第7話 最後のデートはグレートソード

 半信半疑で電話をかけたら上城梓は出てくれて、今度こそちゃんと会うと言った。


 場所はいつもの喫茶店、では気まずいということで、水無月が指定することになった。


 今まで会う場所の指定などしたことがなく、しかもこれが最後だと考えるほどに気持ちは萎縮し、それから幾日も無為に過ごしてしまった。

 仕事は相変わらず時の経つのを忘れさせてくれるほどに山盛りで、上城梓のことを一旦保留にすることなど造作もない。



 そんなある休日、また下の姉に子どもの世話を押しつけられて実家方面に戻ったとき、玲音が自慢げに星のついた枝を見せびらかしてきた。


 よく見るとそれは星の形をした葉っぱで、赤ん坊の掌くらいの大きさの葉が無数、見事に紅葉している様だった。


 しかし紅葉のシーズンには早いし、モミジとは違うように思えて


「なんだそれ?」


 と尋ねると、玲音は優越感を隠そうともせず


「ないしょ」


 と言った。



 そこから虐待にならない程度に大人の力というものを見せつけて聞き出したところによると、先日観光バスに乗って行った先で手に入れたものらしい。


 夏休みを迎えて子どもを連れて行く先がネタ切れした姉が、ちょくちょく日帰りの観光ツアーを利用していることは知っていた。


「近場だろ? どこ?」

「うんとね、マホーツカイノニワ」


 魔法使いの庭?


 そんな地名か施設あったか?

 スマホで調べてみるがそれらしきものは出てこない。


 玲音によると


「このよのものならぬゼッケン」


 だそうだ(多分絶景、と言いたいんだろう)。

 星が視界一杯に広がり、空と一体化したような開放感だった(水無月訳)、とのこと。


 想像して、いいかもしれない、と思った。


 少し気分を変えて喋れるシチュエーションなら、今までと違った心持ちで彼女も話してくれるのではないか。

 本格的な旅ともなると断られる可能性が高いものの、数時間のツアーなら散歩感覚で参加できる。



 姉が帰ってきてから水無月はツアーの詳細を確認し、よれよれになったパンフレットを希望に満ちた顔で受け取った。

 普段批評家の姉も


「確かに凄かったなあ。日本にもこんな場所があるんだ、ってくらい。しかもそれがさいたま県にあるんだもん、灯台もと暗しだよねー」


 と珍しく手放しで褒めていた。


『都心から六十分で行ける秘境ツアー』


 というのがキャッチコピーだった。


 グレートソード村観光協会というのが問い合わせ先になっていて、見る限りどこかの観光会社が運営している風でもない。

 手書きのイラストと素人が撮ったような写真が散りばめられており、吹き出しで


『たのしいよ!』


 と書き添えられている。



 第一印象は怪しい、だし第二印象はヤバい、だし、第三印象はまあ、絵心のない小学生の書いたポスターと考えれば合点がいく、だった。

 いずれにせよ


「あいつらよくこれに行ったな……」


 と数十秒は手に持って固まらざるを得ないくらいのインパクトではあった。


 大体なんだよグレートソード村て。


 ふざけているのかなんなのかも判然としない。

 しかしウェブを調べてみて、ふざけているわけではないことがすぐに判明した。


 彩珠県グレートソード村が実在のものとして扱われているサイトはいくらでも出てきたし、自治体の公式サイトこそ見つからなかったものの地名から郵便番号を検索するサイトでも当然のように検索できた。


