320話 高月マコトは、諦めない

「この星の……全ての生物は魅了されました」


 厄災の魔女ネヴィアは、静かにそう告げた。


「う、嘘です!」

 それをノエル女王が真っ向から否定する。

 優雅に微笑む厄災の魔女ネヴィア


「どうしてそう思うのかしら?」

「そんなことは、人の力を超えています。それができるならとっくに私たちは敗れていたはず!」

「ふふふ……、そうね。厄災の魔女わたしひとりの力では到底無理。偉大なるあの御方ですら不可能だったでしょうね」

「じゃあ、どうやって?」

 俺は素直に尋ねた。

 大魔王ですら不可能なことがどうしてできる?


 厄災の魔女は、ゆっくりと辺りを見回した。

 どこまでも続く灰色の世界。

 この世界の中では、誰もが魅了される。


「この魅了された世界は聖女ノエル様があの御方の対策として準備していた太陽の国ハイランドの『大結界』を礎にしているの。貴女の『聖女』としての能力は『みんなで力を合わせる』こと。護ることに長けた素敵な能力ね。流石は天界を支配する太陽の女神アルテナが与えた能力だわ。個としては弱い人族でも幾千幾万と集まれば大きな力になる。この結界はあの御方ですら破れなかった……」

「大魔王ですら破れなかった結界か……」

 千年前とは違い、この世界で一番繁栄しているのは人族だ。

 だから人族全員で力を合わせれば、それはとてつもなく大きな力になる。


 厄災の魔女は語り続ける。


「この結界の使命は『世界の平和を守る』こと。私はその大結界の生成規則に少しだけ手を加えただけ。『誰も傷つかない平等で平和な世界でありますように。どうか』って」

「そうやって世界を魅了したってことか」

「あり得ません! フリアエの魅了にそこまでの力はなかったはず!」

 ノエル女王が再び否定する。

 それに対して、厄災の魔女は憐れむような視線を向けた。


「貴女だって知っているでしょう? フリアエちゃんの『聖女』としての能力は『潜在能力を引き出す』。つまりは個人を対象にした能力。集団を強化する聖女ノエルと個を強者にする聖女フリアエ。実にバランスが取れている素晴らしい配分ね。二人で力を合わせて世界を守るよう天界の女神たちの思惑が透けて見える。……もっとも太陽の国と月の国ラフィロイグの関係性は最悪だったようですけど」 

「それは……」

 痛いところを突かれたのか、ノエル女王は言い淀む。


「フリアエちゃんはね……『魅了』や『死霊魔法』、『運命魔法』すら何の修行もせずに王級レベルで扱える天才的な才能を持った巫女。女王という立場だから、忙しなく働いていたけど。彼女の本当の望みを知ってる? 月の国が安定したらさっさと女王の立場を退位して、田舎で静かに暮らしたいというのが願いだったの。面白味の無い、欲のない望みだこと。道理で月の女神ナイアが声をかけないはずよね」

「ナイア様を呼び捨てでいいのか?」

 ふと気になって尋ねた。

 千年前は、月の女神様に敬意を払っていたはずだ。


「いいのよ。だって今の私は月の巫女じゃないもの。現代の月の巫女はフリアエちゃん。それに月の女神ナイアは気まぐれで、千年前に敗北した厄災の魔女わたしに興味を失っているわ」

 少しだけ寂しそうにネヴィアは言った。


「脱線したわね。とにかく自分が強くなることになんてまるで興味なかった現代の月の巫女。そこで私は『潜在能力を引き出す』を使ったの。どうなったと思う?」

「そういえば……姫が修行をしているのを見たことがなかったな」

 かつて一緒に旅をしていた時のことを思い出す。

 俺が一日中修行をしているのを、呆れた顔で見ていたものだ。


「今のフリアエちゃんは『魅了』をで操れる。千年前の私なんて遥かに上回る凄まじい能力よ。……嫉妬してしまうわ、かつての私にこれだけの力があれば違った結果に……、ってそういえば千年前も使徒様に負けたんでしたね」

