346話 白の大賢者(中編)


 ……ぐるるるるるる


 低い唸り声が響く。


 眼の前には、三つ首の巨獣――冥府の番犬ケルベロス。


 ただでは通してくれそうにない。


 俺は腰の神器を引き抜いて構えた。

 モモは、怯えている。

 水の大精霊ディーアは、俺を守るように一歩前へでた。


 ケルベロスの鋭い目が、獲物を狙う肉食獣のように細まる。


(……戦うしかないのか?)

 

 三途の川の船頭さんのように、会話でやり過ごせる気がしない。

 相手は神話に出てくる怪物だ。


「……水の大精霊ディーア

「……はい、我が王」

 珍しくディーアの声が固い。

 それだけ恐ろしい相手なのだろう。


 それは冥府の番犬ケルベロスが纏う、神気から肌で感じた。 

 モモは、俺の服をつかんで震えている。

 

 その時、



 ――む。そなた……もしや女神ノアの使徒殿か?



 落ち着いた声が響いた。


 俺たちへの殺気が止まり、ケルベロスの表情が穏やかなものになった。

 この声って、まさか冥府の番犬ケルベロスの声?


「はい、俺が女神ノア様の使徒、高月マコトです」

 戸惑う水の大精霊ディーアとモモから、一歩前に出て俺は名乗った。



 ――はじめまして。私は冥府の王プルートー様に仕えるケルベロスだ



「は、はい。知っています」

 丁寧な挨拶をされた。


 ――君が来ることは、水の女神エイル様より伝言を預かっている。我が主のもとへ案内しよう


「エイル様が!?」

「よ、よかったです!」

 俺は驚き、モモが安堵の表情を見せた。

 助かった。

 エイル様のおかげで、神獣と戦うことは避けられた。


 ――ついてこられよ、女神ノアの使徒殿。


 ケルベロスは、俺たちに背を向け奥へと進んでいった。

 門番の仕事はいいのだろうか? と思っていると空間転移で、双頭の巨犬が姿を現した。

 

 そして、門の前にドシン、と腰を下ろした。

 どうやら門番の代理はいるらしい。

 じゃあ、気にしなくていいか。


 俺たちは冥府の番犬ケルベロスのあとに続いた。



 漆黒の巨城に入ると、道幅の広い廊下が続く。


 先は見えない。


 無限に続くかのような長い長い廊下。

 

 暗い廊下に、俺たちの足音が響く。


 巨体をもつケルベロスの足音は、何故かほとんどしない。


 しばらくは黙って歩いていたが、無言にも飽きたので、俺は冥府の番犬に話しかけた。


「ケルベロスさんは、ノア様のことを知ってるんですか?」

「我が王!?」

「マコト様!?」

 なぜかディーアとモモに驚かれた。

 別に話しかけるくらいいいだろう。

 


 ――無論。あの太陽の女神アルテナ様を相手に第三次神界大戦を引き起こしかけた恐ろしき女神だ。忘れるはずもない。



「そ、そっすかー……」

 どうやらあまりノア様に良い印象は持っていないみたいだ。

 この話題は避けておこう。


 ――ところで女神ノアの使徒殿。貴殿は精霊使いなのだろう? 最近は火の大精霊サラマンダーが、炎熱地獄に居着いて官吏の鬼たちが困っているらしい。注意をしてくれないか


「え?」

 俺は驚いて水の大精霊のほうを見た。


「ディーア、何か知ってる?」

「我が王。火の大精霊サラマンダーは地上にあまり居場所がありませんからね。せいぜい活火山の中くらいで。暇を持て余して冥府の炎熱地獄でごろごろすることは、よくあります」

「そ、そうなんだ……」

 知らなかった。


 ――それが困るのだ、水の大精霊ウンディーネ。そなたら自然の四大精霊は地上の民と共に在るのが役目だろう


「ふん、そんな聖神族どもが決めたルールなんて知りませんね!」

 ディーアが、ぷいっとそっぽを向く。


 ケルベロスさんが、なんとかならんか? という表情で俺の方を見た。

 しかし「任せてください」とは、安請け合いできない。


「残念ですが、俺は火の大精霊サラマンダーとはまだ仲良くなれていなくて……」

 一応、神族になった影響で火の大精霊の姿を視ることはできるが、言うことを聞いてもらうことはできない。


 水の大精霊たちに自由にお願いできるようになるには、長い月日がかかった。

 火の大精霊も、そう簡単にはいかないだろう。

 が、ケルベロスさんの口から予想外の言葉が飛び出した。



 ――急ぎではない。くらいにやってくれればよい



「え?」

「百年!?」

 俺と話を聞いていたモモが、驚きの声を上げた。


「あの……期限が先過ぎません?」


 ――ん? そうだろうか? どう思う、水の大精霊ウンディーネ


 ケルベロスさんが、首をかしげて水の大精霊のほうを見た。


「私を見られても……、百年というのがそもそもピンときませんし」

 水の大精霊が、頬をぽりぽりとかいている。


(こ、これが悠久の時を過ごす神話生物の時間感覚……)


 俺とモモは、呆れて何も言えなかった。

 そこでふと気づく。


 冥府の番犬の、真ん中だけ毛が短い。

 何かあったのだろうか?


