276話 光の勇者アンナは、目撃する

光の勇者アンナの視点◇


「おい、精霊使いくんっ! 何を言っている!?」

「マコト殿、無謀だ。無駄死にするぞ」

マコト様ししょう……、やめてください!」

 白竜ヘルエムメルク様たちが、慌てている。


 三人とも、当然ながらマコトさんを止めようとしている。

 その時だった。




 ――明鏡止水スキル




 小さな呟きが聞こえた。


「マコトさ……」

 彼に声をかけようとして気づく。

 

 空気が…………、真冬のように冷たい。


 僕の吐く息が白い。 

 見ると三人の足が止まり、ぽかんとしている。

 それは僕も同じだった。



 マコトさんが、明確に



 あの時の、魔王ビフロンスと戦った時のように、何か別のモノに変わった。


「さて、アンナさん。一緒に来てもらえますか?」


 振り向いたマコトさんは、張り付いたような笑顔だった。

 けど目は笑っていない。

 ぼんやりと僕を見る瞳の奥が、わずかに虹色の輝きを放っていた。 


「…………」

 僕はマコトさんの様子に気圧されてしまい、返事ができなかった。


「我が王、ご出陣ですか?」

「ようやくですね」

「待ちくたびれました」

 マコトさんを囲むように、肌の青い美女たちが姿を現す。


 ……水の大精霊ウンディーネ


 それが、こんなにたくさん?

 いつも一緒にいるディーアさんだけじゃない。

 十人以上の水の大精霊ウンディーネたちが、マコトさんを取り囲んでいる。

 水の大精霊ウンディーネの魔力量は、白竜様をしのぎ魔王にすら匹敵するんじゃないかと思う。


「アンナさん?」

「は、はい! わかりました……マコトさん」

 僕は、水の大精霊ウンディーネ魔力マナに圧倒されつつ、小さく頷きマコトさんの手を取った。


「わ、私もっ!」

 モモちゃんが、慌てた声で訴える。


「悪い、モモ。これから使う魔法は、から一緒には連れていけない」

「そ、そんな……!」

 モモちゃんが悲痛な声をあげる。

 マコトさんの言葉に、違和感を覚えた。


「では、アンナ殿はどうする?」

 ジョニィさんが尋ねた。

 そう、マコトさんの言葉通りなら一緒に行く僕も巻き込まれるはずだ。


「アンナさんは、『光の勇者』スキルで自分の身を守ってください。『光の勇者』スキルなら、俺の精霊魔法も効きませんから」

「わ、わかりました……」

 マコトさんは、僕を巻き込むとあっさり告げた。

 でも……、いつものマコトさんなら、そんなことは言わない。


 今のマコトさんは、少し……怖い。

 

「おい、精霊使いくん。気づかれたぞ」

 白竜様が魔王軍のほうを指差した。

 魔王軍の先鋒隊らしき一群が、ゆっくりとこちらへ移動してくる。


 気づかれるのも無理はない。

 とてつもない規模である水の大精霊ウンディーネ魔力マナ量。

 どんなに離れていたって気づくだろう。


「メルさん、モモとジョニィさんを連れてなるべく遠くへ避難してください」

「……死ぬなよ、精霊使いくん」

 そう言って、白竜様は、モモちゃんとジョニィさんを背に乗せ僕らから離れていった。


 その間にも、魔王軍は僕たちを取り囲もうとしている。

 一部の魔物は、白竜様を追っていった。

 少し心配だったけど、白竜様ならきっと大丈夫だ。

 問題は僕らだ。

 

「アンナさん、あの辺りへ飛行魔法で連れて行ってください」

「………………っ」

 マコトさんの指差す方向を見て、僕は絶句した。




 それは――魔王軍の中心地だった。



 

 百万の敵がいるど真ん中へ行けと?

 よくそんな気軽に言えますね!


 そろそろ、僕らが居る小山が魔王軍に包囲されるだろう。

 だが、魔王軍の誰も近づいてこない。

 マコトさんが呼び出した水の大精霊ウンディーネ魔力マナを恐れているのかもしれない。

 だけど、いつ彼らが僕たちに向かって攻撃をしかけてくるかわからない。


「アンナさん?」

 どうしました? とでも言いたげにきょとんとしているマコトさんの顔に、腹が立った。


(もう! 本当にこの人は……自分勝手!)


