308話 高月マコトは、最強の魔王と戦う
地面が燃えている。
日中にもかかわらず、古竜の王を中心に世界が夜になったかのように暗い。
周りの山脈から、真っ赤なマグマが溢れ出る。
ドクドクと大地が流血しているように見える。
「ディーア」
俺は馴染みの
「はい、我が王」
すぐにディーアが応え、跪く。
その後ろには
巨大な雲が広がった。
深々と雪が降る。
俺の周りを中心に、静謐な白銀の景色が広がる。
全ての生物が死に絶えたかのように静かな世界が在った。
「これは……精霊使いくん……腕を上げたな」
「「「…………」」」」
ルーシー、さーさん、古竜の王代理(メルさんの兄さん)が、ぽかんとこちらを見ている。
「この星の……全ての精霊を呼び出したか」
古竜の王がつぶやく。
水の大精霊たちを見て、特に慌てる様子はなかった。
「全部ってわけじゃないけどね」
俺は素直に答える。
本当に全ての水の精霊を呼び出すと、世界の天気が狂ってしまう。
と、
だから、これが限界だ。
古竜の王が纏う真っ黒な瘴気。
水の大精霊たちの透き通った青い魔力。
黒と青の世界が、押し合いせめぎ合っている。
どうやら力は拮抗しているようだ。
その時。
――あらあら、楽しそうなことをしているわね?
ゾクリとする美声が耳に届いた。
最強の魔王と相対しているというのに、そちらを見ざるを得ない不思議な引力があった。
視線の先にいたのは、雪よりも眩い銀髪を輝かせ、透き通るような白い肌のこの世のものとは思えない美貌の持ち主。
――女神ノア様だった。
「ノア様、どうやってこちらに!? 海底神殿にいるはずでは?」
また
「あれは二度とやらないって、エイルに言われちゃったわ」
ノア様は可愛らしく肩をすくめた。
「何やってるのマコト!!」
「よそ見しちゃダメだよ!!」
ルーシーとさーさんから叱責が飛んだ。
「ああ、わかってる。気をつけるよ」
俺は返事をした。
二人の言う通り、古竜の王を目の前に余所見など論外だ。
そして、二人の発言ではっきりと自覚した。
「ここに居るノア様は幻ですか……」
かつて獣の王と戦う桜井くんを救出した時と同じ状況らしい。
聖神族の支配が弱まった空間において、俺にだけ視えるノア様だった。
「ま、そーいうことね。それにしてもここの空気はいいわ。忌々しい聖神族の支配から外れて……、私の好きな精霊たちと、懐かしい『竜の神』の気配に満ちている……」
ノア様が上機嫌で語る。
要するに外の空気を吸いに来たらしい。
精神体のみであるが。
「一応、相手は最強の魔王なんですが……。応援してくださいよ?」
「ふふっ、私はいつもマコトの勝利を信じてるわ」
一片の曇りもない瞳で見つめられた。
敬愛する女神様からそんな目で見られたら、頑張るしか無い。
さて、やるか……、と俺は女神様の短剣を構えた。
が、古竜の王の様子がおかしい。
ノア様のほうに視線を向け、驚いた顔をしていた。
「あら、貴方は私が視えているのね? 『竜の神』の末裔、アシュタロトちゃん」
ノア様が優しく語りかけた。
古竜の王が、ゆっくりと口を開いた。
「ティターン神族最後の一柱となっても天界の聖神族へ抗い続けた勇敢なる女神にして、この世の全てを魅了せし、自由の女神ノア殿。まさかお会いできるとは……光栄にございます」
まさかの古竜の王がノア様へ敬意を払った!?
