240話 とある古竜の戸惑い

◇白竜ヘルエムメルクの視点◇


 私がこの世界に生を受けて、数千年。

 ……竜族かぞくたちは、一万年を生きた古竜などと吹聴している。

 私はまだそんな歳ではないのだが……、まあ、それは良い。


 争いを好まない私は、大迷宮ラビュリントスの最深層で静かに過ごしている。

 太陽の光が届かないことは不満だが、地上は忌々しい暗闇の雲で覆われている。

 だから、地上で日向ぼっこもできないわけで、全く憂鬱なことだ。

 

 変化の無い生活。

 退屈を持て余しながら過ごす、堕落した日々。

 嫌いでは無いが、んでいた。


 ある日、珍妙な侵入者が現れた。


 一人は、半吸血鬼ハーフヴァンパイア

 一人は、女神の勇者。

 一人は、膨大な魔力マナを内包している魔法使いの女。

 あと一人は……、なんだこいつは? 何の力も感じない男。

 勇者の従者だろうか?


 変わった集団パーティーだった。

 冒険者、というやつだろう。

 まぁ、相手にすることもない……と思ったのだが、よりにもよって一番弱そうな男が私に力を貸せ、と言ってきた。

 馬鹿馬鹿しい。

 何故、私が人間に力を貸さねばならないのか。


 私は人間の言葉を無視した。

 人間も無駄を悟って、帰るようだ。

 それでいい。

 最深層ここは、人間の来る場所ではない。

 その時だった。

 竜族かぞくの中で、最も若いが人間にちょっかいをだした。

 あの子は、全く……、などと思っていると、あっという間に竜族その子が氷漬けになった。

 それをやったのは、女の魔法使いだ。


(なっ!?)


 その時、気付いた。

 あの魔法使いの女……人間ではない。

 あれは……水の大精霊ウンディーネだ。

 だが、この大精霊は……受肉している?

 まさか、……その術は遥か昔に失われた魔法のはずだ。

 私ですら、実物を見たことは無かった。


 その失われた魔法を使うのは、邪神の使徒。

 だが、それは遠い昔話。

 その魔法の使い手は、現存しないはずだ。


 だが、大精霊はその男を「我が王」と呼んでいる。

 かつて神々が戦争をしていた頃の、名残り。

 精霊を意のままに操る者。

 この男が、大精霊を従えている、のか?

 こいつが、邪神の使徒?

 いや、違う。

 邪神の使徒ならば、別に居る。 


 最近、地上で暴れている『黒騎士カイン』。

 あれは、自らを邪神ノアの使徒だと名乗っている。

 私は、やつを一度見たことがある。

 あれは、

 神の愛に耐えられなかったのだ。


 邪神の寵愛を一身に受けた使徒は、『壊れる』か『成果てる』かのいづれか。

 

 目の前のこいつは?

 見たところは、ただの人間。

 しかし、隣に大精霊を侍らせている。

 ただの人間のはずがない。

 こいつこそが、邪神の使徒なのか?

 いや、問題はそこじゃない。

 ここでこいつと敵対してよいのかどうか……。

 そのような疑問が、頭を駆け巡り、次の瞬間に吹き飛んだ。


 水の大精霊ウンディーネが『五体』現れたのだ。


 あ、あり得ない!

 大精霊は、荒れ狂う自然の化身。

『天災』の別名だ。

 そんなものが五体。

 つまり五つの天災が同時に発生しているということ。

 大迷宮ごと、沈められてしまう!

 こ、こんなものを相手にできるか!


「皆、止め」

 遅かった。



 ――あはははははははっ!