 慎重なようでここぞという時には、平気で危険に突っ込んでいく。

 そして、死にかけて周りを心配させて!

 危なっかしくて見てられない。


 だから、僕が側にいなきゃ。


「マコトさん、光の勇者スキルを使うには太陽の光が無いと駄目ですよ。お願いできますか?」

 僕は指摘した。

 こればっかりは、僕の力じゃどうしようもない。


「ああ、そうでした」

 マコトさんは、水の大精霊ウンディーネへ何事かを伝えた。



 暗闇の雲が晴れ、一面の青空が広がる



(大魔王の魔法である『暗闇の雲』をこんなにあっさり……)

 本当に呆れた人だ。


 太陽の光を浴び、僕の身体に力が湧き上がるのを感じた。

 光が闘気オーラへ変わる。

 そして、心が落ち着いてきた。

 これも『光の勇者』スキルの効果だ。 


(マコトさんに比べれば平静でもなんでもないけど)

 今でも心臓の鼓動はうるさい。

 だけど、身体の震えは止まった。


 大変なのは、魔王軍だ。


 突然『暗闇の雲』が晴れたことで、さぞ驚いたことだろう。

 隊列が崩れ、大きなざわめきが聞こえる。

 この異常事態を引き起こしたのが、僕らであることは気づいているはずだ。

 それでもなお、魔王軍がこちらへ突撃してくることはなかった。

 水の大精霊ウンディーネ魔力マナは、相当怖いらしい。


「アンナさん、行きましょう」

「はい、マコトさん」

 僕はマコトさんの手を掴み、背の翼を広げた。

 ふわりと宙に浮かぶ。


 そのままゆっくりと魔王軍の中心へと向かった。




 ◇





「貴様、何者だ!」

 魔王軍の幹部らしき魔族が叫ぶ。


「止まれぇ!!! これ以上近づけば叩き斬る!」

 あるいは斬りかかってくる者も居る。


「「「グオオオオオオオオ!」」」」

 魔物が群れをなして、突撃してくる。




 ゆっくりと進む僕たちに、魔王軍が絶え間なく襲ってきた。

 目眩がするほどの数だ。


 だけど、誰も僕たちに触れることすらできなかった。




 ――聖級水魔法・氷の絶域




 マコトさんが使役する『水の大精霊ウンディーネ』が作った結界魔法。


 最初は、小さな円形の結界だった。

 それがゆっくりと広がっていく。

 今では、小さな村ならすっぽり包まれるくらいの大きさの結界となっている。


 その結界の中に入った者は全て、身体が雪に覆われ氷漬けとなってしまった。


 例外は僕だけだ。

『光の勇者』スキルによって、自身の身を守っている。

 これが、マコトさんが周りを巻き込むと言っていた魔法か……。 



「勇者、死ねぇええ!!!!」

 濃密な瘴気を纏った魔族が、こちらへ突進してきた。

 きっと名のある魔族だ。


 僕は、それを迎撃しようと剣を構える。

 魔族の持つ魔剣の刃が、こちらに到達するのは2秒後くらいだろうか。


 僕は右手に握る剣に、光の闘気オーラをまとわせた。

 あとはそれを振るえば、簡単に首を落とせるだろう。


 しかし、その時はやってこなかった。

 強力な魔族のように思えたそいつも、僕らの数十歩手前で氷漬けとなってしまった。


 はぁ、小さくため息を吐くとその息がキラキラ光った。

 極寒の世界だ。


 空気は恐ろしく冷たい。

『光の勇者』スキルが無ければ、とても立っていられないだろう。


 できれば身体を動かしたい。

 しかし、暇だった。

 

「マコトさん、僕はやることがありません」 

「アンナさんの出番は、これからですよ」

 やや気が抜けている僕と違って、マコトさんの表情は真剣だ。


 けど、魔王軍の誰もまだ、僕の剣の間合いに到達できない。


「マコトさん一人で、倒せちゃうんじゃないかなぁ……」

 そんなことを口にしてしまい、僕が少し緊張感を緩めた。


 マコトさんの結界は、見渡す範囲全てを白く染め上げている。

 白銀の世界。

 

 美しいが……、その中に侵入したものを氷漬けにしてしまう死の世界だ。

 このまま、百万の魔王軍をここで足止めしてしまうつもりなのだろうか?


