97話 高月まことは、水の女神と話す

「初めまして、ノアの子。私は水の女神エイルです」


 その顔、その声は確かにソフィア王女だ。

 だが、浮かぶのは不自然な微笑み。

 ソフィア王女の青い眼が、黄金色に輝いている。

 王女を包む魔力マナが、溢れ出て光を放っている。

 精霊さんたちは、全ていなくなってしまった。


 ――この世界を統べる聖神族。


 水の属性を司る女神:エイル様。

 水魔法使いである俺にとって、絶対に逆らってはいけない女神様だ。

 彼女の機嫌を損ねると、俺は水魔法スキルを失ってしまう……らしい。


「そんなに緊張しなくてよいですよ」

 くすくすと、ソフィア王女が見せたことがない笑顔のエイル様。

 しかし、その身が発する重圧感プレッシャーは、これまでのどんな魔物とも比較にならない。

 ビリビリと、空気中の魔力マナが震えている。


 これが、巫女への女神降臨か……。


 

 ◇



「女神降臨?」

「有名なお話がありまして。女神信仰の巫女様は、その身に女神様を受け入れる事ができる。そのため、巫女の身は清くなければいけないそうです」

 俺がハイランド城のパーティーで、ノエル様の処女説を話したところ、ふじやんが教えてくれた。


「じゃあ、ノエル王女やソフィア王女は女神様が乗り移るってことか」

「拙者も実際に見た事はありませんが……。神託を下す時などに、女神様が降臨されるそうです」

「へぇ」

 

 本来、使徒や巫女でなければ聞くことができない神様の御言葉を、巫女を通して人々が聞くことができる。

 だからこそ、巫女とは特別な存在なんだそうだ。


「しかし、ノエル王女からそのようなことを? 随分親しくなられましたな」

 呆れたような顔をするふじやん。

「俺にそんなことを言われても困るだけだよね」

「桜井殿の婚約者ですぞ。仲良くするのもほどほどにしなされ。ソフィア王女が嘆きますぞ」

「なんで、そこでソフィア王女が……?」

「鈍感系ですなぁ……」

「?」

 


 ◇



 あの時のふじやんの会話の意味がわかった。

 はっきり言ってくれれば……いや、言われてもどうすればいいものか。

 それはそうと、今の状況を整理しないと。


水の女神エイル様。本日は、どのようなご用件ですか?」

『明鏡止水』スキルで心を落ち着け、俺は目の前の女神様にたずねる。


「新しい水の国ローゼスの勇者さん。先日は、王都ホルンを救っていただいてありがとうございます」

 微笑む水の女神エイル様。

 普段の表情との違いに、落ち着かない。


「あれは……ラッキーでした。それに、ノア様の助言のおかげです」

 ソフィア王女と同調シンクロできないと、忌まわしき巨人は倒せなかった。

「それでもあなたの力ですよ。『氷雪の勇者』レオくんは、まだ幼いですからね。彼も才能溢れる少年なのですが……。まだ、荷が重かったようです」

「レオナード王子は、苦労してますよね」

 あの少女のような少年を思い浮かべる。


「ふふっ、だからレオくんを助けてくださいね」

 口元に手をあてて、楽しそうに笑っている女神様。

「まあ、できる範囲で」

 任せてください! と力強く言えないところが悲しい。

 所詮、俺は魔法使い見習いだからなぁ。


「あら? 強くなりたいのなら私が『ギフト』スキルを差し上げますよ」

「え?」

 ずいと、ただでさえ近いからだをさらに寄せて、俺の頬に手を回してくる女神エイル様。


「あ、あの……近」

「勇者まことくん。水の女神わたしの信者になれば、『水魔法・聖級』スキルを得られますよ」

 さらりと、女神様は言った。


 え? 今、なんて?

 聖級?

 王級のさらに上。

 この大陸でも、数人いるかいないかのスキル。

 それを貰える?


「あの……一体、何を……」

「あなたの苦労は、ソフィアちゃんから聞いて知っています。『水魔法・初級』と『精霊使い』でやりくりされてますが、大変ですよね?」

「……」

 はい、苦労してます。

 精霊が居ないと、魔法が使えないし。

 暴走したり、魔法使うまで時間かかるし。

 かといって、俺だけの魔力では何も倒せない。

 

「私の信者になれば、すべて解決しますよ?」

 そう……なのか?