 きっとパンフレットは強烈だが内容はまとも、という穴場的ツアーなのだろう、と自分を納得させて予約し、上城梓との待ち合わせ場所を指定した。






 その場所は、彩珠新都心だった。


 ここからグレートソード村はバスで六十分、と聞いて『都心から六十分で行ける秘境』ってそういうことか! と心の中で叫んだ。

 世田谷区に住む水無月にとっては既にここまで一時間以上、秘境とまでは言わないがちょっとした地方気分だった。


 水無月の実家は東京西部だが、幼いころから生まれ育った場所が都会だという意識は全くない。

 事実都会どころか駅前にはコンビニ以外の商業施設がなく、三分歩けば道路と畑と家しか見当たらない。

 発言も格好も垢抜けない同級生たちを見ながら、水無月はいつか必ず抜け出してやると心に誓っていた。


 青森に住むいとこが「東京に住んでるなんていいねえ、都会だねえ」と東北訛りで言うたびに、埋められない価値観の差を思いながら曖昧に笑った。


 水無月にとって、山手線圏内から四駅以上先は「東京都」であっても「東京」ではない。

 都内に対してもそうなのだから「彩珠」という単語と「新都心」という単語が組み合わさることに、悪気なく斬新さを感じてしまう。

 たとえるなら「ケチャップ」に「あんみつ」のような、それかけちゃうんだ、という感じが拭えない。



 そんなことを考えながら上城梓を待っていたら、約束の十分前には現れて、いつもそうしていたように頭の位置まで控えめに手を上げて挨拶してくれた。

 第一声をどうしよう、と昨晩までずっと考えていたが、彼女のほうが


「随分遠いところを指定したね?」


 と、とがめる様子はなく切り出した。

 いつもの喫茶店がある場所は、池袋から三駅ほど行ったところにある下町だった。


「屋根のあるひとつの場所で話すのは、気詰まりになるかもしれないと思ったから」

「そうかもね」


 口調に僅かながら違和感を覚える。

 それがなんなのかは解らず、気のせいかと忘れた。


 彼女はギンガムチェックのシャツに芥子色のショートパンツとレギンス、キャンパススニーカーを合わせ、背中にはリュックを背負っている。

 歩き回ることを想定したボーイッシュな出で立ちながらも、目をそらしたくなるほど魅力的だった。


 これからデート、というよりはしっかり振られに来たはずなのに、一緒に歩ける喜びのほうが勝っている自分を水無月は情けなく思う。


「本当にごめんなさい。どう謝ったらいいか解らないくらい後悔してる」


 いきなり腰の位置より深くお辞儀をしてきて、面食らった。


「やめてよ。俺も今日はその話をしに来たわけだけど、あんまり突然核心を突かれると心臓麻痺になっちゃうかもしれないから、少しずつでいいかな?」


 上城梓が顔を上げて頷く。


「解った。でも最初にどうしても謝っておきたかったから。自己満足かもしれないけど」


 真っ直ぐ見上げてくる上城梓の目を見て、可愛過ぎる、と思うと同時に先ほどの違和感の正体に気付いた。


 これまで水無月が上城梓に抱いていたイメージは、「丁寧で穏やかな雰囲気の美少女」だった。

 それが今日はのっけからはっきりした態度と口調で、丁寧語でもなくなっている。


