かれた。
思わずのけぞる。
「パソコンを売って、教えろ。できっか?」
どういうことか説明を求めたい気持ちで一杯だったが、訊いたところでまともな返答を期待できないことは、この短いやりとりで十分解った。
しかし同時に言葉の端々に無視できない威厳と影響力を感じ取り、水無月は確信していた。
この村で生きていくなら、この男は避けて通れない、と。
「やります」
短い返事に満足したのか、男は口の両端を上げて笑った。
「村長の
「よろしく頼まれちゃいましたよ」
帰って盛部に報告すると、
「そいつはよかったな。とりあえず気に入られた証拠だ」
と肩を叩かれた。
どの辺でそう判断したのか全く解らないが、とりあえず礼を言った。
「ありがとうございます」
「俺に敬語はいい。ていうかやめてくれ」
「や、でもそういうわけには」
「いいんだ。敬意は言葉で決まるものじゃねえ、自然と滲み出るものだ。
その前提なくして形だけの敬意を示されることは、人対人の関係の中で壁にしかならんと俺は考える。
隣に住むのもなにかの縁だ。頼むから、水無月の素の言葉で付き合ってくれ」
妙なことを言うじいさんだと思う。
確かに盛部自身が、水無月をかなりの年下として扱ってはいないのを実感できるが、世代の壁をそう簡単に越えられるものだろうか?
その次の平日に水無月は退職願を提出した。
サボった日を考慮してもまだ有休が残っていたので、実際の退職は約ひと月後になる。
引き留められるかとも思ったが、意外にあっさり受諾され拍子抜けした。
十年近く勤めてもこんなものか、というのが正直な感想だった。
さすがに梨子だけは「お疲れ」と言って一升瓶を渡してくれたが、
「たまには遊びに来いよ」
という誘いには
「やだよ。遠いし」
と素っ気なく返ってきた。
「あんたが来い」
といつものように笑っていたので、まあよしとした。
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