 はぁ~、とその端整な顔を歪ませため息を吐く。


「どうして魅了されないんです? フリアエちゃん可愛いですよね?」

「姫はそんな事言わないですよ、ネヴィアさん」

 誘惑するように身体をくねらせる厄災の魔女。


「同格の聖女であるノエル様が魅了されないのはわかるんですが……、どうして使徒様は駄目なんでしょう。でも、そういえば千年前のカインさんも魅了できませんでしたね。女神ノアの使徒は皆そうなんでしょうか」

「ノア様一筋だからね、俺たちは」

「やっかいな男たちですね」

 俺の言葉に、軽く睨むような視線を向ける厄災の魔女。

 その視線を受け止めつつ、俺はこれまでの情報を振り返った。


「ノエル女王の大結界に、準神級の姫の魅了、そして大魔王の力を引き継いだ厄災の魔女か……」

 なかなかのラインナップだ。


「ご理解いただけましたか? もう手遅れなんですよ」

「そ、そんな……そんな……」

 厄災の魔女の言葉に、呆然とつぶやくノエル女王。


 一見、彼女の説明には筋が通っているように思える。

 だけど。



「嘘だな」



 俺は断言した。


「え?」

 ノエル女王が、驚いた顔を向ける。


「あら? どうしてかしら使徒様。わたくしの説明に何かおかしなところがありましたか?」

「いや、特に無いかな。その方法ならきっと世界を魅了できる」

「では、どうして嘘だと?」

「俺たちにわざわざ説明するからだよ」

「……へぇ」

 俺の言葉に、面白そうに目を細める厄災の魔女。


「本当に世界の全てを魅了したなら、俺たちをここまで追いかけてくる必要が無い。勝手にさせればいい。だけど、あんたはわざわざ大賢者様を魅了して、復活させた魔王に取り囲ませた。俺たちが出ていくと不都合があるんだろ?」

「ふふふ、やっぱり使徒様は一筋縄ではいきませんね」

 俺の言葉に、ふぅと艶っぽくため息を吐く厄災の魔女。


「おっしゃる通り、星の魅了はまだ完全ではありません。けど、時間の問題ですよ? 『魅了された灰色の世界』の結界は広がり続けている。この結界に取り込まれた生き物は、『世界の平和を願う』という呪いにかかります。そうやって結界が強化され、更に結界が広がっていく。いずれは全てを飲み込みます」

「ウイルスみたいな結界だな……」

 小さく呻く。

 結界内の生き物を呪って、さらに結界の強化と拡大をする

 

「マコト様! 大結界は太陽の国の大聖堂とハイランド城を起点に発動されています。その二つの建物を壊せば……」

 ノエル女王が、起死回生の策を思いついたように叫ぶ。

 そうか、結界には発動の起点が必要。

 それを潰せば結界を弱めることが。


「もちろん、させませんよ? その時は私が魅了した全ての戦力を投入して防衛いたします。先陣は『紅蓮の牙』のお二人がいいかしら? もしくは氷雪の勇者様や光の勇者様でもいいかもしれませんね」

