284話 高月マコトは、大魔王の城へ向かう

「あら、カインさん。ずっとお姿を見かけしなかったので心配していたんですよ」


 魔王であるカインが、俺たちと一緒にいるというのに月の国の女王ネヴィアはさして驚いた様子も見せなかった。

 にこやかに話しかけている。


「…………」

 一方、カインは寡黙を貫いたままだ。

 カインだけでなく、他の面々も月の国の女王に視線を向けない。


 その理由は彼女の『魅了』だ。


 厄災の魔女の『魅了』は、全てを惑わす。

 うかつに話しかければ、その声色で魅惑される。

 先日の魔王戦で、光の勇者アンナさんですら危ないとわかった。


 となれば、当然会話の相手をするのは――


「今日はよろしくおねがいしますね」

 俺は手短に答えた。

 月の巫女の守護騎士である俺は、フリアエさんの魅惑が効かなかった実績がある。

 

「まぁ、私と話してくださるのは貴方だけなんですね、高月マコトさん。寂しいわ」

「みんな照れてるんですよ」

「ふふふ、では今日で仲良くなりましょう」

「そうですね」

 そんな軽口を叩いた。


「あの御方はみなさんとお会いできることを心待ちにしておられます。どうぞこちらへ」

 そう言って月の国の女王ネヴィアは、忌まわしき竜の背に乗った。

 流石に同席する気にはなれなかったので、俺たちは竜の姿になった白竜メルさんに運んでもらうこととなった。


 先導される形で、俺たちは薄暗い空を進む。

 行き先を聞く必要はなかった。

 すでに



 ――浮遊城エデン。



 大魔王の居城だ。

 昨夜のうちに、魔都の上空に浮かぶ島がこちらを見下ろしていた。

 地上からは、その大きさが分かりづらかったが……


(でかい……)


 白竜さんが上昇するにつれ、その巨大さがあらわになった。

 暗闇の雲と同じ位の高さにあるそれを千里眼で確認する。

 おそらく飛行場ほどの大きさがあるのではと思われた。


 形は歪な楕円形で、表面は黒い鉱石とも金属とも判別がつかない物体でできている。

 人工物のようにも見えるが、元の世界でもこんな巨大な物体を空に打ち上げることはできないだろう。

 浮遊城との距離がニ~三百メートルに迫った時。

 


 違和感を覚えた。



 空気が変わった。

 圧迫感と息苦しさを覚える。

 霧のようなものが視界を邪魔している。


 これは『瘴気』か……?

 かつて木の国スプリングローグにあった『魔の森』と似た雰囲気を思い出した。


(大魔王が張っている結界ね)

 運命の女神イラ様の声が響く。

 そうか、俺たちは大魔王の居る領域テリトリーに入ったのだ。


「大魔王の結界に入ったそうです。みなさん、気分は悪くありませんか?」

 俺が尋ねると、全員問題ない、というふうに小さく頷いた。

 ひとまず、結界自体に攻撃性はなさそうだ。


 月の国の女王ネヴィアを乗せた忌まわしき竜が、ふわりと空に浮かぶ島に降り立った。

 白竜さんもそれに続く。

 俺たちは、慎重に地面に降りた。


「ここは……」

 奇妙な場所だった。


 地面は土ではなく、ひび割れたガラスが敷き詰められたように見える。

 木や草は生えておらず、見たことのない動物の骨のようなものがごろごろと転がっている。

 そして何よりも目を引くのは……


マコト様ししょう……、気持ち悪いです」

 モモが顔をしかめる。

 隣のアンナさんも似たような表情だ。


 全身に血管が浮き出ているスライム。 

 頭がいくつもある豚頭オーク

 皮膚がなく神経がむき出しになっているゴブリンたち。

 鱗が剥がれ、皮膚が腐っている巨大な蛇。

 どれもまともな生物がいない。


(忌まわしき魔物……)