「流石は竜の神の末裔、わきまえているわね。でも気にすること無いわ。だって貴方はこれからマコトに倒されてしまうんだもの」
普段の俺へと接するような慈愛溢れる表情ではなく、氷のような酷薄な笑みを古竜の王へ向けた。
その目に怯みすらせず、古竜の王は答える。
「残念ながら女神ノア様の使徒は、私に殺されるでしょう……。竜神様の血が覚醒した者には、女神様の使徒と言えど敵いますまい」
古竜の王は、はっきりと俺に勝つと断言した。
その言葉を聞いても、ノア様の表情は変わらない。
「ふふふ、そうよね。すでにこの世界を去った『竜の神』の末裔……その中でも神の血が覚醒したのは古竜族の中でも貴方一人だけ。世界で最強になってしまったがゆえに誰とも本気の勝負をできなかった哀れな強者」
「あれ……。でも、
俺はノア様の言葉に反論した。
古竜の王は最強の魔王ではあるが、あくまで大魔王の配下のはずだ。
「我が竜神様の血に目覚めたのは、あの御方――イヴリース様との戦いによってだ。異界から流れてきた神族であるあの御方のおかげで我は強くなることが出来た。しかし、あの御方を除き我とまともに戦える者は地上から居なくなってしまった……」
そう語る古竜の王は、心なし落ち込んでいるようにも見えた。
「光の勇者が居るだろ?」
俺が聞くと、古竜の王は静かに首を振るだけだった。
「期待をしていたが、実際は精霊使いが居なければ我とまともに戦うことはできなかっただろう。あの程度では……な」
「む」
千年前のアンナさんのことが悪く言われたようで少し腹が立った。
が、初めて古竜の王と戦った時点では『光の勇者』スキルの扱いも、イマイチだったのは確かだ。
後半はもっと強くなってたんだけどなぁ……。
「今代の光の勇者もいかほどのものか……」
「おっと、情報不足だな、古竜の王。今の光の勇者は俺より強いよ?」
「ほう……」
俺の言葉に、アシュタロトの眉がピクリと動く。
長くアンナさんと一緒に居た俺が感じているから間違い無い。
桜井くんの『光の勇者』スキルは、アンナさんの比じゃない。
実際のところ、『光の勇者』version2だからなぁ。
性能が違う。
ちなみに
まぁ、桜井くんは聖人か? ってくらい根が善人だからなぁ……。
あとはアルテナ様はイケメン好きらしい。
……不運だったな、桜井くん。
「あれ? でもスキルって運命の女神様が与えるのでは?」
とイラ様に聞いたら。
「基本的には、この世界に生まれた聖神族の信仰者へスキルを与えるのは運命の女神の仕事よ。でも勇者や巫女なんかの特別なスキルは、各女神が選んで後付してるの。あとは、高月マコトたち――異世界人に付与されるスキルは『ランダム』ね。……だから管理が大変なのよ」
ということだった。
そんなことを思い出しながら、俺は古竜の王へ向き直る。
「……貴様を倒した後、光の勇者へ挑むとしよう」
古竜の王の瘴気が膨れ上がった。
(来るか……)
俺は『精霊の右手』を常時発動したまま、女神様の短剣を構える。
ふと、ちらっと気になってノア様に視線を向けた。
ノア様は、意味有りげな視線を向けている。
「頑張りますね」
「えぇ、頑張って」
優雅に足を組み、ひらひらと小さく手を振るノア様。
次の瞬間、古竜の王の咆哮が大気を震わせ、黒い閃光が空を切り裂いた。
◇
(……これは初撃から全力の
父上の息吹は、そこらの古竜のものとは訳が違う。
山脈を貫き、街一つ消し飛ばす威力がある。
本来なら人族の魔法使いが喰らえば、塵一つ残らない。
「よかったぁ……マコト」
仲間の赤毛のエルフの言葉通り、精霊使いくんには傷一つついていない。
水の大精霊が張った結界が、それを防いでいる。
しかし、我が父上の息吹は神気を含む、必殺の攻撃。
ただの結界魔法で防げるはずがないのだが……。
「んー、高月くんの周り……何か変じゃない?」
「え?」
「ん?」
精霊使いくんの周りに幾つもの波紋のようなものが広がっては消えている。
あれは……。
「何だか息苦しいわ……」