 いや、しかしその条件が……改宗すること。

 ノア様を裏切れと?


「まことくんの水魔法の熟練度は、およそ200。『水魔法・聖級』スキルがあれば、大陸一の水魔法使いです。太陽の国に居る大賢者さんより強い。水魔法だけならね」

「……そ、そうですか」

 最弱の属性:水魔法。

 それでも、女神様直々に大陸一と言われると……。


「どうしますか、まことくん?」

 さきほどから変わらぬエイル様の笑顔。



『水の女神エイル信仰へ改宗して、水魔法・聖級のギフトスキルを受け取りますか?』


 はい

 いいえ ←



「……」

 恐ろしいほどに魅力的な選択肢が表示された。

 悪魔的な誘惑だ。


「あら? 私は女神ですよ。悪魔なんていうと罰があたりますよ?」

「……当然のように心が読めるのですね」

 ノア様と一緒か。

 そんなことを考えていると、過去の記憶が蘇った。


 異世界へ転移して、自分ひとりが最弱のステータスだと知った日。

 微妙なスキルで、それでも修行した。

 水の神殿にただ一人取り残された苦い記憶。

 クラスメイトが誰も残っていない中、残り僅かな寿命に怯えて過ごした日々。

 この世界での苦労が報われるってことか?


 …………『水魔法・聖級』スキル。

 こんなチャンスは、二度とないだろうなぁ。


 俺は大きくため息をついて、返事をした。

 


水の女神エイル様。俺はノア様の使徒です。今までも、これからもずっと」

 女神様の黄金の眼を見つめ、言った。


「あら? 振られましたね」

 女神様は気にすることなく、微笑んだままだ。

 空中で、指をパチンとはじいた。

 何の仕草だ?


(ま、まことぉ~~~~~~!?)

 あ、ノア様だ。

(私の信者のまま? 改宗してないよね!? よ、よかったぁぁーーー)

 久しぶりに、こんなに焦ったノア様の声を聞いたな。


(こ、このクソ女神! 私のまことに、何言ってるのよ!)

「あら? 私の可愛いソフィアちゃんの想い人に何か贈り物をしてあげたいって、慈悲の心よ?」

(何が慈悲よ! あんたは、たくさん信者が居るからいいでしょ! 私はまことしかいないのよ!)


 お、おお……。

 女神様同士の言い争い。

 あんまり、怖くないなぁ。


「でも、千年前の水の勇者は、ノアの使徒に殺されちゃったじゃない? おかげで水の国ローゼスは、国土も小さくて子孫が苦労してるのよ?」

(う、うぐ……。それは悪かったわよ)

 千年前の前任の使徒センパイが、色々やっちゃった件か。

 伝説の勇者殺しだっけ……?

『禁忌の黒騎士』とか『狂った英雄』とか呼ばれてるとか。 


「それにしても凄いわね、彼。私が魅惑の魔眼で見つめても、顔色一つ変えなかったわ」 

「え?」

 何? 俺、魅惑されてたの?


(バカねー。神界一の美神:ノア様の姿を見ても誘惑されなかったのよ? まことがそんなものに心動かされるわけないじゃない)

「……ノアの姿を見せたの? それで正気を保ってたの?」

 水の女神エイル様が、初めて笑顔でなく怪訝な顔をした。


「まことくんって本当に人間?」

(んー、多分?)

「何で、人間じゃない疑惑が出てるんですか」

 さすがに、つっこまざる得ない。


(とにかく! 今後は、まことへの勧誘禁止よ!)

「まことくん~、水魔法・聖級が欲しかったらいつでもソフィアちゃんに言ってねー」

(あんた! 話聞いてる!?)

「じゃあねー、まこくん~。あ! 私が降臨したことはみんなにナイショね」

 にこやかにウィンクされた。

 さっきまでの、威厳が無くなりフランクな態度の女神様。

 こっちが素だろうか?

 てか、内緒なんですか? なぜ?


