295話 女神の使徒

「よく帰ってきたわね、マコト」


 神々しい光を放ち、慈愛に満ちた笑みを向ける女神ノア様。

  

「お久しぶりです、ノア様」

 俺は静かに頭を下げる。


 そしてちらりと、ノア様のご尊顔を見上げる。

 多彩に輝く沢山の宝石が、ノア様の衣服を装飾している。

 というか付け過ぎだ。

 ジャラジャラと、貴金属がぶつかり合う音がしている。


(うーん……、成金女神様みたいだなぁ)


「マコト、聞こえてるんですけど?」

 ノア様がジト目で告げる。

 当然のように心中は読まれている。

 なら口に出しても同じだ。


「ノア様の美しさの前には、そんな宝石は不要ですよ」

「ふぅん、あらそう? 良いことを言うわね」

 俺の言葉に満更でもない表情を浮かべるノア様。


「はい、あげるわ。マコト」

 ノア様がパチンと指を鳴らす。


「うわっ!」

 バラバラと何かが大量に降ってきた。


 って、これって宝石やアクセサリー?

 目の前のノア様がいつも通りの姿になっていた。

 俺の周囲には、大量の宝石が山積みになっている。

 え? これ全部くれるの?


「あの……、こちらはノア様が信者に貰ったものなんですよね? いいんですか?」

「いいのいいの。だって『使徒』って女神わたしの代行者だもの。女神わたしに捧げたモノは、使徒のモノだし、使徒の言葉は女神わたしの言葉よ」

「使徒ってそんな強権なんですか!?」

 ずっとたった一人の信者だったので、意識したことなかった。


「そ。例えば女神ノアわたしの信者の女の子に『今夜、俺の部屋にこいよ』って命じたら、女の子は逆らえないわよ。何でもしてくれるって。試してみる?」

「試しませんよ!」

 恐ろしい。

 そして、そんなことしたらルーシーやさーさんに殺される。


「ま、とにかく」

 ずいっとノア様の美しい顔が迫る。

 

「よく無事にもどってきたわ。私にも沢山の信者ができたし、全部マコトのおかげよ!」

「は、はい。喜んで頂けて何よりです」

 三年ぶりの会話ということもあり少々緊張する。


「それにしても目が覚めてすぐなのに、随分と連れ回されてたわね。もっと身体を労りなさい」

「みんな久しぶりでしたからね。でも疲れました」

「お疲れ様。マコトはしばらく大人しくしてなさい」

 女神様の口調は優しく慈愛に満ちている。

 その声を聞いていると、久しぶりに会話する緊張感が溶けていった。



「ところで俺は……『使徒』に……。ノア様の信者に戻れたんですか?」

 俺が尋ねると、ノア様がきょとんとした顔をした。

 そしてすぐ破顔する。


「あはははっ! 心配性ね、マコトってば」

 そう言いながら一枚の紙を差し出してきた。

 俺の『魂書ソウルブック』だ。

 いつの間に。


 記載内容を見ると――『女神ノアの使徒』と書かれてあった。


 ほっと息を吐く。

 どうやら俺はノア様の信者に戻れたらしい。

 もっとも以前のようなたった一人の信者ではなく、多くの信者のうち一人ではあるが。

 その時、昨日のソフィア王女の言葉が蘇った。


「そういえばノア様は、勇者や巫女を選ばないんですか?」

 今やノア様は女神教会における八番目の女神様。

 西の大陸における正式な信仰神様だ。

 ならば信者たちを取りまとめる『巫女』や、信者を害する敵から護る『勇者』が必要なはずだ。


「んー、ま、そのうちにね」

 ノア様の口調は興味なさげだった。


「いいんですか? これから大魔王との最後の戦いですよ。そこでノア様の選んだ勇者が活躍すれば……」

「いいのよ、だって私にはマコトがいるもの」

「……」

 断言された。

 そこまで信頼されると、少々照れる。 


「俺は水の国ローゼスの国家認定勇者に戻っても大丈夫ですか? 信者を増やす必要があるなら俺ができる限りのことはしますが……」

 勇者や巫女は、女神信仰における広告塔だ。

 それが不在なら、使徒である俺が頑張らないといけない。


「私チマチマしたのって嫌いなの。そんな細かいことは気にしなくていいわ。好きにしなさい」

「……はい」 

 懐かしい。

 これがノア様だ。

 何でも自由にやれと。


「それより」

 ノア様の口調が少しだけ真剣味を帯びる


「大魔王のことばかりに気を取られちゃ駄目よ? こっちの時代じゃ人族側も一枚岩じゃないんだから」

「……どういうことですか?」

 ノア様の言葉にひっかかった。


 俺たちはこれから七ヶ国連合軍で大魔王に挑むはずだ。

 なのに、一枚岩じゃない?

