143話 魔の森の決戦 その4

 ◇ ジャネット・バランタインの視点◇



 ――あれは、数年前の記憶。



 ハイランド城にある大賢者様の教室。

 生徒は、『勇者』や『巫女』など、今後、国の中枢を担う人材ばかり。

 私はただの『超級騎士』に過ぎないが、『勇者』であるジェラルド兄さんに無理を言って参加させてもらった。

 教壇では、白髪に白いロープの大賢者様がふわふわ浮かび、生徒たちを見おろしている。


「いいか、ひよっ子ども。お前らのような生温い環境じゃ、千年前なら一瞬で挽肉だ」

「ああ? 問題ねーよババア。俺の『雷の勇者』スキルで、蹴散らしてや……ぐはっ!」

「先生と呼べ、クソガキ」


 兄が大賢者様に、蹴られている。

 はぁ……、兄さんってば。


「ジェラルド、真面目にしなさい」

 ノエルねえが、呆れた口調で兄をたしなめている。

 聖女アンナの生まれ変わりと呼ばれ、兄の婚約者であるノエル王女。

 私の憧れの人だ。 


 でも、最近はほとんど会話をしていない。

 兄の婚約者では、無くなってしまったから……。

 昔は姉のように慕っていたけど。


「大賢者様、大魔王イヴリースはどんな能力を持っていたんですか?」

 私は、大賢者様に質問した。


「ふむ、妹は真面目でよい子だな。答えよう。大魔王の最も厄介な能力は『転生』と『覚醒』の魔法だ」

「転生と覚醒……ですか?」

「どんな魔法なんですか?」

 ノエル姉と一緒に質問をする私。


「大魔王の配下の魔族は、倒したと思っても復活してくるのだ。『転生』魔法でな」

「アンデッドのようなものでしょうか?」

 でも不死者は、太陽魔法が弱点だ。

 兄さまや、ノエル姉なら簡単に倒せる。

 

「アンデッドではない。『生まれ変わる』のだ。しかも『覚醒』魔法によって、より上位の存在になってな」

「「「上位の存在?」」」

 生徒たちも含め、聞きなれない単語に首を傾げる。


「貴様らは、この世界が唯一のものだと思っているんだろう? だが、実際のところは、我々の住む世界など無数にある『異界』の一つ。大魔王イヴリースは『異界』からやってきた者だ。さらに言うと、大魔王イヴリースの居た世界は、我々の世界よりも強者が多くいる世界らしい」


(……よくわからない)


 私には、大賢者様の言う意味が理解できなかった。

 でも、それは他のクラスメイト達も同様だったみたいだ。


「はっ! くだらねぇ。『異界』からの魔王だろうが、ぶった切ってやればいいだけだろ!」

 兄はシンプルだ。

 強さこそが全て、という考え方。

 しかし、大賢者様は面白そうに微笑んだ。


「威勢がいいな、ジェラルド。だが、上位の存在は恐ろしいぞ。下位世界の住人である我々には、その姿をまともに見ることすらかなわん。視線に入れるだけで、精神を病む」

「「「「……」」」」

 見ることすらできない?

 そんなの、反則じゃない!

 どうしようもないじゃないか。


「まあ、女神の加護のある勇者や巫女なら大丈夫だ。それに精神を安定させるスキルを鍛えることで、普通の人間でも上位の存在に対抗できる。あとやっかいなのは、大魔王イヴリースが造った『忌まわしき魔物共』だ」

 忌まわしき魔物。

 千年前に数多く居たという、大魔王の配下の魔物。

 私たちが普段戦っている魔物とは、全く異なる存在らしい。


「バ……先生。忌まわしき魔物ってのは、どこに居るんだ?」

 さすがの兄も、暴言は繰り返さなかった。


「外の世界から来た魔王イヴリースは寂しがり屋でな。配下の魔族や魔物たちを、『転生』と『覚醒』魔法で、自分と同じ上位の存在に作り変えようとした。それにしたのが、『忌まわしき魔物』だ。この世界の生物ではありえない、おぞましい姿をした怪物だ」


