第3話 闘争


「遂に落ちる所まで落ちたな。そろそろ逃げても良いか?」


「ダメです。あなたが逃げると士気が駄々下がりです陛下」


「既に私が駄々下がりな件について」


「お気持ちは察しますが、我慢してください。ここまで踏ん張れたのは陛下のお力故なのですから」


「あー分かってる分かってる、言ってみただけだ。愚痴の一つも許してくれんのかお前は?」


「最近の陛下の愚痴は本音としか受け取れませんので」


「おい、その可哀そうな子を見るような目はやめろ」


縦横15メートル程の、広くはないが豪華な部屋にただ一つ置かれた玉座。そこに座るのは、長い金髪を後ろでまとめ、フィッシュボーンに結い上げて背中に伸ばし、豪華なドレスを着た陛下と呼ばれる端正な顔立ちの幼い少女。そしてその隣に立つ冷淡な目をした宰相と、ため息混じりに会話をしていた。しかしどうも様子がおかしい。足むき出しのドレスを着た少女は前で足を組み、肘掛けに頬杖をついて実に気だるそうにしている。その姿勢と表情はとても少女には見えず、まるで40代の女性がやさぐれたような荒んだ雰囲気を醸し出していた。


「そう言えば、あのロリコンはどうした?」


「はい、あのロリコンは現在我が国の東に布陣しているかと思われます」


二人の言うロリコンと言えば一人しかいない。竜王国随一のアダマンタイト級冒険者チーム”クリスタル・ティアの”閃烈””こと、セラブレイトだ。神聖系のホーリーロードという職業に就き、ビーストマンの大侵攻に遭いながらここまで戦線が保たれていたのも、彼の力があってこそだった。


「このままでは貞操の危機だ。あいつがこれ以上武勲を立てれば、この体で本格的に奴の欲望を満たしてやらなければならなくなるぞ。いっそここらで本当の私の姿を見せておいたほうが良いのかもしれん」


「いけません陛下。そのロリ形態だからこそ彼と兵士達はあなたの為に必死に戦っているのです。その戦意を削ぐような真似をすれば、この国は一気に押し潰されてしまいます」


「お前、今言ってはいけない事を言ったな。 何がロリ形態だ愚か者」


「まあ冗談はさておき、いかがいたしますか?軍事費・兵站・国内の食糧備蓄も底を尽きかけております。合わせて陛下の最終手段である始原の魔法まで用いたにも関わらず、ビーストマン共は戦力を再集結させつつあります」


「あの時始原の魔法の贄として志願してくれた者達の総数は?」


「約30万人程かと」


「念を押すが、その際贄となった者達に死者は出ていないのだな?」


「はい。その点につきましては確認済みです。しかし国民は皆、女王陛下の力になる為なら死すら厭わない覚悟で臨んでおりましたので、気に病む必要はございません」


「そうは言ってもな。始原の魔法は贄となる魂を犠牲にし、その結合した魂を磨り潰す。あの時志願してくれた者達の寿命は、確実に10年は縮んでいるはずだ。もう二度とこの手は使えない。手加減したとは言え、それだけの犠牲を払ってあの程度の爆発しか起こせなかったのだから、私の力もたかが知れているな」


「しかしあれがあったからこそ、王都陥落の危機を免れた訳ですし、国民たちも希望を持てている。陛下の魔法がビーストマンの軍を半壊させたのですから」


「だが国が破綻寸前の今となっては、もはや法国の支援も当てにはなるまい。漆黒聖典でも出張ってくれれば何とかなるのだろうが、あー困った。....疲れた」


その少女───竜王国女王である”黒鱗の竜王ブラックスケイルドラゴンロード”・ドラウディロン・オーリウクルスは頬杖を止め、目頭を覆うように揉んだ。隣に立つ宰相──痩せぎすで顏は若作りだが目つきが鋭く、オールバックの白髪が年齢不詳に拍車をかけているその男は淡々とした口調で進言した。


「陛下、もうここ等でその場しのぎの対応は止めにしませんか。決して安くない大金を法国に例年寄進しているにも関わらず、ここぞという時に現れない軍隊に金を払う道理はありません。もっと恒久的に国を守れるような施策を考えるべきです」


「....いやな予感しかしないが、言ってみろ。どうすればいいと思う?」


「例えばそう...最近話題の新興国である、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に助力を願うとか」


「また魔導国の話か! それはいやだと私は何度も言っているだろうが」


「それは何故です?」


「アンデッドだぞ。おいお前本当にちゃんと分かってるか? アンデッドだって言ってるんだ。得体が知れなさすぎる」


「陛下も聞き及んでいるでしょう。前回の王国対帝国の戦争では、王国側25万の兵力をアインズ・ウール・ゴウン魔導王たった一人で壊滅させたとの事。この件に関して調べさせたのですが、どうやら誇張等ではなく噂は本当のようです」


「だからいやだと言っているんだ。13万とも18万とも言われる王国の大群を、たった一撃の魔法で消し飛ばしたそうじゃないか。そんな理不尽な化物をこの国に招いてみろ、何を要求されるか分かったものじゃない」


「ですが陛下、魔導国の首都であるエ・ランテルに商人として送り込んだ斥候によりますと、亜人・ドラゴン・人間を含む多人種国家でありながら、街の様子は至って平穏そのもの。争いも起こらず活気に満ち、人種の垣根を越えて皆が仲良く共存出来ているとの報告が上がっております」


ドラウディロンは諦めたようにドッと背もたれに寄り掛かると、足を組みなおしてジロリと宰相を見た。


「....それで、何が言いたい?」


「つまりは、魔導王が常識的且つ優れた指導者である可能性が高い、という事です。一度話だけでも伺ってみる価値はあるかと思いますが」


「あのようなバカげた力を持つアンデッドにか? この際私はともかくとして、国民たちはアンデッドの軍門に下るなぞ願い下げだと思うがな」


「ですから話だけでもと申しております。私がこうまで押すのには訳がありまして、法国のさる執政官から手に入れた情報によりますと、例の戦争が行われる直前、法国は王国に対してこのような書状を届けたそうです。”法国に記録はなく、判断することができないが、もしアインズ・ウール・ゴウンが事実その地をかつて支配していた者だとするなら、その正当性を認めるものである”、と」


「要はあれか、エ・ランテル近郊は元々アインズ・ウール・ゴウンの支配する土地だという帝国側の主張を、法国が一部とは言え容認していた、という事か」


「それも戦争前にです。この事から窺い知れる事は2つ。法国はアインズ・ウール・ゴウン魔導王の力を、何らかの形で事前に知っていた。そしてそれ故に、魔導王と敵対する意思はないという事を内外に明言した。恐らく戦争の結果がどうなるかも、彼らは予見していたのでしょうね」


「...あー頭が痛い。その先が聞きたくなくなってきた」


「そうおっしゃらずに、もう少しの辛抱です。我が国を長年悩ませ続ける対ビーストマンとの争いに置いて、私達は今まで冒険者達と法国の戦力に頼り切りでした。それを打破する為、この国を守るために安定した戦力供給が可能かどうか、魔導王に一度お伺いを立ててみてはどうでしょうか。聞くだけならタダで済みますし、戦力の対価が法国よりも安価で済む可能性もあります。その結果魔導国に頼る事になったとしても、前述の通り法国は魔導国と事を構えるのを避けたいが故に、何も口出しはできないはずです。いかがでしょう、陛下」


普段見せる冷淡な笑みが消え、珍しく自信に溢れた表情を見せる宰相にドラウディロンは思わず失笑したが、一つ大きくため息をついて返答した。


「傭兵稼業を魔導国に肩代わりさせるという事か。果たしてそれだけで済めばいいがな。藪をつついて蛇が出てこないとも限らんぞ。ヘタをすれば目を付けられて、魔導国が弱った我が国に侵攻してくる可能性だってある」


「ええ、ですから弱みを見せるのは厳禁です。それでは早速エ・ランテルに放った斥候に連絡を取り、そういった事が可能かどうか魔導国の動向を探らせ──」


その時、不意に扉がノックされた。ドラウディロンは足を組むのを止めて姿勢を正し、宰相と顔を見合わせて頷いた。


「入るがよい!」


少女らしい張りのある声で扉の向こうへ呼びかけると、全身鎧フルプレートを装備した近衛兵が一人入ってきた。玉座の前まで進み出ると、近衛兵は即座に片膝をつく。


「女王陛下、失礼致します!」


「良い。何かあったのか?」


「ハッ。それが、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の使者と名乗る者が、魔導国の国旗で封蝋された書状を持って城門の前まで来ております」


『!!』


ドラウディロンと宰相は我が耳を疑い、驚愕の顏をお互いに見やった。2人共ゴクリと固唾を飲む。


「グッドタイミングというか、バッドタイミングというか...」


「...まるで壁に耳でもついているかのようですね」


ドラウディロンは引きつった笑みを浮かべて宰相を見た。どんよりとした重い沈黙が流れ、それに耐えきれなくなった近衛兵が割って入った。


「陛下、いかがいたしましょう。追い返しますか?」


「ま、待て待て!そう事を急くでない。宰相、どう思う?」


「...これは願っても無い機会です、会いましょう。その使者達の人数は?」


「ハッ、3人で来ております」


「名は聞いたか?」


「代表する者が一人、フレイヤと名乗っておりますが」


「ふむ、フレイヤ殿か。書状はお預かりしたのか?」


「いえそれが...女王陛下に直接渡すと言い、頑として譲らなく...」


「分かった。念のため武装を解除させた後にこの玉座の間で会おう」


「そのご心配には及びません。3人共帯剣しておりませんので」


「ほう、何と豪胆な。よろしい、その3人をここまでお連れしろ。くれぐれも粗相のないようにな」


「ハッ、直ちに!」


近衛兵が急ぎ部屋を出ていくと、ドラウディロンと宰相は大きく深呼吸した。


「陛下、勝負所ですよ。分かっていますね」


「当たり前だ。弱みなど見せるものか」


「その意気です、陛下」


やがて扉が再度ノックされ、近衛兵に先導されて黒づくめの3人が玉座の間へ足を踏み入れた。中心に立つ者は身長170センチ弱で細身だが、胸の膨らみから女性と判別できる。その右に立つ者も身長170センチ強の女性で、中心に立つ者よりも僅かに背が高い。しかし俄然存在感を放っている者が、左に立つ者だった。


2メートル強の体躯で、丸太のような手と足を持つ筋骨隆々の大男。恐らくはこの女性2人の護衛だろうと宰相は推測した。その全員が漆黒のタイトなレザーアーマーを装備し、フードを目深に被っているために3人の表情が伺い知れない。そして玉座の前まで来ると、近衛兵とシンクロするように3人共片膝をつき、女王に敬意を表した。(ふむ、礼儀はわきまえているようだ)と、宰相は心の中で安堵していた。


「女王陛下、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の大使、フレイヤ様ご一行をお連れしました!」


「うむ、ご苦労!下がって良い!」


「ハッ!」


近衛兵はスッと立ち上がり、兵士らしいきびきびとした足取りで玉座の間を出て行った。そして中心に立つ者───フレイヤが口を開く。


「ドラウディロン・オーリウクルス女王陛下。此度は急な来訪にも関わらず、私共を受け入れていただき、感謝の念に絶えません。我らが王、アインズ・ウール・ゴウン魔導王より、女王陛下へ是非にと書状を賜っております。何卒こちらをお受け取りいただけますよう、謹んでお願い申し上げます」


するとフレイヤは懐より羊皮紙のスクロールを取り出し、恭しく両手で書状を掲げた。


「フレイヤ大使、長旅ご苦労であった!魔導国並びにゴウン魔導王の名は我らも聞き及んでおる。その魔導王直々の書状とあれば是非もない、受け取らせてもらおう。宰相、書状をこちらに」


「ハッ!」


2人きりで話す時のだらけきったドラウディロンと宰相の姿はどこ吹く風だった。ドラウディロンの表情はキリッと引き締まり、宰相もそれ相応の気品を漂わせ、フレイヤの掲げる書状を受け取る仕草も堂に入ったものだった。そして玉座の隣に戻り、宰相はドラウディロンに封蝋の印を見せる。そこに押されたものは、間違いなく魔導国の国旗をあしらったものだった。二人はそれを確認して頷くと、封を解いてスクロールを縦に広げた。そこにはこう記してあった。


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拝啓 



            ドラウディロン・オーリウクルス女王陛下



この書状を開いてくれた事を嬉しく思う。我が国は現在貴国が置かれている現状をほぼ把握しており、非常に憂慮している。ついては3日後、私が貴国へ直接出向き、会談の場を設けたいと考えているのだが、いかがだろうか。お互いの誤解を解き、そしてきっと互いに有益な話ができるはずだ。世辞は一切抜きの、本音と本音で話し合えると私は信じている。


そして今あなたの目の前にいるであろう3人の大使は、我が魔導国でも最強に属する3人だ。私が貴国へ行くまでの間、あなたの身を守るよう命じてある。好きなように使ってほしい。


それでは、3日後にお会いできる事を楽しみにしている。


 


                          アインズ・ウール・ゴウン魔導王


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(どっちにしろ来るんかい!!)


