266話 魔王戦 その6
――空に満月が浮かんでいる。
(なん……でだ……?)
『明鏡止水』スキルで心を落ち着けても、理解が追いつかない。
俺たちが魔王城に乗り込んだのは間違いなく昼間だった。
つい数十分前に、太陽を自身の目で確認した。
それがどうして、夜になっている?
さっきの赤い魔法陣は……そのためのもの?
だが、昼を夜に変えるなんて、果たして可能なのか?
「美しい月だ。そう思わないか?」
魔王ビフロンスの言葉に、俺たちは慌てて武器を構えた。
が、魔王はこちらには視線を向けず、魔王城に空けられた穴から外へ出ていった。
「待て! 魔王!」
ジョニィさんがそれを追い、
「マコトさん! 行きましょう!」
飛行魔法が使えない俺は、
魔王城の穴から外に出ると、月と星の明かりが煌めく美しい夜空だった。
間違いなく夜になっている。
俺は『暗視』スキルを使って周りの景色を観察した。
こちらにやってくる集団がいる。
魔王軍かと身構えたが、すぐに違うと気づいた。
「族長、無事ですか!?」
「ヴォルフ殿、どうなっている!?」
「精霊使いくん……」
大迷宮の戦士たちや鉄の勇者さん、それに
全員、戸惑った表情だ。
「メルさん、外で何が起きたんですか?」
「わからぬ。突然、辺りが暗くなった」
俺の質問に、
どうやら外にいた人たちでも、状況はわかっていないらしい。
他にこの状況を説明できそうな人は……。
「
「こちらだ。できれば避難していただきたかったのだが……」
頼れるのはこの女神様しかいない。
が、彼女の顔は真っ青だった。
「そんな……、こんなこと、あり得るはずが……」
「
俺の問いかけにも上の空で、ぶつぶつと呟いている。
俺の質問には答えてもらえそうにない。
(これは……、厳しいな)
「ジョニィさん、撤退しましょう。
「マコトさん!?」
「マコト殿……、しかし……」
「わかった、精霊使いくん」
俺の言葉に、
ここまで来ての撤退は悔しいが、この状況で長居は得策じゃない。
仕切り直そう。
「慌てて去ることもないだろう」
頭上から声が響いた。
声の主は、白髪痩躯の魔王ビフロンスだ。
月を背景にこちらを見下ろすその姿は、魔王城内で見た時と比較にならない迫力があった。
いや、実際に夜になった不死の王を取り巻く瘴気は大きく増している。
大迷宮の戦士たちが、その威圧感にあてられ後ずさった。
「君たちを歓迎しようと、私の配下を召喚したところだ。ゆっくりしていきたまえ」
その言葉と同時に、月が陰った。
(雲……?)
暗闇の雲かと思ったが、違った。
雲よりも不規則な動きだ。
まるで
それが、全て魔物だと気づくのにしばらくかかった。
「あれは……すべて魔物?」
「囲まれてる……?」
「そんな……」
誰かの絶望する声が聞こえる。
俺たちを取り囲むように蠢く小さな点。
その全てが魔物だとしたら、その数は数万……、いや十数万の魔物が集まっているのではないだろうか。
「夜を呼び出すのに随分と力を使ったからな。あとは、私の眷族に任せよう」
「待ちなさい! 魔王ビフロンス!」
魔王の言葉に割り込んだのは、イラ様だった。
「貴様は巫女か……? 巫女はすべてカインが殺したと聞いていたが、生き残りがいたか」
「どうして……、お前がそれを使える!? その
イラ様の怒鳴り声に、魔王は薄く笑った。
「これが偉大なるあの御方からお借りした力だ。
「無理よ! いくら
「…………ふ」
それよりも気になる
「イラ様、イラ様」
俺は小さな巫女様に合わせて腰をかがめ、耳元で囁いた。
「た、高月マコト?」
今頃、俺の存在に気づいたらしい。
「
「え?」