「では、すでに存在しないのですか?」

 私は質問した。


「北の大陸には、多少忌まわしき魔物が残っているらしいが、それ以外は全て滅ぼした。誰かが新たに生み出さん限り、出会うことはない。『転生』魔法の使い手など、大魔王を除いて知らんがな」

「ふーん、失敗したら忌まわしい魔物か。じゃあ、『転生』に成功したらどうなるんだ?」

 兄が生意気な口調で、質問している。

 私は少しドキドキしたが、それは私も気になった。

 大賢者様は、つまらなそうに「強くなるだけだ」と答えた。


「魔眼のセテカーは、『転生』の成功者として有名な魔族だな。もともと弱かった不死者が、大魔王の魔法で『魔眼』を持った上級魔族へ生まれ変わった」

「たしか……救世主アベル様が倒したという有名な魔族ですよね?」

 ノエル姉が付け加える。

 

「ああ、その通りだ。『石化の魔眼』のセテカーと『邪神の使徒』カイン。そいつらによって、千年前の勇者はアベルを除いて全滅させられた」


 これも有名なおとぎ話。


『邪神の使徒』『狂った英雄』『人族の天敵』などと呼ばれる魔王カイン。

 千年前、多くの勇者が一人の魔王に皆殺しにされた。

 伝説によると、なぜか配下も持たず、たった一人で世界中を回って勇者を殺していたらしい。


 そいつと一緒に行動することが多かったという、『石化の魔眼』を持つ魔族セテカー。

 大賢者様の話では、セテカーは大魔王によって『転生』した魔族なんだとか。

 一説では、『魔王』になれるほどの実力者であったのだが、頑なに固辞していたという言い伝えもある。


「まあ、どちらもアベルによって滅ぼされた。気にしなくていい。問題は、忌まわしき魔物たちだな。そいつらは自我を無くし、生物としての機能も持っておらず、子をなすことすら出来ない。だが、成り損ないとは言え、上位世界の生物だ。迂闊に挑めば、喰われる。もし出会ってしまったなら、戦うメンバーは厳選しろ。弱い者では餌になるだけだ」

 皆、真剣な顔で聞いている。

 

「腕が鳴るな……」

 兄さんが、不敵な笑みを浮かべている。

 本当に好戦的な人だ……。


 数年後、大迷宮に『忌まわしき竜』が出たという報告が上がった時、ジェラルド兄さんは自分が行くと燃えていた。

 残念ながら、政治的な判断により異世界から来た『光の勇者』へ手柄を立てさせる場と化してしまったが……。

 あの頃の、兄は本当に荒れていた。

 最近は、ローゼスの勇者にリベンジすると言って、楽しそうに修行しているけど。

 

「一つ言えるのは、忌まわしき魔物に出会ったら初回は逃げろ。連中は、『冥府の瘴気』と共に、とにかくこちらの精神を乱してくる。まともな戦いにならん。勇者なら別だがな。普通のやつは、徐々に慣れるしかない」

「「「「はい!」」」」

 生徒たちは、威勢よく返事をした。

 私も。


 でも、実際のところ、大賢者様の言葉が想像できていなかった。

 そんな恐ろしい魔物が居たって、『稲妻の勇者』である兄や、太陽の騎士団ならきっと倒せるだろう。

 それに、大賢者様だっているんだ。

 だから、きっと大丈夫。

 数年前の私は、そう思っていた。 



 ◇



 ――そして、現在。


 魔の森の焼け跡。

 あたりにドロリと淀んだ空気が溜まっている。


 瘴気があたりを満たしているからだ。

 それだけじゃない。


 ――甲高い奇声。

 ――ケタケタと嗤う声。

 ――死の淵に上げるような絶叫。

 ――この世の全てを呪っているような怨嗟の声。

 

 それらの声が混じり合い、不協和音を奏でている。

 私は、眼球だけを動かし恐る恐る周りを見る。 


 私たちは、黒くドロドロとしたスライムのような皮膚が、ボコボコと泡立っているグロテスクな怪物たちに囲まれている。

 黒い魔物たちは、ぐにゃぐにゃと形を変え、何かに成ろうとしている。

 もしくは、生まれようとしている。

 じっと見ていると、脳が変になりそうだ。


 ――頭が、痛い。

 ――手が、痺れる。

 ――身体が震えて、動けない。

 ――鼻を突くような異臭がする。


(これが、大賢者様の言っていた『冥府の瘴気』なのだろうか……)