ドラウディロンは口角を引きつらせて、心の中で激しく突っ込みを入れた。そして目の前に跪く3人は言わば保険であり、断ろうものなら寝首をかかれかねない。宰相も顏は微笑んでいるが、これには面喰った様子で困った顔をしていた。しかしやがて諦めた様子で首を横に振り、ドラウディロンに目を向ける。


「いかがいたしますか陛下。私は魔導王陛下と会談の場を持つ事に賛成です」


「う、うむ!そうだな、私もゴウン魔導王と会うのにやぶさかではない。それでは今日より3日後、ゴウン魔導王に拝謁する事としよう。お前達、この書状に書かれてある通り、その間私を護衛してもらえるのだな?」


「ハッ。そのように仰せつかっております」


「よろしい、お前達に部屋を用意させる。面を上げよ、そのようなフードを被っていては顏も見えぬではないか」


「これは大変失礼を致しました」


3人はフードを下げた。中心のフレイヤがフェアリーボブ、右の女性はワンレン、左の大男は角刈りだ。全員が黒髪というのも珍しかったが、何故か未だ深く俯いたまま顏を上げようとしない。それを見てドラウディロンは不自然に感じ、再度命じた。


「遠慮はいらぬ、面を上げよ!」


そう促され、まず左右の2人が顔を上げた。どちらも顏は青白く、赤く光る眼とその下に彫られた幾何学的なタトゥーが印象的だったが、中心の者がゆっくりと顔を上げると、それを見たドラウディロンの端正な顔が引きつり、みるみる歪んでいった。


「...げぇ!!ル、ルカ・ブレイズ..」


ドラウディロンは女王にあるまじき声を上げた。ルカはそれに対し、穏やかに微笑み返す。


「お久しぶりです、ドラウディロン女王陛下。その節は”大変”お世話になりました」


「何です? 陛下、お二人はお知り合いだったのですか?」


宰相が不思議そうに2人の間に立ち、ドラウディロンに質問した。


「お、おう。まあその、昔にちょっと、な...」


「名を偽り入城した事をお許しください。私の本名を出せば城に入れてもらえないかと思いまして」


「ルカ・ブレイズ。お前いつから...いや、何故魔導国に加わった?」


「いつからと言われれば、ごく最近です。何故かと言われれば、我が魔導王は私達の友人だからですよ、女王陛下」


「そっ、そうか...」


そしてドラウディロンは、七彩の竜王ブライトネスドラゴンロードの血を引く彼女のみに感じ得る威圧感がルカから漂ってくる事を感知していた。ルカ本人は一片たりとも殺気を放っていない。それがどこから来ているのか、ドラウディロンはルカの体を注意深く観察していく。目、顏、体、足、右手、左手...。そしてその左手薬指にはめられた、2匹の蛇がお互いの尻尾を飲み込みあう禍々しい指輪に気づき、大きく目を見開いた。


「まさかそなた....その指輪は、永劫の蛇の指輪ウロボロスでは?」


「さすがは女王陛下、お目が高い。その通りにございます」


ドラウディロンの背筋に悪寒が走り、ブルッと身を小さく震わせる。


「で、ではお主、あの常闇の竜王ディープダークネスドラゴンロードを倒したと?」


「はい。我が魔導王と、その配下である守護者達と共に。この指輪はその時、魔導王より直々に賜ったものにございます」


「...何という事だ」


(本物の化物じゃないか)と口を継ぎそうになるのを、ドラウディロンは理性で必死に堪えた。体の力が抜け、もはや抵抗する気力も失せたドラウディロンは、考えるのを止めた。


「何か問題でもございましたか?」


「いや...フフ、ハハハ、成程。了解した。今日は部屋でゆっくり休むがよい。宰相」


「ハッ。近衛兵!」


(パン、パン!)と宰相が手を大きく2回叩くと、扉を開けて近衛兵が走り寄ってきた。


「彼女達3人を最上級の客室にご案内してくれ」


「ハッ! それでは皆様ご案内致します、こちらへどうぞ」


「感謝致します、女王陛下」


ルカ達3人はフードを目深にかぶりなおし、右手を左胸に押し付けて立ち上がると、恭しく一礼して玉座の間を後にした。そしてドラウディロンは緊張の糸が解け、椅子からずるりと滑り落ちそうになるほど背もたれに体を預けた。


「....やられた、完全に誤算だ。まさか奴がアインズ・ウール・ゴウン魔導国に加わっていたとは。これは本格的に頭が痛くなってきたぞ」


「それ以前に、この書状を見る限りこちらの現状は筒抜けだったようですし。完全に見透かされてますね。これは会談の場ではヘタに隠し立てをせず、我が国の置かれている窮状を正直に説明した方が良いかと思われます。それで陛下、彼女らとはどういったご関係で?」


「やはり話さねばダメか?」


「ええ、ダメです」


ドラウディロンはだらしなく背もたれに寄り掛かり、仕方なさそうに首を横に振った。ドレスが玉座に引っ掛かり、ただでさえ剥きだしの足が更に露わになっている。


「はーあ。....そうだな、あれは確か5年ほど前だったか。我が国の冒険者ギルドを通じて、ある不穏な噂が耳に入ってな。立ち入り禁止とされていた我が国南西にあるヴォード遺跡に何者かが侵入し、その最奥部に住まうという金属竜メタルドラゴンを倒し、その宝と遺跡内にある財宝を根こそぎ掻っ攫っていった者がいる、とな」


「5年前、それにヴォード遺跡...その噂は私も存じております」


「ここまでは誰でも知っている。その後実際に冒険者ギルドから調査隊が派遣され、それが事実だと知れた訳だしな。しかしそれ以上の情報はどう手を尽くしても入ってこなかった。そこで私はお前にも内緒で裏に手を回し、誰があの遺跡を荒らしたのかを調べる事にした」


上半身を立ち上げて、玉座からずり落ちそうになっていた姿勢を正し、ドラウディロンは深く腰掛けなおした。


「裏...と言いますと、請負人ワーカーにですか?」


「そうだ。そこでは冒険者ギルドとは異なる、ある一つの噂が立っていた。エ・ランテルを拠点とし、ワーカー達の間で密かに語り継がれている伝説のマスターアサシン、ルカ・ブレイズ。表には決して出る事のない危険な依頼ばかりを好んでこなし、その姿を見た者は無く、万が一依頼がかち合って相対すれば、その相手は情報封鎖の為確実に殺されるという。男性か女性かも分からず、かの有名な帝国の暗殺集団・イジャニーヤでさえも避けて通る相手だと聞いた。あの危険なヴォード遺跡を荒らしたのも、彼らなのではないかとな。


そしてその話はそこに留まらなかった。彼らが言うにはこうだ。ルカ・ブレイズは人ではなく、200年前...つまりは十三英雄の生きた時代から存在していたという、眉唾の伝承まであるというのだ。私はそこに興味が湧いた。そしてその話を教えてくれた我が国のワーカーチーム・豪炎紅蓮の4人にルカ・ブレイズの捜索及び調査を依頼した」


「豪炎紅蓮と言うと、オプティクスに依頼したんですか。....全く、せめて私に一言あっても良かったと思いますがね」


「ああ。それに関しては済まないと思っている」


珍しく殊勝な態度を取るドラウディロンに、宰相は眉を吊り上げて意外そうな顔をした。


「それで、結果はどうなったんです?」


「オプティクス以下3名が半殺しになって帰ってきた。その後報告を受けたんだが、会うところまでは意外にもにすんなり行ったらしい。しかしその後、力を試すために戦いを挑んだはいいが、あのオプティクスが手も足も出ずに敗北したそうだ。そこでルカ・ブレイズの容姿を尋ねた。しかしそれに関しては何も覚えていないと言う。本人達が目の前で手合わせしたにも関わらずだ。まるでそこだけ記憶が抜け落ちているようだった」


「...妙な話ですね。そのような魔法でもあるのでしょうか」


「さあな、今となっては分からん。しかし問題はこの後だ。オプティクスから報告を受けたその日の夜、私は自室のベッドで横になり、今にも眠りに落ちようとしていた。すると突然、何者かがそっと私の肩と口に手を置き、身動きを封じられてしまった。驚いて目を覚ますと、そこには赤く光る大きな目が二つ、私を見下ろしていたのだ。その殺気の籠もった目を見て、私は死を覚悟した。部屋の明かりは付いていたからな、せめて最後に顔だけでも拝んでやろうと、私は奴の頭に手を回してフードを下げた。どんなケダモノかと思いきや...美しかった。そこに居たのは、一人の美しい女性だった。私がルカ・ブレイズの顔を初めて見たのは、その時だ」


目線を床に落とし、何故か嬉しそうに微笑んでいるドラウディロンのその姿は、外見以上により一層大人びて見えた。その様子を見て宰相は半ば呆れたような視線を送り、大きくため息をつく。


「そんな状況で、よく生きて戻れましたね。陛下の居室へたどり着く為には、何十もの警備を潜り抜けなければならないはず。一体どうやって侵入したんでしょうね?」


「私にも分からん。幸いルカ・ブレイズが立ち去った後急いで部屋を出たが、衛兵達は全員無事だったしな。偵察者スカウトでも見抜けないような透明化スニークでも使えるんじゃないか?そんなに知りたければ、その侵入した本人が今この城に居るんだ。直接聞いてみればいい」


「ご冗談を...それで、彼女と何かお話されたんですか?」


「ああ。奴は私が観念し、脱力したのを見て、口と肩に添えられていた手を静かにどけた。私が子供の姿だった事もあり、手加減してくれたのかも知れんがな。私は扉の外にいる衛兵に助けを求めるような事はしなかった。何故ならルカ・ブレイズは殺気を解き、私に向かって静かに微笑んでいたからだ。奴は私のベッド脇に静かに腰を下ろし、そしてこう言った。(俺に何か用か?)と。恐らくはオプティクス達の誰かが、依頼主である私の名を口にしたのであろう。私はベッドから体を起こし、まずルカ・ブレイズ本人かどうかを確認した。奴はそうだと答えた。そして私は、ワーカー達に聞いた噂の真相が本当なのかどうかを一気に問いただした。ヴォード遺跡の事、敵対者を殺害する事、そして何より、十三英雄の時代から生きている事は本当なのか?とな」