 俺の心の声に反応してか、ノア様が意味ありげな笑みを浮かべた。 


「人の欲ってきりがないわ……」

「欲?」

「彼らはね、誰が……どこの国が大魔王討伐で最も貢献したか、それによって西の大陸の次の盟主が決まると思っているの」

「西の大陸の長は太陽の国ハイランドでしょう?」

「それが、ゆらぎ始めているのよね~」

 ノア様が説明をしてくれた。


 太陽の国ハイランドの地位が落ちている要因は三つ。


 一つは言うまでもなく、古竜の王に敗北を喫したこと。


 二つ目は、ノエル女王が『奴隷制度』や『身分差別制度』を廃止したからだそうだ。


 ノエル女王は、身分制度に反対の立場をとってきた。

 女王へ即位したことで、その方針を打ち出した。

 しかし、貴族や教会関係者からは根強い反対に遭っており、太陽の国ハイランド国内は安定していないんだとか。

 

「そして、三つ目は他国の台頭ね」

 三本目の指を立てたノア様が語る。


「他国……火の国グレイトキースですか?」

 あの戦闘好きの軍事国家がさらに強くなったのだろうか?

 が、俺の予想は外れたようでノア様がニヤリとする。


「ぶぶー、ハズレです。正解はよ」

「…………は?」

 そこだけは無いだろうという二国の名前が上がった。


 月の国ラフィロイグは、再興から一年しか経っていない。

 水の国ローゼスの弱小っぷりは、俺だってよく知っている。


「月の国は何といっても、フリアエちゃんの頑張りね。あとは、今まで正体を隠していた魔人族が西の大陸には沢山居たのよ」

 正式に月の国ラフィロイグが国として認められ、大量の民が集まったらしい。

 それが一大勢力として急拡大しているんだとか。


「しかも、直近で『海魔の王フォルネウス』を光の勇者くんと聖女フリアエちゃんが協力して倒したことも大きいわ。かなり発言権が高まっている」

「へぇ……」

 そういえば海魔の王フォルネウスは、月の国ラフィロイグを襲撃したって言ってたっけ?

 それを見事に撃退したなら、地位が上がるのは理解できる。


「でも水の国ローゼスは……? 土地は狭い、軍は弱い、資源も少ない国ですよ?」

 ついでに言うと水の女神エイル様は、戦嫌いの女神様だ。


「まず木の国スプリングローグが、水の国に従うという発表をしたわ。理由は……マコトに関係することなんだけど、わかるわよね?」

 俺が関わる、といえば。


不死の王ビフロンスの件ですかね……?」

 かつて魔の森で、不死の王ビフロンスの復活を阻止したのは俺だった。

 しかし、それだけで?


「魔の森が無くなったというのも大きなポイントだったみたい。恩を感じた木の国の長老連中は、水の国の国家認定勇者に報いたいみたいね」

「…………」

 知らぬ間に大事になっていた。


「ちなみに火の国の立場は今や少し微妙ね。これも理由はマコトに関わることだけど」

「何かありましたっけ?」

 火の国で彗星の落下を防いだが、表向きは俺の名前は出てないはずだ。

 

「火の国の武闘大会で大暴れしたアヤちゃんが、国家認定勇者を更新せずに水の国の冒険者に戻っちゃったのよねー」

「さーさん、勇者辞めちゃったのか……」

 そう言えば勇者活動をしているという話はしてなかった。

 オリハルコン級の冒険者としては、忙しく活動しているようだったけど。 


「火の国最強の戦士が、水の国に流れちゃったってことで火の国の面子は丸つぶれってわけ」

「怖いですね」

 また恨みを買ってないかなぁ。


「そこは問題ないみたいよ。火の国の将軍は貴方に心酔してるし」

「……そうなんですか?」

 火の国軍のトップ、タリスカー将軍。


 たしか、昨日のパーティーに参加していた。

 全予定をキャンセルした、と言っていたけど冗談じゃなかったのだろうか。

 千年前のことを根掘り葉掘り聞かれたが、少なくとも敵意は持たれてなかった。

 まさかそんなに好感度が上がっているとは。


「モテモテねー。私も鼻が高いわ」

 ノア様が冷やかす。

 どんな顔をしていいやらわからない。


 しかし、おかげで千年後の西の大陸の情勢がわかってきた。


 

