348話 白の大賢者(後編)


 ――冥府の王プルートー


 天界の神王ユピテルの兄であり、死者たちを管理する神様。


 その外見は、長身で灰色の髪をオールバックにした銀縁眼鏡の優しげな初老の男性だった。


「は、はじめまして! 女神ノア様の眷属高月マコトです」

 俺は慌てて跪き、頭を下げた。


「うん、知っているよ。君のことは水の女神エイルから聞いているからね。今日来るとは知らなかったけど。もてなしの用意も出来ておらず申し訳ないね」

 非常に穏やかな声で話す神様だった。


 これまで会った神様のなかで一番、落ち着いているかもしれない。

 女神プルセルピナ様が冷たい態度だったので、意外だった。


「すまないね、私の妻が無礼を働いたようで。ノアくんの手紙は読ませてもらったよ、若い古き神ティターン族のマコトくん」

「その手紙は……」

 女神プルセルピナ様が、破り捨てたはずのノア様の手紙。

 なぜか元の状態になって冥府の王の手にあった。 


「戻しておいたよ。もっとも『マコトがそっちに行くからよろしくね!』としか書いてなかったが」

「ノア様……」

 もうちょい、ぴしっとした文章を……いやノア様らしいのかもしれない。

 

 そういえば女神プルセルピナ様は、ノア様に対して随分と敵意があった。

 冥府の王は違うのだろうか。

 そんな俺の心の内を読んだのか、冥府の王が苦笑した。


「ああ、私の妻は昔ノアくんと喧嘩をしてこっぴどく負けたらしくてね。それを根に持っているのだよ」

「えっと……」 

 それはなんと申し上げればいいか。


「なぁに、私と妻が結婚する前の話だ。若気のなんとか、というやつだよ。私は気にしてないよ」

「そ、それは……恐縮です」

 ノア様。

 冥府の王の奥様とそんな因縁があるなら、先に言っておいて欲しい。



「さて、君の望みは吸血鬼の女の子を生き返らせて欲しいということらしいね」

「はい」

「…………」

 さっきから俺の後ろに隠れているモモが、ぴくりと小さく反応した。


「勿論、かまわないよ。わざわざ冥府まで訪ねてきてくれた上に、妻が無理を言ったみたいだからね。それくらいはお安い御用だよ」


「「!?」」

 俺とモモは顔を見合わせる。


「よかったな、モモ!」

「はい! マコトさまのおかげです!」

「生き返らせたいのは一人だけかな? 塵の怪物の相手は大変だっただろうから、他にもいるなら聞くよ」

「他に……」

 想像以上に冥府の王が気前がいい。


 俺は少しだけ迷った末に、ある男の名前を口にした。


「であれば、カインという者も生き返らせてほしいのですが」

「カイン……聞き覚えがあるね。ああ、思い出した。ノアくんの前の使徒であり、魔王であった彼だね。私が直接会話したよ」

「じゃあっ!」

 もう一度カインと会える。

 もしも生き返るなら、一緒に冒険をしてもいいかもしれない。

 なんて胸を躍らせていると。


「だけど、彼はもうね」

「え?」

 その言葉に驚いた。


「……もう転生したのですか?」

 隣の水の大精霊が訝しげな表情になった。 


「ディーア。何か気になることがあるのか?」

「普通は死後から転生までにずっと長い時間がかかります。我が王もここに来るまでのたくさんのさまよう魂たちを見たでしょう? あれらを全て冥府では管理しているんです。こんなすぐに転生するなんて普通は考えられません」

 ディーアの言葉に、俺は冥府の王の顔を窺った。


「ああ、そうだね。ウンディーネちゃんの言う通りだ。カインくんは特別だよ。元魔王にして、女神ノアの使徒。その魂は、他の者よりも格別に強い。そんな彼を長く冥府に留めてしまうと、良からぬ者に惑わされてしまうかもしれないからね。早めに転生させてしまったわけさ。魔王としての悪行は、勇者パーティーとして大魔王と戦う善行で、軽減されているし、女神ノアくんが神界に返り咲いたからその使徒であるカインくんの早期転生は『恩赦』みたいなものだね」


「な、なるほど……」

 ここでもノア様復活の影響だった。

 俺が知らないだけで、ノア様の影響はかなり大きいらしい。


「ちなみに、カインの転生先はどこなんでしょう? やっぱり秘密ですか?」

 多分教えてもらえないだろうと思ったが、駄目もとで聞いてみた。


「え?」

 地球?


