322話 高月マコトは、最終迷宮へ挑む
灰色の海の中をゆっくりと進む。
水魔法・水中呼吸を使っているので水中でも問題はない。
南国のカラフルな魚たちがゆったりと泳いでいるが、灰色の水ではいまいち映えない。
千年前にカインと来た時は美しい南の海を眺めたものだが、今はその気になれなかった。
(海底神殿は……こっちだったかな?)
ハーブン諸島の浜辺を出て、緩やかに海底が深くなっていく。
しばらくは大きな美しいサンゴ礁の間を抜けていくのだが、そこから一気に深くなる場所がある。
(ここだ……)
崖のような急勾配。
海底は暗く見えない。
俺は下へ下へと潜っていく。
ただでさえ鈍い太陽の光はすぐに弱まり、周りは真っ暗になる。
――『暗視』スキル
暗い海の中を見回した。
先程まで俺の周りを泳いでいたカラフルな魚たちは居なくなり、代わりに黒い大きな生き物の影がちらほらと見える。
その中にはこちらに向かってくるものもいる。
……あれは肉食の魔物だろうか?
俺を獲物として狙っているのかもしれない。
が、突然大きな身体を震わせさっと向きを変えて去ってしまった。
どうしたんだろう? と思う前にすぐに気づく。
「我が王、なぜぼんやりしているのですか?」
どうやら魔物はディーアの魔力に恐れをなしたらしい。
「カインと一緒に海底神殿を攻略していた時のことを思い出してね」
「精霊の扱いが上手い男ではありませんでしたが……、居ないとなると寂しいですね」
ディーアも俺と同じように少し悲しそうな顔をした。
が、すぐにきりっとした顔になる。
「我が王! これから海底神殿を目指されるのですよね。油断はいけませんよ!」
「油断はしてないよ。まだ迷宮の入り口にも着いてないだろ」
「はぁ……、まぁ、そうですけど。あ、また魔物が来ましたよ」
「お、海竜かな。こっちに来るね」
「随分と大きな個体ですね。
「この海域で珍しいね」
そんな会話をしている間にも大きな海竜がこちらへぐんぐん迫る。
ガバと大きな口を開き、俺を丸呑みにしようとしてきた。
「水魔法・水流」
俺は自分の周りの水を固定して簡易的な水の結界を張った。
ぽよんと海竜の鋭い刃が俺の水の結界に弾かれる。
さらに海竜が鋭い爪で攻撃してきたり、長い尻尾を振り回すが全て届かない。
必死に俺を襲おうとする海竜を微笑ましく見ていた。
「あの~、私が駆除しますね?」
俺が遊んでいるのをもどかしく思ったのか、水の大精霊が魔力を集める。
ゴゴゴゴ……と、マナに連動して海が震えた。
ビクッ! とした海竜が目を見開きさっとすごいスピードで去っていった。
ついでに近くを泳いでいた魔物たちも姿を消す。
――広い海の中、俺と水の大精霊の二人きりになった。
ただでさえ静かな深い海の中。
真っ暗な闇の中をゆっくりと降りていく。
しばらく無言の時間が続いた。
「あのー、私は余計なことをしましたか?」
「いや、大丈夫だよ。すぐににぎやかになるし」
おずおずと水の大精霊が尋ねてくるのを、笑って返す。
がディーアの顔は心配そうなままだ。
「……今の我が王は元気がありません」
「そうかな?」
『明鏡止水』スキルで心は落ち着いている。
けど、気分的にはどうだろう。
海底神殿へ向かうのは初めてではない。
千年前に何度も挑戦した。
確かあの時はもっとワクワクしていた気がする。
カインが居る時は、あいつは泳ぐのが苦手だったので魔物が出るたびにわーわー騒いでいた。
それを
千年後に戻ってきたら、ルーシーやさーさんを誘おうと思っていた。
レオナード王子も誘いたいけど、きっとソフィア王女が反対するだろうな。
フリアエさんは……、日に焼けるから南国は嫌よ、とか言いそう。
大魔王を倒した後なら、桜井くんに声をかけてもいいかもしれない
千年前と違って現代は魔道具が発達しているから、最新の冒険道具をふじやんに発注しよう。
――なんて、考えていた。
今となっては、夢物語だ。
この世界は厄災の魔女の魅了に支配されかかっている。
西の大陸はすでに彼女の手に落ちた。
何でこんなことになったのか。
あの式典での俺の行動は正しかったのだろうか。
ぐるぐると思考を巡らすが、どこにも着地しない。
あの時、ああしていれば……、という悔恨だけが残る。
厄災の魔女が、フリアエさんを乗っ取っている可能性に気づいていれば。
でも、だからと言って俺に何ができた……?
