316話 月の国の女王


月の国ラフィロイグの女王フリアエです。今日はこうやってみなさんとお話ができてとってもうれしいです」


 紫水晶アメジストのように輝く瞳。

 天使のように透き通った声。

 花のように朗らかな笑み。


 月の国の女王の言葉は、聞くもの全てを虜にしそうな魅力をもっていた。

 

(いや、これは……)


 フリアエさんの瞳が薄く黄金色の光を発している。

 声にもほんの僅かに『魅了』の呪いの気配が感じられた。

 月の巫女の守護騎士である俺だからギリギリ感じられるくらいの魅了。


「今日のフーリ綺麗ねー……」

「ふーちゃん素敵……」

 ルーシーとさーさんがうっとりとしている。

 周りの人々も同様だ。

 熱に浮かされたような目で、フリアエさんを見つめている。


 変わらないのは桜井くんとノエル女王くらいか。

 しかし、二人もフリアエさんの魅了には気づいてなさそうだ。


 式典の参加者と観客を魅了する月の国の女王。

 これに気づいた俺は何かを言うべきなのだろうか?


(……ノア様? イラ様? 視てますか?)

 女神様に問いかける。

 が、返事はなかった。

 できれば助言アドバイスを賜りたかったのだけど。


 この式典には大陸中の要人が集まっている。

 そのため警備は厳重で、幾重もの結界が張ってある。

 女神様との念話が繋がりづらいのかもしれない。



「私たち月の国の住民たちは、みなさんとの共栄を願っています。この平和がいつまでも続かんことを……」

 フリアエさんの言葉は続く。

 その内容を俺はあまり真剣に聞いていない。

 気になるのは、声に交じる『魅了』の重度。

 しばらく聞いてみて。


(……大したことはないか)


 そう結論づけた。

 洗脳するほどのものではない。

 

 ここは太陽の国ハイランドで、フリアエさんにとってはアウェーの地。

 月の国の印象を良くするために魅了魔法を使ったと考えると、単に政治的な行動なのかもしれない。

 

 そう考え、俺は大人しくフリアエさんの演説に耳を傾けた。


「光の勇者様、太陽の聖女様、御婚礼おめでとうございます」

 フリアエさんの言葉は続く。


「雲ひとつない空、降り注ぐ太陽の光がお二人の前途を祝福しているかのようです」

「ありがとうございます、女王フリアエ」

「……ありがとう、フリアエ女王陛下」

 ノエル女王が儀礼的に、桜井くんが端的にお礼を言う。


 ……少しだけ桜井くんが怪訝な表情をしている。

 フリアエさんの様子がおかしいことに気づいたのかもしれない。

 

「あぁ、それにしても太陽の聖女様の『結界』は素晴らしい。この王都だけでなく、西の大陸全域を覆うほどの巨大な結界。大魔王の襲撃に際し、これほどの結界は過去千年でも類を見ません。厳格なる太陽の女神アルテナ様らしい、一部の綻びもない見事な結界です」

 両手を広げ大げさなポーズを取るフリアエさん。


「ですが……」

 ここで一転、悲しげな表情へと変わる。 


「この素晴らしい結界が月の民にとっては、とても息苦しいのです。私たち『魔人族』は人族と魔族の混血。聖なる結界は、私たちの身体を蝕んでしまいます。太陽の聖女様にお願いがあります。太陽の国と月の国の平和のため、どうかこの結界に少しだけ手を加えさせてくださいませんか?」

「結界に……手を加える……ですか?」

 フリアエさんの言葉に、ノエル女王が戸惑った表情になる。


「ええ、何も難しいことはございません。ほんの少し私と『同調』してくださればいいのです。私たちは同じ『聖女』同士。同調した貴女を通して、この結界を『魔人族』に合ったものにしてくだされば。いかがでしょう?」

「それは……」

 ノエル女王は桜井くんと顔を見合わせた。


「私は月の国の民が健やかに暮らせる世界にしたいだけなのです」

「……わかりました」

 フリアエさんの言葉に、ノエル女王が静かに頷いた。


「あぁ! 月の国の民を代表して感謝します!」

「それで、……何をすれば?」

「ふふ、私の手をとってください。すぐに済みますから」

 フリアエさんとノエル女王が、手を合わせ指を絡ませる。


 次の瞬間、柔らかな光が二人を包み、それが弾けた。

 一瞬だけ、目もくらむような鮮やかな光が俺たちを照らす。


 ……おぉ!!!


