280話 高月マコトは、厄災の魔女と再会する

 月の国ラフィロイグの女王ネヴィア。

 しかし千年後にその名を呼ぶ者は居ない。




 ーー厄災の魔女




 それが彼女の二つ名だ。

 人類の裏切り者であり、呪いの巫女。

 そんな悪いイメージしか浮かばない魔女であるが、目の前の女性はニコニコと邪気のない笑顔を向けてくる。


「ネヴィア殿、何ゆえ止める? 光の勇者とその一行を倒せというのが偉大なあの御方イヴァリースさまの命令のはずだ」

 古竜の王アシュタロトの低い声が響く。


「このまま『地獄の世界コキュートス』を使われては、北の大陸の民が滅んでしまいます。それにこの場で戦闘となれば、動くことができない魔王様たちが巻き込まれてしまいますよ?」

 そう言って月の国の女王ネヴィアは、周りを見回す。


 言葉の通り、『悪魔の王』や『蟲の王』『獣の王』は、神級魔法の影響で停止している。

 だけど、それはおかしい。


(……ならどうして月の国の女王ネヴィアは動けるんだ?)


 堕天の王エリーニュスが動けるのは、元は天界の天使。

 古竜の王は、竜神族の血を引いているから。

 巫女とはいえ、彼女は人族、のはずだ。


 魔王ですら動けない、『地獄の世界コキュートス』の範囲内でなぜ自然に振る舞える?

 只々、不気味だった。


「あなたは……、誰の味方なんですか? 月の国ラフィロイグの女王なのでしょう!」

 光の勇者アンナさんが叫んだ。

 そうだ、アンナさんからすれば月の国の女王が何故か魔王と仲良く話している様子はショックだろう。



「私はです。勿論、あなたにとっても」

 月の国の女王ネヴィアは、ニッコリと微笑み言い切った。 



(よく言う……)

 どう見たって、彼女は魔王側だ。

 歴史に名を残す悪女であり、魔王と通じている魔女。

 けど、彼女からは一欠片の悪意も見えない。


「……」

 アンナさんは、不審げな視線を向けたまま剣を構えている。

 少なくとも月の国の女王ネヴィアの言い分を鵜呑みにはしていない様子だ。


「ネヴィア、無理でしょ。この子たちにはあんたの自慢の魅了は効いてないわ」

「えぇ、平和的に解決したかったのですが……」

 堕天の王がシュタっと月の国の女王の隣に、降りてきた。


 よく見ると、月の国の女王の瞳は金色の光を放っている。

 魅了するつもりだったのか。

 どこが平和的だ。


 はっと、不安になりアンナさんの顔を確認する。

 ……大丈夫。

 魅了されていない。

 さっき一瞬だけ、魅了されていたのは気のせい、のはずだ。



「では、お願いするしかありませんね」

 ふぅ、と小さくため息をつくと月の国の女王がこちらへ近づいてくる。

 

 彼女からは、何の威圧感も感じない。

 古竜の王や、堕天の王に比べれば無害そのものだ。

 なのに、俺とアンナさんは数歩後ろに下がった。


「勇者様、『地獄の世界コキュートス』を止めていただけませんか?」

 微笑みを絶やさず月の国の女王が俺に話しかける。


「駄目よ、高月マコト」

「わかってます」

 イラ様の声が響く。


 言われるまでもない。

地獄の世界コキュートス』は命綱だ。

 魔法を止めた瞬間、ここに居る魔王たちに俺は殺される。



「勇敢な勇者、高月マコト様」

 月の国の女王に名前を呼ばれる。

 その声は甘く、耳元で囁かれるような錯覚を覚えた。


「なんでしょう?」

「ここへ来る途中、貧しい魔族の村に立ち寄ったでしょう?」

「……それが何か?」

 短く答える。

 どうやら見張られていたらしい。


地獄の世界コキュートスが完成すれば、何の罪もないあの子たちも死んでしまいます。いえ、地獄の世界コキュートスは神級魔法。死んでなお苦しみを与え続ける魔法です。そんな惨いことがあるでしょうか? あなたはそんな酷いことをする勇者様なのですか?」