 その後、俺とノア様は色々なことを話した。


 三年ぶりの会話だ。

 話題は尽きない。 



 千年前の不安だった話。


 黒騎士の魔王カインの話。


 一緒に、海底神殿攻略をした話。


 魔王や大魔王との戦いの話。


 ノア様はずっとニコニコしながら聞いている。



 その時、ふと思い出した。


「そういえば」

「どうしたの? マコト」

 俺はノア様に尋ねた。 


厄災の魔女ネヴィアが現代に転生しているらしいんですが、誰なのかわかります?」

「んー」

 俺の問にノア様は、少し考え込むように指を頬に当てて、小首をかしげた。


 イラ様は、わからないと言っていた。

 でも、ノア様ならもしかしたら……。


「わからないわ」

「そうですか……」

 仕方ない。

 コツコツ探すしかないか。

 

 本当に俺と今まで会ったことのある人物の中にいるんだろうか?

 もしかしたら、その言葉が罠で全然知らない人物の可能性だってある。

 

 頭を悩ませていると――周りの景色が歪み始めた。


 そろそろ目を覚ます時間だ。



「あぁ、そうそう」

 ノア様が世間話のような口調で言った。




「……もしも世界中がマコトの敵になっても、私だけはあなたの味方よ?」




「え?」

 唐突だった。


 そしておかしな言葉だった。

 もともと邪神として扱われ信者がゼロだった女神様を信仰したのは俺だ。

 それが今やノア様はこの大陸における女神教会の正式な女神様だ。

 ノア様を信仰する信者は大勢居る。


 それにルーシーやさーさん、ソフィア王女、大賢者様みたいに頼れる仲間も居る。

 誰も味方が居なくなるなんてあるんだろうか?


「…………?」

「ふふっ」

 俺が返答に困っていると、ノア様は薄く……微笑んだ。


「要は困ったことがあれば私に相談しなさいってこと。私のことは信じてるんでしょう?」

「勿論ですよ」

 それは即答できる。

 ここまで来られたのは、女神様の導きと、賜った『精霊使い』スキルのおかげだ。



「マコトが本当に困った時は、必ず私を頼りなさい。他の誰でもなくマコトを導けるのは私だけよ? 運命の女神イラより私のほうが頼りになるんだからね!」



 そう言い残してノア様の姿は消えた。

 返事を言う暇はなかった。


 視界が真っ白になり、俺は目が覚めようとしているのだと気付いた。


 最後の言葉は何だっけ?

 イラ様より、ノア様のほうが頼りになる?


(信仰心が足りなかったのだろうか……?)


 だとしたら、ノア様への祈りの時間を増やさないと。

 俺はノア様一筋なんだけどなぁ。

 にしても、妙な言葉だった。




 ――世界中が敵になっても




 ノア様のその言葉だけ、やけに頭に残ったまま俺は目を覚ました。





 ◇



 目を覚ますと、枕元に大量の宝石が山積みされていた。

 本当にくれたらしい。

 しかし、それよりも違和感があった。


「うーん……マコトさまぁ」


 身体に重みを感じる。

 誰かが俺の上に乗っている。

 