「ところで……真ん中の頭は、散髪されたんですか?」

 俺は何気なく質問した。

 ケルベロスが、少しキョトンとした顔になった。



 ――む? これか……。これは地上へ召喚された時に、とある剣士にことによるものだ



「く、首を落とされた!?」

「地上の民がですか!?」

 俺よりもモモと水の大精霊が、大声で叫んだ。


「それは……とんでもないやつがいますね」

 俺が尋ねると、ケルベロスさんはニヤリと笑った。


 ――ああ、見込みのある若者だった。将来が楽しみだ。


「首を落とされたのに、怒らないんですね?」

 不思議に思った俺は尋ねた。


 ――なぜ怒る? 太陽の女神アルテナ様より課せられた『天への梯ラダートゥーヘブン』計画。そこへ見込みのある者が現れることは、誠に喜ばしい。それに『試練の召喚』によって、本来の力を100分の1以下に抑えられていたからな。


「はぁ……」

 よくわからないが、ケルベロスさんは首を落とされたことより強い剣士が現れたことのほうが嬉しいらしい。


 にしても、アルテナ様の計画か。

 確か地上の民から、新たな神族を生み出す……だっけ?

 

 ケルベロスの首を落とすほどなら、さぞ強い剣士なのだろう。

 詳しく話を聞こうと思った時。



 ――そろそろプルートー様の御前へ到着する。無礼のないように


「わ、わかりました!」

 冥府の番犬さんの声に、俺は背筋を伸ばした。


 いったん、他の事は意識からはずそう。


 これから会うのは、おそらくノア様よりも高位の神様だ。

 無礼があってはいけない。



 ……ギ……ギ……ギ……ギ……ギ



 廊下の端にあった巨大な扉。

 

 それが、ゆっくりと開いていく。


 開き切る前に、冥府の番犬ケルベロスさんは扉の奥へと入っていった。


 俺とモモと水の大精霊は、それに続いた。


 コツン、コツン、という靴が床を叩く音が響く。


 扉の先は、壁が見えないほど広い部屋だった。


 部屋の真ん中に、大きな玉座にある。

 玉座には誰も座っていない。


 ここで待てばいいのだろうか? と思っていると。



 ――我が主プルートー様。女神ノアの使徒、高月マコト殿を案内いたしました。



 冥府の番犬の三つ首が、深々と下げられた。


 俺はそれに倣って、膝を付き頭を下げた。

 モモは慌てて、水の大精霊はしぶしぶ頭を下げている。


 静かに時が流れる。


 ………………

 …………

 ……


 ほんの数秒。


 しかし、明らかに……空気が変わった。


 何の音もしなかったが、先ほどまで誰もいなかった玉座に『何者か』がいることを感じた。


 

「よく来たわね。ノアの使徒」



 冷たい女性の声が響いた。


(……女性?)

 おかしい。

 冥府の神王プルートー様は男神のはずだ。


 俺は頭を上げた。


 玉座に座っていたのは、長い黒髪の冷たい目をした美しい女神様だった。


 人間離れした美貌は、ノア様やエイル様と同じ。

 ただし、やや冷たい印象を受けた。


 彼女が冥府の王神プルートー様?

 しかし、どうみても女神様のように見受けられるが……。


 ――プロセルピナ様?


 ケルベロスが戸惑った声を上げた。

 その名前で気づく。


 冥府の女王プロセルピナ様。


 冥府の王プルートー様の奥方だ。


「それで、復活したばかりの古い女神の使徒が、一体何の用事かしら?」

 

 古い女神、という言葉を発する時に若干の嘲るような響きを感じた。

 気のせいかもしれないが。


「女神ノア様より御神力を賜り、新たに神族となりました高月マコトです。本日は、ご挨拶に参りました。女神様より手紙を預かっております」

 

「ふーん、手紙ねぇ~」

「!?」

 俺がノア様から預かった黄金の封筒をポケットから取り出そうとした時には、既にそれは冥府の女王様の手に収まっていた。

 い、いつの間に……?