 非難する口調ではなく、優しく問いかけてくる。

 

 神級魔法は、範囲が広すぎる。

 そして、人族の俺では細かい制御はできない。

 だから魔大陸全土を範囲としていた。

 その拙い部分を指摘された。


「魔族はいつも僕らを苦しめているだろう! やり返されて止めろなんて、勝手なことを!」

 アンナさんが叫ぶ。

 俺よりもずっと長く、この世界で辛酸をなめてきた彼女の心からの叫びだ。

 

「ですが、北の大陸には生まれたばかりの子供の魔族や、魔族と人族がつがいになった魔人族も多く住んでいます。彼らの中には、この地を離れず静かに生涯を終えるものも多い。その全てに滅べと? それが勇者様の望みなのですか?」

「……詭弁だ」

 アンナさんは、引かない。

 が、言葉が弱くなっている。

 俺は彼女の前に立った。


「交渉相手は俺でしょう。何を言われても地獄の世界コキュートスは止まりませんよ」

 俺は言い切った。


 実際、魔大陸の住人を無差別虐殺してしまうという状況はかなり心を抉るものがあるが……。

『明鏡止水』スキルが無ければ、耐えられなかったかもしれない。

 それでも、魔法を止めるわけにはいかない。

 

 それを予想通りというふうに、月の国の女王は微笑んだままだ。

 

「勇者様、あなた方の望みは偉大なあの御方イヴァリースさまのお命。そうですよね?」

「ネヴィア? 何を言ってるの?」

 月の国の女王の言葉に、不審な目を向ける堕天の王。

 俺も彼女の意図を計りかねた。




偉大なあの御方イヴァリースさまそうです、勇敢な勇者様」




「な!」

「はぁ?」

「何だと!」

 驚きの声は勇者と魔王、両陣営から上がった。


 俺は月の国の女王ネヴィアの目を静かに見つめた。

 相変わらずの笑顔で、なにを考えているかわからない。


「罠でしょう?」

「ふふっ……、さぁ、どうでしょう? でも偉大なあの御方イヴァリースさまに会える機会なんてそうありませんよ?」

 俺の問を、月の国の女王は否定しなかった。


「高月マコト、騙されるんじゃないわよ」

 運命の女神イラ様から、注意を受け頷く。

 言葉通りに受け取ったりはしない。


「勿論、それだけでは交渉にならないことはわかっています。ですから、更に皆様へ贈り物をしましょう」

 そう言いながら、月の国の女王は天に向かって祈りを捧げた。




 ーー偉大なる我が主、仮初の夜をお与えください




(祈る相手は月の女神ナイア様じゃないのか……?)

 俺が訝しく思う間もなく、信じられないことが起きた。



 太陽の光が陰り、暗闇に包まれる。


 そして、現れた。


「そんな……」

 運命の女神様の呆然とした声を聞きながら、俺はハッとした。


「アンナさん!」

「……っ!」

 俺の声に光の勇者さんが青ざめる。

 光の勇者の力の源は『太陽の光』。

 まずい、光の勇者の力が半減する。

 


「ご心配なく、夜を呼び出したのはほんのひと時だけです」

 月の国の女王は、こちらを攻撃する意図は無いらしい。




 ーーこの大陸に住まう全ての民に伝えます




 月の国の女王の声が響く。




 ーー光の勇者とその仲間たちに、決して危害を加えてはなりません



 

 決して大きな声では無いにも関わらず、彼女の声がどこまでも響いていく。




 ーーこの約束を違えた者には惨たらしい『死』が訪れるでしょう




 最後に、物騒な内容で締められた。


 ほどなくして、辺りが明るくなり太陽の光が戻ってきた。


「これでいかがですか? 勇者様」

「いかがと言われても……」

 あんな口約束だけでは…………ん?

 俺は慌てて、堕天の王の瞳を見つめた。

 これは……。


「ネヴィアどういうつもり? 私に『呪い』をかけるなんて」

 堕天の王が詰問するような口調で言う。

 そう、今の月の国の女王の言葉は『呪い』だった。


「仕方ありません。そうしなければ、勇者様に魔法を解いていただけないでしょうから」

 本当に大陸中の魔族たちに呪いを?