 しかしむしろそれが板についていて、これまでと違うという違和感はあっても、彼女に合っていない、という違和感はなかった。



 バスは定刻通り発車する。

 それなりに席は埋まっていて、若いカップル、家族連れ、高齢者の集いと客層も様々だ。

 配られたしおり(手書き)によるとひとつ目の目的地は『全国総本山、大いなる鶏皮神社』との触れ込みで、そこまでが約六十分とのことだった。


「ねえ、ひとつ訊いてもいい?」


 腕と腕が触れそうな距離で上城梓はまずそんなことを言った。

 そうか、観光バスってこういう副産物があるんだ、とこれから振られる人間とは思えないほど内心にやけながら、しかしそれをおくびにも出さず「もちろん」と言った。


「どうして私に声をかけたの?」

「どうしてって……逆に聞くけど、なんで何人もの男から声をかけられたと思ってるの?」

「それがよく解らないの」


 本気で困惑している顔だった。


 この子は天然なのかもしれない、と思いながら


「鏡を見て、自分が美人だとは思わない?」


 と訊く。


「もし私が美人なら」


 横顔で、おどけたように言う。


「こっちで結婚できてたはずだよ」


 結婚願望が強いのか? と思ったが、そのまま口に出せるほどの親密さはまだない。

 なんと言っていいか解らず


「俺は魅力を感じた」


 と言った。

 すがりつくような言い方になって、自分に軽く失望する。


「どのへんが魅力なの?」


 意外と食い付いてくる。


「そりゃ」


 少し考える。


「目とか、身体とか」

「身体って……」

「いや違う、変な意味じゃないんだ。全体のラインが、曲線が」


 なにを言ってるんだ、言い訳になってない。背中が汗ばむのを感じる。


「変な意味ってどういうこと?」

「え?」

「変な意味、ってどういう意味のことを言ってるの?」

「そりゃあ」


 彼女の質問は、自分がいかに浅い考えで喋っているかを水無月に思い知らせる。


「やらしい意味だよ」


 そんな風にしか表現できない自分が悲しかった。


「性的興奮を覚えたから私に声をかけたの?」

「いやだから、俺はやらしい意味で言ったんじゃないんだ」

「じゃあどういう意味?」


 物怖じする様子はなく、じっと見てくる。

 水無月の隅々まで観察するような大きなふたつの瞳から、目を逸らすことすらできない。


「美しい、ってことだよ。君のかたちが」


 もう自分でなにを言っているのか解らない。


「つまり美術作品を見つめるような崇高な精神で、あなたは私に魅力を感じた、と?」

「そう、そうだよ」


 納得してもらえるならなんでもいい気分だった。


「でもさ、美術作品にもエロスという観点はあるし、そこは切り離せるものじゃないんじゃないかな?

 エロだって必ずしも下世話なものじゃなくて、人間の繁殖本能に根ざす凄く大事なものとも考えられるし。

 イケメンとか美女、っていうのは、自然界で言えばセックスアピールに長けてるということだから、異性に対して自分が優秀な雌ですよ、雄ですよ、というのを主張していることになるんじゃない?」

「えっと」


 なにも出てこないので、とりあえず声を出した。


「つまりあなたが私とやりたいかどうかなんだよ」


 なにをだよ!