「その返答はどうだったんです?」


「ヴォード遺跡の事に関しては事実だと言った。しかし容赦なく殺害するのかという質問には、皆を殺す訳ではないという答えだった。場合によっては記憶を消去し、そのまま返すという事がほとんどだそうだ。但し気に食わない奴は殺すとも断言していたがな。そして私が最も知りたかった事、200年前より生き続けているのは本当かという質問をした時、奴はほんの一瞬ではあるが、悲しそうな目を私に向けた。そしてその答えは、私に対する無言の抱擁だった」


「...つまり、それも事実だったと?」


「恐らくな。奴は世に言われているほど悪い奴ではないと分かった。それを知った私は我が国の置かれている現状を話し、力を貸してはもらえまいかとその場で依頼した。だがルカ・ブレイズは、直接の依頼は受け付けていないと言う。もしどうしても困ったことがあったなら、エ・ランテルの冒険者ギルドへ来いと。そこで組合長であるプルトン・アインザックに会い、彼ら2人しか知らない秘密のサインを彼に示せと教えてくれた。それはこうだ」


ドラウディロンは右手の拳を胸の前に掲げ、人差し指と小指のみを真っ直ぐに伸ばした。


「これが天」


次に親指と小指のみを真っ直ぐに伸ばし、その他の指を全て折り畳む。


「地」


最後に全ての指を折り畳み、握りこぶしを作った。


「人」


ドラウディロンは小さな右拳に優しく左手を添えて、何故か嬉しそうに微笑んでいる。まるで特別な魔法か何かを教えてもらった子供のように。宰相はそれを見て怪訝そうな顔をしていたが、女王の笑顔を見てまんざらでもない様子だった。


「天・地・人。どこぞの秘密結社のようなサインですが、一体何を表す言葉なのでしょうね?」


「私も同じ事を奴に聞いたよ。この言葉と指の印は、(世界の理・宇宙間に存在する万物)という意味があるらしい。これを見れば、プルトン・アインザックは全てを分かってくれるだろうとな。結局これを使う事もなく、ルカ・ブレイズは自ずと私達の前に現れてくれたわけだが。ただ最後にこうも付け加えた。奴の事とこのサインを他人に少しでも漏らしたら、即座に私を殺しに来る、とな。お前だから話したんだ。間違っても他言するなよ?」


「何年あなたの宰相をやっていると思ってるんですか。言いませんよ、ご安心ください」


「まあ、その心配もないと思うがな」


「何故です?」


「孤高の暗殺者と呼ばれた女が魔導国に加わり、大使として表舞台に出てきたんだ。昔とは違うという事なんだろうよ。さっきあいつの目を見て分かったが、昔のようにギラギラとした印象が無くなっていた。もっとこう、優しいというか落ち着いたというか、そんな目をしていた。奴の心酔するアインズ・ウール・ゴウン魔導王とは、きっとそれほどの男なのだろうな。最初は抵抗があったが、お前の言うとおりこれは絶好の機会なのかも知れん」


「喜んでばかりもいられないのではありませんか?さっき陛下が仰っていたではないですか。常闇の竜王ディープダークネスドラゴンロードがどうとか」


「そうだな。我が国より南の最果て、この大陸の最南東にある山脈の地底に眠ると言われた伝説のドラゴン。我が国でも伝承で語り継がれていたが、まさか実在したとはな。あの指輪を見た時に一目で分かった。あれこそ常闇の竜王ディープダークネスドラゴンロードが守っていたという、この世界の理を捻じ曲げるという幻のアイテム、永劫の蛇の指輪ウロボロス。何故分かったのか...私の中に流れる血が教えてくれたのかも知れんがな。一説には白金の竜王プラチナムドラゴンロード・ツァインドルクス=ヴァイシオンと同等、若しくは強いとされるあの竜を倒したとなると、魔導王もルカも化物と言わざるを得まい」


「我が国の周囲には、何かと竜にまつわる伝承が多い。それもひょっとしたら、陛下の血筋に引かれて彼らがやってきた故なのかも知れませんね」


「その可能性は否定せんがな。あるいはその逆、か....まあとにかく、これが私の知るルカ・ブレイズの全てだ」


「承知致しました、ご教示いただきありがとうございます。その彼らが3日間護衛についてくれると言うのであれば、心強いですな。無下に扱わずに正解でした」


「うむ。今日の面会はこれで全て終了したな? 酒を持ってきてくれ、疲れを取りたい」


「こじつけがましい理由ですが、今日のがんばりに免じて許して差し上げますか。只今持って参ります」


「グラスは2つでな」


「私も飲むんですか?」


「祝杯を挙げるのに一人で飲むのはつまらん」


そう言うとドラウディロンは頬杖をつき、ニヤリと宰相に微笑んだ。


「なるほど、畏まりました。それでは同伴させていただきます」


宰相も呆れた顏で微笑み返すと、酒を取りに玉座の間を出て行った。



─── 一週間前 ナザリック地下大墳墓 第十階層 玉座の間 17:30 PM



重々しく扉が開かれると、ルカ達は目の前に広がる光景を見て我が目を疑った。玉座まで真っすぐ伸びるレッドカーペットの左右には、完全なシンメトリーで立ち並ぶナザリックエルダーガーダーがざっと見て1000体。天井を見上げれば、そこにも整然とぶら下がるエイトエッジアサシンが50体ほど逆さになり、首だけを動かしながらこちらを見つめていた。


ルカはその荘厳な大聖堂クリプトを思わせる光景を見て感極まり、右手で口を覆う。そしてレッドカーペットに一歩踏み出すとファンファーレが鳴り響き、(ザン!)という音と共に、カーペット両脇に並ぶナザリックエルダーガーダー達が魔導国の国旗を結んだポールを掲げ、ルカ達の進む先に屋根を作った。一歩一歩踏みしめるようにそのトンネルを歩き、3人が通り過ぎるとエルダーガーダー達は一斉に国旗を引いた。


その先には、まず戦闘メイド・プレアデス達が恭しく頭を下げてルカ達3人を迎え入れ、次に階層守護者達が右腕を前に掲げ、笑顔で立ち並ぶ。左にはセバス・マーレ・コキュートス・ヴィクティム、右にはデミウルゴス・アウラ・シャルティア・そしてルベドまでもが列席し、ルカ達3人を迎え入れてくれた。


彼らの背後には、デミウルゴス配下の嫉妬・強欲・憤怒三魔将を始め、アウラの使役獣フェンにクアドラシル、シャルティア配下のヴァンパイアブライド達、コキュートス率いる蟲の参謀達と、ナザリックの主たる面々が顔を連ねている。予想だにしていなかったサプライズにルカは嬉しさのあまり涙ぐみ、その場で皆に抱き着きたい衝動を我慢しつつ、その先に座る絶対者に向けて歩みを進めた。


正面玉座の左に立つアルベド、そしてアインズ・ウール・ゴウン魔導王の座る玉座の階下に立ち、ルカはマントの裾でサッと涙を拭き取ると、笑顔でその場に片膝をついた。ファンファーレが止み、ルカの動きと連動するように背後の者たちも一斉に片膝をつく。そしてアインズは重々しく、しかし威厳のある口調で言葉を述べた。


「ルカ・ブレイズ、ミキ・バーレニ、そしてライル・センチネル! よくぞこのナザリック地下大墳墓へと戻ってくれた。2年前にお前達が残してくれた大いなる知識・経験・遺産・そして友情を、このナザリックにいる者たちは誰一人として忘れてはいない。そのお前達が今、我らナザリックの一員に加わってくれる事を、私は心の底より嬉しく思う。聞け、皆の者! これよりこの三人は、我らアインズ・ウール・ゴウン魔導国の大使としての任を受け、我らと行動を共にする者である。その証として、お前たち3人にこれを授けよう。ルカ・ミキ・ライル、前に出よ」


アインズは右手を前に差し出した。ルカ達3人は恭しく目を伏せてスッと立ち上がると、一歩一歩階段を登り、玉座の前へと立った。すると何もなかったアインズの手のひらに、金であしらえた3つの指輪が現れる。ナザリック地下大墳墓内を自由に転移可能となる指輪、リングオブアインズウールゴウンだった。


3人は順々にそれを受け取り、ルカはそれを右手薬指にはめた。ミキは左手人差し指に、ライルは右手小指に装備し、3人はそのまま背後へと下がった。そして再度片膝をつくと、アインズは玉座から立ち上がる。


「これを以て、ルカ・ブレイズ、ミキ・バーレニ、ライル・センチネルの着任式及び授与式を終了する!今後不測の事態が起こり得ぬとも限らん。その際は、ここにいるナザリック皆の力を持ってこの3人を守護せよ!皆ご苦労であった。この後は早速、今後に向けての作戦会議を応接間にて執り行う。各階層守護者・及び領域守護者達は全員出席するように。以上、解散!」


配下の者達が転移門ゲートを潜り持ち場へと戻っていき、玉座の間にはアインズとルカ達、そして階層守護者達のみが残された。それを待ってましたと言わんばかりに、2人のダークエルフの子供がルカめがけて、はち切れんばかりの笑顔で駆け寄ってきた。


『ルカ様ー!』


「アウラ、マーレ、ただいま!」


ルカはその場に片膝を付き、両腕を広げて二人を受け止め、抱きしめた。柔らかいシャンプーと日向のような癒やされる香りがルカの鼻孔を満たす。姉の方、アウラは身軽なレザーアーマーの上にシルクのベストを羽織っており、ショートの髪型と相まってボーイッシュな───しかし整った美しい顔立ちだ。弟のマーレも相変わらず超ミニのスカートを纏い、言われなければ男の娘だとは気付かれないほどの女の子らしい立ち振る舞いだ。ルカは首元に顔を埋める二人の首筋にキスをして、お互いの温もりを分かち合った。


「二人共、元気だった?」


「はい!ルカ様がいつ帰ってくるのかと、私達ずっと待ってたんですよ」


「ぼぼぼ、僕もルカ様に早く会いたくて、うずうずしてました...」


「そっか、待たせちゃったみたいだね。でも今回のミッションは長くなりそうだから、しばらくは一緒に過ごせるよ。その間よろしく頼むねアウラ、マーレ」


「もちろんですルカ様!ほら、マーレも」


「は、は、はぁい。ルカ様...ちゅ」


二人は首元から顔を離して、ルカの両頬に優しくキスをした。まるで天使のような柔らかい感触に、ルカも思わず笑顔が溢れて2人を抱きかかえた。


「ん〜、ありがとう二人共!大好きよ」


「あたしの方が大好きですよ、ルカ様!」


「お、お姉ちゃんの方より僕のほうが大好きです、ルカ様...」


小さな体をギュッと抱きしめて2人から体を離し立ち上がると、その背後から見下ろす白髪に白髭の執事風なスーツを着た初老の男性に歩み寄った。その目はまるで獲物を狙う鷹のように鋭く、そしてガッシリとした体格が年を感じさせず、隙のない立ち振る舞いだった。


「セバス、久しぶり。君も元気そうだね」


ルカはセバスの肩を掴み、右手でガシッと握手をした。


「お帰りをお待ちしておりましたぞ、ルカ様」


「何か噂によると、彼女が出来たらしいじゃない?隅に置けないねえ」


「いっ、いえ!そのような事は。ツアレには本人立っての希望もあり、このナザリックで料理の修行をさせております故」


「そうなんだね。料理と言えば、蜥蜴人リザードマンのメスに一人、見込みのある子がいるんだけど、今度その子を見てやってくれないかな? 多分本人も喜ぶと思うから」


「おお、それは素晴らしい。ルカ様のご推薦とあらばこのセバス、喜んでその蜥蜴人リザードマンを育てて見せましょうぞ」


「うん、お願いね」


次いでその右隣に浮かぶ、まるで胎児のようなピンク色のモンスターに歩み寄った。背中には枯れた小枝のような羽を持ち、フワフワと浮きながらルカに向けて一礼する。それを見てルカは天使系の種族だろうと予測したが、断言できる要素がなかった。