 やっぱりマコトさんはとんでもないなぁ……などと、考えていた時だった。



「アンナさん、来ましたよ」



 マコトさんの言葉で、はっとする。

 今までの魔族たちとは、明らかに異なる気配。

 濃密な瘴気。


 マコトさんの視線は上空。


 そちらを見ると、幾つかの人影がこちらを見下ろしていた。




「君があの御方がおっしゃっていた光の勇者アベルくん? こんな可愛い女の子だったんだぁ」




 場にそぐわない明るい声が響く。

 マコトさんの結界内で、何も問題ないかのように、その女性は優雅に微笑んでいる。


 ぞっとするほどの美貌に、紅玉のような赤い瞳。

 そして、背中からは漆黒の翼。

 一見、僕と同じ天翼族かと思ったが、その身が発する邪気が明らかに異なることを告げていた。



「よく見ろ、エリーニュス。あれは天翼族の女だ。光の勇者アベルは男のはずだろう」



 答えた男は、エリーニュスと呼ばれた女に劣らぬほどの美貌を誇っている。

 貴族のような服に身を包んだ、気品のある佇まい。

 なのに、その姿を見ると顔をしかめるほどの嫌悪感が湧いた。

 

「でも、あの女の子からは太陽の女神アルテナの加護を感じるわ。間違いなく光の勇者はあの子よ」

「しかしだな……、それではあの御方の予知が外れたということに」

「どちらでもよい、殺してから確認をすればな。早く殺ろう。ここは寒くて敵わぬ」


 二人の会話に割って入ったのは、腰の曲がった老人。

 声は聞き取りづらく、喋るたびに羽音のような雑音が響いた。

 そして、老人でありながらその身が纏う瘴気は、三人の中でもっと殺気立っていた。


「蟲の王ともあろう者が、人族ごときの魔法に寒さを感じるとは情けないのでは?」

「やかましい、悪魔の小僧。そもそもあれを見よ、数千年は見ていない水の大精霊ウンディーネだぞ。なぜ、あんなものがただの人族に付き従っておる」

「確かに解せませんな。今代の精霊の女神の使徒は、カイン殿のはず」

「そう言えば、最近カインちゃんの姿を見てないんだけど~、どこで油を売ってるのかしら」


 彼らは、僕らのことなど気にせず会話を続ける。


 とても会話に割り込めない。


 たった三名の魔族。


 その一人一人が、魔王ビフロンスと同等かそれ以上の威圧感を放っていた。


 エリーニュスという名。


 蟲の王と呼ばれた魔族


 彼らは……まさか……。



 その時、ずしん、と大きな音がした。

 そちらを振り向くと、


(い、いつの間に!)

 そこは白竜様よりも巨大な人型の魔物と、それよりも更に巨大な四足歩行の魔物が居た。

 いや、あれは魔物ではない……。


 身にまとう邪気は、上空の三人より更に大きい。


 巨人と巨獣が何か言葉を交わしている。

 その内容は、僕には理解できなかった。


「ザガンくんとゴリアテくんだー、やっほー」

 黒い翼を持った女が、軽い声で手を振った。


 その名前を聞き、僕の身体が硬直する。


 この世界を支配する彼らの名前。

 聞き違えるはずがない。



「はぁ、魔王が五体か……」

 マコトさんが、ぼそっと呟くのが聞こえた。


 その言葉に、卒倒しそうになる。


 どうか、間違いであって欲しい。

 しかし、僕の脳はそれを否定する。




 堕天の王エリーニュス


 蟲の王ヴァラク


 悪魔の王バルバトス

 

 巨人の王ゴリアテ


 獣の王ザガン 




 ――世界を支配する九人の魔王。



 その半数が、僕たちの眼前に集結していた。

 

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