 突っ込みは心の中だけにしておいた。


「どうなの?」


 上城梓の表情はあくまで落ち着いている。茶化すそぶりは微塵もない。


「そりゃ」


 やりたい、と言いかけてやめた。

 なにを言おうとしてるんだ俺は、昼間の観光バスの中で。


 水無月は我に返り、軽はずみに答えてはいけない類の質問だ、と思い直した。


「難しい質問だ」

「どうして? シンプルでしょ。イエスかノーでお答えください」

「イエスでもノーでもない」

「ずるい」

「イエスでもノーでも、俺の感情とは違うんだ。そんな風に二択で解りやすい答えを求めるほうがずるいと俺は思う」

「そっか」


 一理ある、といった表情で上城梓は親指に唇を触れさせる。


「癖なの。極論を求めちゃう」

「それで答えられるといいんだけど。ごめん」

「ねえ、美術品みたいな魅力を感じたってことは、私を鑑賞してたいってこと?」

「そういう気持ちもあったよ。最初は」

「最初って?」

「会社を君が辞める前。声はかけられなかったけど、見てるだけで幸せな気分になれた」

「そこから、変わったの?」

「君がいなくなると聞いて、いてもたってもいられなくなった。

 見てるだけで良かった、と思ってたけど、見てることすらできなくなる事態が迫って、声をかけた。

 一緒にコーヒーを飲んで、映画を見た。食事もした。

 そしたらもう君は、美術品ではなくなっていた。

 もっと話したい、君を知りたい。

 どんどん欲張りになる自分を、抑えるのが大変だった」

「やりたくなったんだ」


 今だ、という感じで遮ってくる。


「そんな生々しいものじゃないよ」


 だんだん上城梓の率直な物言いに慣れてきた。


「認めればいいのに。私はそれが悪いことなんて言ってないよ」

「いい悪いの問題じゃない」

「じゃあなに?」

「誠意の問題だ」

「よく解らない」

「ともかく俺の捉える人生は、二者択一じゃないとやってけないようなものじゃないんだ」

「ややこしいんだね」

「そういうものだろ」

「私はあなたとやりたい」


 面食らって二度見する。


「って、言ったらどうするの? じゃあ」


 悪戯が成功したときの玲音にそっくりな顔だった。


「断る?」

「もし今君が本気でそんなことを言うなら、断るよ」

「どうして? 魅力的だと思ってくれてるって言ったよね?」

「大事にしたいから」


 含みを持たせたつもりはなかったが、上城梓は明らかな渋面になる。


「どうして女の誘いを断ることが、私を大事にすることになるの?」

「君をじゃない、自分の気持ちや今の時点の関係性を含め、いたずらに壊すようなことはしたくない。

 今から仮に振られるとして、それで君が本気でそんな誘いをするのであれば、少なくとも将来の俺のために、俺はその申し出を受けるわけにはいかないんだ」


 納得した様子でもなかったが、上城梓はしばし天井を見上げた後


「そっか」


 と言った。


「ややこしいことを色々考えてるんだ、あなたは」

「面倒な性格だと思うよ、自分でも」

「けど私は嫌いじゃないよ」


 そんな一言で、不覚にも嬉しさを感じてしまう。


「頭を使わないことで世界と上手くやってこうとする人よりずっといい。これは好みの問題だけど」

「ありがとう」


 水無月は一旦息をついてから続ける。


「ところで俺も訊きたいことがふたつほどあるんだけど、いいかな?」

「どうぞ」


 上城梓が掌を差し出してくる。


「ひとつは、どうしてほぼ初対面の俺が不審な様子でコーヒーに誘ったときすぐ応じたのか。もうひとつは、さっき出会い頭に謝ったけど、あれはなにに対して謝ってたのか」

「ひとつ目のほうから答えるね」


 あまり考えるそぶりも見せず、すぐに言葉が繋がる。


「私は元々あなたを知ってた。社内で仕事ができる若手中堅の名前が挙がるとき、あなたの名前は何番目かには必ず出るし、梨子さんの同期で恋人なんじゃないかって噂もあったし。あ、ねえ。そこは実際どうなの?」

「俺が質問してたんだけど……まあいいや。ナシコは、なんて言ってた?」

「どうでもいい、って笑ってた」

「じゃあそれが正しい」

「でも本当にどうでもいいことを語る感じじゃなくて、どう解釈されても構わない、みたいな感じだったよ?」

「なおさらそれでいい。んで、前から俺を知ってたから誘いに応じたの?」

「いやあ、ふたつめの質問に半分答えることになるんだけど、完全に興味本位だったんだよね。悪い評判はそんなに聞かないし、梨子さんが心を許して付き合う男の人ってどういう人だろう、って」

「俺は別に興味本位でも構わなかったよ。あのときは嬉しかった」

「だけど、もうばれてるとおり、あなただけじゃなかったんだ。

 私が退職するって聞いて、既に何人も声をかけてきてた。

 断れば良かったのに私は、私の都合で全部受けた。

 もしかしたらこの中の誰かが私のかかった蜘蛛の巣から助け出してくれるんじゃないかって、諦めの悪い考えに自覚なくすがりついてた。

 無理に決まってるのに、くだらない理由で巻き込もうとした」

「ちょっと待って、話が見えなくなった」

「とりあえず最後まで聞いて」


 上城梓は片手を挙げて制してから続ける。

 横顔は少し寂しそうだった。


「一部を除いていい人でね、少し経ってからようやく気付いたの。私はなんて失礼なことをしてるんだろうって。それで、終わらせることにした」


 そこで上城梓は一旦言葉を切ったが、やはり水無月には意味が解らなかった。



 しかしどうやら遊びで十人と会っていたというよりは、切羽詰まった事情があったのかもしれないということは解った。


「その、蜘蛛の巣って」


 質問しきる前に、バスが停車した。

 どうやら目的地に着いたらしい。


「続きはまた後で。とりあえず楽しもう?」


 上城梓がさっさと立ち上がって行ってしまうので、水無月も従うしかなかった。

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