347話 白の大賢者(中編2)


 塵の怪物ァチル・ウタス


「ってどんなやつなんですか?」

 俺は案内される道すがら、神獣ケルベロスさんに尋ねた。


 ――言葉では説明が難しい。奴の姿は形容しづらい。それに冥府の尖兵を幾名か討伐に向かわせたが、誰も帰ってこなかった。全員が塵にされてしまった。


「怖っ!」

 モモがぶるりと震え、俺の腕にしがみついた。

 太陽の国ハイランド中に名を轟かせる大賢者様だが、俺と二人の時だと昔のモモに戻ったような感じだ。


「我が王~、私もいますけど~」

「わかってるよ」

 水の大精霊が俺の脇をつつくのをみて、苦笑する。


「もっと構ってくださいよー」

「というか、ディーアはいつも一緒だろ?」

 神族になってより精霊の存在を身近に感じることができるようになったのだが、精霊はそこら中にいる。

 水の精霊にいたっては、常にべったりだ。


「もっと構われたいんです!」

「はいはい」

 俺は水の大精霊の頭を撫でた。


「ずるいです! 私も!」

「ちびっこは、いっぱい構われているでしょう!」

「君たち。少し落ち着いてだな……」



 ――着いたぞ。女神ノアの使徒殿。



 わいわいと歩いているうちに、俺たちは切り立った崖が遠目に見える場所にたどり着いた。


 俺たちは、崖のほうに歩くケルベロスさんのあとに続いた。



 崖の縁にやってくる。


 そこは不気味な場所だった。


 どこまでも広がる壁のない空間。


 崖の底は見えない。

 

 黒よりも暗い闇が広がっていた。


 冷たくも暖かくもない、生ぬるい風が吹いている。


 それだけだった。


 特に、何者かの気配はしない。


「誰も居な……」

 と言いかけた時。




 ………………クスクスクスクス




 耳障りな笑い声が響いた。


 ぞわりと、悪寒が走る。


 暗い穴の底から、『誰か』がこちらを見ている。 


 暗闇の中で笑っているそれは、小さな萎びた子供くらいの大きさの異形だった。


 ぎょろりとした、ひび割れた不気味な目がこちらを見つめている。


 大きく開いた口は、三日月のように歪んでいるが意味のある言葉は発していなかった。


「ケルベロスさん、確認ですが」


 ――あれが、塵の怪物ァチル・ウタスだ。やつには決して触れられるな。塵にされるぞ!


 親切にも神獣さんは警告してくれた。

 触れてはいけない、不死の怪物か。

 やっかいだね、まったく。


「モモ、離れていてくれ。ディーア、あれをやろう」

「はい! 我が王!」

 水の大精霊が嬉しそうに抱きついてくる。


 人間だった頃はできなかった魔法。

 使い手は、ルーシーのお母さんである紅蓮の魔女ロザリーさん。

 木の国スプリングローグで見せてもらった時から、試したかった魔法。

 

 

「…………精霊纏いドレスオブスピリッツ



 水の精霊たちが、俺の周囲に集まってくる。

 地面が揺れ、大気が震える。


 俺の身体の周囲に、膨大な魔力が集まり続ける。

 魔力が集約し、霊気エーテルとなる。

 その時、こちらをじぃっと見つめる視線に気づいた。


「……その魔法って、もしかして……」

 モモが何か言いたげな表情だ。


「いい感じだろ? ロザリーさんの真似してみたんだ」

「やっぱり! あのすぐ喧嘩売ってくるチンピラエルフの魔法ですか!?」

「チンピラて」


「すーぐ、私につっかかってくるんですよ! マコト様から叱ってください」

「いや、俺はロザリーさんにお世話になってるし……」

「いまは、マコト様のほうが偉いんですから! ガツンと言えますよ!」


「立場で態度を変えるのはよくない」

「えー」

 モモの言い草に戸惑いつつ、そういえば紅蓮の魔女さんは白の大賢者様をライバル視してたなーと思い出す。


「我が王~、ちびっこ~。敵が来ますよ」

 俺とモモが無駄口を叩いている間に、塵の怪物がゆらゆらとこちらへ近づいてくる。


(……よし)