「カインくんの希望でね。できればマコトくんの生まれた世界に転生したいということだったんだ」

「転生先の希望を聞くんですか?」


「普通は希望通りにはならないよ。ましてや相手は元魔王だ」

「だったらどうして……?」


「カインくんの魂は強い力を持っているからね。魔法の発達した世界には送りたくなかったんだ。できれば魔力の低い民がいる世界が望ましかったんだけど、君がいた世界は魔法が無いんだってね」

「はい、その通りです」

 俺のいた世界は『科学』の世界だ。

 魔法の存在する余地はなかった。


「その点がカインくんが転生する条件にはぴったりだったんだ。なので早々に地球へ転生させてもらったってわけだよ」

 冥府の王がパチンと指をならす。


 空中に映像が現れた。


 整備された川沿いの道を歩く、家族が映っている。


 若い夫婦に、その子供であろう兄と妹。


 映像の中心は一人の幼い男の子だった。

 

 整った顔に、やや浅黒い肌。


 その少年は、実に楽しそうに家族とはしゃいでいる。


 そして、その顔を見て俺は気づいた。


「あの子供は……カイン、なんですか?」

「その通り。時間の進みはこっちと少し違うみたいだね。ちょっと未来の映像のようだ」

「え?」

「へぇ」

 俺の言葉に、モモとディーアが驚いたような声をあげた。


(……あれが、生まれ変わったカイン)


 改めて俺は、映像の少年をまじまじと見つめる。

 おそらく年齢は六~七歳。


 小学校に入る前くらいの年齢に思えた。


 優しそうな夫婦と、三歳くらいの幼い妹の手を引いている。


 映像から彼らの音声が聞こえてくる。


 ――カイトは偉いわね。手をつないであげているのね。

 ――お兄ちゃんだからな。

 ――へへん!

 ――にーに!


 その少年は誇らしそうな笑顔をみせていた。

 

 あれがカインの……、新しい人生の家族か。



「冥府の王様。もしカインを生き返らせた場合はどうなりますか?」

「ん? あの家族からカインくん……いや、今の名前は『カイト』くんかな。彼がよ。勿論、突然消えるわけじゃなく『そもそも生まれていない』ことになるので、家族からの記憶も消えてしまうね」


「そう……ですか」 

「さて、カインくんを生き返らせるかい? モモちゃんとカインくんの二人くらいなら造作もないことだからすぐに対応できるよ」

 冥府の王は優しく問いかけてきた。


 俺はもう一度、宙に浮かぶ映像を眺めた。


 画面の中では、楽しげな家族の様子が映っている。

 

 とても幸せそうに見えた。


 この世界では、カインの家族は全て殺されてしまったと聞いている。


 いつか、もう一度家族を持ちたかった……、と海底神殿を一緒に攻略しているときにぽつりと言われたことを思い出した。


(もう……新しい人生を送ってるんだな、カイン)


 できればまた話したい。


 けど、映像に映っているあの家族から少年カインを引き剥がす気にはなれなかった。


 なにより、カインが望んだのだ。


 地球に転生したいと。



 ――マコトのいた世界か……。興味があるな

 ――退屈だよ。魔法使いも勇者もいないし


 ――だが、魔物も魔王もいないだろう? 