「「…………」」

 その言葉に、俺とノエル女王は顔を見合わせ表情を曇らせる。

 人質を持ち出されたら、俺たちは手も足も出ない。

 なんせ、知り合いが全て魅了されているのだ。


「でも、そんなことしたくはないんです。誰にも酷いことをしたくないんです」

 どこまでも曇りのない笑顔で語る厄災の魔女。


「その割には、ノエル女王を地下の牢獄に閉じ込めていたようだけど?」

 俺が指摘すると、厄災の魔女は気まずそうに目を逸した。


「……だってぇ、千年前に私をした光の勇者さんと瓜二つの聖女様ですよ? 怖いじゃないですか」

「……まぁ、それは」

 気持ちは理解できてしまった。

 自分を一刀両断した人と同じ顔の人が近くに居たら怖い。


「ノエル女王の処遇がご不満なら改善いたします。もっといいお部屋へ移しましょう。それで、いかがですか?」

「……貴女の望みは、一体何なのですか? 厄災の魔女」

 気味が悪そうにノエル女王が尋ねた。

 その問に、ネヴィアさんはもったいぶるようにゆっくりと口を開いた。




「…………平和な世界を作ること。神々に振り回されない、誰もが平等な世界を実現することです」




「それだけ聞くなら、悪いことじゃないように思えるね」

「信じてくださらないんですね」

「千年前の状況を見てきたからな」

 俺は知っている。

 人族は魔族の家畜となっていたことを。

 ボロボロで死を待つしか無かったモモのことを


 俺の胸中を読んでか、厄災の魔女がゆっくりと語りだした。


「私は生まれた時からずっと、虐げられてきた。月の巫女なのに、『魅了』しか使えない。顔が良いだけの役立たずと蔑まれてきた。恨みましたよ、こんな能無しの巫女を選んだ女神を。でも私の身体が成長してから『魅了』の力がどんどん強くなって、どんな相手でも魅了できるようになった。私は他人の力を魅了で操って生きてきた。誰かの力なしでは生きられない。どうしてなの? 私だって本当は自力で自由に生きていたい。でも、その力は備わっていなかった。どうして世界は不公平なの? ねぇ、答えられますか?」

「それは……女神様がお決めになったこと」

 答えたのはノエル女王だった。

 スキルを決めているのは運命の女神だし、あながち間違っていない。


「女神……そう、女神のせい。あいつらが世界を不公平にしている」

 厄災の魔女の声に、初めて憎しみらしきものが宿った。

 が、一瞬だけですぐにいつもの優しい声色に戻る。


「ねぇ、使徒様? 貴方のことをフリアエちゃんに聞いたり、過去の活躍を調べてみたの。異世界に来て随分苦労したのよね? 水の神殿というところで孤独に修行をして、それでも強くなれずに苦労して冒険者を続けて。やっとの思いで精霊魔法を手に入れた」

「あぁ、確かグリフォンと戦って全身大やけどして生死の境を彷徨ったあとに精霊使いスキルをおぼえたんだったかな」

 懐かしい。


「私たち、似ていると思いませんか? 『魅了』しないと何もできない魔女と、『精霊』がいなければ満足に魔法も使えない魔法使い」

 気がつくと目の前に厄災の魔女さんが迫っていた。

 もっとも外見はフリアエさんだが。


「かもしれないですね」

「だったら私の理想をわかってくれませんか? 誰も傷つかない、皆が平等の平和な世界。女神もスキルも魔法も要らない。全て私が管理してあげます。幸せな夢をみるような世界を作ってあげます」

 厄災の魔女の語るなかに、気になる言葉があった。


「女神様が要らない……?」

「ええそうです。この世界に神は不要です。天界からこちらをしたり顔で導くなどと言っている連中がいるから、弱い者が苦しむのです。この灰色の世界では神の声が届きません。そんなものは不要ですから」

「だから……ノア様やイラ様の声が届かないのか……」

 千年前の魔大陸は、一時的にイラ様の声が届かなかった。

 しかし、しばらくして声が聞こえるようになった。


 だが、今回はより明確に神の声が届かないと断言している。


「ふふ、使徒様。少し焦っていますね」

「そんなことはないですよ」

 心の動揺を隠す。

 だが、見抜かれている気がする。


「使徒様を魅了することはできないので、貴方に味方する者は減らしていかないと。女神の声が届かず、次は可愛い使い魔さんをなんとかしないとですね」

 その言葉に、はっとして足元を見る。


「……すまぬ、ご主人」

「ツイ……」

 黒猫の瞳が黄金色に濁っている。

 魅了されている。


「気になってはいたんです。フリアエちゃんが可愛がっていた、使徒様の使い魔の姿が見えないことを。でも大した戦闘力は無いと踏んでいたのですが、想像以上に賢い猫ちゃんでしたね。でも、これまでです。飼い主ほどの魅了耐性はなさそうですね」