 ――ふふふ…………

 ――クスクスクス……

 ――………ふふっ


 大精霊たちの、愉しげな嗤い声が響いた。

 そして、大迷宮の最深層を飲み込むほどの魔力マナの奔流。

 ぞっとする。

 いや、これは、もはや魔力マナではない。

 神族の扱う生命アニマではないかと思うほど、禍々しい力。

 そして、馬鹿げた魔法きせきが発動した。 




 ――XXXXXXXXXXX(静止する世界)。

 


 

 精霊語による古の呪文ことば

 数千年生きた私が、初めて聞く魔法だった。

 大迷宮の最深層が、一面『白』に覆われる。

 地面、壁、空気すら凍りついた。

 竜族かぞくの呼吸音が聞こえない。

 竜族かぞくの心臓の鼓動も聞こえない。

 無音の……死の世界になった。


(あ、危なかった……)

 私は、攻撃を受ける前に結界魔法を展開した。

 それによって、なんとか魔法の被害を免れた。

 しかし、私の竜族かぞくたちは……。

 

(み、みんな……は……)

 見回すと私以外の全ての竜族かぞくが全て氷漬けになっている。


 私はゆっくりと、それを引き起こした張本人に視線を向けた。

 佇むのは、六人の水の大精霊ウンディーネに囲まれている邪神の使徒。

 自身からは殆ど魔力を感じないが、間違いなく大精霊を率いている男。

 凍えるような目で、こちらを見つめていた。


 ――お、おまえ……


 私が震える声で、その男に話しかけようとした時だった。


「貴様ぁっあああああああああああああああ!!」

 最初に魔法を受けた、若い赤竜が復活した。

 我々、古竜はこの程度で死にはしない。

 だが……。


「あらトカゲ。元気がいいですね。しかし、我が王に無礼ですよ?」

 水の大精霊によって、再び身体の自由を奪われている。


「ぐっ……う、動かな……」

 若い赤竜では、水の大精霊ウンディーネに敵わないだろう。

 

「我が王、この生意気なトカゲをどうしましょうか?」

「そうだな……、失った寿命でも補充しておこうか」

 無言だったその男は、ぽつりと言うと腰の短剣を引き抜いた。

 その刃を見た瞬間、心臓に杭を打ちつけられたような恐怖に襲われた。

 なんだ、あの短剣は!?


 ちっぽけな刃だった。

 しかし、その刃に纏わりつく悍ましい程の魔力。

 勇者の聖剣とは違う。

 人の手に余る、地上の生物が持つような武器ではなかった。

 かつて、一度だけお逢いした天界の神が持っている武器のような……。


 短剣を手にした男は、赤竜にゆっくりと近づく。

「ひぃっ!! く、来るなっ……!」

 赤竜も、何か嫌な予感がするのか逃れようとするが、大精霊の魔法がそれを許さない。

 一体、何を……。


 私の瞳には、未来が映る。

 かつて、天界の女神様に賜った加護。

 未来視の魔眼だ。


 それが発動し、少し先の未来を覗いた。

 その男の未来は、何故か視えなかった。

 が、私たちの未来は視えた。



『今日、我ら竜族かぞくは、XXXXXXXに、滅ぼされる』



 それを視た瞬間、私は地に伏せていた。


 ――待ってくれ!! 私の竜族かぞくを殺さないでくれ!


 私は、恥を捨て邪神の使徒に頭を垂れた。




 ◇高月マコトの視点◇




 ――頼む、私の家族を殺さないでくれ!!


 白竜の思念こえが、大音量で頭に響いた。

 先ほどのような威厳に満ちた声でなく、慌てふためいた声。

 俺は水の大精霊ディーアと顔を見合わせた。


「どうしましょう、我が王?」

「やめておこうか、これ以上は」

 相手に戦う意思が無いのに、続けることもないだろう。


「ディーア、魔法で凍った竜たちを解凍してくれ」

「畏まりました、我が王」

 ディーアが他の水の大精霊たちに、指示を出している。

 ほどなくして、古竜たちは息を吹き返した。

 復活した古竜たちは、水の大精霊に怯えるように遠巻きにこちらを見ている。

 

 これでいいのかな? と思い白竜のほうを見ると安堵したように頭を下げられた。

 