「やあ、前に戦った事はあるけど、君と話すのは初めてだね。名前は何て言うの?」


「Nomen mihi est nomen meum, et victima.」


「..っとお、この響きはラテン語だね。アインズ、何て言ってるの?」


それを受けてアインズが玉座から立ち上がる。


「ハッハッハ、(私の名はヴィクティムです)と言っているのだ。ヴィクティム、通常語で話してやれ」


「はい、大変失礼を致しましたルカ様。私の名はヴィクティムと申します。よろしくお願いします」


その小さな体でペコリと頭を下げ、ルカ達に一礼するヴィクティムを見て、ルカは宙に浮かぶその体の両脇をそっと手で掴んだ。ヴィクティムはその手の中で体を預けてじっとしている。その見かけに反して言いようもない可愛さに、ルカはヴィクティムを自分の胸元へと手繰り寄せた。ヴィクティムはその温もりの中で静かに目を閉じる。


「...やばい、どうしようアインズ。この子ツボかも」


「フフ、そうか。見かけは貧弱だが、ヴィクティムは階層守護者だからな。その真の力は、ヴィクティムが死んだ時に発動する。あまり侮らない方がいいぞ?」


「侮ってなんかいないよ。だから前に戦った時に警戒して、倒す順番を最後に回したんだから」


「ルカ様、何かあった際は私を躊躇なく殺してください。私はその為に創造され、生まれて来たのですから。その後はアインズ様が生き返らせてくれますので」


「まあ、なるべくそうならないようにするよ。よろしくねヴィクティム」


掴んでいた両手を離し、フワリとヴィクティムが宙に浮くと、ルカは背後から視線を感じて右の列へと振り返る。そこには漆黒のボールガウンドレスを着た、白蝋のように肌の白い美しい少女が一人立っていた。その瞳はルカと同様に赤く輝き、口元に微笑を湛えるその姿は外見に反して大人びて見える。それがより一層彼女の魅力を引き立てていた。ルカはその少女に歩み寄り、目線を合わせる為にその場で片膝をついた。


「ただいま、シャルティア」


「ルカ様、お待ちしておりんしたぇ」


それを聞いてルカは両膝をつき、シャルティアの腰に手を回して自分の元へ抱き寄せた。香しいローズエレメント系の香りがルカの鼻孔を満たす。そのままシャルティアの首元へ顔を埋めて深呼吸すると、シャルティアもルカの背中へ手を回し、同じようにした。


「会いたかったよシャルティア」


「私もでありんす。それに会いたかったのなら、もっと早くに帰ってきてほしかったでありんすぇ」


「ごめんね、私も研究に夢中で手が離せなかったんだ。でもこうしてまた会えたし、戻ってこれて良かったよ」


「現実世界とは、さも甘美な所でありんすか?」


「ああ。ずっと帰りたかった所だからね。今度シャルティアも来てみる?」


「...今は遠慮しておくでありんす。この世界でもやる事が山積みですし、アインズ様のお力になる事が第一でありんすから」


「そっか、そうだよね。私もその為にここへ来たんだし、がんばらないと」


「安心しなんし、私もこの世界で色々学びんした。今度は私がルカ様をお守りする番でありんす」


「頼りにしてるよ、シャルティア」


「任せなんし」


そっとシャルティアの左頬にキスをしてルカは体を離した。シャルティアは頬を赤らめたが、その表情はとても幸せそうだった。久々にこの美しい笑顔が見れてホッとしたルカは立ち上がり、シャルティアの左隣に立つ女性に目を向けた。血のように赤いワンピースを纏うスラリとした姿、肩まで伸びた緩いウェーブのかかる髪から覗くその顔立ちは非常に美しく、角は生えていないが目鼻立ちがどことなくアルベドに雰囲気が似ていた。唯一違う点は、その顔が完全な無表情であり、ただジッとルカを見つめている。


「ただいまルベド、前に戦って以来だね。君とこうして向かい合って話すのは初めてかな?」


「...ルカ・ブレイズ...ルカ...」


そのぎこちない様子を見ていたアインズが、助け舟を出した。


「どうしたルベド。お前がルカに会いたいと言うからこの場に連れてきてやったのだぞ。何でも好きな事を言うがいい」


「...はい...アインズ様。感謝...致します」


ルカとアインズをしてナザリック中最強と認める存在、それがルベドだった。普段は滅多に感情を表に出さない彼女が唯一口にした希望、それが以前に戦い、激闘の末結果的に敗北したルカとの再会だった。アインズはそれに驚き、急遽この場へのルベドの列席を認めたのだった。


「...ルカ。...よく...帰ってきてくれた...待っていた..」


「嬉しいよルベド、君にそう言ってもらえるなんて。あれから変わりない?」


「私は...変わらない。...何も...」


「そっか、元気そうで何よりだよ」


ルカはルベドの手を取り、胸の前で優しく握った。まるで人形のように美しく、しかし無表情なルベドの瞳の奥に宿る光が一瞬揺らぐ。


「...ルカ。私も....なった」


「ん? 何になったの?」


「...なったんだ...レベル...150。アインズ様に...連れられて...あの...暗い世界へ...」


「えー!ルベドをガル・ガンチュアに連れて行ったのアインズ?」


「フフ、そうだ。ルベドだけじゃなく、お前がいない2年の間にプレアデス達も連れて行ってな。彼女らのレベルは100で揃えたが、ナザリックの平均レベルを一気に底上げしたのだよ」


「すごいじゃない...!」


そう言ってルカは背後に並ぶ6人のプレアデス達を見た。ルカの視線に気づき、彼女たちは恭しくお辞儀をする。ひんやりとした冷たい手がルカの手を握り返してきた事に気づき、ルカは再びルベドへ目を向けた。


「だから...ルカ。落ち着いた時でいいから...また私と....戦ってほしい。一対一...今度は...本気で...」


「そうだね、落ち着いたらね。その時はまた試合をしよう。約束するよ、手は抜かないって。でも今は魔導国の事に集中しなきゃ。ルベドも手伝ってくれるよね?」


「何でもしよう...私に...出来る事ならば」


「ありがとうルベド。心強いよ」


ルカは握っていた手を離し、そっとルベドを抱きしめた。ルベドの体が一瞬強張ったが、ルカが背中をさすると安心したのか、徐々に体を弛緩させていく。そしてルベドも、恐る恐るルカの背中に手を回した。恐らくハグされた事など、今までルベドはなかったのだろう。ルカの温もりを感じてルベドは首元に顔を埋め、静かに目を閉じた。ルベドの体からは、ローズバイオレットを基調とした、シャルティアとはまた一味違う心地よい大人の香りがした。

その様子を見た姉妹のアルベドも驚き、口元に手を添えている。


まるでルカの肩口で眠っているかのように動かないルベドの背中を軽くトントンと叩くと、ハッとしたルベドは慌ててルカの体から離れた。しかしそこには優しく微笑むルカの顏がある。ルベドは目を大きく見開き、最初の時と同じくただルカを凝視していた。


「さて、これで全ての者達が再会を終えたな。早速だがプレアデスを除く全員で応接間へ移動しよう。そこで今後の方針を決める」


『ハッ!』


アインズは右に向かって人差し指を向けた。


転移門ゲート


開いた暗黒の穴に、ルカ達3人と階層守護者達が続々と入っていった。



───ナザリック第9層 応接間 19:27 PM



長方形の長い机を囲むように13人全員が着席すると、ルカはアイテムストレージからオートマッピングスクロールを取り出し、皆に見えるように机の上へ広げた。それを見ながらアインズが口火を切る。


「さて、ルカよ。お前はどこから攻めた方が良いと思う? 私としては厄介な場所から先に手を付けた方が良いと思うのだが」


「そうだね、その意見には私も賛成。その厄介な国であるアーグランド評議国、スレイン法国、八欲王の空中都市の中で、私が面識を持った国はアーグランド評議国のみ。スレイン法国と空中都市は、あくまで偵察のみで終わらせたという経緯がある」


「成程な。それならアーグランド評議国にまずは的を絞りつつ、その周辺の国家も見てみよう。まず帝国から北東のカルサナス都市国家連合だが、これについては何か情報はあるか?」


「そうだね、この周辺は特に目立った情報が無かった事もあって軽視してたんだけど、知りうる限りでは、ここには人間以外に亜人の国家も混ざっている。その中心的存在と噂されているのが、ベバードという都市を治めるカベリア都市長という女性だ。もしここに渡りを付けるのなら、まずはベバードから着手した方がいい」


「承知した。特に急いで先立つ事もなさそうだな。では次にこの地図で言うと...都市国家連合から南東にある、この浮島だな。ここには何がある?」


「海上都市だね。行ってみれば分かると思うけど、ここは相当に不思議な街だよ。ただの交易港かと思えばリゾート的な面も持ち合わせているし、何より不思議だったのが、その街に建っている建物だ。旧態然とした木造の建物があるかと思えば、コンクリートで作られた近代的な物流倉庫のように巨大な建築物も存在する。その新旧ごちゃ混ぜな街の構成を見て私が思ったのは、この海上都市は何かのギルド拠点が転移してきたのではないかという可能性だ。このナザリックと同じように」


「ほう。お前の事だから、当然プレイヤーがいないか探したんだろう?」


「もちろん。でも基本的にはプレイヤーの影も形もない情報ばかりだった。その代わり、面白い情報もあった。何でも海上都市には広大な地下があり、その最下層で眠るという”彼女”と呼ばれる存在がいるらしい。(夢見るままに待ちいたり)という伝承が、街の酒場や至る所で確認された。ちなみに何故ここまで分かったのかと言うと、アーグランド評議国にいるツアーというドラゴンから、事前にある程度の情報を聞いていたからだ。彼も明言は避けていたが、その言葉の端々から察するに、どうやら十三英雄にまつわる何者かがスリープモードに入っているという事らしかった。その後再度海上都市に戻り、長期間に渡ってその地下への入口を探したが、残念ながら発見できなかった。うまいことカモフラージュされているんだろうね」


「十三英雄にまつわる者なら、その”彼女”というのがプレイヤーという線も捨てがたいんじゃないか?」


「私もそうは思ったんだけど、もしそうだとして、アクティブでないプレイヤーを今更無理矢理叩き起こしても意味がないと思ってね。面倒ごとになりそうだったから、情報を蓄えたという事で満足し、私達はそれ以来海上都市から手を引いたんだよ」


「魔導国と友好関係を結ぶ・及び傘下に入れるという点で考えても、あまりメリットが無さそうな感じではあるな。いずれは着手すべきだろうが」


「そうだね。いざとなれば力づくという手段もあるけど、それは最後にした方がいいかな。変に周辺諸国を刺激するだけだし」


「アルベド、デミウルゴス。ここまで聞いてどう思う?」


「そうですね、まずは周辺全ての状況を把握した上で判断した方が良いでしょう」


「ルカ様とアインズ様の仰る通り、現時点でその2つの国家を優先するという理由はどこにもないかと思われます」


「そうだな。では海上都市もひとまずは置いておこう。次に来るのは、本土に戻って南東にある竜王国だな。ここはどうなのだルカ?」


「この国とは色々と因縁があってね。まあその話は後でするとして、竜王国を治めるのは黒鱗の竜王ブラックスケイルドラゴンロード、ドラウディロン・オーリウクルス女王だ。彼女自身は人間だが、七彩の竜王ブライトネスドラゴンロードの血を引いているようで、ドラゴンにしか使えない始原の魔法を使いこなせるらしい。国の特産品は香水で、竜王国の周辺でしか取れない花や香草を使用して作っている。今私が付けているフォレムニャックという香水も、竜王国原産の高級品だ。つまり一大ブランドってわけ。