 ――そりゃね


 ――私はそんな世界に生まれてみたかったな

 ――もの好きだね。



 そんな会話を思い出した。

 そして、口を開く。

 

冥府の王プルートー様。カインのことは大丈夫です。生き返らせるのはモモだけで構いません」

 俺は答えた。


 カインの新しい人生だ。

 俺が横から邪魔をするのはやめよう。


「そうかい、わかったよ」

 パチンと、冥府の王が指を鳴らすと映像は消えた。

 


「では、モモちゃんを生き返らせるんだったね……。さて、試練の当番は誰だったかな」

 そう言って冥府の王が、視線を向けた先にふわりと魔法陣と同時に人影が現れた。


「お呼びですか? 冥府の王プルートー様」

 それは先ほど俺たちを案内してくれたスーツ姿の船頭さんだった。


「カロンくん、ひとつ頼まれてくれるかな」

「なんなりと」

 俺たちと話した時とは違う、畏まった受け答え。

 上司の前で緊張しているようだ。


「久しぶりの『試練』の希望者だ。彼らを地上まで送ってあげなさい」

「……わかりました」

 船頭のおっちゃんが、俺のほうに視線を向けた。


「無事にプルートー様と謁見できたようだな」

「ありがとう、おっちゃん」

「帰りも送ってくれるんですか? ありがとうございます」

「あ~、それなんだけど、いくつか注意点が……」

 おっちゃんが何かを言いかけた時。



「説明は私がしよう」

「「「!?」」」

 気がつくと真横に、冥府の王が立っていた。


 まったく気づかなかった。


 冥府の王が、ぱちんと指を鳴らすと、眼の前に金色に輝く小さな小舟ボートが現れた。


「君たちにはこの小舟ボートに乗ってもらう。……あぁ、地上の民ではない水の大精霊ちゃんは駄目かな。君は精霊界で留守番だ」

「そ、そんなっ!」

「いいね?」

「……は、はい」

 何かを言いかけた水の大精霊は、冥府の王に言われるがままに姿を消した。


「さて、すでにモモちゃんには冥府の王が奇跡まほうをかけている。地上に戻れば生者へと復活する奇跡だ。……しかし、それには条件がある」

「条件?」

 嫌な予感がする。

 また無理難題を言われるのではなかろうか。


「ははは、そんな意地悪はしないよ。これは死者復活の儀式の決まりルールなんだ。ここに来たものは全て、同じ条件を満たさなければならない」

「それは……なんですか?」

 俺は尋ねた。


「たった二つだよ」

 冥府の王は、ぴんと指を二本立てた。


「①この小舟が地上に着くまで、決して船頭には話しかけないこと。


 ②モモちゃんの手を握って、決して振り返らないこと。


 これだけだよ」


「それだけですか……?」

「思ったより簡単ですね」

 俺とモモはほっとした顔を見合わせた。

 少なくとも女神プルセルピナ様のような無理難題ではなかった。


「あの……プルートー様。それだけでは……」

 ずっと黙っていた冥府の番犬さんが、何かを言いかける。


 それを冥府の王は視線で制した。


「さぁ、乗った乗った。カロンくん、任せたよ」

「は、はいっ!」

 俺とモモは怪しい笑顔の冥府の王に背中を押され、小舟に乗り込んだ。


 冥府の王は、笑顔で両手を広げた。



「では、これより『復活の試練』を開始する! 頑張ってくれたまえ!」



 黄金の小舟がゆっくりと宙に浮き、城の中を進んでいった。


 ほどなくして、三途の川へとたどり着く。


 行きよりも多くの魂が漂っているように思えた。


 さっきから船頭さんは、何も喋らない。


 もともと口数の多い人ではなかったが、石像のようにこちらに背を向けている。


 退屈だ。

 船頭さんに話しかけてはいけない決まりらしいので、俺はぼんやりと三途の河の景色を眺めた。


 モモは俺と手をつないで、少し後ろに立っている。


 振り返ってはいけないので、姿は確認できないが。


 その時、違和感に気づいた。

 

 手を繋いでいるはずのモモの手が、どんどん冷たくなっていく。


 まるで凍っているかのような。


 確認したいが、振り返るわけにはいかない。

 

 しかし、気になる……。


 その時、ふわりと空中に文字が浮かんだ。




『明鏡止水スキルを100%にしますか?』

 はい←

 いいえ



 久しぶりに『RPGプレイヤー』スキルが発動した。


 これは100%にしろってことだよな?