 俺の周囲には、精霊の魔力マナが溢れんばかりに満ちている。


彗星落としコメットフォール

 無詠唱で、小さな山ほどもある氷塊を、塵の怪物にぶつける。


 避けようもなく直撃したはずだ。

 

 が、次の瞬間に氷の塊は塵となって消えた。

 


 ………………クスクスクスクス



 醜悪な怪物は笑っている。

 直接的な魔法は効かないか。


 その時だった。



 ………………クスクスクスクス

    ………………クスクスクスクス

      ………………クスクスクスクス

  ………………クスクスクスクス

    ………………クスクスクスクス

    ………………クスクスクスクス

 


「……増えた?」

「ひぃ! キモいのが、いっぱい!!」

 俺が眉をひそめ、モモが悲鳴を上げた。


 塵の怪物ァチル・ウタスが、一気に増殖した。


 それが軍勢となってこちらに迫る。

 おそらくどれに触れても、こっちが終わりだ。



(……精神加速マインドアクセル) 


 考える。

 何か手はないだろうか。


 0.01秒にも満たない時間で、ちらっとケルベロスさんを見ると興味深そうにこちらを観察している。

 少なくとも何かしらをやってくれると、期待されているようだ。

 

 そして、何より女神ノア様の信頼を裏切る訳にはいかない。

 

(あのー、我が王)

(ディーア、どうした?)

 こちらへ迫る怪物の軍勢に、より強い水魔法でもぶつけてみようかと思案していると同調シンクロしている水の大精霊ディーアが話しかけてきた。

 

纏ってくださらないのですか?)

(ディーアを?)

 現在、俺が纏っているのは『水の精霊』。

水の大精霊ウンディーネ』に対して、同じことができるだろうか?


(それに……)

 ディーアが少し恥じらいながら口にした。


(同調よりももっと、こともできますよ♡)

(深く……繋がる?)

 思わずオウム返しに聞き返す。

 同調のその先……か。


 目の前には、塵の怪物の軍勢が迫る。

 迷う時間は無い。


(わかった)

 俺は短く答えた。


(ふふふ、では楽にしてくださいね。我が王……♡)

 そういうや『水の大精霊ディーア』は、恍惚とした表情で入ってきた。


「っ……!」

 ぐわん、と身体中の血液が沸騰したように熱い。

 心臓が早鐘のごとく鼓動を打っている。

 

(あぁっ! これで……我が王とひとつに……♡)

 ディーアがうっとりとした声で、聞き捨てならぬことを言ってきた。


(ちゃんと、あとで元に戻るよな?)

(…………………………戻りますよ)

 ディーアが拗ねたように返事をした。

 戻るらしい。

 ならよい。


 気がつくと、腕の感覚がなくなり透き通るような青色になっていた。

 この状態は知っている。

 よし、『あれ』をやろう。




「精霊王の右手・永遠の吹雪エターナルブリザード




 迫ってくる怪物たちに、真っ白な雪が降り注ぐ。

 さっきまでは怪物によって、全てが塵になってしまった。


 が、今度はそうならず怪物たちは、塵にならない白い雪に戸惑っている。

 ゆっくりと塵の怪物たちの身体に雪が積り、それが彼らの動きを止めていく。


「えっ? あれ? どうして?」


 ――塵の怪物ァチル・ウタスは『時を加速』させることで、触れたものをすべて塵にしてしまう。だが、女神ノアの使徒殿は『時を凍らせる』ことで、敵の攻撃を無効化したようだ


 戸惑うモモに、神獣ケルベロスさんが解説していた。


「見ただけでわかるんですか?」

 一発で見抜かれたことに、若干の驚きがあった。


 ――これでも神界戦争を戦い抜いている。精霊たちの相手は嫌というほどしてきたからな


 あっさりと言われた。


「…………そう、ですか」

 そういえば神界戦争の時は、ノア様の敵側だったのだよな、ケルベロスさんは。

 今は味方だが、もしかするといずれ戦うことになるかもしれない。

 手強そうだ。


「見てください、マコト様!」

 モモの言葉で我にかえる。


 永遠の吹雪エターナルブリザードで凍らされた塵の怪物の分身が、ぽろぽろと大穴の中に消えていった。

 が、一体だけ相変わらずニタニタとこちらを見ている塵の怪物が残っている。


(あれが本体かな……)