 そう言いながら厄災の魔女は、黒猫の背中を撫でる。

 ごろごろとツイが喉を鳴らす。


(完全に……魅了されたか) 


 次に捕まっても、俺を助けてくれることはないだろう。

 つまり、逃げるチャンスは今しかない。


「こちらを見てください」

「マコト……」

「高月くん……」

 ギクリ、と身体が強ばる。

 ルーシーとさーさんまで姿を表した。


「今や大陸一の冒険者と名高い紅蓮の牙のお二人。それに空間転移の達人の大賢者ちゃん。そして、こちらに居る不死者アンデッドとなった魔王たち。逃げられるとお思いで?」

 ずらりと俺たちを見つめる瞳。

 そこに並んでいる全員が、有名な冒険者や戦士や太陽の騎士団の面々。

 

「リョウスケさん!」

「……ノ……エル?」

 見ると桜井くんが厄災の魔女の隣に立っている。

 瞳は虚ろで他の人たちより、強力な魅了にかかっているようだ。 

 が、ノエル女王の声で、一瞬意識を取り戻しそうになっている。


「いけませんね」

 ぱっと厄災の魔女が、桜井くんの手を取る。 

 次の瞬間、がくんと桜井くんが膝をついた。


「桜井くんに何をした!?」

「魅了を上書きしただけですよ。本当に恐ろしいですね『光の勇者』スキルの状態異常耐性は。この灰色の世界では太陽の光は遮断しているはずなのに……、太陽の巫女の声を聞くだけで正気を取り戻しそうになるのですから」

 どうやら桜井くんは意識を失っているだけのようだ。

 黒騎士の魔王に刺された傷も癒えている、ように見える。


「さぁ、どうか大人しく投降してください、使徒様、ノエル様。手荒な真似はしたくありません」

 余裕な声で、俺たちに呼びかける厄災の魔女。 


「わ、私は……、私が大人しく捕まれば世界は平和になるのですか……?」

 フラフラとノエル女王がその声に答えるために、立ち上がった。

 魅了はされていないはずだが、冷静さは欠いているようだ。


「ええ、勿論です! 私の魅了が効かないノエル様は『一生』幽閉されることになりますが、代わりに戦争がなく、種族差別も階級格差も無い、貴女が望んだ理想の世界が実現します。そう、貴女が我慢すれば全ての人が幸福になれるんです!」

「わ、私一人が犠牲になれば……世界が平和に……」

 ノエル女王は、今にも「YES」と言ってしまいそうな危うさがあった。


「聞きたいことがある」


 二人の会話に割り込んだ。


「何でしょう、使徒様?」

「ネヴィアさんの望む世界では女神様は不要なのか?」

「ええ、神など不要です。聖神族と悪神族の争いに地上の民が振り回される必要はありません。神に祈る必要なんてないんですよ」

「それは困るな」

 俺は女神ノア様の使徒だ。


「お気持ちはわかります。でも、フリアエちゃんの想い人である使徒様にはもっと大切な役目を担ってほしいのです」

「大切な役目……?」

 ニコニコとした厄災の魔女から胡散臭いワードが出てくる。


「どうか、フリアエちゃんと結婚をして子供を作ってくださいませ…………ちょっと!? あんた何を口走ってるの!」

 前半は厄災の魔女、後半はフリアエさんかな?

