287話 厄災の魔女と光の勇者

 光の勇者アンナさんが、軽く剣を振るう。

 それだけで、立っていられないほどの暴風が起こる。


 アンナさんの手にある輝く聖剣から、無数の光刃が放たれた。

 その一つ一つが聖級に匹敵する攻撃だ。

 ビリビリと空気が震える。


 相対する厄災の魔女ネヴィアは静かに微笑む。

 その手にもつ黒い杖だけでなく、彼女の身体全体を真っ黒な瘴気が包み込んでいる。

 邪悪な見た目とは反対に、美しい透き通った声が響いた。


 

 ――闇魔法・触黒手



 ネヴィアの杖から無数の黒い手が生え、光刃を握りつぶした。


「貴女は人族でしょう? 何故、大魔王に味方するのですか!」

 アンナさんが叫ぶ。

 てっきり無視するかと思ったが、意外にも返事があった。


「私は魔人族よ。人族ではないわ」

 ふぅ、と溜息を吐きながらもその杖からは、次々に魔法が発動する。



 ――闇魔法・黒死鳥



 巨大な黒い鳥の形をした闇魔法だ。

 ルーシーが得意な王級火魔法・不死鳥に似ているが、それより遥かに禍々しい。

 闇の巨鳥が群となって光の勇者アンナさんに襲いかかる。


月の国ラフィロイグの国王の妾の子として私は生まれた。生まれた時から瘴気を宿し、魔族の力が強かった私はそのまま幽閉されたわ。牢獄から出られない忌姫として生涯を終えるはずだった……」

「だから……人間を恨んで……」

 アンナさんは、厄災の魔女の攻撃を裁くので手一杯だ。

 手助けしたいが、全ての攻撃が聖級の攻防に割って入る隙がない。


「でも私は月の巫女に選ばれた。月の女神ナイア様から全ての生き物を『魅了』する力を賜ったの。その力を使って月の国を支配するのは簡単だったわ。月の国に攻め入る魔族たちも全て魅了してしまえばよかった。ついでに、人族と魔族をつがいにして国民全員を魔人族にしてしまえば良いと思った……」

 滔々と語る厄災の魔女ネヴィア

 にしても、魔人族化は『ついで』だったのか……。


「だからって、大魔王に肩入れする理由にはならない!」

 アンナさんが、聖剣で厄災の魔女に斬りかかる。

 しかし、沢山の黒い手に阻まれて刃は届かない。


「偉大なあの御方は、寂しい人なの」

 光の勇者の猛攻を、軽くいなしながら寂しげに厄災の魔女は笑った。


(……まずいわね)

 まずいですね、運命の女神イラ様。


 どうやら覚醒したアンナさんより、大魔王と同化した厄災の魔女のほうが強い。

 今の所、戦いは拮抗しているが厄災の魔女には余裕がある。

 アンナさんの表情には、焦りが見られた。


水の大精霊ディーア……どうだ?)

 自分の頼みの綱に声をかける。


(我が王……、申し訳ありません。恐らく私ではあの魔女に敵わないだけでなく、逆に捕らえられ魅了されてしまうと思われます……)

 水の大精霊ディーアが魅了される!?


 一瞬、驚いたがそう言えば俺も水の大精霊にお願いをする時、魅了の力を借りたのだった。

 なら駄目だ。

 水の大精霊の力は借りられない。


「イヴリース様は弱い神様なの。魔界を追われ、地上へ堕とされたら結界なしには生きられない……。誰も仲間が居なくて、家族が欲しくて造ったのが『忌まわしき魔物』たち……」

「……」

 その言葉を聞いて、俺は浮遊城に居る多くの歪な形の魔物に目を向けた。

 厄災の魔女と光の勇者の戦いに、忌まわしき魔物たちは端の方へ逃げている。

 そうか、あれは大魔王が仲間が欲しくて造った魔物なのか。


「いいさ。僕にはネヴィアが居てくれる――――勿体ないお言葉です、イヴリース様……」

 前半の言葉が大魔王で、後半が厄災の魔女なのだろう。

 同じ人の口からの言葉なので、とてもわかりづらい。


 そして、世間話をするような口調ながらも厄災の魔女からは聖級クラスの魔法が絶え間なく放たれている。

 浮遊城の地面はえぐれ、時折大きく揺れる。

 そのうち墜落するのではないかと心配になるほどだった。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 アンナさんが肩で息をしている。

