317話 月の巫女
黒剣に貫かれた桜井くんが、ゆっくりと倒れる。
「いやぁあああ! リョウスケさん! 誰か!?」
ノエル女王の悲鳴が、式典会場に響いた。
反対に、フリアエさんは何も表情を変えず、笑顔のまま。
それについて深く考える前に、身体が動いていた。
「
俺は最速で発動する魔法を
――水魔法・無限の刃
空を埋め尽くすほどの氷の刃。
それが一瞬で黒騎士の男へ突き刺さる。
見た目はカインだが、全身鎧のため顔はわからない。
もしも、やつがカインならば。
その身を包む漆黒の全身鎧は
その加護は『全攻撃の無効化』。
いかなる魔法、いかなる物理攻撃も通さない。
仮にカインでなく、別人なら。
幸い――なのか残念ながらというべきか。
千を超える魔法の刃を受けても、その鎧はかすり傷一つつかない。
中身がカインかは別として、あの鎧はノア様の神器で間違いない。
だが、傷は負わせられなくても衝撃までは防げない。
「くっ!」
黒騎士の男は小さくうめきながら、その場から吹き飛ばされた。
「ノエル女王! 桜井くんに『蘇生』魔法を!」
俺は桜井くんが倒れている、壇上へ向かって走りながら怒鳴る。
ノエル王女がはっとした表情になり、慌てて桜井くんに魔法をかけている。
なんでノエル女王以外誰も騒がない?
太陽の騎士団や、神殿騎士団たちは何をしてる?
見回すと式典会場の人々は全員、夢見心地のような表情でぼんやりと虚空を眺めている。
(……魅了)
信じられないくらいに強力な魅了。
ノア様ほどでは無いにせよ、この場でまともに動けるのは俺と――
「マコト様!」
空中に突如、白いローブの魔法使いが現れた。
「モモ! 桜井くんを助ける」
「……申し訳ありません! こんなことになるなんてっ!」
大賢者様が悔しげに顔を歪める。
が、仲間は一人でも多いほうが嬉しい。
俺は小さく笑顔だけ向け、別の相手へ声をかけた。
「
「揃っております、我が王」
そう返事をするディーアの後ろには、数十人の
この星のほとんどの水の大精霊が集結している。
自然を司る精霊が、一箇所に集中すれば当然周囲へ影響する。
晴天が瞬く間に隠れ、分厚い雨雲が空を覆う。
同時にシャワーのような土砂降りの雨が式典会場に降り注ぐ。
もしかするとこの雨で魅了魔法が解けるんじゃないかと期待したが、式典会場の人々はぼんやりと立ったままだった。
「ルーシーやさーさん、水の国のみんなの護衛を」
「
水の大精霊の一人にお願いする。
実際のところ、ウンディーネは細かい魔法が使えず、護衛は不向きだ。
が、今は他に手がない。
ここでまずいことに気づいた。
重傷を負った桜井くんから太陽の光をなくすのは良くない。
太陽の光があれば、桜井くんは勝手に回復するからだ。
俺は雨雲を操り、桜井くん、ノエル王女の居る演壇周囲だけ雨が降らず、太陽の光を遮らないように調整した。
薄暗い曇天の下、そこだけ光が射す様子はスポットライトのようだ。
「あら、凄い。さらに腕を上げられたんですね、古い女神の使徒様」
フリアエさんが「私の騎士」でなく聞き慣れない呼び方で俺を呼んだ。
いや、あいつはフリアエさんじゃなく――違う、今考えるべきはそれじゃない。
ノエル王女は蘇生魔法を使いながら、桜井くんから黒剣を引き抜いている。
その顔は涙でぐちゃぐちゃだが、むしろこの場でよくやってくれていると思う。
「モモ! 二人を任せた。俺は周りの連中を倒す」
俺の相手は、復活した獣の王や巨人の王。
が、こちらへ襲ってこずぼんやりと突っ立ったままだ。
「はい!」
と言った大賢者様が、空間転移で桜井くんとノエル女王の間近に現れる。
「逃げるぞ! ノエル」
「大賢者様! 私よりもリョウスケさんを!」
「ふたりともだ! この場から離れ……」
――マテ、我ガ眷属…………
「なっ……」
しわがれた声が響く。
老人のような声で、モモに声をかけたその人物は……
「
千年前に戦い、現代で止めを刺したはずの魔王だった。
「か、身体が……」
「モモ!」
「大丈夫……です。私には構わず」
モモが苦しげに膝をつく。
「何でここに……」
いや、それどころか復活などできるはずがない。
あいつは神器を使って、間違いなく滅ぼした。
「ふふふ、不死の王の身体を死霊魔法で復元しました。……でも、魂は降霊できなかった。できればきちんと復活させたかったのですが……、でも大賢者さんには効果があったようですね。千年前は未熟な魔法使いちゃんでしたが、今や大陸一の魔法使い。当然対策はとってますよ」
月の国の女王――フリアエさんの顔をした女が答える。
その表情、口調、仕草がどれをとっても記憶の中のフリアエさんと違っていた。
何よりも千年前という言葉が、その正体を物語っていた。
「おまえは……」
「……厄災の魔女」
モモの言葉を俺が引き継いだ。
「お久しぶりですね、古い女神の使徒様。かつて月の国の女王ネヴィアを名乗っていた者です。……今は、この子の身体をお借りしています」
「……姫はどうなった? まさか」
その先は言葉にできず、短剣を握りしめる。
怒りで目の前が赤くなった錯覚をした。
月の巫女の守護騎士として契約した時のセリフが蘇る。
――いついかなる時も、命ある限り私の盾になり、私の剣に……
そう誓った。
なのに……守れなかった?