 白い髪にぱちっとした赤い目。

 その姿を見間違えるはずもなく。


「……大賢者様モモ。何してるんだ?」

「おはようございます」

「おはよ」

 にへらぁ、と笑う顔にはかつての威厳は微塵もない。

 どうやら寝室に忍び込んできたらしい。

 空間転移テレポートのできるモモなら余裕だろう。


 朝起きるとモモがベッドに潜り込んでいるというのは、千年前でも散々あった光景だ。

 特に気にすること無く、顔でも洗うかとベッドの端に手を置くと


 ――ふにゅ、


 という感触があった。


「ん?」

「ま、マコト?」

 見ると右手の下には収まっていた。

 少し頬を赤らめ何とも言えない表情をしている。

 ルーシーもベッドに潜り込んでいたらしい。


 俺の手が添えられた胸と、そして俺の上に乗っているモモを見比べている。

 どっちからツッコむべきか、迷っているようだ。

 結果、ルーシーはモモのほうを向く。


「何で大賢者先生がここに?」

「むぅ、赤毛の魔法使い。おまえもか」

 ルーシーとモモが、何とも言えない表情で見つめ合っている。

 とりあえずベッド上の人口密度が高すぎる。

 三人も乗れるベッドではない。


「とりあえず二人とも降り……」

「おはようー、高月くん。朝ごはんでき……ちょっとぉ! 何してるの!? るーちゃん! それに大賢者さんまで!」

 エプロン姿のさーさんが、部屋に入ってきた。


 そしてさーさんが二人をベッドから引きずり下ろした。

 ああ、こんな光景も久しぶりだ。


 その後、みんなで朝食をとっていると、太陽の騎士団の人たちが大賢者様モモを迎えに来た。

 どうやら大事な会議をすっぽかしてきたらしい。


「大賢者様! 王城にお戻りください!」

「嫌じゃ! 我はここに残る!」

「いけません! ノエル陛下より必ず大賢者様に参加していただくよう命じられております!」

「嫌じゃー!!」

 暴れるモモは屈強な騎士団の人たちに抱えられ連れ去られてしまった。

 本気を出せば空間転移テレポートでどうとでも逃げられるはずなので、一応仕事をする気はあるのだろう。

 折角来てもらったのにあまり話しできなかったな。

 モモの所にはあとで、顔を出しておこう。


「……ねぇ、大賢者先生って何でマコトにあんなにご執心なの?」

「……高月くん、大賢者さんと何があった?」

「千年前に少し……一緒に戦ったりとか?」

「本当~?」

「少しって感じじゃなかったよ?」

 ルーシーとさーさんに疑わしそうな目を向けられる。


 実際は1003年の付き合いです。

 そのうち1000年は寝てたけど。


 二人の追及をのらりくらりかわしながら、朝食を終えた。

 食後のお茶を飲んでいると、ルーシーが話しかけてきた。


「ね、マコト。今日は予定ある?」

「いや、無いよ」

「じゃあ、ふーちゃんの所に行こう!」

 さーさんが、そんなことを言い出した。

 しかし、フリアエさんの所か。

 会えるものなら、挨拶をしたいけど。


「難しいんじゃないか? 昨日追い返されたばっかりだろ? それに今の姫は女王様だし」

 フリアエさんの側近の男の顔を思い出した。

 もう一回行っても無駄だろう。


「大丈夫よ。フーリと会うなんて方法はいくらでもあるわ!」

「そうそう、ふーちゃんとは仲良しだもんねー」

「ねー」

 ルーシーとさーさんは、計画があるようだった。



 俺は二人の説明を聞いた。



「つまりね、10日に1回は九区街の公園でフーリと一緒に運動トレーニングをしてるの」

「ふーちゃんって女王様になっちゃって一日中、座りっぱなしなんだって」

「このままじゃ、太っちゃうわ! って私たちに声をかけてきたの」

「運動するの一人だと寂しいんだって」

「それにあの子友だち少ないし」

「護衛の人は居るけど、顔見知りだから大丈夫」

「今から待ち合わせ時間だから行くよー」

 ということだった。


「なるほど」

 思ったよりカジュアルな作戦だ。

 というか、フリアエさんが仕事で忙しいOLみたいになってる。


「じゃあ九区街への道順は……」

 俺が街中にあった地図を見ようとしたら。


「何言ってるよの、マコト。私の空間転移テレポートで一発でしょ」

「いや、別の区街に行くには検問が必要なんじゃ……」

「バレなきゃ平気よ、行くわよー」

 そう言ってルーシーが俺の腕をとる。

 さーさんは慣れた様子で、すでにルーシーと手を繋いでいる。


「れっつごー☆ るーちゃん!」

「おっけー、アヤ! テレポート!!」


 次の瞬間、目の前の景色がぼやけ、真っ白になった。




 ◇




 景色が変わった。

 

 緑が多い。

 が、森にしては整備されている。

 何より街の中だ。

 ここが件の公園だろうか?


 ここで気付いた。


「ルーシー? さーさん?」

 二人の姿が見えない。

 あれ?


(ルーシーちゃんのテレポートの精度、まだ低いから。マコトだけ着地場所の座標がずれちゃったみたいね)


 あ、ノア様だ。 

 ノア様との念話は久しぶりだ。


 というか、ルーシーが空間転移をミスったのか……。

 昔から魔法の精度は大雑把だからなぁ。



(それより、マコト。後ろを見なさい)

 ……後ろですか?


 ノア様に言われ振り返る。




「え?」




 懐かしい声、懐かしい顔が見えた。

 

 腰まで届く長い黒髪。

 紫がかった黒水晶のような瞳。

 雪のように白い肌。


 自称『地上で最も美しい』と言うのも頷ける美貌。


 再興した月の国ラフィロイグの女王――フリアエ・ナイア・ラフィロイグ。


 彼女は目を丸くしてこちらを見ていた。

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