 足がふらふらしているのが、俺から見てもわかった。


(そ、そんな……覚醒した光の勇者が後れを取るはずが……)

 イラ様の声で、この状況が良くないのだと悟る。

 でも、俺にできることは……。


「噂に聞いていたほど、強くはないのね、ではこれで幕引きにしましょうか」

 厄災の魔女ネヴィアの杖が、これまでより一層禍々しく瘴気を放っている。


「いかん、勇者くんがやられるぞ!」

「助勢しよう」

 白竜メルさんとジョニィさんが同時に飛び出した。

 大賢者様モモは、気を失ったままだ。


水の大精霊ディーア、モモを頼む!」

「はい! 我が王!」

 俺も遅れて光の勇者アンナさんの許に向かった。


 

「ふふふ……、みんな食べちゃってくださいね、冥府の猛犬さん……」 

 ネヴィアの魔法が完成した。




 ――闇魔法・冥府の双頭犬オルトロス




 厄災の魔女の魔法が発動する。

 それは二つの頭をを持つ、巨大な魔犬だった。

 いや、冥府の双頭犬オルトロスは異界に居ると言われる神獣だ。

 ほ、本物じゃないよな?


「グルルル……」

 低い唸り声を上げ、アンナさんに飛びかかる。

 と、同時に厄災の魔女の放つ黒い手が数百本がアンナさんに降り注ぐ。

 そのうちのいくつかが、アンナさんの手足に巻き付いた。


 まずい!

 アンナさんを守ろうと、俺たちは飛び出した。


「「オオオオオオオオオオオオオォォォーーーーーン!!!!!」」

 

 冥府の双頭犬オルトロスが吠えた。

 そのうち、白竜さん、ジョニィさんの足が止まる。

  

(……かりそめの魔法生物とはいえ冥府の神獣を忠実に再現している……準神級の戦力を有しているわ。地上の民にとって威嚇の声を聞いただけで動けなくなる……)

 神級の威圧というわけか。

 この中で動けるのは俺と……。


「逃げろ!」

 アンナさんを足止めしていた黒い手を切り飛ばし、その場から突き飛ばしたのは、黒騎士の魔王カインだった。

 カインに迫るのは冥府の双頭犬オルトロスの巨大な口だ。


「ぐああああああっ!!」

 バキバキと嫌な音を立てて、カインの鎧が砕け散る。

 あれはノア様が作った神器。

 壊れるはずが……。


「あら、カインさん。光の勇者を庇うだなんて。あなたは私と同じ魔人族だからわかってくれると思っていたのに……」

「やめろ!」

 アンナさんが叫んだ。


 

 ――光の剣!



 これまでで最大級の光刃を放つ。

 巨大なレーザーのようなその一撃は、冥府の双頭犬オルトロスにぶち当たり光が十字に爆発した。


(あれは千年後の光の勇者さくらいくんが獣の王を倒した時の技だ)

 アンナさんも切り札を温存していた。

 あの攻撃なら流石に……。

 

 爆風のあとには、首を一つ落とされた冥府の双頭犬オルトロスと無傷の厄災の魔女の姿があった。

 カインに噛み付いていたほうの頭は、落とされている。

 そのすぐ側に、鎧が半壊したカインが倒れていた。

 

 ちぎれかけた腕が痛々しかったが、光を放ちながら回復している。

 ノア様の造った鎧の加護は、失われていないようだ。

 しかし、戦いにはもう参加できそうにない。


「グルルルル……」

 残ったほうの頭で、冥府の双頭犬オルトロスが忌々しそうにこちらを睨む。


「太陽魔法・聖なる炎!」

「風の精霊・刃の嵐」


 白竜さんとジョニィさんの魔法が、冥府の双頭犬を襲う。

 が、かすり傷程度にしか効いていない。


「精霊の右手――水魔法・氷の絶域」

 俺が放った氷の結界魔法が、冥府の双頭犬オルトロスを捕らえた。

 が、すぐに氷の檻がひび割れ、破られようとした時。


 ――光の剣!