 島中を歪な形をした魔物がもぞもぞと蠢いている。

 それにしても、これまで見てきた忌まわしき魔物共の中でも格別に

 まるで何かの生体実験に失敗したかのような。


「うふふ、可愛らしいでしょう? あの御方が創られたんですよ?」

 月の国の女王だけは、その奇妙な生き物を可愛いと感じているらしい。

 その証拠に、気持ち悪い生き物たちを優しくなでたり、さすったりしている。


「へ、へぇ……」

 俺はやや顔がひきつるのを感じながら相槌をうった。

 勿論、可愛いとは微塵も思わない。


 なるべくそのグロテスクな生き物たちを見ないように、島の様子を観察する。

 目につくのは島の中央に建っている巨大な塔だ。

 というより、建物はそれしかなかった。


 大魔王の城と聞いていたのだが、城のようなものは建っていない。

 あそこに大魔王がいるんだろうか?


(しかし、……、うーん)

(悩んでいるわね、高月マコト)

(イラ様、これって罠ですかね?)

(まぁ、塔と言えば魔法のとして使うのが一般的だから……)

 

 魔法使いは、自分の魔法の威力を増すための魔道具を用いる事が多い。

 ルーシーはいつも『杖』を持ち歩いていた。

 さらに威力を高めるために『魔法陣』を使っていたのはルーシー母ロザリーさんだ。

 そして、大掛かりな魔法を発動させる時に魔法使いは『塔』を建築して、巨大魔法を発動させることがある。


(魔王の扱う大魔法か……)

 不死の王の時に、昼夜を逆転させた神業を思い出す。

 あんなことを何度もやられたら、勝負にすらならない。


(大丈夫よ! 見た所あの塔は中に居る者を守る防御用の建物ね)

 イラ様が自信満々に俺の懸念を否定した。


(不安だ……)

(何でよ!)

(イラ様は、ポカが多いし)

(だ、大丈夫。信じなさいって!)

 まぁ、心配しすぎてもしょうがない。

 いざとなれば逃げるだけだ。


(ちなみにイラ様は、大魔王の外見って知ってます?)

 カインや白竜さんがやけに脅してくるから、事前に知っておきたい。


 白竜さんやカインに聞いても、言葉を濁された。

 どうやら口にすらしたくないらしい。

 一体、どんな姿なんだ……?


(それが女神わたしにもはっきりとわからないのよねぇ……。本来の歴史だと光の勇者アベルちゃんは、右腕と片足を失って、相打ちに近い形で倒したみたいで、太陽の女神アルテナ姉様は暗闇の雲のせいでアベルとほとんど会話ができなかったから聞けてないんですって)

(よくそんな状態で大魔王を倒せましたね)

 俺はちらっとアンナさんを見た。

 彼女をそんな目に遭わせるわけには……いかない。


「マコトさん? どうかしましたか?」

 緊張しているのかぎこちない笑顔を俺に向けた。


「大丈夫ですよ、落ち着いて行動しましょう」

 なるべく安心してもらえるよう、力強く返事をする。


 光の勇者アンナさんには、朝早くから起きてもらい十分な太陽の光を充填してもらっている。

 昨日の魔王戦以上の力を発揮できるはずだ。

 俺の役目は、全力で光の勇者アンナさんが力を振るえるようサポートするだけだ。


(ねぇ、高月マコト。これから大魔王と対峙するんだから他の子たちにも声をかけておきなさいよ)

(ええ、そうですね)

 運命の女神イラ様の助言に従う。


「ジョニィさん。どうですか?」

「ああ、問題ない」

 俺が声をかけるとジョニィさんは、しっかりした足取りで歩いている。

 というのも、カインから大魔王と初めて会った人間は、ほぼと警告されたからだ。


 魔物である白竜さんや吸血鬼のモモは、恐らく大丈夫だろうということだった。

 アンナさんには『光の勇者』の加護がある。

 魔物ではなく、勇者の加護が無いジョニィさんはどうするか?