 俺は『RPGプレイヤー』スキルを信頼している。



 ――明鏡止水……100%



 薄暗い冥府の景色がさらに暗くなる。


 心が沈み、視界が灰色になる。


 いつやっても……明鏡止水の100%は違和感が抜けない。


 心が止まってしまったような、錯覚を感じる。

 その時。



「きゃああああああああああああああああああああああああああ!!!」



 空気を切り裂くような悲鳴を聞こえた。

 

 真後ろから、モモの声だ。


 思わず振り返りそうに……なっていただろう、スキルを発動していなければ。


 右手に小さな手の感触はある。


 俺はモモと手を繋いでいる。


 大丈夫。

 そばにいるはずだ。


 その後も、突然腕に激痛が走ったり。


 耳元で魔獣の唸り声が聞こえたり。

 

 色んな人の悲鳴や怒号が響いた。


 その間にも、船はゆっくりと三途の河を抜けて奈落を上へと上がっていく。


(遊園地のお化け屋敷のアトラクションみたいだな)


 そんなことをぼんやりと考えながら、半日は経っただろうか。


 ようやく明るい日差しが見えてきた。


 どうやら地上が近いらしい。


 


「……マコ……ト……助……け……」



 という、モモの声が聞こえたが、さっきから100回以上は似たようなことが起きているのできっと今回も幻聴だろう。


 

 奈落の第一層。


 そこは影竜の巣のはずだが、不思議と小舟に寄ってくる竜はいなかった。


 第一層を抜け、小舟は奈落の大穴の縁にゆっくりと降り立った。


「着いたぞ。試練は合格だ、おめでとう」

 半日以上、何も喋らなかった船頭のおっちゃんが振り返って言葉を発した。


 ふわりと、俺たちの身体が宙に浮き地面へと降ろされた。


 俺は『明鏡止水』スキルの100%を解除した。


「この船は死者が乗るものだからな。死んだらまた声をかけてくれ。迎えに行くよ」

「当分行きませんよ。送っていただきありがとうございます」

「おう、試練を突破した人を送ったのは久しぶりだ」

 船頭のおっちゃんは、笑顔で去っていった。


 ……そして。


「モモ」

 俺は手をつないでいるモモのほうをゆっくりと振り返った。


「…………モモ?」

 

 そこに居たのは……、千年前に初めて出会った時のような黒い髪になったモモだった。


 そして、なぜか非常に不機嫌な顔をしていた。 


「あの~……モモさん?」

「………………」

 モモはそっぽを向いている。


「人間に戻れた? のかな?」

「………………戻れました」

 ぽつりと返事をされた。


 あまり嬉しそうではない。


「どしたの?」

「どしたのじゃないですよ! さっきまでの私の悲鳴は気にならなかったんですか!? 普通振り向きますよね!! なんでそんなに冷静なんですか!!」


「そりゃ、『明鏡止水』スキルを使ってたから」

「だからって!! 少しは心配してくださいよ!!」

「もしかして、本当に酷い目にあってた?」


「全然ひどい目にはあってませんよ! 全部幻でしたけど! でも、心配してくれてもいいじゃないですか!」

「でも振り返っちゃ駄目な試練だし」

「ううっー……」

 モモが納得いかない目をして俺を睨む。 


 だけじゃなく、ぽかぽかと俺を叩いてきた。

 もちろん、痛くない。

 

 俺はモモを抱きしめた。

 身体は温かかった。


「え?」

 トクン、とモモの鼓動を感じる。


「あ、あの……マコト様? 急に何を」 

「よかったな、モモ」

 千年前に吸血鬼になって以来、人の血を飲まねばならなかったモモが人間に戻れた。


「…………はい」

 モモがぎゅっと俺を抱きしめ返す。


「帰ろうか、太陽の国ハイランドに」

「えー、すぐ帰るんですか? 折角、人間に戻れたので色々と寄り道したいんですけど」


「じゃあ、水の街マッカレンに寄ろう。美味い飯屋がある」

「いいですね! 味覚がどうなったか確認します!」


「あー、空間転移テレポートを使いたいところなんだけどー……」

「マコト様、まだ使いこなせてないんですか? はぁー、仕方ないですね~」

 

 呆れられつつ、俺とモモは水の国へと空間転移で移動した。


 水の街に突然来訪した大賢者様に、ふじやんが大慌てとなった話は今度にしよう。


 こうして、俺とモモの冒険は無事に終わった。

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