俺の心情に反応するように、
空気が震え、空の雲が大きく渦巻く。
天変地異の前触れのように。
「ぶ、無事ですよ! あくまで私は現代の月の巫女の身体に取り憑いているだけ。魂も身体も、傷一つつけていませんから。貴方が守護騎士をしているフリアエちゃんは生きています!」
さっきまでの余裕な態度から一変、厄災の魔女が慌てた表情になった。
「生きている……?」
「勿論です! 今は意識が眠ってますけど、あとでお話もできますよ」
警戒は解かない。
が、怒りは収まるのを感じた。
目の端でノエル女王と桜井くんの様子を窺う。
蘇生魔法によって傷は癒えている。
僅かに胸が上下していることから、呼吸はしているようだが目は覚まさない。
その様子は厄災の魔女も気づいているはずが……、何も仕掛けてこない。
「ふふ、そうそう。私にあなたと争う意思はありません」
「…………」
狙いが読めない。
何を考えている。
何を企んでいるのか。
その時、漂う奇妙な気配を感じた。
俺は慌てて式典会場内を見回す。
参加者たちは相変わらず、ぼんやりと立ったまま。
しかし、その中に人族やエルフ、獣人族以外の者たちが混じっている。
外見から魔族のようだが、こちらも同様に目に生気が無い。
しかし身にまとう瘴気が、尋常じゃない者ばかりだった。
その威圧感は、大賢者様の近くにいる不死の王……の身体と同程度。
つまりこいつらが全員魔王なのか?
「この方々は死霊魔法で復活させた古い時代の魔王たちです。といっても、生前の力には遠く及びません。烏合ではありますが、数が多ければそれなりに脅威でしょう?」
「姫の死霊魔法……」
フリアエさんはもともと、自分の身を守るために死霊魔法で不死人を操っていた。
俺たちの仲間になってからは、使わなくなったが。
本人曰く「死霊魔法なんて根暗なやつしか使わないわ!」らしい。
だから、俺はほとんど目にしたことがなかった。
「この時代の月の巫女――フリアエちゃんは凄いわ。運命魔法や死霊魔法まで操れて、魅了に至っては生前の私なんて足元にも及ばない……。なのにちっとも有効活用していない。なんて勿体ないのかしら」
クスクスと、他ならぬフリアエさん本人の顔で笑う厄災の魔女。
過去の魔王たちが、ゆっくりと厄災の魔女を守るように集結する。
桜井くんは倒れ、ノエル王女は真っ青な顔で震えている。
大賢者様は、膝をついて動けない。
(……どうする?)
精霊魔法で敵を吹き飛ばすにも、敵と味方が入り混じり過ぎている。
「そんな怖い顔をされなくても大丈夫ですよ、使徒様。私は貴方と戦う気はありません」
「…………」
さっきからおかしなことを言ってくる。
その言葉の意図を測りかねていた時。
「おいおい、ネヴィア殿。ここで勝つために過去数万年に遡って過去の魔王たちを復活させたのだろう? 今さら何を遠慮する必要がある? この精霊使いをなぶり殺しにすればいいじゃないか」
厄災の魔女の隣に、しゅたと降り立ったのは悪魔の王だ。
顔は笑っているが、目は笑っていない。
俺はいつでも魔法を撃てるよう、水の大精霊たちに目配せする。
「駄目ですよ。バルバトスさん」
厄災の魔女がやんわり静止する。
が、悪魔の王は喋り続ける。
「それにそこで這いつくばっている半吸血鬼の子供や、他にも精霊使いの仲間は居るだろう? そいつらを人質にすればいい。こんな風に……」
悪魔の王が、動けない
――止まりなさい、悪魔の王
厄災の魔女が声のトーンを落とし、明確に命じた。
悪魔の王の動きがピタリと止まる。
「ちっ……、死霊魔法の主には逆らえん。だが、なぜだ? なぜそこまで精霊使いを恐れる?」
納得いかない顔の悪魔の王。
「精霊使いを『怒らせる』なんて愚の骨頂です。貴方はご存知ないでしょうけど、仲間を殺された時にそちらの使徒様は『主神』ユピテルの息子すら滅ぼしています」
「はっ! そんなことがあるわけ……」
悪魔の王は一笑に付そうとして、少し考え込むように表情を引き締めた。
「まさか……本当か?」
悪魔の王が、俺に尋ねた。
嘘を言うこともできるが……、ここは正直を通すことにした。
「そう言えばそんなこともあったね」
俺が答えると、悪魔の王の顔が引きつる。
「精霊使いとその仲間に手を出すのは控えよう」
「わかっていただけて何よりです」
厄災の魔女がニッコリと微笑む。
その笑顔を絶やさぬまま、俺の方へ話しかけてきた。