 まだ倒せない。

 右腕を精霊王化して、永遠属性の魔法をもっても滅ぼせない。


 ――ふむ……、女神ノアの使徒殿の魔法を持ってしても難しいか……。異界からやってきた神族は本当にやっかいだな


「あれって……神様なんですか?」

 モモが気味悪げにつぶやく。


「そうですよ、ちびっこ。あの大魔王とか言うのと同じですよ」

「えっ!?」

 水の大精霊がさらっと言った。


「というより、多分……大魔王イヴリースより強いんじゃないかな……」

 神族と成った俺が、未だ有効な手が打てずにいる。

 

 塵の怪物は、一定の距離を保ったままだ。

 さきほどのように距離は詰めてこない。

 一応、警戒はされているらしい。



 ……ズズズズ



 塵の怪物から紫色の霧が発生した。

 それがゆっくりとこちらへ迫ってくる。

 あれは……?


「マコト様! 毒霧ですよ!!」

 モモが教えてくれた。


 ――気をつけよ。神獣や神族はともかく吸血鬼すら滅ぼす毒だ


「精霊王の右手・永遠の吹雪エターナルブリザード!!!」

 とりあえず怖いので全部凍らせておく。

 紫の霧は、結晶化して落ちていった。


 その後も、塵の怪物が仕掛ける魔法を俺が無力化するという攻防が続く。

 

(きりがないな……)

 決め手にかける。

 

 こちらの永遠属性の魔法が、塵の怪物には効果がない。

  

 永遠の命を持つ不死の怪物だから。


 俺がここに居る限りは、好き勝手できないようだが、俺が居なくなればもとにもどるだろう。


 不死……。

 不死身……。

 この不滅の怪物をどうやって倒せば……。



(マコト、思い出しなさい)



 ノア様の声が聞こえた気がした。

 気のせいかもしれない。


 冥府に来てからは、ノア様やエイル様の声は聞こえない。

 が、何かのヒントになる可能性はある。 

 

 ノア様の会話を思い出す。

 ここに来る前に、何を言っていたか。


(……もしかして、『彼ら』に手伝ってもらえば) 


「ディーア」

 水の大精霊に話しかける。


(はい、なんでしょう? 我が王)

 俺と同化しているディーアの声は、脳内に響いた。


「この辺に『死の精霊』は居る??」

(冥府ですからね。もちろんたくさん居ますよ)


「彼らに手伝ってもらいたんだけど、どうすればいいかな?」

(ふふふ、おかしなことを言いますね。我が王がお願いすればみんな喜んで聞いてくれますよ)


「俺は死の精霊とは、そこまで親しくなってないけど」

(いつでもは力を貸してくれません。でも、今は? ノア様の使徒が困っている時に、お願いをされてそれを無視する精霊はいませんよ)


「そうか、わかった」

 ありがたい。

 なら、力を借りよう。



「…………☓☓☓☓☓☓死のせいれいさん☓☓☓☓☓☓?ごきげんいかが?



 久しぶりの精霊語。

 まずは、挨拶からだ。

 もちろん、その間も塵の怪物の攻撃も防ぎつつ会話を続ける。


 すぐに反応はなかった。


(我が王、話しかけつづけてくださいませ。死の精霊は恥ずかしがり屋ですから。でも、話しかけられると喜びます)

「わかった。…………☓☓☓☓☓☓死のせいれいさん☓☓☓☓☓☓きみたちと話したい



 空気が変わった。



 ……『視られている』。



 ナニカが、こちらを一斉に振り向いたのを感じ取った。



 ――何をするつもりだ? 女神ノアの使徒殿


 ケルベロスさんが、やや気味悪げに問うてきた。

 モモは、蛇に睨まれた蛙のように固まっている。

 俺は問には答えず、死の精霊に話しかけ続けた。



「…………☓☓☓☓☓☓あっちにいる☓☓☓☓☓☓わるいやつを☓☓☓☓☓☓やっつけたいんだ


 …………視線が強くなった。

 視られているだけで、力が抜けていく気がする。

 生命を吸い取られているような。


(人族であれば死の精霊と会話しただけで、死んでしまいますからね)

 水の大精霊の言葉に、ぎょっとしつつも納得する。

 

 ……この精霊を扱うのは、人間には無理だな。



「…………☓☓☓☓☓☓死のせいれいさん☓☓☓☓☓☓あいつに死を☓☓☓☓☓☓与えてくれ




 ノア様の言葉を思い出す。


 命の精霊を不死者に憑依させれば、命を得ると。


 ならば、死の精霊は?