 ――ありがとう。私の力を好きに使うがよい。何でも、手を貸そう


 おお、約束を取り付けることができた。

 予定と違ったけど、これで聖竜さんの助力を得られそうだ。

 

「では、よろしくお願いしますね。聖竜様」


 ――う、うむ……


 俺的には精一杯フレンドリーに挨拶してみたけど、返事は戸惑ったような声だった。

 さっきまでギスギスしてたから、仕方ないのかねぇ。

 少しずつ、仲良くなっていこうか。

 

「では、これからの予定ですけど……」

 俺が話を続けようとした時。


「し、師匠!大変です」

「ん?」

 モモに服を引っ張られた。

 振り向くと、そこには白い目をして倒れている勇者アベルがいた。

 って、え!?


「アベルさん? どうしたんだ!?」

「アベル様が息をしてません!」

「………………は?」

 ちょ、ちょっと待て。

 何が起きた。

 まさか、古竜による攻撃か!?

 俺が慌てて白竜を睨むと、目の前の竜はブンブン首を横に振った。


 ――き、君の魔法の所為だと思うぞ。吸血鬼ヴァンパイアのその子はともかく、間近で大精霊の魔法を浴びては、身体が耐えられないだろう


「げっ!?」

 原因は俺だった。

 つーか、水の大精霊の魔法って、敵味方関係ない自爆技なのか!?


「ど、どうしよう!? モモ!」

「わかりません、師匠! どうしましょう!?」

 俺と大賢者様モモが、慌てふためいていると白竜さんから声がかかった。


 ――どれ、私が回復させよう


 白い竜が呟くと、勇者アベルの身体が輝き始めた。 

 真っ青な顔に、徐々に赤みがさす。

 静かに呼吸音が聞こえてきた。


「よ、よかった……」

 俺の魔法でアベルが死んだらとか……シャレにならん。

 世界が終わる。

 太陽の女神アルテナ様にぶっ飛ばされる。


「助かりました……聖竜様」

 俺がお礼を言うと、白竜は怪訝な顔をした。


 ――さっきから気になったのだが、その『聖竜』というのは何だ?


 戸惑ったような声で尋ねられた。

 あれ? この白い竜は伝説の聖竜じゃないのか?

 まさかの竜違い?


「ちなみに、お名前を教えていただけますか?」


 ――私の名は白竜ヘルエムメルク。この大迷宮の最深層の主をしている。


 ヘルエムメルク……。

 その名前は、伝説の聖竜の名前と同じだ。

 つまり聖竜というのは、後世の呼び名か。


「ヘルエムメルク様、アベルさんを助けてもらってありがとうございます」

 俺は深々と頭を下げた。


 ――我らの命を見逃してもらったのだ。礼には及ばない。それとその勇者は少し休ませておいた方が良い。相当無理をしてきたのだろう。身体に疲れが溜まっている。『生命の泉』の側に、人間が休める場所を創った。そこに寝かせておけ


 白竜ヘルエムメルクさんの巨体の横にある、不思議な色で輝く泉の側に場違いなベッドが置かれていた。

 さっきまで無かったよな……。

 一瞬で作ったのか。

 さっきの回復魔法といい、白竜さんは多岐にわたる魔法の使い手のようだ。


 俺はモモと一緒に、勇者アベルをベッドまで運んだ。

 アベルは、眠ったままだ。

 ふと隣を見ると、モモが疲れた顔をしている。


「モモも少し休んでいいぞ」

「は、はい……。でも、師匠もお疲れの様子ですよ」

「ああ、そうだな」

 実は寿命を吸われた影響か、さっきから身体が重い。

 今すぐ横になりたい。


「私が見張りをしておきますね」

 一人だけ元気な水の大精霊ディーアが、提案してくれた。


「ありがとう、ディーア。じゃあ、頼めるかな」

「はい、我が王」

 白竜が、モモと俺にもベッドを魔法で造ってくれた。

 モモは、そこでパタンと横になって寝入っている。

 俺はモモのベッドに寄りかかるようにして、目を閉じた。

 すぐに、微睡みに落ちた。




 ◇




 目が覚めた。

 眠ったのはどれくらいだろう。

 時計が無いので、時間はわからない。

 疲れは残っているが、身体のだるさは多少回復した。


「すー……、すー……」

 後ろから可愛らしい寝息が聞こえた。

 モモはまだ寝ている。


 ――目を覚ましたか、人間。


 脳内に低い声が響いた。


 うおっ! びっくりしたぁ!