 と式典の参加者や、観客たちのどよめきが聞こえた。

 空が薄い虹色に輝いている。

 幻想的な光景が広がり、やがて何事もなかったようにもとの晴天へと戻った。


「ありがとうございます、ノエル様」

「これだけ……ですか?」

 ニッコリと微笑むフリアエさんと、拍子抜けしたようなノエル女王は掴んでいた手を離した。

 あんな短い時間の同調で、何ができたんだろうか……? と思っていたら


「何か気分がいいかも……」

「うん、私も。身体が軽くなった気がする」

 ルーシーとさーさんが、不思議そうな表情で自分の身体を見回している。


「そういえばルーシーは魔族の血を引いてたっけ? さーさんは魔物だし……」

 どうやらフリアエさんが結界に手を加えた影響がでたようだ。


「マコトは何とも無いの?」

「特に何も感じないな」

「ソフィーちゃんは?」

「私も何ともないですね」

 ルーシーとさーさんに尋ねられ、俺とソフィア王女が答える。

 単なる人族である俺たちには、影響しないらしい。


(……それにしても、フリアエさんの口調)

 

 いつもと違う。

 公の場なのだが、使い分けているだけと言われればそれだけなのだが。

 違和感は残った。

 まるで……あの人物のような。


「光の勇者様、このような素晴らしい聖女様と結ばれ本当に果報な御方です。流石は世界を救われた救世主様の生まれ変わり。貴方の名声は次の千年まで語り継がれることでしょう」

「ありがとうございます……フリアエ……女王陛下」

 桜井くんが短く答えた。


 そういえば、桜井くんのことはいつも『リョウスケ』と呼んでいたはずだけど。

 いや、公の場なのだからこれが普通……のはず。

 特におかしなことはない。


「ささやかではありますが、私から『祝福の魔法』を贈らせてください」

 そう言ってフリアエさんが手を伸ばす。

 少し悩む素振りをみせつつも、結局桜井くんはフリアエさんの手を取った。


「栄光ある光の勇者様に、永遠の幸福のあらんことを……」

 フリアエさんの言葉とともに、今度は淡い虹のような光が桜井くんの身体を包む。

 光を発したのはほんの2,3秒ほどで、すぐに見えなくなった。

 

「月の国は光の勇者桜井様と太陽の聖女ノエル様の婚礼をこの場の皆様と共に、心よりお祝い申し上げます。どうか皆様も盛大な拍手で祝福を!」

 フリアエさんが両手を広げ、参加者や観客たちに告げるとともに割れんばかりの拍手の音が降り注いだ。

 

 隣を見るとルーシーやさーさん、ソフィア王女ですら熱心に手を叩いている。

 観客の中には涙を流しながら、叫び声を上げている者も居る。

 

(魅了の効果……か)


 場を盛り上げるために、観衆を魅了したということだろうか。

 万雷の拍手はしばらく続いた。


 そのため……、異音に気づくのが遅れた。



 ――ドン!!!



 という爆発音が響き、地面が小さく揺れる。


「何!? 敵襲?」

「るーちゃん、高月くん、気をつけて!」

「さーさんは、ソフィア王女の護衛を!」

「わかった!」

 ルーシーが携帯していた小型の杖を素早く取り出す。

 さーさんは素手だが、それでも十分強い。


 そして、俺は『聞き耳』スキルで周囲の状況を探った。


「大魔王様の仇!」

「蛇の教団に栄光を!」

 そんな声が耳に届いた。 

 そして、爆発音。

 まだ自爆テロか!


 ……でも、どうやって?