 ひらひらと、手をふって、ふらっとソフィア王女がこちらへ寄りかかってきた。

「おっと」

 慌てて肩を受け止めると、ソフィア王女が口を開いた。

 その表情は、いつもの彼女だ。


「……ま、こと」

「ソフィア王女?」

 眠そうな表情で、眼をこするソフィア王女。


「すみません、……随分長く寝てしまったのでしょうか? 身体が楽になりました」

 ソフィア王女が立ち上がり、服装や髪の乱れを直している。 

「おかしな夢を見ました。水の女神エイル様が降臨される夢。こんな場所で降臨されるはずないのに」

「そ、そうですかー」

 口止めされたからなぁ。

 信仰外の神様とはいえ、女神様のお願いに逆らうのは怖い。

 黙っておこう。


「ありがとうございます。おかげで、少し休めました」

「あんまり寝れてないのでは? 身体を労わったほうがよいですよ?」

 顔を覗き込むと、つっと顔を逸らされた。


「だ、大丈夫です! ところで……私は寝る前に何か言いましたか?」

「えっと」

 寝ぼけてた時の会話だろうか?


「俺は水の国にずっと居ますよ」

「そ、そうですか。あ、ありがとうございます」

 後ろを向いたまま、ソフィア王女はやや裏返った声で答えた。 


「次は俺から食事を誘いますね」

「……はい。待っていますね」

 そう言ってソフィア王女は、ハイランド城へ向かった。


 俺は、いったん宿に戻る事にした。

 ソフィア王女があんなに頑張ってるのに、何か俺ができることはないかねぇ……。 



 ◇



「まことさん!」

 宿に戻る途中、俺を見つけてやってきたのは『氷雪の勇者』レオナード王子だった。

「どうしました? というか、レオナード王子はこちらで何を?」

 王子が一人とは、危なっかしい。


「それが……水の女神エイル様が降臨された気配を感じまして。慌ててソフィア姉さまのところに向かったのですが、気配が消えてしまいました。確かに女神様の気配を感じたのですが……」

 眉を寄せて考え込むレオナード王子は、今日も可愛い。

 そうか、レオナード王子は水の女神エイル様を信仰する氷雪の勇者。

 女神様が降臨されると気付くのか。


「まことさんは、何か気付きませんでしたか?」

「い、いえ」

水の女神エイル様の降臨は、国家レベルの大事件です。確かに、こんな普通の日に起きるはずは無いのですが……」

 レオナード王子はぶつぶつと、納得いってないのか、考え込んでいる。

 今さらだけど、女神様と話すって結構な大事おおごとなんだな。

 俺は普段、気軽にノア様と話しているけど。


「ところで! ソフィア姉さまとお食事されたのですよね!」

「え、ええ」

「どうでしたか!?」

 なんだろう、レオナード王子が凄い勢いで聞いてくる。


「食事は美味しかったですよ。ただ、ソフィア王女が疲れていたのか途中で寝てしまいました」

「……姉さまが、途中で……寝た? 本当ですか?」

 驚愕したように、目を見開いているレオナード王子。

 何か変なこと言ったか?


「レオナード王子、何か変なこ……」

「やあ、高月くん、レオナード王子」

 会話に割り込んできたのは、『光の勇者』桜井くんだった。


「やっ」と片手を上げる俺と。

 胸に手をあて、貴族流の挨拶をするレオナード王子。

 それに返す、桜井くん。

 おお、あれカッコいいな。

 俺も覚えたほうがいいかな。


「すまない、邪魔をして。……高月くん、このあと時間あるかい?」

 申し訳なさそうに言う彼は、少し疲れた顔をしている。

 横山さんに、桜井くんを手助けしてくれと言われたのを思い出した。


「いいよ、桜井くん。レオナード王子は、どうします?」

「え? 僕が一緒でもよいのですか?」

 あれ? 普通に誘ったけどレオナード王子は王族か。

 少々、無礼だったか?


「レオナード王子がよければ」という桜井くん。

「まことさんと一緒であれば、是非」レオナード王子も問題ないらしい。


 俺たちは、桜井くんに連れられてハイランド城の光の勇者の部屋にやってきた。



「ここが桜井くんの部屋かぁ……」

 いや、部屋というべきなのか……。

 百畳くらいないか?