 目の前の白竜さんの巨体に、身体がびくりと震えた。

 寝起きだけど、一瞬で目が覚めた。


「おかげで、少し休めました。ありがとうございます」


 ――うむ


 俺の言葉に、仰々しく白竜さんが頷いた。

 さて、俺たちが寝ている間に見張りをすると言っていた水の大精霊あいつは……。


「あれ、ディーア?」

 見張りをしているはずの、水の大精霊ディーアの姿が見当たらない。


 ――水の大精霊ウンディーネなら精霊界へ戻った。もっとも精霊界から見張っているから変な事をするとすぐに飛んでくると言ってたな。


「はぁ、そう、ですか……」

 精霊界ってのは、どこにあるんだろう?

 まあ、いっか。

 あとでお礼を言っておこう。

 ディーアには、世話になった。

 さて、あとは勇者アベルが目を覚ましてくれるといいんだけど。


 俺は、アベルの様子を見ようとベッドに近づいた。

 ベッドの上の人物は、未だに眠ったままだ。

 顔が見えるくらいの距離に近づいて覗き込んだ。



「え?」



 足が止まった。

 勇者アベルが寝ているはずのそこには……。

 そこには、が寝ていた。



「…………は?」

 一瞬、寝ぼけているのかと瞬きを繰り返し、頭を振ったが目に映るものは変わらなかった。

 俺は改めて、ベッドで寝ている人物を観察した。

 

 煌めく金髪。

 絹のような肌。

 天使のような寝顔。

 整った顔の女性の瞳が、ゆっくりと開いた。


「……ん、あれ、僕は……一体?」

 蒼玉サファイアのような瞳を、眠そうにこすりながら彼女は起き上った。

 寝ぐせで、少しだけ髪が乱れている。

 俺が絶句していると、彼女は俺を見て言った。


「マコトさん? うわっ! 僕はなんでこんなところで、寝てるんですか!? しかも、古竜エンシェントドラゴンのすぐそばで!」

 ベッドから飛び降りた彼女の服装は、勇者アベルのものだった。

 もともと華奢だったその身体は、いつもより小さく見えた。

 あわあわと、立ち上がるその姿、その顔は……。

 

(の、ノエル王女……?)


 俺の記憶にある太陽の国ハイランドの王女様の姿に瓜二つだった。

 そんなはずはない。

 今は千年前の時代。

 ノエル王女が、居るはずが無い。


 ――目を覚ましたか。人間の勇者


 白竜さんの安堵したような声が響いた。

 が、俺はそれどころではない。


「あの、マコトさん? どうしましたか?」

 目の前。

 勇者アベルの服を着た、ノエル王女にそっくりの女性はきょとんとしながら言った。

 彼女の服装、話し方からきっと彼女はアベルなのだろう。

 だから俺は聞くしかなかった。



「…………あなたは、アベルさん……なんですか?」



 恐る恐る俺が問いかけると、彼女は「はっ!」とした顔になった。

 慌てて周りを見回し、泉があることに気付く。

 泉に駆け寄り、自分の顔を確認している。


 そして、悟ったようだ。

 自分の変化に。

 彼女は、気まずそうにこちらに戻ってきた。

 視線を泳がせ、上目遣いで俺を見つめた。

 その目は勇者アベルと同じだった。

 

「はい……僕が、アベル……です」

 少しモジモジとしながら、手を後ろに組み彼女は言った。 


 ゆ、勇者アベルが女の子になってしまった!?

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