 この厳重な警護の網を潜り抜けて式典の会場に侵入してきたんだ。

 その答えはすぐにわかった。


「気をつけろ! 蛇の教団は月の国の要人に扮しているぞ!」

 会場内がざわつく。


 が、それ以上この場が荒れることはなかった。 


「こっちは片付いたよ」

「こちらも取り押さえた!」

「犯人を捕らえました!」

 灼熱の勇者オルガさん、風樹の勇者マキシミリアンさん、氷雪の勇者レオナード王子の声が聞こえる。

 どうやら残っていたテロリスト犯たちは自爆前に無力化されたようだ。


(よく考えると、大陸中の勇者や実力者が集まっているんだよな……)

 

 式典会場の至るところに神殿騎士や太陽の騎士団が配備されている。

 先程の爆発も、負傷者は軽傷で済んでいるようだ。


 緊張感は続いているが、敵の襲撃はすぐに抑えられた。

 と思われた時。



 ――ブオン!!!



 と黒い影が頭上を通過した。


 それは巨大な黒い刃だった。

 空気を切り裂き、その先に居たのは……


「光の剣!」

 桜井くんの声と共に、光の刃が、黒い刃を霧散させた。

 狙いは壇上にいた桜井くん、もしくはノエル女王かフリアエさんだった。



「ま、こんな攻撃では倒せるはずもなし……か」


 とぼけたような声が聞こえる。

 声の主は、黒い刃を放った人物だ。

 式典会場の真上。


 巨大な黒い鎌を持った、黒い礼服の美男子。

 人間離れした美貌と身体から発する瘴気が、人族ではないことを明確にしていた。


 何よりその男にはがあった。

 だけど、……あの男は、あの魔王は先代光の勇者アンナさんに倒されたはずだ。

 本物だろうか? わからない。

 確認しよう。


水の大精霊ディーア

「はい、我が王」

 俺の呼び声に水の大精霊が応える。

 会場にいた他の魔法使いや剣士も攻撃をしかけようとしたようだが、俺が僅かに早かった。



「水魔法・千の氷の刃」


  

 黒い鎌を持った男を取り囲むように、千本の氷の剣が現れる。

 そして逃げ場の無い男を串刺しにするように剣が一点に収束した。


 が、その剣は男に当たらず、黒い鎌の一振りで吹き飛ばされた。

 いや、一本だけかすったようだ。

 頬に一筋の傷ができている。


 その傷から血が流れることはなかった。

 男は自分の傷を指でなで、魔法を放った者――つまり俺のほうに視線を向けた。

 


「……また君か。相変わらずいやらしい魔法を使ってくれる。だがしかし、まずは千年ぶりの再会を喜ぼうか、精霊使いくん!」

 軽薄な態度で、しかし眼光は狼のごとく鋭い。

 そして水の大精霊の魔法を難なく防ぎ、俺と旧知の態度。

 どうやら俺の知っている相手で間違いないようだ。


「高月くん、知り合い?」

「……魔王バルバトス。生きていたのか」

 さーさんの質問に俺は大きな声で、皆に聞こえるように答えた。




 ――『悪魔の王』バルバトス




 千年前に大魔王に仕えていた九人の魔王の一人。

 そして、千年前にアンナさんに倒されたはずの魔王だ。

 俺は実際に、アンナさんの『光の剣』で斬られて滅ぶのを見たのだが……倒せていなかったらしい。


 会場が一気にざわつく。

 悲鳴をあげ、逃げ出す者もいる。

 神殿騎士団が、避難者を誘導しているようだ。


 壇上をちらりと見ると、桜井くんやノエル女王、フリアエさんの周りにはすでに大勢の神殿騎士団が護衛として取り囲んでいる。


「曲者を取り囲め!」

「うかつに手を出すな。相手は魔王だ!」

「「聖剣召喚!」」

 太陽の騎士団が、悪魔の王を逃さぬように取り囲む。

 オルガさんやマキシミリアンさんは、すでに聖剣を呼び出し構えている。

 ジェラさんの右手には、魔力を纏った聖剣カリバーンが眩い光を放っている。


 これだけの戦力に囲まれては、悪魔の王に勝ち目は無いだろう。

 もともと古竜の王はもとより、不死の王よりも弱い魔王だ。


 しかし、悪魔の王はニヤニヤとした笑みを絶やさない。


「残念だよ、一番乗りをして勇者の一人でも仕留めたかったのだが……来たか」

 

(何が?)