「ちょっと気持ち悪いかも……」
精霊使いくんの仲間二人が青い顔をしている。
「もう少し離れよう、精霊使いくんの周りの空間が『
「そんなっ! マコトは大丈夫なんですか!?」
「高月くん!」
仲間から悲鳴があがるが、私は淡々と説明を続けた。
「精霊使いくんなら平気だろう。本来なら地上の民が触れたら瞬時に発狂する『神気』すら運命の女神様から借りて操っていたからな。千年前も『
「「あー……」」
私の言葉に二人の少女は、納得したように頷く。
しかし、空中にある魔素から
その魔力を精錬することで『
霊気を用いれば、魔法の威力は魔力とは比べ物にならないものとなる。
が、山程の魔力を使って得られる霊気はほんの少し。
地上の民がやるようなことではない。
古竜族ですら無理だ。
しかし、今の精霊使いくんは何百体もの水の大精霊を使役している。
無限の魔力に取り囲まれているのだ。
千年前は、あんな真似はできなかったはずだ。
一体、どうやって……。
その時、父上が真っ赤な息吹を放つと同時に、幾つもの黒い閃光が精霊使いくんを襲った。
だが精霊使いくん――の周りにいる水の大精霊たちが間に入り、どの攻撃も届かない。
「強くなったな! 精霊使い!!」
珍しく父上の言葉に、感情が滲んでいる。
おそらくは……喜びの感情だ。
父上はずっと戦いに飢えていた。
戦神でもある『竜の神』の血によって、圧倒的な力を手にした。
しかし、同時に大魔王以外に戦えるものが居なくなった。
一度敗れた大魔王へ再戦を申し込むことは、古竜の誇りに反する。
だからこそ決着が付かなかった、精霊使いくんとの再戦を心待ちにしていた。
(楽しそうだな……)
千年ぶりに、父上が感情的になっている姿を目にした。
そして、もう一人。
「千年修行をしたからね」
飄々と答える精霊使いくんの表情に焦りや危機感は無い。
よくわからないことを――いや、案外本当のことを言っているのかもしれない。
千年前、ともに魔王や大魔王と戦った。
その時も無茶ばかりしていたが、久しぶりに再会した彼は、もはや別次元の何かに変わっていた。
戦いはますます激しくなっていく。
大地は裂け、溶岩が溢れ出ている。
空からは、山程もある氷の塊が次々に降ってくる。
数百の稲妻が落ち。
この世の終わりのような光景だ。
私たちは、巻き込まれないように距離を取っていたが。
黒い突風に襲われた。
「ぐっ……」
濃い瘴気を含んだ暴風。
戦いの余波に過ぎないそれが、まるで攻撃魔法のようになっている。
「大丈夫か?」
精霊使いくんに任された仲間二人のほうを向くと。
「ほい!」
町娘のような少女が、
ん?
……二度見した。
どんな理屈だ。
喰らえば傷を負う瘴気の暴風だったが、何も殴って防ぐことはあるまい。
「君たちは結界魔法は使わないのか?」
「私、魔法自体使えなくて」
「私は結界魔法は苦手で……」
「私が結界を張ろう」
二人の言葉に、私は呆れつつ魔法を使った。
二人とも相当な使い手のようだが、随分と能力が偏っている。
精霊使いくんの仲間らしいとも言える。
「あのー、貴方はマコトと千年前に仲間だった聖竜様なんですか?」
赤毛の魔法使いが話しかけてきた。
「その通りだ。聖竜という呼び名は慣れていないが、精霊使いくんの仲間だった」
「へぇ……、でも古竜の王はお父さんなんですよね? いいんですか?」
町娘のような少女に、「別に良いんだ」と返した。
父上は実に生き生きと戦っているし、どの道私に止められるようなものではない。
私と精霊使いくんの仲間、あとは古竜族の家族たちも見守ることしかできなかった。
結局――我が父上と精霊使いくんの戦いは、丸一日を費やしても終わることは無かった。
◇高月マコトの視点◇
(……疲れた)
二十四時間魔法を撃ち続ければ、流石に堪える。
どうやら熟練度が五千オーバーで、水の大精霊の力を可能な限り借りても古竜の王には勝てないらしい。
もっとも向こうも同じような状況で、こちらへの決め手に欠けているようだ。
(ルーシーとさーさんは……?)