「だったら私は最初から目を閉じておこう。周りの様子は精霊が教えてくれる」

 とのことだった。

 どうやらジョニィさんは、目を瞑ったままでも戦えるらしい。

 本当に多才だな。

 色々と不器用だったルーシーの曽祖父とは思えない。


「モモ、どうだ?」

「へ、平気です……」

 そう言うわりに、顔色が悪い。


「無理するなよ」

「はい、マコト様ししょう

 モモに今回の戦闘に参加してもらうのは酷かなとも思った。 

 が、今回のモモは戦闘要員でなく脱出要員として参加してもらっている。


 空間転移が扱えるのは白竜さんとモモだけ。

 危なくなった時、空間転移の使い手は多い方が良い。

 なにより、モモ自身が俺についてくることを望んでいた。

 俺はモモの手を、優しく握った。


白竜メルさんとカインは……」

「心配ない」

「私は何度も来ているからな」

 この二人は問題無い。

 安心して任せられる。


 あとは――


(あんた自身は平気なの? この島は時空が歪んでるし、瘴気がかなり濃いはずよ)

 イラ様の言葉に、辺りを見回し少し深呼吸してみる。


(特に何も感じませんね)

(呆れた鈍感男ね)

 ひどいことを言う。

 平静を保っていると褒めてほしい。


(ま、それ位図太いほうが頼りになるわね。神級魔法はいつでも発動できるようにしておきなさい)

(大丈夫ですよ。水の大精霊ディーアにも準備してもらっています。ディーア、どうだ?)

(我が王……、この場所は苦手です……)

 水の大精霊から、弱々しい声が聞こえた。

 どうやら大魔王の結界内は、精霊にとって過ごし辛い場所のようだ。


 まぁ、これは予想通りだ。

 精霊魔法の威力は、周りの環境に依存する。


(わかった。困った時に呼ぶようにするよ)

(……はい、お気をつけて、我が王)

 水の大精霊ディーアの声が小さくなった。

 

 これで全員に声をかけ終えた。

 あとは大魔王と相対するのみだ。


 俺たちの前を歩く月の国の女王は、俺たちの会話が聞こえていないかのように前を向いたままだ。

 てっきり、茶々を入れられるかと思ったが。


(……ん?)

 女王の歩き方を見ていて気づいた。

 ほんの僅か、足取りが重い。


(怪我……、いやどちらかというと疲労か……?)

 理由はわからないが、 どうやら月の国の女王は疲れているらしい。

 だが、それが意味するところは全くわからなかった。 



 俺たちは島の中央にある塔の前にやってきた。

 塔には、大きな扉が備わっている。

 どうやって開くのかと思っていると。


 ギ……ギギギギ……ギギギギギギギギ……


 ゆっくりと、ひとりでにその扉が開いた。

 塔の中は暗く、外からは見えなかった。


「どうぞ、中へ」

 月の国の女王ネヴィアが、巨大な扉の奥へと進んでいく。

 俺たちはそれに続いた。

 扉を通る。


(ん?)

 この違和感は、浮遊城エデンに近づいた時と同じだった。


 ――結界内に侵入した。


 どうやら塔にも、結界としての役割があったようだ。

 イラ様の言う通り、防御のための塔だった。

 二重の結界とは随分と厳重だ。

 塔内は明かりが乏しく薄暗い。

 そして甘い香りが建物内に充満していた。


(この匂い……)

 覚えがある。

 いつかの酒場に蔓延していた麻薬ウィードの香りだ。

 なぜ、ここに?


『暗視』スキルで見回す。

 塔の中は、がらんとしていた。

 古竜の王アシュタロトの時と異なり配下の姿などは見当たらない。


 代わりに目につくものがあった。

 床中に複雑な模様の魔法陣が、ぐちゃぐちゃと幾重にも描かれている。

 見ているだけで気分が悪くなってくる。


 乱雑に描かれたようで、確かな目的を持っている魔法陣は建物の中央に魔力マナが集まるよう術式が書かれていた。

 自然と目線は中央に向く。


「っ……」

 誰かが息を呑む。


 ドクン、というのは自身の心臓の音だった。

 



 それは――




 ついに俺はこの世界を支配する大魔王イヴリースと対面する事となった。

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