暗い海の中だと、どうしても暗い思考になる。
「我が王……、そろそろ海底です」
「ああ、
ディーアの声に、足元を見る。
真っ暗な海底に、巨大な光の筋が走っている。
それは細長い線のように見えて、実際は海底を斬り裂く巨大な裂け目。
通称、
海底神殿へと向かう入り口である。
これまで『暗視』スキルを使っていたが、それを解く。
漆黒のはずの深海に光が漏れている。
……とん、と俺は海底に足を付けた。
切立った
足元から魔力の光がこちらを照らしている。
この下は異界。
足元からどろりとした濃密な魔力が溢れている。
海底にざっくりと切り裂かれたような巨大な崖。
かつての神界戦争の傷跡とも言われるが、真偽は定かではない。
俺と水の大精霊は、ゆっくりと足を踏み入れた。
巨大な縦穴に身を躍らせる。
こぶし大ほどの魔石は、純度が高くとても価値がある。
数個持って帰って店で売れば、百万Gくらいにはなるだろう。
が、ここに来る冒険者は少ない。
その理由は……。
「我が王、海竜たちがこちらを見てます」
「さっきのと違ってディーアを警戒しているね」
俺たちを忌々しげに睨む沢山の目ががある。
それらは全て海の竜たちだ。
そこは深海にある竜の巣である。
百万Gの魔石を採掘していたら、あっという間に竜の群れに囲まれる。
海底神殿が割に合わないと言われる所以である。
「お邪魔みたいだし、さっさと通り過ぎようか」
「竜たちは知能が高いので良いですね」
賢い竜は無駄な戦いをしない。
水の大精霊に喧嘩をうってくる海竜は居なかった。
結果的には、平和に通り過ぎることが出来たがやっぱり竜が沢山いる場所は気を使う。
竜の巣を抜けると、
ここは全体的に生物が少ない。
代わりに水中の魔力はより濃くなり、壁の魔石は色とりどりに美しい。
海底神殿への道中は、見どころが少ないと言われるが中層は見る価値があると思う。
時おり百メートルを超える化け物のような
きっと何千年も生きたここの主のような魔物だろう。
千年前にもちらっと見かけたことがある。
ふと視線を感じて、周りを見回す。
遠巻きにこちらを眺める人魚の集団がいた。
こんな危険な場所に大人しい人魚とは珍しいな。
にこやかな笑顔でこちらに手を振っている。
俺も手を振り返しておいた。
「我が王、あのセイレーンは貴方様を魅了しようとしておりますよ」
「人魚じゃなかったのか……」
ディーアが睨むと、セイレーンたちは去っていった。
中層にはひとクセある魔物たちが多い。
が、やはり俺と水の大精霊にちょっかいをかける魔物は居なかった。
ゆっくりと海の底へと降りていく。
「我が王……そろそろ下層です」
「
俺はディーアと小さくうなずく。
足元を見つめる。
そこには灰色の地面が広がる。
初めてここに来た時、ここが
よく見ると、その地面は平らではなく柔らかくぶよぶよしている。
さらにうねうねと波打っており、時おりビクンと震えている。
――海の怪物クラーケン
身体の大きさだけで百メートル以上。
足を広げた長さはその数倍。
俺の知る限り、この世界でもっとも大きい魔物だ。
そいつらが
海の怪物の住処。
それが、
グオオオオ!! と巨大な足が俺を捕らえようとものすごい勢いで迫る。
それをかわしながら、俺は下へと進んだ。
クラーケンは、その巨体の割に知能が低い。
近づくものには全て襲ってくる。
しかも、一体を相手にしていると他の個体まで呼び寄せてしまう。
「一気に抜けるぞ、ディーア!」
「はい、我が王!」
俺は水の大精霊に、水の流れを操ってもらう。
クラーケンの巨体は、それに逆らえず流されていく。
しかし、数が多い。
見えるだけでも数十体。
実際のところは、数えたことすらない。
体長が数百メートルの怪物が、どうやってこんな数を維持しているのか謎だった。
しかし、千年前に何度も海底神殿への挑戦を繰り返すうちに徐々に生態がわかってきた。
「クラーケンは、海中の
「ええ、おそらくは。でなければ、この数でこの巨体が生きていけるはずがありません」
間違いなく餌が足りない。
しかし、この
海中の魔力に当てられて、穴の壁にある岩ころが高純度の魔石になるくらいの。
どうやらクラーケンは、その魔力を直接エネルギーとして吸収しているようだ。
ブオオオオオン! とクラーケンの足が再び俺たちに迫る。
水の大精霊にそれを防いでもらった。
下に下に進んでいくうちに、クラーケンの数が減っていく。
下層は彼らの縄張りだが、あまり下には行きたくないらしい。
その理由は、知っている。
「クラーケンは神獣リヴァイアサンの
「神獣は何も食べなくても生きていけるはずですが、深海にずっと居るのは暇なのでしょう。魔物を食べるとは物好きですね」
俺はディーアと雑談しながら、クラーケンの巣をやり過ごす。