遠くのほうで祈るようにこちらを見ている。
どうやら一睡もせずに、応援してくれていたらしい。
白竜さんを始め、他の古竜たちもこちらを遠巻きに見ている。
戦況は互角だが、停戦の申し出はない。
以前、メルさんに聞いたが古竜族の生命力は地上最強なので、七昼七夜戦い続ける体力があるらしい。
俺の魔力は水の大精霊に借りているため尽きないが、七日間戦い続ける体力は無い。
しかし、決定打には欠ける。
『もう無理よ! 千年修行した高月マコトと互角だなんて! 何なの『古竜の王』のチートっぷりは! こんなやつが居るから、私が未来を読み違えるのよ! 高月マコト、さっさと逃げなさい!』
ちなみに戦いが始まってから、数時間後に運命の女神様が慌てた声で、俺に色々と助言をくれている。
が、現在は有効な助言も尽きたようだ。
『高月マコト、聞いてる!?』
「聞いてますよー」
俺は古竜の王との戦いが始まってから、ずっと『明鏡止水』スキルを100%で発動している。
精神が麻痺するため、良くないことはわかっているのだが古竜の王相手では致し方なかった。
『早く逃げなさい!』
「打つ手が無くなったら、そうします」
『もう無いでしょ!?』
イラ様はそう言うが、俺には何かが引っかかっていた。
俺は少し離れた位置で、ふわふわと浮いているノア様に視線を向けた。
「ふわぁ……」
と小さく欠伸をしている。
ノア様にとってはレベルが低すぎて退屈らしい。
(でも、残ってくれている……)
海底神殿に帰る様子もなく、ニコニコしたまま俺と古竜の王の戦いを見守っている。
イラ様と異なり、特に助言する様子は無い。
が、何か言いたそうな……。
――ゴオオオオ!!!!
幾度目かわからない、古竜の王の息吹が空を切り裂く。
それを霊気を用いた結界魔法で防ぐ。
このままでは古竜の王には勝てないだろう。
良くて引き分け、もしくは体力の差でじりじりと不利になっていく。
イラ様の言うように逃げるのも手だが、大魔王と
――ここをひっくり返すには『何か』が要る。
すぐそこに答えがありそうな……そんな気がした時。
『女神ノアに……
はい
いいえ
ふわりと空中に文字が浮かんだ。
その文字を見て、次のアクションが固まる。
(そういうことか……)
ノア様を見ると「やっとかしら?」と言いたげな微笑みを向けられた。
『高月マコト……何を考えているの?』
イラ様の不安げな声が響く。
「すいません、イラ様。ご面倒おかけします」
『だ、駄目よ! ノア! 止めて! 歴史が……また歴史が……変わっ--』
イラ様の悲鳴が響く。
「止められないわ、イラ。だって私は何も助言してない。マコトが自力で辿り着いたのだもの」
ノア様は全てがわかっていたかのように微笑むだけだ。
――俺は右手に構えた短剣を、
明鏡止水スキルによって、痛みは感じない。
左手からドクドクと血が溢れる。
それが短剣の刃をつたい、鈍く輝いた。
「…………貴様、何を」
古竜の王が不審げな目を向ける。
すぐにわかるさ。
「ノア様……捧げます。……一度だけ……の力を借りることをお赦しください」
俺は生贄術を用い、ノア様へ訴える。
捧げる相手は、すぐ隣に居る。
「赦すわ」
短い答えが返ってきた。
イラ様の『許さない~!』という声は聞き流した。
ノア様の寛大な御言葉を聞き、俺は精霊語で呟いた。
――
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