 ギルドのエントランスくらい広い。


 俺たちは、部屋の中にある大きなテーブル周りの椅子に腰かけた。

 

「……実は、月の巫女のことで相談なんだ」

 疲れた顔をしている桜井くんが、語り始めた。



 ――月の巫女。



 滅びの国:ラフィロイグ王家の血筋を引き、月の女神ナイア信仰の頂点。

 しかし、その権力は地に落ちている。


 千年前、月の巫女は人族を裏切り大魔王側に内通していた。

 最終的には、救世主アベルにその悪事を暴かれたそうだが、大魔王が滅びたあと月の国は、太陽の国を中心とする六国に滅ぼされたそうだ。 

 その時、ラフィロイグ王家は根絶やしにされた。

 ――月の巫女を除いて。  

 

「なんで? 普通、逆では?」

 人族の裏切りものこそ、処刑されるのでは?


「大魔王が滅びると同時に、千年前の月の巫女、厄災の魔女は姿を消しています。一説には、救世主様に倒されたとも言われていますが」

 レオナード王子が教えてくれた。

「その後、月の巫女は歴史上にごくまれに現われている。滅んだラフィロイグ王家の末裔として。今回、太陽の騎士団が捕らえたのはそんな月の巫女の一人だ」

 桜井くんが、辛そうに答えた。

 どうしたんだ?


「月の巫女が、ラフィロイグにいる魔人族を集め復興を企てている。そのため、太陽の騎士団により討伐されたと聞きましたが、桜井様が指揮されたのですね」

「ああ、そういえばふじやんに、そんな話を聞いたかも」

 桜井くんも、大変だなーって思って聞いてた。


「だけど……実際のラフィロイグに居る人々は、大人しく暮らしているだけの人たちだった」

「え?」

 桜井くんの言葉に、思わず聞き返した。


「大魔王に怯える人々の気持ちを鼓舞するための、デモンストレーションだったんだ……。実際のところは、大人しく暮らす魔人族への弾圧だったよ……」

「光の勇者様……」「桜井くん……」

 何というか……気の重くなる話だ。

 桜井くんは、何も知らずに利用されたのか。


「僕が月の巫女討伐に選ばれたのは、『状態異常無効』スキルのせいだったんだ。月の巫女は、運命魔法の名人でかつ、闇魔法、呪魔法の使い手。人を惑わす魔法を得意とする。だから、僕が捕らえたんだ」

 桜井くんの声には、いつもの明るさは無い。


「月の巫女には、悪し様に罵られたよ。『大人しく暮らしている罪人をこれ以上傷つけて何が楽しいのか』って」

「「……」」

 聞いてて気持ちがいい話じゃないなぁ。


「だけど、幸い彼女は脱走できた。だが、どうやら王都シンフォニアからはまだ出ていないらしい。本当はダメなんだけど、僕は彼女だけでも逃がしてあげたいんだ……」

 桜井くんの言葉に、レオナード王子と顔を見合わせた。


「まことさん、どうするのですか?」

「桜井くんの頼みなら、手伝いたいけど部下の太陽の騎士団を使えばいいんじゃない?」

「……この行動は、太陽の国の決定に違反している。僕個人の我がままなんだ」

 なるほどねぇ。

 

「で、どこに居るのかわかってるの?」

「いや……それが、その手の情報を集めるのが苦手で」

 桜井くんが、申し訳無さそうに言う。


 うーん、どうしたものかねぇ。

 この手の人探しは、ふじやんが得意だ。

 商人ネットワークを使って。

 しかし、ふじやんは現在忙しい。

 さらにお願いをするのは、気が進まないなぁ。


 しかし、俺も情報収集は苦手だ。

 レオナード王子も、王族の力を使うならともかく、個人としては似たり寄ったりだろう。

 困った。


(墓地よ)

 え? ノア様?

(シンフォニアの墓地を探しなさい)

 随分、具体的な助言をくれたな。

 もしかして、エイル様に誘われたことを気にしてます?

(ち、ちがうから!)

 図星らしい。

 そんなに、心配しなくていいのに。

 俺は、裏切りませんよ?

(…………そう)

 ちょっと、嬉しそうな声が聞こえてきた。


「桜井くん、墓地だ。そこに月の巫女がいる」

「「え?」」

 突然、断言する俺に桜井くんとレオナード王子が怪訝な顔を向ける。

 それを説得して、俺たち勇者3人組は王都最大の墓地へ向かった。

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