俺の言葉に、イラ様が目を丸くした。
「できますよね?」
「む、無理よ!」
俺の言葉に、
「さっき出来るって……」
「それはっ……」
イラ様が俺の耳元に口を寄せ、小さな声で息を荒げた。
「め、女神が地上の争いに直接手を下せば、
「そうですか」
要するに、駄目らしい。
つまり、自力でなんとかしないといけない。
会話をしている間にも、魔物たちはこちらにぐんぐん近づいてくる。
おそらく1分以内に、ここは魔王配下の魔物に蹂躙される。
俺たちを餌と考えている魔物の群れ。
周りを見回すと、全員が悲壮な顔をしている。
アンナさんが、俺の服の袖をぎゅっと掴んだ。
(時間が無さ過ぎる……)
時間をかせぐしか無い。
俺は、淡く青色に輝く右手を眺めた。
(ラストの一回かな……)
小さく息を吐いた。
「
「よろしいのですか? 我が王。貴方様の
「いいから、やってくれ」
「わかりました」
――XXXXXXXX(氷の大結界)
次の瞬間、巨大な氷の壁が、俺たちの四方と天井を取り囲むように現れた。
その厚さは、数メートル以上だろうか。
とはいえ、ただの一時しのぎだ。
この結界がもつのは……
「結界が破られるまで、30分ってとこね……」
落ち着きを取り戻した運命の女神様が、ぽつりと言った。
未来が見える女神様の言葉だ。
それが俺たちのタイムリミットだ。
「それじゃあ、逃げるための作戦を……」
俺がそう言った時、目の前が真っ暗になった。
平衡感覚を失う。
「あれ……?」
気がつくと地面が目の前にあり、アンナさんに支えられていた。
「マコトさん!」
「師匠!」
二人の声が響く。
(俺は……気を失った……のか……?)
幸い、一瞬の出来事だったようだ。
「我が王……貴方様の身体の
「高月マコト。あなたの寿命が残ってない。あと数日で死ぬわよ……」
水の大精霊とイラ様から指摘された。
(危ね……、寿命を使い過ぎた)
千年後の世界なら、間違いなくノア様に叱られている場面だ。
その叱責が無いことが少しさみしい。
そんな思いにふけっていたら、ふと、視線を感じた。
ジョニィさんが。
大迷宮の戦士たちが。
そして、泣きそうな顔の
どうやら、皆に心配をかけてしまったらしい。
「逃げるための作戦を立てましょうか」
俺はさっき言えなかった言葉を続けた。
「身体は、大丈夫なのか?」
普段は表情の変わらないジョニィさんにまで、心配そうな声をかけられた。
「どうやら俺の寿命はまだ数日は保つようなので余裕ですよ。とりあえず、今日を生き延びる方法を考えましょう」
俺はカラ元気で、ニヤリと笑おうとした。
うまく表情を作れただろうか?
「ジョニィさんは、皆を率いて逃げてください。白竜さんは古竜の皆さんの指示をお願いします。それから……」
「私は師匠と一緒に居ます! 絶対に離れませんから!」
モモが俺にしがみついた。
俺は、白髪赤目のモモを眺める。
モモは――
魔王軍に紛れて、逃げることは可能だろう。
それに、
いざとなれば、自力で逃げられる。
「モモ、悪いな。手伝ってくれ」
「当たり前じゃないですか! 私は死ぬまで師匠と一緒です!」
現在の俺は、寿命を使い果たし、魔力も底をついている。
水の精霊から魔力を借りて、だましだまし戦うしかないが、どこまで保つか……。
『明鏡止水』スキルがなければ、とっくに心が折れそうな状況だ。
俺が天を仰いだ、その時。
ジョニィさんが、こちらに近づいてきた。
「我々はマコト殿に頼り過ぎたようだ。私も
「族長! お供します!」
「死ぬ時は一緒だと言ったでしょう!」
多くの大迷宮の戦士たちから名乗りが上がった。
って、それはまずい!