 突然、口調が変わった。


「わ、私の騎士! この女の言うことは真に受け……ちょっと黙っていてください。フリアエちゃんだって使徒様との子供が欲しいって言ってたじゃないで……言ってないわよ!」

「「……」」 

 何か急にバタバタしだした。

 俺とノエル女王は顔を見合わせる。


「はぁ……、フリアエちゃんは素直じゃありませんね。私が言いたいのはこの世界を一緒に支配しましょうとお誘いしてるんです。使徒様には私の魅了が効きませんし、フリアエちゃんの身体を使っている限り、貴方を殺すこともできない。だからいっそこちらへ引き込みたいんです。それにもしフリアエちゃんと使徒様の子供が生まれれば、私はそちらに乗り移りますよ? そうすればフリアエちゃんの身体は自由になります。素敵な案じゃありませんか?」

「……魂が融合してるんじゃなかったのか?」

「ええ、だからこそ赤の他人には乗り移れません。でも、自分の子供に厄災の魔女の魂だけ分割して転生することなら可能だと思いますよ」 

 気軽にとんでもない事を言ってきた。

 でも、それがもし本当ならフリアエさんを自由にできる。


 ニコニコとした厄災の魔女のほうを見る。

 正直、本気で言っているのか判断できない。

 騙そうとしているんじゃないのか?

 その時。




『月の巫女の夫となり、世界を支配しますか?』

 はい

 いいえ




 ふわりと、『RPGプレイヤー』スキルの選択肢が浮かぶ。

 

「くっ!?」

 それを視た厄災の魔女が、動揺したように後ずさる。

 

「これ、視えるのか?」

 コンコン、と選択肢をつつく。


「……一体、何をしているんですか? それは……」

 先程までの余裕がある態度と打って変わって、心底気味の悪そうに俺を、いや俺の隣の選択肢を見つめる厄災の魔女。


「マコト様?」

 おそらく『RPGプレイヤー』スキルの選択肢が見えていないノエル女王はキョトンとしている。


「そ、それでどうしますか、使徒様? フリアエちゃんの夫になれば、世界は貴方の思うがまま。女神のことは忘れてこの世の全ての富と栄華を手にしませんか?」

「うーん……」

 腕を組み考える。

 隣にはハラハラした顔のノエル女王の姿がちらっと見えた。


 目の前の厄災の魔女――が宿っている世界一美人な月の巫女フリアエさん。

 魅了されているとはいえ傷つけられたりはしていないルーシーやさーさんを初めとする仲間たち。

 そして、旅で出会ってきた人々。

 様々な記憶が蘇る。


 その全てを支配できる。

 厄災の魔女の手を取れば。


 俺には、ほんの一瞬の逡巡もなかった。


『RPGプレイヤー』スキルの選択肢を見つめ「いいえ」を選んだ。


「悪いけど……、女神ノア様の期待を裏切ることはできない」

 俺ははっきりと告げた。


「マコト様……どうして?」

 ノエル女王のつぶやきが聞こえた。

 どうやら俺が厄災の魔女の誘いに乗ると思っていたらしい。


「そう……ですか。残念です。でも、ここからは逃しませんよ。星の魅了が完全となるまで、一緒に居ていただきます」

 厄災の魔女が、すっと手を挙げる。

 それを合図に俺たちを取り囲んでいる面々が徐々に距離を詰めてくる。


「ディーア」

「はい、我が王」

 俺が水の大精霊ウンディーネを呼び出すと、一帯を重苦しい魔力が支配する。


 が、勿論俺たちを取り囲んでいるのは歴戦の戦士や歴代の魔王たち。

 それで足が止まることはない。


「マコト様……申し訳ありません。木魔法・捕縛の蔦」

「土魔法・永久牢獄」

「太陽魔法・光の鎖」

 大賢者様を初め、厄災の魔女に操られた戦士たちが俺とノエル女王に魔法を放つ。

 傷つけるつもりはないらしく、全て相手の自由を奪う魔法ばかりだった。


「終わりです……使徒様」

 360度、どこにも逃げ場は無い。

 大陸中の強者たちが、俺たちを捕らえようとした魔法が迫り……



 ――パン!