 アンナさんの攻撃によって、冥府の双頭犬オルトロスのもう一つの首が落ちた。

 ばたりと、黒い巨犬が倒れ、塵となって消えた。


 やった……のか?

 アンナさんと顔を見合わせた時。


「くそ……」

「すまぬ」

 その間に、白竜さんとジョニィさんが黒い手に囚われていた。


(二人が人質に……)

 状況がどんどん悪化していく。


「あらあら、冥府の双頭犬オルトロスは切り札だったんですけど……残念だわ」

 さして困った様子もない厄災の魔女。

 再び、聖級クラスの魔法を連発してくる。


 アンナさんはフラフラとしながら、それを迎撃していた。

 俺も精霊の右手を使って迎え撃つが、手数が圧倒的に足りない。


(にしても……)

(妙ね。どうして人質を使って脅してこないのかしら)

 白竜さんとジョニィさんの命は、ネヴィアに握られている。

 俺たちを脅すのは簡単なはずだ。

 そんなイラ様と俺の気持ちを読んだように、厄災の魔女が口を開いた。


「人質を殺すなんてしませんよ。光の勇者が強くなってしまいますから」

 ニッコリと微笑む厄災の魔女。

 バレている。

 アンナさんの『光の勇者』スキルの特性が。


「……はぁ……はぁ……はぁ」

 アンナさんは会話する余力も残っていないようだ。 

 かたや厄災の魔女は、優雅に微笑む。


「ちなみに高月マコトさん。あなたには指一本触れませんよ? だって光の勇者の想い人なんですもの。うっかり殺してしまっては大変」

「……」

 いっそ俺が特攻するか、と頭をよぎったのを先読みされた。


「最初に殺すのは光の勇者、貴女です。それまでは誰も殺しません。安心して最初の犠牲になってください」

 厄災の魔女が淡々と告げた。


 舐めている、のではないだろう。

 むしろ最適に攻略されている、のだ。

 堕ちた神と同化した魔女。

 弱点が無い。

 油断もしていない。

 

(強い……)

「マコトさん……」

 振り向くと憔悴した顔のアンナさんの顔があった。

 

 俺のせいだ……。

 俺が無理に彼女を戦わせたから。



 ――精霊の



(高月マコト!)

 イラ様の焦った声が響くが無視した。

 俺は両腕を精霊化した。

 ここまでならギリギリ大丈夫なはずだ。

 

 一気に流れ込む魔力マナ量が倍増する。

 ついでに、扱いも一気に難しくなる。

 膨大な魔力マナが身体中で暴れまわる。

『明鏡止水』をひと時も途切れさせてはいけない。 


 次々と襲ってくる闇魔法を、俺とアンナさんで迎撃した。


 俺の魔力は水の精霊から。

 光の勇者アンナさんは、太陽の光から力を無尽蔵に得ている。


 しかし、堕ちた神と同化している厄災の魔女の魔力も、尽きることはない。

 膠着状態だった。


「きりがありませんねぇ~」

 のんびりとした厄災の魔女の言葉だけが場違いに聞こえた。


「知ってます? 歴史上、太陽の巫女と月の巫女は対立することが多かったと」

 急に話題が変わった。

 何だ?


「それはどうして?」

 アンナさんは口を開く気力が無さそうだったので、俺が代わりに質問した。


月の女神ナイア様は、代々の巫女を魔人族から選ぶことが多かった……。ただそれだけです。おかげで月の巫女はいつも仲間はずれ。私だってそうです。今もたった一人で孤独に戦っているのですから」

「どうして月の女神様は、人族でなく魔人族を巫女に選ぶんでしょう?」

 何か理由があるんだろうか。

 

「……私は月の女神ナイア様に感謝しているの。私が人族に生まれてしまえば、きっと何も考えずに魔族や魔人族を倒して『ただの平和』な世の中を尊んでいるんでしょうね。数が少なくて虐げられている魔人族だからこそ、『本当の平和』な世界を目指すことができる……」


「本当の平和……?」

 厄災の魔女が平和を望んでいる?