 と疑問に思うまでもなかった。


 会場を影が覆った。

 巨大な生物が、こちらへ迫っている。

 全長が百メートルはありそうな、巨大な獅子の魔物。

 そして、通常の数倍はある巨人族。


(獣の王……、巨人の王……)


 全て過去に、もしくは現代で倒した魔王だ。

 

 幻術だろうか?


 しかし、奴らが発する瘴気が、本物だと訴えている。


 観客たちはパニックを起こし、ちりぢりに逃げ出そうとした時。



「お待ち下さい!」

 それを止めたのは、フリアエさんだった。

 

「慌てることはありません。ここには大魔王の攻撃すら防いだ『太陽の聖女』様の結界と、大魔王を滅ぼした『光の勇者』様がいらっしゃるのですから。慌てることはありません」

 その言葉に、パニックに陥っていた人々が落ち着きを取り戻す。

 逃げ出そうとした人たちは足を止め、フリアエさんの言葉を聞き入っている。


(いや、駄目だろ!)

 パニックのまま逃げるのはまずいが、この場に留まるのもよくない。

 少なくともここは戦場になるのだから、避難はしなきゃだめだ。


「ソフィア! ルーシー、さーさんと一緒にここから逃げ……」

「「「…………」」」 

 ソフィア王女や、ルーシー、さーさんの表情が虚ろだ。

 魅了にかかっている。


 改めてフリアエさんの方を振り返る。

 その瞳は金色に輝いている。


 よくみると悪魔の王を取り囲んでいる太陽の騎士団たちですら魅了されている。

 まずい!


 俺が慌てて悪魔の王に魔法を放とうとした時、相手にやる気がないことに気づいた。

 両手を頭の後ろに組み、唇を歪ませこちらを見下ろしている。

 


「やはり勇者殺しは任せるにかぎる」



 そんな呟きが聞こえた。


 嫌な予感がする。




 ――シュタ、と小さな音を立て壇上に黒い騎士が現れた。




 全身鎧に身を包む黒騎士は、迷わず桜井くんのほうへ突っ込んだ。


「桜井くん! 逃げろ!」

 混乱しながらも、大声で叫ぶ。

 その声は届いたはずだ。


 が、桜井くんは逃げなかった。

 彼の後ろには、ノエル女王とフリアエさんが居る。

 逃げては二人が危ないと優しい桜井くんは考えたのかもしれない。

 それに、桜井くんの前にも数十名の騎士や魔法使いが三人を守るために立ちふさがっている。


 対する黒騎士はたった一人。

 一見、脅威は少ない。


 黒騎士がまるで玉砕するかのように、突っ込んでいく。

 でも、違う。

 あいつは……


「やめろ! カイン!」

 俺は叫んだ。

 ノエル女王がぎょっとした顔になる。


 魔法使いたちが黒騎士へ、王級魔法や聖級魔法を放つが、かすり傷一つつかない。

 太陽の騎士団たちの魔法剣は、黒騎士の鎧に全て弾かれた。

 

 女神ノア様が造った神器――黒騎士の魔王カインの全身鎧は『物理無効』の『魔法無効』。


 正真正銘の反則チート防具。

 最悪の初見殺し。


 桜井くんたちの前にいた魔法使いや騎士たちの攻撃は何一つ通じず、黒騎士は猛スピードで通過した。

 黒騎士の剣が、桜井くんに迫る。


「光の剣!」

 桜井くんが『光の勇者』スキルを発動させ、必殺である魔法剣を放つ。

 魔王ですら一撃で屠るはずのその剣は、黒騎士の鎧に通じなかった。


(光が……弱い)


 俺の知っている覚醒した光の勇者スキルではない。

 七色の輝きを発しない光の剣。

 それでは、魔王カインの鎧は斬れない。


 黒騎士の攻撃を阻むものは、何も無くなった。


 ノエル女王の悲鳴が響く。


 黒騎士カインの剣が桜井くんの胸を貫く様子が、スローモーションのように瞳に映った。

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