ジョニィさんは、救世主様と共に大魔王と戦う仕事が残っている。
ここで玉砕させるわけにはいかない。
「駄目です! 逃げ……」
「マコト殿」
俺の言葉は遮られた。
「戦士にとって大事なのは『誰を守れるか』と『いかに死ぬか』だ」
「ジョニィさん……」
彼の表情から、その決意の固さを感じた。
「あの大迷宮の街は、良い街になった。古竜の力を借り、魔王軍に見つからぬように多くの民が安全に過ごせる素晴らしい街だ。私がここで朽ち果てても、子どもたちは健やかに育つだろう。
私は百年以上一族を率いてきたが、勇者を名乗るものが現れ魔王に挑み、負け続ける姿を見てきた。いや、そもそも魔王のところに到達すらできていなかった……。
だが、我々はこの戦で、魔王城を破壊し、魔王と直接刃を交えた。勝利には、一歩届かなかったが……。冥土の土産としては、十分だろう。なぁ、皆!」
ジョニィさんの声に、「「「「「「応!!」」」」」という戦士たちの声が響いた。
大迷宮の戦士たちがやる気になってしまっている。
いや、逃げてほしいんだけど……。
「ジョニィ殿やマコト殿に任せて勇者が逃げるわけにはいかんよな」
「はぁ、私の人生ここまでかぁ……、もうちょっと生きたかったなぁ」
「ジュリエッタは、アンナと一緒に逃げてもいいんだぞ?」
「何を言ってるんですか! 僕も最後まで戦います!」
「アンナ……、お前はまだ若い。火の勇者から託されたんだ。ここで無理をすることは無い」
「嫌です! ここで逃げたら勇者じゃありません! 光の勇者の力は使えなくとも、雷の勇者の力で最後まで戦います!」
「アンナちゃん、立派になったわね」
「そうか、ならばもう何も言うまい」
気がつくと、勇者たちまでやる気になっていた。
いや、困るんですけど!
アンナさんは、救世主なんだから絶対に生き延びてもらわないと!
「皆、戦意を喪失していませんね!」
「おいおい、チビっ子。君は子供だ。逃げてもいいんだぞ?」
「白竜師匠こそ、早く逃げなくていいんですか?」
「我々、古竜種は人族よりずっと強い。そう簡単にはくたばらんさ」
「それを言うなら私は吸血鬼です! 夜なら誰にも負けませんよ! 白竜師匠との修行の成果を見せてやります!」
「ふん、チビっ子が偉そうなことを言う。ならば、見せてみろ」
「見ててください!」
白竜さんやモモまで?
何なのこの空気!?
「高月マコト……、あなたの瀕死の姿を見て、皆やる気になったみたいね……」
「いや、やる気になられても……困るんですが……」
唯一、俺の心情を理解しているイラ様が話しかけてきた。
(この状況、まずくない?)
十数万の魔物 対 千人の仲間。
しかも、
やる気だけでどうにかなる状況じゃない。
一体、どうすれば……?
「やばいー、終わったー、アルテナ姉さまに激怒されるー……」
「ど、どうしましょう。我が王……、お力になりたいのですが、何をすれば……?」
頼りのイラ様は頭を抱え、切り札の
俺が張った氷の結界は、魔物たちによってガリガリ削られている。
残る時間は10分もなさそうだ。
(これは詰んだぞ……)
俺もイラ様と一緒に頭を抱えたくなった。
その時、俺の目の前にふっと文字が浮かび上がった。
――『RPGプレイヤー』スキル
これまで何度も俺を救ってくれた奇妙なスキル。
それが、この
慌ててその文を読む。
「え?」
俺はその選択肢を読み、眉間にしわを寄せた。
何度も読み直す。
これは……、
俺はちらと、隣の
頭を抱えた
気づけばきっと、反対されるだろう。
悩む時間は無い。
他に方法は無いのだ。
やるしかない……のか。
気は乗らないが。
(
俺は海底神殿でだらしなく寝そべっている姿を想像しながら、
――そっと
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