「というわけで使徒様。私たちは貴方の仲間を丁重にもてなします。勿論、傷つけたりはいたしません……貴方が私たちを攻撃しない限りは」
「…………」
厄災の魔女はにっこりと微笑み、嫌な提案をしてきた。
状況は最悪だ。
仲間は居ない。
人質は大勢。
こちらからの先制攻撃は封じられてる。
しかし、時間が経てば桜井くんが……。
「ご心配なく。貴方の幼馴染である光の勇者さんも殺すつもりはありません」
心を読まれたような気がした。
「えっ!?」
驚きの声の主はノエル女王だった。
そりゃそうだ。
大魔王を滅ぼしうる、光の勇者を殺さない意味がわからない。
「呪いをかけさせていただきました。と言ってもただの『眠り』の呪い。数日目を覚まさないだけの無害な呪いです」
「なぜそんな回りくどいことを?」
「半神アレクサンドルを倒した『水の精霊王』……、千年前に北の大陸を氷の大地に変えかけた『神級魔法・
俺の問に淡々と答える厄災の魔女。
千年前のことならともかく、現代のことまで詳しく把握されている。
アレクサンドルのことを知っている人間は多くない。
「なんでそれを……フリアエさんの記憶か?」
「そうです。月の巫女の記憶は、私にも共有されています」
どうりで俺の行動パターンが読まれているはずだ。
俺と厄災の魔女の会話にしゃしゃり出てきたのは、悪魔の王だった。
「しかし、やることが無いな。精霊使いも光の勇者も殺せない。人質は使えない。……だったら、そこの太陽の巫女は殺してもいいのか?」
「なっ!? 何を」
びくり、とノエル女王が身体を震わせる。
「んー」
厄災の魔女は、指を口元に当て少しだけ考えるような仕草をした。
「彼女は使徒様の仲間でも恋人でもないですし、フリアエちゃんと同格の聖女ということで私の魅了も効きませんから、扱い辛いのですよね……」
考えている時間はほんの数秒だった。
「どうぞ。殺してもよいですよ、バルバトスさん」
「わかった」
「ひっ!」
ニヤニヤと笑みを浮かべる悪魔の王に、恐怖で顔を強張らせるノエル女王。
(仕方ない……)
俺は特大の精霊魔法を放つため、魔力をため始めた。
魔王相手に手加減はできない。
だけど、式典会場には大勢の人で賑わっている。
しかし、他に道が……と諦めていた時。
「待ちなさい! 私の身体で好き勝手するんじゃないわよ!」
フリアエさんの口調が変わった。
このしゃべりかたは……。
「姫!」
思わず大声で叫ぶ。
「…………」
返事は無かった。
ただ悲しそうに。
泣きそうな表情で、俺へと微笑んだフリアエさんは。
「聖女フリアエが命じるわ。私の死霊魔法で復活した者は『誰も殺してはならない』――不殺の呪いを与えてあげる」
その言葉に、魔王たちが一斉にうなずく。
……何かちょっと可愛い。
にしても、これなら安心だ。
「やれやれだ、ネヴィア殿。まだ身体を掌握できていないじゃないか……」
ため息を吐くような声が、
悪魔の王バルバトス。
いつの間にか俺の背後に迫っていた。
「やめなさい! 私の騎士に手を出したらっ!」
フリアエさんの悲鳴が響く。
「殺しはしないさ、殺しはね」
という言葉と共に、とてつもない衝撃が俺の首元あたりを襲った。
――俺の意識は暗転した。
◇
目を開く。
ズキズキと頭が痛む。
(……ここはどこだ?)
瞳に映るのは、大きなシャンデリアと高い天井。
俺が寝ていたのは、キングサイズの巨大なベッドだった。
豪華な調度品がある客室のようで、見覚えはない。
(確か……悪魔の王に不意打ちされて……)
意識を失ったことをおぼろげに思い出す。
(ルーシー! さーさん!)
仲間のことを思い出しベッドから飛び出そうとした時。
「ん……」
という悩ましげな小さな吐息が聞こえた。
動転して気づかなかったらしい。
このベッドに俺以外に、もう一人居る。
恐る恐る隣を見る。
最初に目に入ったのは、長く艷やかな黒髪だった。
そこから覗かせる真っ白な肌。
眠っている横顔は、彫刻のように整っている。
「すー、すー……」
穏やかな寝息が聞こえる。
「えっと……」
どうなってる。
混乱が混乱を呼んだ。
『明鏡止水』スキルは使いっぱなしなのだが。
それでも現状を受け入れるのに時間がかかった。
隣で寝ていたのは、月の国の女王――フリアエさんだった。
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