まあそれは置いといて、この国の隣にはビーストマンの国家があって、長年に渡る抗争に悩まされ続けている。私が竜王国へ最後に行ったのは5年前だけど、その時点でも既に火の廓だったらしい。この国は帝国のように専業兵士を持たず、兵力は専らアダマンタイト級冒険者や法国に頼り切っているらしい。一応補足しておくと、竜王国に唯一存在するアダマンタイト級冒険者チームはクリスタル・ティアという。その他に裏の請負人ワーカーチーム”豪炎紅蓮”がいて、リーダーはオプティクスと言う。そいつらとは一度戦ったが大した腕ではなかった。しかしこの2チームがいなければ、戦線を維持できない状態という事だ」


アインズはそこまで聞いて、右手を顎に添えて何かを考えている様子だ。


「ふむ、因縁があると言うだけあって詳しいな。何があったのだ?」


「まあ、簡単な事だけどね。ドラウディロン女王がワーカー達を雇い、私の正体を探ろうと差し向けてきたんだよ。もちろん返り討ちにして全てを吐かせた後に、一部記憶操作コントロールアムネジアを使って私達の容姿に関する記憶を消去した後に解放してやったけどね。その後をつけて竜王国の居城に侵入し、女王に直接脅しをかけるつもりで面会したんだ」


「それはさぞ肝を冷やした事だろうな。今もあの国があるという事は、女王を殺さなかったんだろう? 何故やらなかった?」


「あの子は...といっても、見かけに反して随分年が行ってるみたいだけど、その幼い少女はただ、竜王国を守れる戦力が欲しかっただけだと分かったからさ。特にやましい理由もなかったから、見逃してあげたんだよ」


「つまり、お前は女王に大きな貸しがある、という訳だな?」


「そういう事になるね。...って、まさかそこから突いていくつもり?」


「それを使わずにいるのは勿体ないだろう。こちらにも大義名分が出来るしな。デミウルゴス、竜王国に関する最新の情報はあるか?」


「はい。半年ほど前よりビーストマンの軍が竜王国に向けて大侵攻をかけたようですね。あわや王都が陥落しそうになった時、竜王国女王が始原の魔法を行使して敵軍を撃破し、何とか立て直したようですが、報告によればビーストマン共は兵を再集結させ、再び侵攻する構えを見せている模様とあります」


「始原の魔法か、一度見てみたいものだ。超位魔法クラスの破壊力があれば、あながち無視もできんしな。それに同じ竜の血筋を救ったとあれば、アーグランド評議国へ乗り込む際に多少でも有利に働くと思えるが、どう思うルカ?」


「アーグランド側がドラウディロン女王を同じ血筋と考えているのかどうかも怪しいけどね。何故なら、竜王国が危機に瀕しているというのに、彼らは一向にあの国を助けようとせず、無視し続けている。もしやるなら、あくまできっかけとして判断しておいた方が無難だと思うよ」


「まあどちらにしろきっかけにはなる訳だな、それで十分だ。ルカ、まずは竜王国に魔導国大使として乗り込んでほしい。その対応如何によって、スレイン法国及び八欲王の空中都市への対応も考えたいと思う。それで問題はないか?」


「OK。とりあえず女王に会うとなれば、陛下には一筆書状を書いてもらいたいかな」


「ああ、それはこちらで用意しよう。デミウルゴス、後程私の執務室へ来てくれ。書状の内容を確認したい」


「承知致しました」


「それでは今より一週間後、ルカ達3人は竜王国へ着くよう準備を整えてくれ。その間に必要な処理は全てこちらで済ませておく。それまで守護者各員はナザリック内を警戒しつつ、体を休めるように。よいな?」


『ハッ!』


ルカ達は客室へと戻り、各階層守護者達はそれぞれの持ち場へと帰っていった。



───ルカ達が竜王国に到着して2日後 14:53 PM



会談を控えた前日、場内では魔導王を迎え入れるための準備を進めると共に、女王への来客があとを絶たなかった。ルカ達3人は宰相と共に玉座の間へ同席し、ドラウディロン直属の護衛に当たった。専らビーストマン達の動向と街の執政に関する報告ばかりだったが、それ以外にどこから聞きつけて来たのか、魔導国との取り成しを求める竜王国内の貴族達も数名いた。最後の来客が去り、ドラウディロンは玉座の背もたれに体を預けて大きく溜息をつく。その様子を見て、ルカは優しい目を投げかけていた。


「大変ですね、女王陛下」


「ああ、全くだ。会談を明日に控えたこんな日に限って来客が多い。素面しらふでよくやってられると我ながら感心するわ」


「陛下はまだ子供なんですから、そのような事を申してはなりませんよ」


「ルカ、お前も分かっておろう?私が見かけ通りの年齢じゃない事くらいな」


「ええ、存じております。5年前に陛下と初めてお会いしたその時から」


「どうやって知ったのだ?」


「私の種族特有の魔法がございまして。僭越ながら読心術マインドリーディングを使用させていただきました」


「マインド...つまり心を読む魔法か?」


「ええ。正確には表層上の思考や感情の流れを受信する魔法です。相手の深層心理まで探れるものではありません」


「...ルカ、私の元まで来い」


「?」


そう促されて、ルカは玉座のすぐ左に歩み寄った。するとドラウディロンはルカの左手を握り、顔を上げてルカを真っ直ぐに見た。目を大きく見開いたその表情は真剣であり、幼い外見に反して美しさすら漂わせている。ルカはこの感覚に既視感を覚えた。そう、戦いの後にシャルティアと初めて打ち解けあい、その美しい笑顔を見せてくれた、あの時の感覚。ルカはそれを思い起こし、不覚にも癒やされていた。


「...私は今、何を考えていると思う?」


女王を見つめるルカの赤い瞳がユラリと輝き、ドラウディロンの思考と感情が脳内に流れ込んでくる。それを受けて、小さく柔らかな手を握るルカの指に力が籠もった。


「...漠然とした疑念、不安、恐怖。”明日の会談は上手く行くだろうか?”という切迫した感情。そして何よりも強く輝いているのは、この国を、そして民達を、どんな手を使ってでも守りたいという大いなる希望...そんなところでしょうか」


「...やはりお前に嘘はつけんな。その通りだ」


ルカは手を握ったまま、ドラウディロンと目線を合わせるようにその場で片膝をついた。


「あなたは...あなたは、5年前と何ら変わりない。その偽らざる本心があったからこそ、私はあの時あなたを生かした。しかし私に頼ることなく、あなたはこの苦境を耐え抜いた。その覚悟に敬意を表します、女王陛下。ご安心ください、我等が魔導王陛下は、きっと最善の策を女王陛下にご提示くださるでしょう。あなたは悩み、十分すぎるほど苦しんだ。もうここらで、その呪縛から解き放たれてもいいはずです」


「...私はお前を...いやお前達を、竜王国に欲しかった」


「光栄です、陛下」


ルカはドラウディロンの手をそっと放して立ち上がり、軽く一礼した。


「それでは陛下、明日の会談に備えて私達は城の周囲を偵察してまいりますので、これで失礼します。何か御用の際は、この伝言メッセージのスクロールを使用して私を呼び出してください」


懐から取り出した羊皮紙のスクロールをドラウディロンに手渡すと、ルカ・ミキ・ライルは玉座の間を後にした。それを見送り、ようやく宰相も緊張の糸が解けたように深い溜め息をつく。


「...不思議な連中ですね。この2日間じっくりと観察させてもらいましたが、変に力をひけらかすこともせず、情報を集める様子も見せずに、ただ陛下の護衛に徹していた。何を考えているのかも伺いしれませんし、私は正直苦手なタイプですね、彼女は」


「フフ、お前でも苦手なものがあるのか? かつて”凶刃”とまで謳われた元アダマンタイト級冒険者、カイロン・G・アビゲイル。お前から見てルカ達はどう見える?」


「化物ですよ、彼女らは。...それと私はもう引退した身。その名で呼ぶのはお止めください。いつも通り宰相で結構です」


「...なあ、カイロン。お前が初めてこの国に来たときの事を、覚えているか?」


「ええ、もちろん覚えていますよ」


「あれから15年。よくもまあ逃げずに私の元に居てくれたものだ」


「陛下の身は私がお守りします。いざとなれば、この国を捨ててでも陛下お一人を連れて逃げるつもりですから、その点はご心配なく」


「宰相とも思えん言葉だな」


「忠義と受け取ってほしいですね。それに私が居なくなったら、一体誰が陛下の愚痴を聞くと言うんです?」


「そうだな、全くだ。明日の警備と段取りはどうなってる?」


「ハッ、抜かりなく。相手はアンデッドですので会食もどうかと思いましたが、一応ご予定には組み込んであります」


「作法というのもあるしな、問題なかろう。それでは私は自室へ戻り少し休む。後は任せたぞ」


「畏まりました」


ドラウディロンが玉座の間を去ると、カイロンは正面から死角となる玉座背部にかけられた片手剣と盾に目を向けた。そしてその剣の柄にそっと手を乗せて、感触を確かめる。


「はてさて、うまく事が運んでくれればいいんですがね」


その剣と盾に冷めた目線で一瞥すると、宰相も玉座の間の扉を開けて部屋を後にした。



───竜王国居城3F 客室の間 23:50 PM



部屋の右奥に備え付けられた広いバスタブで入浴し、頭と体を拭いて白いネグリジェに着替えたルカはベッドに腰を下ろし、ヘアブラシで髪をとかしていた。25畳ほどの広い部屋で、高い天井にはシャンデリアが輝いて部屋の隅々までを照らし、左手にはレースの敷かれた天蓋付きの広いベッドに、右手には季節外れの暖炉が備え付けられている。その上には金や銀であしらえた豪華な調度品や絵画が飾られており、かといって派手ではなく落ち着いた雰囲気を醸し出すその部屋を、ルカは気に入っていた。髪をとかす途中で体から香る心地よい香りに包まれ、自分の腕を鼻に近づけた。


「んん~、さすがは香水大国。石鹸もいいものを使ってるね」


自然と笑顔になり、髪をとかし終えてベッドに体を横たえリラックスしていた所へ、足跡トラックが異常を感知した。


(...扉の外には衛兵2、東側廊下沿いに5。それとは別に上層階での動体反応が2名。4Fから3Fへ...西の廊下から、真っ直ぐにこの部屋へ向かってくる)


動きを察知したルカは即座にベッドから体を起こし、ハンガーに吊るされたベルトパックから、エーテリアルダークブレード2本を金属製の鞘ごと引き抜き、音を立てないようベッド脇にそっと置いた。


扉まで残り10ユニット。5ユニット、4、3、2、1…


(コンコン)と部屋の扉がノックされた。ルカはベッドに腰掛けたまま警戒態勢を解かず、扉の向こうに返事だけを返した。


「どうぞ」


これ以上ないほど冷ややかな視線を扉に向けていたルカだったが、(ガチャリ)と頑丈な木製の扉が開き、中に入ってきた小さな姿を見て目を丸くした。


「じょ、女王陛下?」


「済まんなルカ、邪魔だったか?」


「いえ、そのような事は」


「そうか。ミーナ、それをこちらに」


続いて入ってきたのは、金髪で容姿の整ったメイド姿の女性だった。年は25、6だろうか。彼女は銀のトレーを持ち、その上には、表面にナスカの地上絵・ハチドリのような白い紋様が描かれた茶色のデキャンタとグラスが2つ。そして銀製の皿の上には平たく焼かれたクラッカーと、香ばしい香りのする湯気の立ったベーコンのような肉が乗せられていた。