「そう。私が全ての地上の民を『魅了』して、イヴリースによって統治される平和な世界……」

「…………それはただの支配では?」

 要は世界征服のことだった。

 実に大魔王らしい。

 

「素晴らしいでしょう? 私が魅了した民に『あなたは今幸せよ』と言ってあげれば、どんな境遇の民も自分は幸せだと感じることができる。誰も不幸にならない。最高の世界だと思わないかしら」

「だったら! どうして故郷のみんなは、あんなに苦しんでいるんだ!」

 アンナさんが怒りを爆発させたように叫んだ。

 確かに、初めて出会った頃のアンナさんは師を殺され、絶望した顔をしていた。

 西の大陸は、平和とは程遠かった。


「申し訳ないことをしたわ。いずれ西の大陸の民も全て魅了してあげるつもりだった」

「戯言を!」

「集中力を欠いてますね……、ほら

「しまっ!」

「アンナさん!」

 会話は、俺達の気をそらすためだったのかもしれない。

 アンナさんの聖剣に、黒い手が幾重にも巻き付いていた。 


 ギギギ……


 と、嫌な金属の音が聞こえる。


「聖剣が!」

 アンナさんの悲鳴が響いた。

 聖剣バルムンクがくの字に折れ曲がっている。


(また!?)

 火の国でさーさんにもへし折られてるし、よく壊れる聖剣だなぁ!


 じゃなくて、アンナさんが丸腰だ。

 何か代わりの武器が必要だ。


 そうだ、アイツの武器は!?

 気絶しているカインのほうを見る。

 ノア様の剣を握っていないようだ。

 駄目かっ!


「では、今度こそこれで終わりにしましょう」

 厄災の魔女の杖に瘴気が集まる。

 さきほどの闇魔法・冥府の双頭犬オルトロスの時と同等、もしくはそれ以上の。


(まずいまずいまずいまずいまずい!)


 白竜メルさんや、大賢者様モモは剣を持っていないし、ジョニィさんの刀はただの魔剣だ。

 そもそも白竜さんもジョニィさんも、黒い手で囚えられている。

 他に何か。

 聖剣に匹敵するようなものは……。 





 ――ちょっと、私のことを忘れたの? マコト





 それはさながら砂漠で丸一日何も飲めなかった後に、一滴の水を口にしたような。

 カラカラに乾いた心に、染みる美しい声だった。

 数年ぶりに聞いたかのような錯覚を覚える――――ノア様の声だった。


(え?)

 イラ様の戸惑った声が届いたが、俺は無意識で次の行動を起こしていた。


「アンナ! これを使え!」

 俺は腰に差してあった女神様の短剣じんぎを、光の勇者さんへ手渡した。

 


「わかりました! マコトさん!」

 俺が渡した神器をアンナさんが受け取り構える。


 神器とはいえ、見た目はただの短剣。

 正直、聖剣とは比べ物にならないくらい貧弱だ。


「……それで勝負をするのですか?」

 厄災の魔女が、こちらを心配するかのように告げる。




 ――闇魔法・冥府の番犬ケルベロス




 顕現したのは、漆黒の巨大な三つ首の魔犬だった。

 また神獣……。


「それでは光の勇者を殺してください、冥府の番犬ケルベロス

 信じられない速度で、黒い巨犬がこちらに――アンナさんに迫る。


「くっ!」 

 アンナさんは、短剣に魔力を込め『光の剣』を放った。


『光刃』は小さい。


 それが一瞬、七色に光った。 



「「「え?」」」


 

 いくつもの驚きの声が重なる。

 さきほどの聖剣バルムンクから放たれた『光の剣』は、冥府の双頭犬オルトロスの首ひとつを落とした。

 厄災の魔女には、傷一つつけられなかった。


 そして、今回。


 ノア様の神器たんけんから放たれた『光刃』によって――


 三つ冥府の番犬ケルベロスの首が吹き飛んだ。


 大魔王と同化した厄災の魔女を護っていた黒い手が、紙切れのように切り裂かれた。


 そして、厄災の魔女の身体がとなった。


「……かはっ」


 厄災の魔女ネヴィアは、黒い血を吐きながらゆっくりと倒れた。 

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