 死の精霊を不死身の怪物にぶつければ、死を貰ってくれるんじゃないか?



 …………ズズズズズ、とナニカがうごめいた。


 それはゆっくりと、塵の怪物を取り囲み。そして……




 ――ギャアアアアアアアアアアアアアアアアア





 ずっと嘲笑っていた塵の怪物の絶叫が上がる。




 ――こ、これは



 ケルベロスさんが驚いている。


 もっとも、死の精霊をけしかけただけでは異界の神である『塵の怪物』を倒せると思っていない。


 シャラン、と俺は腰の神器を引き抜いた。


 深い闇の中ですら、女神ノア様の神気を纏うそれは七色に美しく輝いている。


女神ノア様へ捧げます……)

 俺は神器へ祈った。 


 七色に光る刃が、一回り大きくなった。


 これならば……、と俺が塵の怪物へ短剣を構えた時。



「ピギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」



 塵の怪物は、大きな悲鳴を上げながら大穴の奥底に消えていった。


「……あ、あれ?」

 さあ、いよいよ決着との意気込みを挫かれた。


「…………」

「…………」

 モモと顔を見合わせる。


 しばらく待ってみたが、何も起こらない。


「マコト様……もしかして」

「逃げた……のか?」

 仮にも異界の神様が?


 しばらく待ってみたが、何も起きなかった。

 怪物は戻ってこなかった。




 ………………あーあ、やられちゃったぁ。残念☆




 ふと。


 そんな声が聞こえた気がした。


 ケルベロスさんやモモを振り返る。


 特に気づいている様子はない。


 気の所為かもしれない。


 しかし、俺にはかつて『月落とし』で神獣リヴァイアサンとの戦いを手伝ってくれた、気まぐれな女神様の悪戯っぽい顔が浮かんだ。



(まさか……な)

 かの女神様の悪戯だったのだろうか。

 聞いてみたい気がするし、聞くのが怖い気もする。



 ――見事だ。女神ノアの使徒殿



 神獣ケルベロスさんから、お褒めの言葉をいただけた。


「逃げちゃいましたが、いいんですかね?」


 ――不死の怪物が『死』を覚えてしまった。もはや脅威はない。次に来た時は、私が喰っておこう


「そ、そっすか」

 あれ、食べるんだ。

 お腹壊さないかな。


「マコト様ー!!」

 モモが抱きついてくる。

 水の大精霊は、同化から離れていた。



 こうして、俺は女神プロセルピナ様の『無理難題』を達成することができた。





 ◇





 無事に、怪物を倒した俺たちは報告のために冥府のお城へ帰ってきた。


 やはり玉座には誰もいない。


 が、近づけばさっきみたいに颯爽と現れてくれるだろう。


 そう思い玉座に近づいている時に、あれ? となった。


「モモ? 水の大精霊?」 

 地面にふたりともが、


 両者、汗がびっしりとかいている。

 吸血鬼と精霊なのに?



「何をやって……ケルベロスさん?」

 見ると、冥府の番犬さんも深く頭を下げている。





「おや……? 君には冥府の王わたしの威圧が効かないのだね」





 落ち着いた男性の声が響いた。


 玉座のほうを見ると、そこにはひょろりとした長身でメガネをかけた優しげな初老の男性がこちらを見ながら微笑んでいた。


「すまないね、この奇跡まほうは私が玉座の近くにいると自動で発動してしまうんだ。可愛い吸血鬼ちゃんと、水の大精霊ちゃん、楽にしてかまわないよ」


「……はぁ……はぁ……はぁ」

「………………ふぅ…………はぁ」

 モモとディーアは、やっと呼吸ができるという風に息をしている。


(そうか……この神様ひとが……)

 俺の心を読んだかのように、その男神は薄く微笑んだ。



「はじめまして、ノアくんの眷属。私は冥府の王プルートーだ」


 ついに神王の兄と対面することとなった。

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