 それは神級の域じゃないのか?


「ふふ、民たちには普段から『魅了』をかけていますから『呪う』のは簡単なんです」

 俺の怪訝な表情に気づいたか、ネヴィア女王がこともなげに言った。

 以前、月の巫女フリアエさんに『魅了』も呪いの一種だと教えてもらった。

 じゃあ、本当に?


「間違いないわ、魔大陸に住む全ての民に『死の呪い』がかけられている。発動条件は『光の勇者一行に危害を加えること』よ」

 運命の女神様の言葉で、それが真実だと否応なしにわかった。


「だけど、その呪いを解除すれば約束を破ることはできるんじゃ……」

「呪いはかけるより、解くほうが難しいの。おそらくこれを解くには数日を要するわ」

 アンナさんの言葉を、イラ様が否定する。


 じゃあ、本当に魔大陸の住民は俺たちを攻撃できない?

 

(だったら、俺たちはんじゃ)

 そんな考えが頭をよぎる。


「高月マコト……それは幾らなんでも……」

「冗談ですよ、イラ様」

 無抵抗な相手を一方的に虐殺とか、それは駄目だろう。

 

 月の国の女王は、相変わらずニコニコしたまま。

 その笑顔が空恐ろしく感じた。


(一応、神級魔法を中断するメリットはある……)


 発動を完成させなければ、女神様の神気は身体に残る。

 つまり、規模は小さいが神級魔法を


 俺たちの最終目的は『大魔王の打倒』。


 魔大陸の戦力は、呪いによって俺達を攻撃できず。

 大魔王自らが俺たちに会おうと言っている。

 しかも神気を残して。


 限りなく罠な気しかしないが。


「マコトさん……」

 不安げなアンナさんに、袖をひかれる。

 彼女の顔も随分、やつれている。

 いい加減休ませてあげたい。


「……地獄の世界コキュートスを中断する」

 俺は制御していた神級魔法を止めた。

 どっと、身体中から力が抜ける。

 そのままへたり込みそうなのを、抑えた。

 

 白く染まっていた世界が、徐々に色を取り戻していく。


「ありがとうございます、勇者様」

 俺が魔法を止めると信じ切っていたかのように、月の国の女王は笑顔でお礼を言ってきた。


「やってられないわね。勇者を殺すためにわざわざ南の大陸から駆けつけたのに、勇者を攻撃しないように呪いをかけられるなんて。私は帰るわ」

 そう言うや堕天の王は、黒い翼を羽ばたかせ空へと消えていった。

 古竜の王は、静かにこちらを見下ろしている。

 何を考えているのかわからないが、攻撃の意図はなさそうだ。


 

 これで一旦休戦か、と一息つこうと思った時。



「おや、堕天の王エリーは帰ってしまったのですね」

「がっ!」

 とてつもない力で首を絞められ、そのまま宙へ吊り上げられた。

 意識が飛びそうになりながらも、俺の首を掴んでいるのが『悪魔の王』だとわかった。



「マコトさん!」

「動くなよ、光の勇者とやら」

 アンナさんの悲鳴にかぶせるように、しゃがれた声が耳に届いた。

 蟲の王が、アンナさんの前に立ちふさがっている。


 こいつらが復活していたか。

 おい、約束が違っ……。



「こいつは殺す。よいな、ネヴィア殿」

「あっ、……それはいけませ」

 悪魔の王の爪が、俺の首にかかり……


(…………あぁ、意識が)


 途切れようとした時。


「マコト殿!」

「師匠!」

 気がつくと、ジョニィさんとモモに抱きかかえられていた。

 あれ? 逃げたはずじゃ。


「この二人がどうしてもと言うので戻った。危なかったな、精霊使いくん」

 白竜さんまで来てくれていた。

 って、俺を襲った悪魔の王はっ!?