 ああ、こんなところにずっと居るくらいなら、いっそ楽になりたい……。

 


「風の精霊! 吹き飛ばしなさい!」

 ロザリー様が叫ぶと、瘴気が一瞬で吹き飛ばされた。

 

 少しだけ、気分が晴れた。

 さっきまでの死にたいような気分ではなくなった。


「あ……ああっ…………」

 声を発しようとして、言葉にならなかった。

 ……喋る方法を忘れてしまった? 

 どうやって、私は喋っていた?

 その時、肩を優しく叩かれた。


「ジャネットさん? 大丈夫?」


 耳元で声をかけられ、肩を抱き寄せられる。

 そこには、一緒に居たローゼスの勇者マコトの顔があった。

 怪物に囲まれた中で、その顔を見て私はほっとした。


「あ、あの……」

「顔色悪いから、休んでて」

 普段通りの穏やかな声を聞くと、私の心も落ち着いてきた。

 私は、勇者マコトに回復薬を飲ませてもらった。  

 徐々に心に余裕ができてくる。

 ふと、近くの仲間たちを見渡した。


(……え? なにこれ……)


 助けに来てくれたエルフの里の皆や、私の隊の騎士たちが膝をついている。

 中には気を失っているものも。


 なんとか、平静を保てているのは、ロザリー様、風樹の勇者、アヤとかいう戦士の女の子、……そして高月マコトだけだ。

 他は、病人のような顔色をしている。


「おーい、ルーシー。水飲む?」

「う、うん……」

 ローゼスの勇者マコトは、私の傍を離れ、仲間の介抱をしている。


(もう少し、一緒に居てくれてもいいのに……って、何を考えている!?)

 私は、ペガサス騎士団の隊長だ。

 慌てて、仲間の騎士にもとに駆け寄る。

 しかし、身体が重い。

 一応、みんな意識はあるようだ。


「あなたたち『冷静』スキルを使いなさい。あと、忌まわしき魔物の姿は凝視しないこと。特に魔王もどきは、絶対に見ちゃダメ。精神が汚染されるわよ。私とマッキー坊やで戦うわ。木の女神様フレイアの聖剣は持っているわよね?」

「は、はい。ロザリー様」


 どうやら紅蓮の魔女と風樹の勇者で、魔王に挑むらしい。

 風樹の勇者マキシミリアンが、腰の剣を握りしめる。


「聖剣の解放はできる?」

 ロザリー様が、尋ねる。

 女神の加護をもつ勇者は、『女神の聖剣』のチカラを100%引き出す『解放』が使える。


 世界に七振りのみ存在する女神の聖剣。

 その解放ができるのは、女神の勇者のみだ。

 兄のジェラルドも血が滲むような努力をして太陽の女神様アルテナの聖剣『カリバーン』を使いこなせるよう修行していた。


「はい! ロザリー様!」

 風樹の勇者が、その巨体な龍人の体躯より、さらに大きい大剣を構える。

 刀身が緑に輝き、清涼な風が吹き荒れる。


 

 ――木の女神フレイア様のご加護を



 風樹の勇者マキシミリアンの言葉と共に、彼の周りに温かい魔力が溢れるのがわかった。

 私も含めて、周りのエルフや騎士たちの表情が柔らかくなる。


(ああ、凄い。これが勇者のチカラ……)


 女神の加護を受け、皆の先頭に立って戦う人類の希望。

 彼ならきっと魔王を倒してくれる……。

 おそらく、周りの者たちもそう考えたはずだ。


「うーん、五割ってとこかしら?」

 しかし、紅蓮の魔女ロザリー様の声は硬かった。


「は、はい。一年ほど前にやっと解放できたばかりで……」

 申し訳なさそうな表情をする風樹の勇者マキシミリアン。

 私には十分に見えたが、聖剣の解放は十分なものではなかったらしい。

 そういえば、兄も「まだ七割だな」とか大賢者様に言われてたっけ?