やがて俺たちを追うクラーケンは居なくなった。
――
そこは幻想的な世界だった。
壁一面がキラキラと輝いている。
あまりにも濃密な魔力にさらされ続け、壁全体が魔石となっているのだ。
こいつを持って帰れば、七代遊んで暮らせるだろう。
持って帰る手段など無いが。
「いつ来ても……とんでもない魔力で満ちた場所だな……」
ひとりごちる。
この世界に来て色々な場所を冒険したが、ここはどこよりも異質だった。
絶えず、足元から魔力が流れ出てくる。
その魔力に引き寄せられ、多くの魔物が住処としている。
海竜たちが巣を作り、他にも様々な海の魔物を引き寄せる。
クラーケンたちにとっては、この魔力そのものが生きる糧だ。
それも尽きることのない無尽蔵の魔力。
冒険者による海底神殿の探索はほとんど進んでいない。
そのため一体どんな理由でこのような環境になっているのか、大きな謎とされている。
だから、俺も
「これは……
改めて俺は尋ねた。
「ええ、正確には海底神殿に封印されていますから
「とんでもないな……」
僅かに漏れ出たという魔力で、この辺り一帯の生態系が成り立っている。
そこにノア様が居る。
ただそれだけで最終迷宮ができあがったのだ。
「我が王、そろそろ例の領域です。私はこれ以上近づけません……」
「わかってる。俺も今日は様子見だけだ。ディーアはそこで待っていてくれ」
「お気をつけて」
俺は小さく頷いた。
狭い――と言っても数百メートルはある深海ノ傷が唐突に終わり、巨大な開けた空間が現れる。
その開けた空間には結界がある。
精霊を拒絶する神の結界。
そのせいで精霊使いの俺は、大きなハンデを背負うことになっている。
ただでさえ精霊の力を借りられないうえに、この先にいるのは神獣。
これを突破しない限り、海底神殿には到達できない。
俺はその広い広い深海の空間の様子を眺めた。
千年前から何も変わっていない。
巨大な球状の空間の底は、平らだった。
ここからは遠すぎて見えないが、おそらく海底も魔力にあてられて魔石化しているのだろう。
そして、海底に一本の長い山脈が走っている。
緩やかにカーブを描いた山脈だ。
その山脈が最も高くなっている位置がある。
(……『千里眼』スキル)
その山頂を眺める。
そこにはぽつんと建っている
「海底神殿……」
見るのは久しぶりだ。
千年前、初めて直視した時は興奮したものだった。
そして、その後絶望することになった。
…………ズズズ、と
どうやら
ゆっくりと山脈の先端が持ち上がった。
(神獣リヴァイアサン……)
巨体過ぎていつ見ても生き物と認識できない。
かつて、ノア様に聞いたことがある。
◇
「リヴァイアサンの体長ってどれくらいあるんですか?」
「えっとねー、この世界の尺度じゃマコトだとピンとこないでしょうから、前の世界で言うところの『日本の
「よくわかりません……」
あとでふじやんに聞いた所、本州の長さが約1500キロ。
なので、その半分なら750キロということだろうか。
それは……、生き物を表す単位なのか?
◇
(視られている……)
そう感じた。
神獣リヴァイアサンは目を開いていない。
だが、確かに俺を視ていた。
これ以上は、近づけない。
神獣リヴァイアサンの『神託』は、海底神殿に近づく者を排除すること。
封印されし女神ノア様に会うには、神獣を何とかするしかない。
目眩がするほどの規格外のこの巨大な怪物を。
(そろそろ帰るか……)
ノエル女王との約束の時刻が迫っている。
改めて海底神殿の無茶苦茶ぶりを確認できた。
心は軽くならなかった。
◇
「ふぅ……」
俺は海から上がり一息ついた。
水の大精霊には去ってもらっている。
水魔法で衣類は乾かす。
砂浜をゆっくり歩きながら、ノエル女王が居るであろう屋敷を目指す。
ちょうど夕日が沈む頃で、約束の時間には間に合った。
屋敷の前に来ると、門番らしき人が中を案内してくれた。
屋敷の中の大きな会議室のような部屋に通された。
「お待ちしておりました、マコト様」
そこにはノエル女王を中心として、十数名の人々が席に着いていた。
どうやら俺を待っていたらしい。
「すいません、遅くなりました」
「いえ、日暮れまでに戻ってくださいましたから。大丈夫ですよ」
ノエル女王がにっこりと微笑む。
少し余裕を取り戻したのかもしれない。
しかし、ノエル女王の周りの人々の顔は全員暗い。
おそらく西の大陸の現状を聞かされたのだろう。
厄災の魔女に支配されている現状を。
「それでは、今後の作戦について話し合いましょう」
ノエル女王の言葉で、重苦しい雰囲気の会議が始まった。
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