「これは……空間転移テレポートで移動して斬られたか……。神級魔法を食らったあととはいえ油断したな」

 悪魔の王が、怪我をしたかのようにフラフラしている。

 よく見ると、俺の首を掴んでいたほうの腕が切り落とされていた。

 ジョニィさんの抜身の刀が、斬ったのだと気づいた。


「ネヴィア殿。……この呪いは……本気で呪いましたな」

 口から血を流している悪魔の王が恨めしそうな目で、月の国の女王を睨んでいる。


「ですから駄目だと申し上げましたのに」

 ネヴィア女王は、はぁと小さくため息を吐いている。 


「あの……殺されるところだったんですけど」

「ごめんなさい、悪魔の王さんが失礼しました」

 俺が非難の目を向けるが、月の国の女王は飄々としたものだった。


「約束は守ってもらいますよ」

「勿論です。では偉大なるあのお方イヴリースさまの元へお連れしますね」

 俺は魔王に殺されそうになり、その魔王も呪いによって瀕死になっているのに、月の国の女王だけはマイペースだった。


 他の魔王たちは、気味悪げにこちらを見ている。


 だが、こちらを攻撃することはなく一人、また一人と姿を消していった。

 その時、ホストのような見た目の男が近づいてきた。

 悪魔の王だ。


「やぁ、すまないね勇者くん。殺せると思ったのだが」

 そんな軽口を叩いてきた。

 ジョニィさんに斬られた腕は、すでに再生している。

 が、呪いの影響か青白い顔をしていた。 


「そちらこそ呪いで随分辛そうですが」

 嫌味で返しておく。


「まったくだよ。私は四つの命を持ってるから、一つを犠牲にして君と相打ちにしようと思っていたのだが、思いの外呪いが強かった。もしかすると四つとも命を失っていたかもしれん。助かったのは私の方というわけか」

 はっはっは、と笑う悪魔の王。

 ブラックジョークだろうか。


「さて、私は去るが……、人間があの御方と対面して正気を保てるかな?」

 意味深なことを言って、悪魔の王は空間転移テレポートで去っていった。


 蟲の王、獣の王は既に居ない。

 あとは……。


「ヘルエムメルク」

 古竜の王が、白竜メルさんの名前を呼んだ。

 相変わらず、声を発するだけでとんでもない迫力がある。


「…………」

 白竜メルさんは、気まずそうな顔をしたまま横を向いている。


「話がある。あとで来い」

 そう言って古竜の王も去っていった。

 

 白竜メルさんの顔色は良くない。

 大丈夫かな……。

 あとで話をしにいこう。


 なんにせよ魔王は全員去った。


 残っているのは、俺と光の勇者さん、ジョニィさん、モモ、白竜さん。

 そして、月の女神の女王、なのだがさっきから次々と黒い鎧の竜騎士たちが集まってくる。

 どうやら、俺の『地獄の世界』を解除したので動けるようになってやってきたらしい。


 月の国で俺たちを追ってきた連中だが、今の所襲いかかってくる気配はない。

 というか、呪いが効いているなら彼らも俺たちを攻撃できないはずだ。



「大魔王様は明日お会いになられます。それまで私達の街でご滞在ください」

「私達の街?」

 ネヴィア女王の言葉に首をかしげる。

 彼女の治める街といえば……。


月の国ラフィロイグへ戻ると?」

「いえ、北の大陸にある偉大なる御方の治める王都です」

「そんな場所が……?」

「ついてきてください」

 戸惑う俺たちをよそに、月の国の女王は忌まわしき竜の背に乗り、飛び立った。

 俺たちも慌てて白竜さんに乗せられてその後を追う。




 しばらく灰色の大陸を進み、大きなひらけた場所が見えてきた。




「到着しましたよ」

 ネヴィア女王の声が響く。


「わぁ……」

 モモが驚嘆する声が聞こえた。

 ジョニィさんやアンナさんがあっけに取られている。


 魔大陸の王都。

 千年前の時代において、世界を支配する大魔王のお膝元。

 

 巨大な都だろうと想像していたが……、これほどとは。


 どこまでも続く建物の群れ。

 高層ビルから東京の街を一望したかのような風景。


 千年後の太陽の国ハイランドの王都を遥かに上回る巨大都市が広がっていた。

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