 冥府の女王プロセルピナ様は、つまらなそうに封筒を一瞥すると「ビリビリ!」と破り棄てた。


「……え?」

 一瞬の戸惑いのあと、怒りが湧き上がる。


 この女神おんな、ノア様の手紙を破り棄てただと?



 ――プロセルピナ様!!



 俺が何か言おうとする前に、ケルベロスさんが大きな声を上げた。


「何よ、ケルベロス。大きな声を上げて……」 


 ――恐れながら申し上げます。それはあまりに礼を失する行為では?


「別に中身はもう読んだのだからいいでしょ? 要するに挨拶ついでに、そっちの吸血鬼の女の子を人間に戻してあげてってことね」

 じろり、と冥府の女王様に視線を向けられモモがびくりと震える。


「「「…………」」」

 俺とモモと水の大精霊は、黙って言葉の続きを待つ。


 正直、手紙を破り捨てられたことは腹が立つがケルベロスさんが代わりに怒ってくれたことで気分は紛れた。


 それよりも本来の目的は、女神様の使徒としての挨拶と、モモの復活だ。

 見失ってはいけない。


「ま、いいわ。わざわざ地上から冥府までやってきたのだから、それに免じましょう。生き返ることを許可します」

 冥府の女王は、あっさりと言った。


 俺とモモは顔を見合わせる。


(よかったな、モモ!)

(はい、マコト様!)

 これでモモが吸血鬼から人間に戻れる。

 

 にしても、本来は冥府の王プルートー様に会って許可をもらう予定だったけど、女王様でも同じ権限を持っているということだろうか? 


 気になったが、小童神族の俺が上位神のプロセルピナ様に口出しするのは憚られた。

 なにより、モモの生き返りは許可された。

 それで十分だ。



「ですが、あります」



 冥府の女王様が、淡々と言った。


「……条件?」

「……どのような?」

 俺とモモが、訝しみつつ尋ねた。

 

 プロセルピナ様は、にぃーと意地悪い笑顔を浮かべる。


 俺はその顔に既視感があった。


(なんか……月の女神ナイア様に似てるかも……)

 あの悪戯好きの女神様を思い出した。


「試練を与えます。ケルベロス……、例の場所へ彼らを案内しなさい」

 

 ――プロセルピナ様……まさか


「そう、最近冥府を荒らしているあの『厄介な連中』を倒してもらいましょう」


 ――それは……本気でございますか? 少々、無理難題過ぎるのでは……?


「願いを叶えに来た者に対して、試練を与えるのは神の役目ですよ? 何の不都合があるのです?」


 冥府の女王様と、ケルベロスさんの間で会話が進んでいく。

 どうも察するに、あまりいい方向に進展しているように思えない。



「さぁ、くゆけ! 言は撤回せぬ」



 ――わかり……ました。


 食い下がってくれたケルベロスさんだが、最後は冥府の女王様に押し切られた。

 

 ――女神ノアの使徒殿。こちらへ


 少ししょんぼりとしたケルベロスさんが、ゆっくりと部屋をでていく。

 俺たちはそれに続いた。

 


「あの……これから何をすればいいんです? 『厄介な連中』というのは何なのでしょう?」

 しばらくして、俺はケルベロスさんに質問した。


 ――最近、外なる宇宙からやってきた怪物が冥府と奈落の底タルタロスの中間あたりに住み着いていてな。どうやら遠い別次元の宇宙から流れてきたらしいのだが、手を焼いている。そいつを倒すようにというのがプロセルピナ様の試練だ。


「わかりました。モモを生き返らせるためです。それで……その怪物というのは?」

 俺が聞くと、ケルベロスさんは少しためらったあとに、口を開いた。

 

 

 ――名を……塵の怪物ァチル・ウタスという



(塵の怪物……?)

 聞いたことがない名前だ。


 俺はモモと水の大精霊の方を見た。

 二人とも首を横に振った。

 どうやら知らないらしい。

  

「何がやっかいなのでしょう?」

 俺が尋ねると、ケルベロスさんは申し訳無さそうに言った。



 ――塵の怪物ァチル・ウタスの特性は……『不死』。つまり殺せないのだ


「え?」

 聞き違いだろうか。


 ――つまり、冥府の女王プロセルピナ様は『不死の怪物を倒すのが試練』だとおっしゃっている


「……どうしろと?」


 ――すまぬ


 ケルベロスさんに謝られた。


 ……冥府の番犬さんは悪くない。


 悪いのは、冥府の女王様の性格だ。


 どうやらモモを生き返らせるには、不死の怪物を倒さないといけないようだ。



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