 その魔法は、届くことなく弾け散った。



「え?」

 あっけにとられるノエル女王。

 そりゃそうだろう。

 俺たちを守るように割り込んできたのは、漆黒の全身鎧の騎士。


「遅くなった、マコト」

「信じてたよ、カイン」

 千年前の仲間の声に、気軽に応える。


「カインさん……どういうつもりですか? 今の貴方は私が復活させた不死者アンデッドなのですよ? 死霊使いネクロマンサーに逆らう不死者など許されると思っているのですか?」

「すまない、ネヴィア。悪いと思っているが、ノア様が居ない世界を私たちが肯定するわけにはいかないんだ。…………空間転移テレポート

 そう言うと、俺、ノエル女王、カインの真下に魔法陣が浮かび上がる。



「いずれこの灰色の世界が全てを染め上げます。逃げ場はありませんよ?」

 厄災の魔女が言い聞かせるように告げる。


 口調は厄災の魔女だが、顔は俺が守護騎士をしている月の巫女フリアエ

 だから、ここで言うべきは。


「姫……、また戻ってくる。少しだけ待ってて」

「……わかったわ、待ってる。絶対に戻ってきて、私の騎士」

 そう言って微笑んだのは、間違いなくフリアエさんだった。



 そして、俺たちは光に包まれ空間転移した。




 ◇




「ここは?」

 ノエル女王がきょろきょろと辺りを見回す。 

 大海原が広がる海岸沿い。

 見覚えのない場所だった。


「西の大陸の北方。月の国の沿岸のどこかだ。生憎、細かい座標指定は苦手だが、マコトなら海の近くならどうとでもなるだろう」

 答えたのはカインだった。


「あ、貴方はリョウスケさんを刺した剣士……」

 ノエル女王が不審と警戒の目を向ける。


「カイン、どうして桜井くん、光の勇者を殺そうとした?」

「あれは……、不死者として目覚めた直後だった。意識がはっきりせず、俺を復活させた死霊使いの声に従うがままに動いていた。今のように自由に動けるようになったのは数日前からだ」

「そうか……、わかった」

 桜井くんにしたことは許せないが、カインの意思ではなかった。

 それにおそらく不死者であるカインは……。


「そんな言葉は信じられません! マコト様、彼は何者なのですか!?」

 ノエル女王の怒りは解けない。 

 当然だろう。

 結婚式に乱入され、夫を刺されたのだから。


「黒騎士カイン。勇者殺しの魔王ですよ」

「あ、あの伝説の勇者殺し!?」

 へたっと、ノエル女王が腰を抜かしたように座り込んだ。


「大丈夫です?」

「え、えぇ……すいません、マコト様。みっともないところを」

 俺は彼女の手を取り立ち上がらせる。


「しかし、マコトよ。現代に戻ると約束していた女はそいつだったのか? アンナと瓜二つだな。アンナとは結婚をしたのだろう? 戻るときには随分泣かれていたようだったが」

 カインが何気なく、とんでもない事を言った。


「え? …………マコト様とアンナ様が…………結婚!?」

「おい、カイン。おまえ」

「すまぬ、マコト。秘密だったか」

「どういうことですか!? アンナ様のことは大賢者先生も詳しく教えてくれませんし、何か隠している様子はあったのですが……、マコト様! 教えて下さい! 貴方でもいいです!」

 さきほど腰を抜かしていたのを忘れたように、ノエル女王がカインにまで迫っている。


 その時、異変に気づいた。



 ――黒騎士の魔王カインの身体が、少しずつ崩れている。



「カイン、おまえの身体……」

「厄災の魔女の仕業だな。離反した俺を自由にさせておく理由は無い。ノア様の神器によってまだ身体が保っているが、そろそろ限界だろう」

 そう言いながら、カランと黒剣が地面に転がった。


 カインの右手は、既に無くなっている。


 ノエル女王が複雑な表情をしている。

 恐ろしい魔王で、桜井くんを殺そうとした憎い相手ではあるが、俺たちを逃してくれたのもカインだ。

 

 俺に至っては、千年前に共に大魔王と戦った仲間。

 そして、同じノア様の信者だ。


「マコトもそんな顔をするんだな」

 カインが面白そうに笑った。


「どんな顔だよ」

 と言いつつRPGプレイヤースキルの視点切り替えで、自分の顔を確認する。

 ……確かに情けない顔になっていた。



「マコト、死霊魔法で不死者を作る条件を知っているか?」

「いや……?」

 突然、話がとんだ。

 なんで今、そんな話をするんだ?