ミーナと呼ばれるメイドが部屋の中央に設置された白く華奢な円卓にトレーを置くと、ドラウディロンに恭しく頭を下げた。


「それでは陛下、私は部屋の外におりますので、御用の際はお呼びくださいませ」


「ミーナ、もう時間も遅いから先に戻っていてくれ。このルカは明日までは私の護衛だ、何の心配もいらん」


「畏まりました。それではルカ様、陛下をよろしくお願い致します」


「ああ、任せてくれ」


メイドが出ていくと、ルカはドラウディロンに顔を向けた。


「どうなされたのですか陛下? このような夜更けに」


「何、一度横になったんだが眠れなくてな。お前のことだからまだ起きていると思い、寝酒に付き合ってもらおうと来たわけだ」


「それは構いませんが...明日の事もありますし、程々にしておきませんと」


寝酒という言葉がこれほど似合わない少女もいないだろう。フィッシュボーンを解き、可愛らしいピンクのネグリジェを着たドラウディロンは、ルカに微笑み返した。


「ルカ、そのような堅苦しい言葉はよせ。昔のように気さくなお前に会いたくて、私はここへ来た。女王としてではなく、一人の女としてお前に会いに来たのだからな」


ルカはそれを聞いてキョトンとしていたが、やがて「フッ」と鼻で笑うと、仕方なさそうに無言で2つのグラスを並べ、デキャンタに収められた赤ワインを注ぎ込んだ。それをドラウディロンの前に置くと席に付き、グラスを中央に掲げた。


「乾杯、ドラウディロン」


「乾杯、ルカ。私の事はドラウで構わん。父と母にはそう呼ばれていたんだ」


「了解、ドラウ」


(キン!)とグラスを重ね、ワインを仰ぐ。口に含んで舌の上で転がし、ゴクリと飲み込んだルカは驚愕の表情をドラウディロンに向けた。


「...美味しい! フルーティな香りと酸味が絶妙なバランスだね。喉越しも最高だ」


ルカは再度グイッとグラスを仰いで飲み干した。ドラウディロンもそれを受けてグラスを仰ぐ。


「喜んでもらえたようだな。このワインの名は、シャトー・デ・ダークドラゴンキングダム・エンシェット・ブラックと言う。王家のためだけに特別に作られるワインで、その名称は代々の竜王の名が冠される。この国に関わるもの以外でこのワインを飲んだのは、お前が初めてになるぞ」


「フランス語だね。(漆黒の竜王国城)か、素敵な名前だね」


「フランス語? それはどこの国だ?」


「ああいや、遠い国でね。こことは別の世界にある国だよ」


「そうか、フフ。まあいい」


「このクラッカーとお肉食べてもいい?」


「もちろんだ、ワインと合うぞ」


ルカは横に置かれたナイフとフォークで細かく切り分けると、その一切れをクラッカーの上に乗せて口に運んだ。サクッという香ばしい感触が口の中に広がる。


「んん〜、美味しい!!これベーコンだよね? それにしてはそんなにしょっぱくないし、柔らかい! このクラッカーも小麦の香りが強くてベーコンと合うね!」


「熟成させた塩漬け豚の肉だ。そのクラッカーも全粒粉を使っているからな、混じり気なしの小麦の香りが楽しめる」


ルカはデキャンタを手に取り、ドラウディロンと自分のグラスに注ぎ足すと、再度グイッとグラスを仰いだ。


「はー。ちょっとこれ最強の組み合わせじゃない? こんな美味い酒とおつまみ毎日食べてたら、ドラウ太っちゃうよ?」


「その心配はない。こう見えても毎日運動してるからな。ルカ、お前は昔と変わらずスリムだな」


「だって、あたしは普段から動いたり戦ったりしてるもの。飲んだり食べたりしても、そっちに全部持って行かれちゃうからね」


「それは羨ましい限りだ」


「君だって十分可愛いんだから、そのまま維持すれば何の問題もないよ」


「本当の私の姿を見たら、失望するかもしれんぞ?」


「シェイプシフターの魔法だね。大人になっても大体の想像はつくから、気にしないでいいよ」


「...知っていたのか」


「まあね。見破る魔法はあるけど、それをしても意味ないし。それとも、見てほしいの?」


「...いや、そういうわけじゃない。バレているのなら隠しても仕方がないだろう。この子供の姿がそのまま大人になっただけの話だ、見ても仕方あるまい」


「じゃあ、どちらにしろ可愛いんだから問題ないでしょ?」


「可愛いかどうかは私も分からんが、本当の姿を見たら一人絶望する奴がいてな」


「絶望? 意味が分からないけど」


「ああ、私も理解に苦しむ。この国唯一のアダマンタイト級冒険者に、セラブレイトというのがいてな。そいつはぶっちゃけ、ロリコンなのだ」


「げ...私はお稚児さん趣味はないから、全く分からないけど」


「それでな、そいつは私と謁見する度に、足から胸までをねっちょりとした目で眺めてくるのだ。お前があいつの心を読んだら、失神するかもしれんぞ」


「その前にそんな犯罪者、私なら殺しちゃうかもしれないな」


「それが出来たらどれだけ楽だろうな。しかしそやつはこの国の為に、その身を削り数多の武勲を立てている。無下に扱う訳にもいかないんだ」


「そうなんだ。まあ明日の会談が無事終われば、そんな変態野郎に頼る必要もなくなると思うし、いいんじゃない?」


「フフ、そうなる事を願ってるよ」


止めどない話を続けながらルカとドラウディロンは話し続け、デキャンタのワインが底をついた所で時刻は深夜一時を回ろうとしていた。


「ドラウ、お水飲む?」


「ああ、酔覚ましにいただこう」


ルカは中空に手を伸ばし、暗黒の穴から透明なデキャンタとコップ2つを取り出すと、その中へ並々と水を注いだ。ルカはそれを一気に飲み干し、2杯目を注ぐ。ドラウディロンもコップ半分ほどを飲み、ホゥとため息をついた。魔法の力なのか、氷水のように冷えた水が胃の中の熱まで冷ましてくれているようだった。ふとドラウディロンはベッドに目をやり、その上に置かれた一対のロングダガーが目に入る。


「私が来るのを警戒していたのか?」


「ん? ああ違う違う、二人が部屋に近づいてくるのが分かったから、念の為に用意しただけだよ。ドラウだって気付いていたわけじゃない」


「お前はそうやって、この二日間私の身の回りを警戒してくれていたのか」


「そうよ。この城の周辺くらいなら、まるまる私達の警戒区域に入るからね」


偵察者スカウト顔負けだな。大したものだ」


「ありがとう。さて陛下、明日もあるしそろそろ寝ないと。随分飲んじゃったみたいだし、部屋まで送るよ」


「ああ、最後にルカ、一つ聞きたいんだが...」


ドラウディロンはテーブルに目を落とし、椅子の上で急にソワソワしだした。


「どうしたの?」


「その、明日の会談なんだが。うまく行くだろうか? お前ならいざ知らず、どうも魔導王閣下という人物がよく理解できていなくてな。お前ほどの女が惚れ込む相手なのだから、それに足る者だという事は分かる。しかし万が一ゴウン魔導王の機嫌でも損ねて、この竜王国に攻め入られでもしたら、私はどうすればよいのか...それが不安でな」


「...フフ、それが分からないから明日試しに会ってみるんでしょ? 大丈夫、魔導王陛下は常識的な人だから。保証は出来ないけど、きっと会談もうまい方向に持っていってもらえると思うよ」


「そ、そうか。お前がそう言ってくれるのなら安心だな。その言葉を信じ、明日臨むとしよう。今日はよく寝れそうだ」


「それは良かった。行こうか」


椅子から降りる手を引いて、ルカとドラウディロンは客間から4Fへと向かった。



───会談当日 竜王国正門前 13:50 PM



広い街全体を取り囲む幅30メートル程の城壁外堀には全周に池が張られており、そこに鎖で繋がれた頑丈な橋が城側から降ろされた。城へと続く大通りの左右には護衛の兵士達が並び、(一体誰が来るのか)と見物する野次馬達を遮っている。ルカは左手に巻いた金属製のリストバンドに目を落とし、外に向かって歩き始めた。ミキ・ライルも後に続く。城門をくぐって橋を渡り外へ出ると、そこに突如巨大な暗黒の穴が開いた。


その穴からまず姿を現したのは、身長が有に3メートルを越えた漆黒の鎧をまとう骸骨の騎士・デスナイトだった。彼らは魔導国の国旗を高々と掲げ、統率の取れた2列縦隊で続々と穴の中から出てくると、次に巨大な漆黒の馬車が姿を現した。一見地味だが、よく見ると馬車のあちこちに金や銀・彫刻等の細かな装飾が施されたもので、その事から乗っている者がただ者ではないという無言の威圧感すら感じさせる豪華な馬車だ。ルカ達3人はそれを見て一礼し、馬車の先頭を歩き始める。そしてその馬車の後方にもデスナイトが続き、前後合わせて20体のデスナイトに囲まれながら、馬車は竜王国へ入城した。


街の中へ入ると、凶悪なデスナイトの姿を見て見物人達から畏怖のどよめきが上がった。馬車のカーテンは閉め切られており、中の者の姿を確認する事ができない。そんな中一行は一路竜王国城へと向かう。大通りを守る兵士達からもどよめきが上がるが、馬車が城の正門前まで着くと、ルカは折り畳まれた足場を引き出して地面まで敷いた。そしてルカ・ミキ・ライルはその場で片膝をつくと、馬車の扉が開いて中から一人の男が降りてきた。


死の支配者(オーバーロード)。その体には漆黒のローブを身に纏い、全身に固められた神器級ゴッズアイテムが太陽を反射し、眩く輝いている。当然その姿は骸骨──人間ではない。にも関わらず、その威厳ある姿に竜王国の兵士たちまでもがその場に片膝を付き、魔導王を出迎えた。


「ルカ、護衛任務ご苦労であった。何か問題はなかったか?」


「お待ちしておりました魔導王陛下。これといって問題は起きておりません。女王陛下もお待ちかねです」


「そうか、では行くとしよう」


魔導王を先頭に、4人は居城正門へと進む。道の左右には竜王国の戦士達がズラリと並び、居城への階段を上った最上段には、白と緑を基調としたドレスを纏うドラウディロンと、紺色のスーツを着た宰相が階下を見下ろしていた。そこをアインズ達4人は一歩一歩上っていき、2人の元まで辿り着くと女王は会釈をしてアインズの前に進み出た。


「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下とお見受けする。私はこの国を預かるドラウディロン・オーリウクルス女王だ。ようこそ我が国へ、私達は貴殿を心より歓迎する」


「女王閣下自らお出迎えとはうれしい限りですな、オーリウクルス女王。私達の書状を受け取ってくれた事、そして我が魔導国の大使を受け入れてくれた事を心よりうれしく思う」


アインズは女王に手を差し出すと、2人は壇上で握手を交わした。それよりも、ドラウディロンはアインズの声を聞いて驚いていた。予想に反し、落ち着いた人間然とした声と口調だったからだ。骨だけの顏、その眼窩に光る赤い光を見返しながら、ドラウディロンは心の中で考えていた。(このアンデッドが、ルカが惚れ込んだという魔導王...)様々な雑念を考えるほど余裕のある自分自身に対し逆に驚いてしまったが、それをドラウディロンは払拭してアインズに語り掛ける。


「ここまでの道のり、長旅でさぞ疲れた事だろう。ささやかながら会食の用意をしてある。我が国自慢の料理を堪能してほしい」


アインズはそれを聞いて小首を傾げたが、その申し出に対し右掌を向けた。


「ありがたいお誘いだがオーリウクルス女王。アンデッドに食事は不要だ。それよりも貴国に残された時間的猶予を鑑みて、私としてはその分会談に時間を割きたいと考えているのだが、構わないかね?」