「私が全力で戦えるなら、いいんだけど……。石化の呪いが全身に回らないように、魔力を使っているから本気だせないのよねー」

「なんと……」

 ロザリー様が、困った顔をしている。

 それを聞いて、風樹の勇者の表情が険しくなる。


「一度、空間転移でカナンの里に行って、巫女に呪いを解いてもらうのはどうですか?」

 ローゼスの勇者マコトが、提案してきた。

 そうか! その方法があった!


「無理かなぁ、いくら巫女でも『石化の魔眼』の呪いを解くのは時間がかかるわ。その間に、こっちが全滅しちゃうわ」

「そうですか……」

 ロザリーさんの返事に、勇者マコトが肩を落とした。


「あとは、氷雪の勇者のレオくん、聖剣は持ってない?」

「申し訳ありません、……僕はまだ、水の女神の聖剣アスカロンを国外へ持ち出す権限がありません。僕は成人していないので……」

「ま、そうよねー」

 そんな会話をしている時。

 

 

 ――シャアア!



「ひっ!」

 誰かの悲鳴が上がる。

 突然、真っ黒な鳥のような魔物が襲ってきた。

 しかし、その鳥には翼と胴体があるのに、頭が存在しない。

 胴体に、なん十個もの大きな口があった。

 忌まわしき魔物!?

 

「火魔法・炎の矢」

 ロザリーさんの魔法が、閃光となりその魔物を打ち抜いた。

 鳥のような魔物は、胴体に大きな穴を空けているが、バタバタと苦しそうに悶えている。

 が、一向に動きを停めない。

 ずっと、バタバタと動き続けている。

 異様な光景だった。


 ……なんで、あれで、死なないの?


「まずいわねー、私たちを取り囲んでいる魔物は『不死王』ビフロンスの影響でアンデッド化した忌まわしき魔物みたい。普通の魔物よりタフになってるなぁー」

 困ったわねー、と言いながら考え込んでいる。


「ロザリー様。私が『不死王』ビフロンスを倒します。この木の女神フレイア様の聖剣クレラントで」

 風樹の勇者マキシミリアンが、覚悟を決めた言葉を発する。


「うーん、でも五割の解放の聖剣で、倒せるかしら……」

「しかし、他に方法が!」 

 意見が平行線になっている。



「あの~、ロザリーさん。俺の神器は使えませんか?」



 紅蓮の魔女と風樹の勇者が、険しい顔をしているところにローゼスの勇者が割って入った。

 なんで、この男はこんなに落ち着いているんだろう?


「マコト殿……、お気持ちはありがたいですが……魔王には聖剣でなければ倒せないのです」

 風樹の勇者が申し出を断った。

 が、紅蓮の魔女の目つきが変わった。


「ん? ちょっと、待って。神器ってその短剣?」

「はい、女神様から賜ったもので」

 ロザリー様は、じっと短剣の刀身を睨んでいる。


「解放して見せて」

「解放って何ですか?」

「何でもいいから、短剣のチカラを見せて」

「はぁ……」


 頭をかきながら、短剣を上にかかげて。


(エイル様……お願いします。ええ、前借りってことで……)


 ぼそぼそと、何かつぶやくのが聞こえた。

 何を言ってるんだろう?

 私はそれを聞き取ろうと、近くに行こうとして




 ――はぁ、しょうが無いなぁ。マコくんは




 気のせいかと思うくらいのかすかな声が頭の中に響いた、気がした。


 一瞬だけ、勇者マコトの短剣を掴む『何者かの手』が視えた。

 あまりの神々しさに目が眩み。

 先ほどの忌まわしき魔物や、魔王とは比べ物にならない『威圧感』が私を襲った。



 ――心臓が押しつぶされそうな恐怖感と

 ――息が止まるほどの圧迫感と

 ――極寒に裸で放り出されたような寒気がした

 

(……な、何!?) 


 その時。

 一斉に、忌まわしき魔物たちが

 小山のような巨体の魔物――魔王ですら。

 

 全ての魔物が、高月マコトを凝視していた。

 

 自分たちを滅ぼしかねない者を。

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