「この世に悔いがあること、だ。歴代の魔王が不死者になった理由はわかるだろう? 勇者に殺されてしまったからな。私にも悔いがあった。……復活するまではな」

「お前の悔いは何だったんだ?」

 俺の質問に、カインは爽やかに笑った。


「ノア様が信仰されている様子をひと目だけでも見たかった」

「どうだった?」

「素晴らしかったぞ! 西の大陸中を見て回ったが、特に水の国という場所はノア様の信者が多かった! 信者では無い者もノア様を好意的に話している者ばかりだった。千年前はどれだけ脅し恐怖させても、誰一人としてノア様を信仰してくれる者はいなかった。同じ魔王軍の魔族ですらだ! それがこの時代では北の大陸の魔族たちの中にもノア様を信仰しようとしているものがいたのだ! この感動は! 言葉で言い表すことができん!」

「魔大陸にまでノア様の信仰が及んでいたのか……」

 それは知らなかった。

 想像以上に女神教会八番目の女神様の人気は高いらしい。


 そんな会話を続けるうちにも、カインの身体は崩れ続ける。


 すでに、両腕がなく、足も崩れ跪いた状態だった。


「カイン……」

 俺は倒れそうになった、先輩信者の身体を支えた。

 後ろにいるノエル女王は何も言わない。


「私に悔いは何も無い。不死者として蘇ることも無いだろう。ノア様の封印は未だ解けていないが、今の時代の使徒はマコトだ。心配はしていない」

「俺はまた一緒に海底神殿に挑みたかったけどな」

 千年前の最終迷宮への挑戦の日々。

 突破の糸口すら掴めない苦しい挑戦だったが、それでも充実はしていた。

 せっかくの再会だったが、再び共に冒険することは叶わないようだ。


「あぁ、そうだ。マコトが千年後に去ってから海底神殿への挑戦はやめたから、私は南の大陸で散り散りになった一族を集めて復興した。彼らもノア様を信仰することができなかったから、代わりにマコトの名前を称えるようにしてある。気が向いたら探してみてくれ。小さな島に隠れ住んでいるから分かりづらいと思うが、マコトが行けば神のごとく振る舞っていい」

「そーいうのやめなさい」

 絶対に歴史が変わってる。

 運命の女神イラ様が、お怒りの案件だ。


 

 ――カインの顔が半分まで崩れてきた。



 ここでカインが視線をノエル女王に向けた。


「アンナとそっくりの女。私は……」

「ノエルです。魔王カイン」

「太陽の巫女ノエル、私はじきに消える。勝手な願いですまないが、この世界のためにマコトを手伝ってほしい……」

「貴方のことは許せませんが……、わかりました。先程は助けていただきありがとうございます」

 やはり瓜二つだな、とつぶやきカインは小さく笑った。


 そして、最後の力を振り絞るように俺のほうに視線を戻した。


「この鎧と剣……ノア様の神器はお前に……託す……」

「わかった……、ありがたく受け取るよ」

「さら……ばだ、マコト。……ノア様に……」




 ――カラン、と漆黒の全身鎧が地面に転がった。




「カイン……」

 俺はその鎧を持ち上げた。

 持ち上げるだけで精一杯だった。

 とても着込んで動くなどできなそうだ。

 

「やっぱり俺には重い……な」

 

 こうして、この世界に来て初めて会った同じ女神様を信仰する信者であり、勇者殺しの魔王カインは塵となって消えた。

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