「あ、ああ。承知した。では早速応接間へ向かおう。ついてきてくれ」


ドラウディロンの緊張感がグッと高まる。会食という予行演習なしのぶっつけ本番だからだ。城内へ入り、広い階段を上って4Fにある応接間の扉の前で、(ゴクリ)と女王は固唾を飲む。宰相が扉を開けると、天井の高いその一室には長いテーブルが用意してあり、右側に並ぶ椅子には中央の女王と宰相の座る席を空けて、竜王国の大臣クラスがすでに着席していた。アインズが入室すると共に、その大臣達が一斉に起立する。宰相に促されてアインズ達は左側に並ぶ席の前に建つと、皆が一斉に腰を下ろした。それを見て部屋の隅に待機していたメイドが手際よく皆の前にワインを置いていく。


「それでは女王閣下、貴国に知りえる現在の戦況を説明していただけるかな?」


最初に口火を切ったのはアインズだった。それを受けて宰相は、手にした書類に目を通しながら説明していく。


「我が竜王国には計7つの都市がありますが、その内4つは既にビーストマンの手中に落ち、苦肉の策で残り3つの都市に住まう住民たちを、この首都へと避難させました」


「具体的な戦力差は分かるかね?」


「はい。東の国境沿いに控えるビーストマンの戦力ですが、まず主力である獅子人ワーライオン虎人ワータイガー連合の数が約5000。鼠人ワーラットは約3500、人狼ワーウルフ約2500、熊人ワーベアー約3000の、しめて14000の軍が控えております。ビーストマン本国に待機している戦力は残念ながら不明です」


「了解した。ルカ、この3日間で得た最新の情報を彼らに」


「畏まりました。国境沿いに控える兵の数は宰相殿が仰られた通りです。ビーストマン本国を偵察したところによりますと、少なく見積もっても約18000の兵がおります。それと陥落した4つの都市には総数5000程の兵が占領しており、今後総力戦が起きた際、合計37000体のビーストマンを相手にする事となりますね」


「さ、3万7000ですと?! 陛下」


「....我が国の総力を結集しても、兵は10000足らず。いくらアダマンタイト級冒険者を投入したとしても、到底防ぎきれる数ではない」


ドラウディロンと宰相は、まるで最後通牒を受けたかの如く落胆した。それを聞いた周囲の大臣達もざわつき始める。しかしそこでルカが話の中に割って入った。


「魔導王陛下、それに女王陛下。私達が偵察した際、一人の獅子人ワーライオンを捕えて尋問し吐かせた結果、面白い情報が手に入りました。その話によると、”ビーストマン本国の王が変わった”との事。そしてそのビーストマン達は新たな王の強大な力を恐れ、半ば強制的に今回の大侵攻を行うに至ったそうです。その新たな王の種族その他の詳細は的を得ず不明ではありますが、少なくともビーストマンではないという事は把握できました。私の能力”読心術マインドリーディング”で心を読みましたので、恐らくは事実であるかと思われます」


その報告を顎に手を添えて聞いていたアインズはルカのいる左の席に顔を向けた。


「...つまり以前であれば国境沿いの小競り合いで終わっていたものが、ここまで戦局を拡大させてきたのはその領土的野心を持つ新たな王の出現によるという訳か。概ね把握した。女王陛下、私達は貴国に対し3つの選択肢を提示する事ができる。まず一つ目は、ビーストマンの軍及び本国を滅ぼし、竜王国全土を魔導国の支配下に置く事。その場合国内で発生した金品及び物資の税額の内15パーセントを毎月魔導国に納めてもらう」


「じゅ、15パーセントですと?!無理だ、軍事費を削ったとしてもあまりに巨額すぎる!!」


しかしアインズはそれには構わず、大臣達の喧騒を断ち切るかのように第2の提案を口にした。


「そして二つ目!...魔導国と貴国が一時的な同盟を結び、国境沿いに控えるビーストマン軍を撃退する事。但しその出兵する際はその都度毎何らかの形で対価を支払ってもらう。もしそれが一度でも支払えなかった場合、最悪魔導国は竜王国を占領する可能性もある事。つまり竜王国を担保に兵力を貸し出すという形になる」


ドラウディロンはテーブルに身を乗り出して体を預け、アインズに質問した。


「何らかの形と仰ったが、それは金品・食料や我が国の特産品も含まれるのか?」


「我が魔導国にとって利益となるものであれば、物的、人的資源問わずあらゆる形で支払ってもらえればそれで構わない」


「了解した。それで三つ目は?」


「ビーストマン軍の殲滅及び本国を制圧して魔導国に組み込み、その対価として竜王国もまた魔導国の傘下に加わってもらう。その場合竜王国は魔導国の庇護下に入り、且つ従属という形ではないので、国が復興するまでの間魔導国はその支援を竜王国に対し行う用意がある。尚ビーストマン本国が万が一魔導国への編入を拒んだ場合は結果として本国を滅ぼす形になるので、その場合もあくまで魔導国傘下という形は変わらない」


「そこに関しては、魔導国側から竜王国への内政干渉は無いと受け取って構わないな?」


「もちろんだ。助言はするが、手出しはしない。そこは約束しよう」


「なるほど、それも了解した。しかしこれは今すぐには決められない重大事項だ。よって今から10分間、休憩を挟んで再度会談を再開したいと思うのだが、ゴウン魔導王。それで構わないだろうか?」


「ああ、オーリウクルス女王。もちろん構わないとも。但し一つだけ付け加えておく事がある。その休憩時間の間に今回の会談内容を破棄するといった内容が決まった場合、お互いにとってあまり喜ばしくない結果に繋がりかねないので、その点にも留意してほしい。よろしいかね?」


「そこは当然承知の上だ。ではここで一旦休憩を入れる。魔導王陛下には控えの間を用意したので、そこで休憩を入れてほしい」


竜王国側の者達が席を立ったが、女王以外全員顔が真っ青で血の気が無い。皆アインズの放った3つの提案に憔悴しているようだった。別室に移動したドラウディロン一行は席に着き、議論を交わし始める。


「...まず提示された一つ目の案は絶対にない。選ぶとすれば二つ目と三つ目だが、どう思う宰相?」


「言葉通りに受け取るなら、そのどちらも結果的には魔導国の影響を受け、竜王国の消滅にも繋がりかねません。時間はかかりますが、これは私達だけで決断するのではなく、最終的には国民たちにその是非を問わなければならなくなります。我が国にとって現状一番都合が良いのは、3つめの選択肢である”傘下”という部分が”同盟”に置き換えられる事です。しかしこれは国の戦力が対等であればこそ成し得る。まだ交渉する余地は残されています。ここは魔導国側の譲歩を期待し、再度魔導王陛下にお尋ねしてみるのがよろしいかと存じます」


「そうだな、その線で行こう。では皆の者、応接間へと戻るぞ。ゴウン魔導王にもその旨を伝えてくれ」


「承知しました」


ドラウディロン一行が応接間へ戻ると、アインズとルカ達は既に着席して待っていた。


「お待たせしたゴウン魔導王。それでは会談を再開したいと思う。私達としては3つ目の提案に関して興味を抱いている。その内容なのだが───」


しかしそこでアインズは右手を上げてドラウディロンの言葉を遮り、逆に質問を返した。


「女王閣下、その前に1つ聞きたいのだが、貴国と国交のある国はどこなのかな?参考までに聞いておきたい」


揚げ足を取られた形だが、自分の言いたい事を飲み込み、ドラウディロンはその質問に答える。


「国交と言うほど大袈裟ではないが、我が国の特産品は知っての通り香水だ。その輸出先となると数知れない」


「大きい都市だけで構わない。教えてもらえないか」


「そうだな、まずは帝国に、カルサナス都市国家連合、エリュエンティウ、リ・エスティーぜ王国、アーグランド評議国に、僅かではあるがスレイン法国にも輸出している」


それを聞いたアインズとルカはアイコンタクトを取る。そして第四の選択肢を提案した。


「女王閣下、ここで四つ目の選択肢を提示させてもらおう。魔導国と竜王国が同盟及び友好通商条約を締結し、同盟国の危機に際し魔導国は兵力を提供する。その対価として、魔導国が他国へ出向く際に応じて、竜王国女王の名のもとに魔導国と連名で親書を一筆書いてほしい」


突然一気にハードルが下がったのを受けて、女王と宰相はお互いに顔を見合わせた。


「ゴウン魔導王、その内容は本当にそれだけか?」


「ああ。この4つ目の選択肢に関してはこれ以上のことは望まない」


女王と宰相は意を決して頷き、回りの大臣達からも同意を受け、その申し出を了承した。アインズとドラウディロンは席を立って握手を交わし、用意した契約書にサインする。


「会談がスムーズに運んだ事を喜びたい。それでは今日から2日後に戦力を整えるので、そのつもりでいてほしい」


こうして竜王国と魔導国の会談は終了した。


ルカ達はアインズに頼まれ、その間は引き続き女王を護衛する事となった。そしてアインズは転移門ゲートでナザリックへ戻っていった。


その日の夜、女王が再びワインを持ってルカの寝室へと来た。「相談して良かったでしょ?」とルカは笑顔を向け、寝酒を飲んだ後に女王の希望で、2人は一緒のベッドに寝た。


そして2日後、玉座の間に控えていたルカは、足跡トラックでアインズの軍が来たことを悟り、その旨を伝えて玉座の間を出ていった。その直後入れ替わるように、近衛兵から報告が入る。城壁東側にアンデッドの軍団が突如姿を現したというのだ。その数約1万5千。それを聞いてドラウディロンは玉座を立ち、宰相を連れて4Fの自室へと入っていった。


ルカ達3人が東側城壁の階段を駆け上がると、そこには既にアインズが陣取っていた。その左右にはアルベド・デミウルゴス・セバスも控えている。階下を見ると部隊は3つに分かれており、中央・右翼・左翼でそれぞれの部隊先頭にはデスナイトが並び、その後方に魔法の武器防具で武装したナザリックエルダーガーダーがズラリと控えている。そしてその部隊の中で一際目立っているのが、魔獣フェンに騎乗したアウラとマーレ、アイアンホースゴーレムに騎乗したコキュートス・シャルティアだった。司令塔として、部隊の各中央に配置されている。


アインズは用意された遠隔視の鏡ミラーオブリモートビューイングを見て状況を確認し、全部隊に指示した。


「各部隊、前進せよ」


アインズの指示と同時にアルベド・デミウルゴスが伝言メッセージを全員と共有し、司令を飛ばす。先行していたシャドウデーモンがデミウルゴスに報告を入れ、こちらの動きを察知して敵も布陣を整え、前進し始めたらしい。


後から近衛兵と共に、女王と宰相も城壁の上に駆けつけてきた。女王は竜をモチーフにしたような白銀の全身鎧フルプレートに身を包み、宰相は鋭利な刃で覆われたような、禍々しい漆黒の全身鎧フルプレートに盾・片手剣を装備していた。アインズはその美しい姿を見て2人に声をかける。


「これは女王閣下、凛々しいお姿ですな。しかしこれから戦が始まる。女王閣下には城の中で待機してもらいたいのだが」


「ゴウン魔導王、私はこの国の女王だ。私には貴殿の戦いを最後まで見届ける義務がある。それとアダマンタイト級冒険者を含む我が国の兵士達を、街からそれぞれ南・北・西に分散して配置した」


「...なるほど、了解した。ならばこの鏡から全ての状況を確認できるので、こちらから戦況をご覧いただきたい」


そうは答えたが、アインズは心の中でぼやいていた。


(既にシャドウデーモンを各都市へ偵察に出してあるし、何か動きがあれば報告が入る。大体この戦も、階層守護者達の連携と部隊指揮力を高める為の訓練としてやっているに過ぎないんだし、無駄だと思うんだけどな...)


そう考えているうちに魔導国側の兵が国境沿いに到達し、ビーストマン軍と約700メートルを挟んで部隊が停止した。そこへデミウルゴスが報告を入れてくる。


「アインズ様、シャドウデーモンからの報告により敵の布陣が確認出来ました。左翼に人狼ワーウルフ、中央に獅子人ワーライオン虎人ワータイガー連合、右翼に鼠人ワーラット、中央後方に部隊を2分して熊人ワーベアーが控えているとの事です」


遠隔視の鏡ミラーオブリモートビューイングを眺めて布陣を確認したルカがアインズに助言する。


「陛下、私の経験上から申し上げますと、この布陣の中で瞬間火力が最も高いのは左翼に控える人狼ワーウルフ部隊です。ここはヘタに戦線を崩さず、アウラ・マーレのいる我が方の左翼部隊とコキュートスの中央部隊を前に押し出して先に殲滅した方が良いかと思われます。その上でコキュートス軍に中央の突撃をブロックして跳ね除けさせるべきかと。同時に右翼のシャルティア軍には、素早い鼠人ワーラット部隊に対し戦線から南へ隙を作らないよう網の様に戦線を伸ばし、そのまま真っ直ぐ押し込むという作戦が有効かと思われます。南側に隙を作ると城への突破口が開かれてしまうからです」


それを聞いたデミウルゴスとアルベドも同意する。


「...さすがはルカ様、そのご慧眼には感服するばかりです」


「こういった戦には慣れていますものね、ルカ。アインズ様、今ルカがお伝えした作戦に私達も賛成でございます」


それを受けてアインズは右手を前に突き出し、許可を出した。


「よろしい!ではそのように軍を動かすよう各部隊の指揮官に通達せよ」


『ハッ!』


その様子を見ていた宰相は、間もなく戦端が開かれる事を察し、女王に右掌を向けて魔法を詠唱した。


矢守りの障壁ウォールオブプロテクションフロムアローズ


ドラウディロンの体に薄い緑色のバリアが半球状に覆いかぶさる。それを見ていたアインズが感心するようにそれを眺めていた。


「ほう? 宰相殿は魔法詠唱者マジックキャスターでしたか」


「え、ええまあ。魔導王陛下には及ぶべくもありませんが」


「ご謙遜なされるな。それでは私達は前進した兵たちの後方に移動する。ルカ・ミキ・ライル、その間女王の護衛を頼んだぞ」


『ハッ!』


そしてアインズ・アルベド・デミウルゴス・セバスは城壁から下へ飛行フライで降り、用意してあったアイアンホースゴーレムに乗ると、自らも戦線の後方へ向かった。それと同時に戦端はついに開かれた。



当初の予想通り、左から薙ぎ払うようにワーウルフ部隊が攻めてきた所を、アウラ・マーレ軍のナザリックエルダーガーダーが弓を用いた一斉射撃により突撃の足を鈍らせ、前面に出たデスナイトがワーウルフ部隊を一気に押し込む。そこへコキュートス率いる中央同士が衝突し、半ば力業でワーライオン・ワータイガー連合をデスナイトとエルダーガーダーがブロックし、中央を削る状態に入った。


指示通り戦線を南へと伸ばした右翼のシャルティア部隊を前に、何故か鼠人ワーラット軍は突撃せず、弓兵で応戦しながら徐々に後方へと下がっていく。その動きに気付いたデミウルゴスがシャルティアに指示を飛ばした。


「シャルティア!中央後方にいる熊人ワーベアー部隊と入れ替わるつもりです。今すぐ南に伸ばした布陣を元の位置へと戻してください、熊人ワーベアーの突撃が来ます!」


「了解でありんす!」


それを聞いたシャルティアは急いで部隊を動かすが、熊人ワーベアー部隊の機動力の方が上回っていた。それを見ていたルカはアインズに伝言メッセージを飛ばした。


『アインズ、このままでは右翼の布陣が追い付かない! シャルティアの加勢に向かってもいい?』


『その間女王はどうする?』


『ミキとライルに任せるから大丈夫』


『分かった。至急援護に回ってくれ』


『了解!ミキ・ライル、後はお願いね。飛行フライ


ルカの体がフワリと浮き上がると、シャルティアのいる右翼まで一直線に飛び去っていった。


戦線が南へ伸びた状態で熊人ワーベアの突撃を受けたシャルティア軍は、デスナイト達によるブロックによりかろうじて踏みとどまっていたが、突破されるのも時間の問題だった。シャルティアは慌ててアルベドに伝言メッセージを飛ばした。


『アルベド、そろそろ魔法を撃ってもいいでありんしょうかぇ?このままじゃ突破されるでありんす!』


『今ルカが応援に向かっているわ!何とか踏みとどまって体制を立て直しなさい』


『無茶言わないでほしいでありんす! もう揉みくちゃでありんす! あ~んルカ様ー!早く来ておくんなましぃ~!』


その時だった。シャルティアの乗るアイアンホースゴーレムの横を掠るように、弾丸の如きスピードで黒い影が通り過ぎた。その後を追うように突風が吹き荒れ、次の瞬間熊人ワーベアの先頭から後列に至るまで、その上半身が事もなげに吹き飛んだ。その数軽く100体。血飛沫を上げながら崩れ落ちる熊人ワーベアの前線にポッカリと穴が空き、戦慄という名の静寂が舞い降りる。突然の出来事に、シャルティア側のデスナイトとエルダーガーダーさえも何が起きたのか分からず動きを止めた。


熊人ワーベアは、戦線に風穴を開けたその存在を振り返った。血の滴るロングダガーを正面でクロスさせ、腰を屈めて残心するルカがそこにはいた。その全身から恐るべき殺気を迸らせているのを見て熊人ワーベア達が戦々恐々とする中、唯一シャルティアだけが笑顔を向けた。


「...ルカ様!」


ゆっくりと立ち上がり、ルカはシャルティアのいる後方を振り返ると、笑顔を見せた。熊人ワーベア達は円形にルカを囲んでいるが、その殺気に気圧されて一歩が踏み出せずにいる。そして熊人ワーベアの正面に向き直り笑顔が消えると彼らを見渡し、その赤い瞳が暗く、静かに光を失っていく。


「...What a fuck you 私の娘に何してdoing to my daughterくれとんじゃ huh?、あ?


その瞬間ルカは母国語に戻った。そして全身からドス黒いオーラが破裂するように一気に吹き上がる。その言葉を伝言メッセージの共有で聞いていたアインズ・アルベド・デミウルゴスはお互いに顔を見合わせた。


「あ、いかん。ルカが切れた、どうしよう?」


「ルカのこの殺気、完全に飛んてますね」


「これでは訓練になりませんね...アルベド、あなたが行って止めに入りますか?」


「...いいえ、これは...何て心地よい殺気なのでしょう。私達には向けられていなく、敵を殺す事、それのみに完全にフォーカスされた殺気。...まるで守られているようです。このままルカの赴くままに任せましょう」


「やれやれ、承知しました。アインズ様もそれでよろしいですか?」


「ああ、構わないとも。ある意味嬉しいアクシデントだからな」


そしてルカは身じろぎ1つ出来ない熊人ワーベアに対し、ダガーを左右に広げながら舞うような滑らかさで回転し始めた。


暴虐の旋風クルーエル・サイクロン


(ギャン!)という音と共に、まるでジャイロスコープの如く高速回転するルカの姿は残像を発生させ、さながら千手観音のようであった。そしてその手にしたダガーから無数の黒い光波連撃が放たれ、周囲の熊人ワーベア達の首や腕、胴体を確実に切断していく。そして背後にいるシャルティアやデスナイト達には一切その刃が飛んでいかず、ルカの放つ武技がいかに正確無比かということを如実に物語っていた。


赤い旋風が天高く舞い上る。それを背後で見ていた鼠人ワーラットに続き、獅子人ワーライオン虎人ワータイガー人狼ワーウルフまでもがその竜巻を見上げていた。その渦中にある熊人ワーベア軍はもはや恐怖のあまり瓦解し、四方八方に逃げ惑う。しかしその旋風はそれを追い詰め、無慈悲な光波の刃を熊人ワーベアの兵に向けて叩き込む。その一つ一つが巨大な扇状の刃は貫通し、死体の山を次々と作り出した。そしてルカの回転速度がゆっくりと落ちていき、動きを止めた頃には、ルカを中心に3000体はいた熊人ワーベアが1000体程となり、その狂気の刃から逃げ延びた熊人ワーベアが立ち尽くすばかりだった。


「フー」とルカは息を吐くが、息切れ一つ起こしていない。そしてそのまま、恐ろしく冷酷な目を左に向けて睨みつける。中央に布陣し、未だコキュートス軍に対し強固な抵抗を見せる獅子人ワーライオン虎人ワータイガーの部隊だったが、彼らはその目線に気付き、慌てふためく。


「おい!あんな化物がいるなんて聞いてねえぞ!」


「あんなのに真横から来られてみろ、ひとたまりもねえ!」


「うるせえ!今は目の前のアンデッドに集中しろ!」


しかしその虚を突いて、獅子人ワーライオンの前に巨大な影が立ちはだかる。


「ドコヲ見テイル? 愚カナビーストマンヨ」


巨大なアイアンホースゴーレムに跨るコキュートスが右手のハルバードを一閃すると、その下に居た獅子人ワーライオン虎人ワータイガーが声を上げる暇もなく、軽く20体程が一瞬にして肉塊と化した。そして左手に持った世界級ワールドアイテム、六尺ほどもある白銀の太刀、天羽々斬アメノハハキリを眼下に向けて素早く振りぬくと、斬られたものはおろかその遥か後方にまでかまいたちにも似た衝撃波が飛び、ビーストマン100体程がまるで血袋のように赤い雨を降らせながら消し飛んだ。


コキュートスが敵陣に斬り込むのとタイミングを合わせるように、魔獣フェンに乗ったアウラとマーレも先陣に躍り出た。


「よーし、あたし達も行くよ、マーレ足止めよろしく!」


「ふ、ふぁい!!魔法最強効果範囲拡大マキシマイズワイデンマジック茨の扉ヘッジオブソーンズ!」


正面にいる人狼ワーウルフの大部隊がいる地面から、広範囲に渡り茨の蔦が生え、足や体に絡みついて棘が食い込んだ。その痛みにのたうち回る人狼ワーウルフだったが、動けば動くほど鋭い棘が体に食い込み、その血が地面に吸い込まれていく。狂気の絶叫が木霊する中、アウラは背中に背負った山河社稷図を人狼ワーウルフ達に向けて勢いよく放り投げた。


その巨大な巻物は弧を描くように大きく一周しアウラの手に戻ると、山河社稷図に囲まれた約500体程の人狼ワーウルフが何の脈絡もなく突如燃え始めた。まるで溶岩にでも焼かれているかの如く僅かな時間で消し炭となり、人狼ワーウルフ達は地面に崩れ落ちる。そして生き残った人狼ワーウルフは、僅か700体を残すほどにまで減らされていた。


シャルティアも鼠人ワーラット部隊を蹴散らし、遂にビーストマンが敗走を始めたが、突如その逃げようとする中央後方に直径5メートル程の大きな転移門ゲートが開いた。


その中から、ボロボロの黒いローブをまとった死神のような姿の巨大なモンスターが出現する。ルカはその姿を見て呆気に取られた。身長は4メートル程あり、下半身が無く上半身だけで空中にフワフワと浮いている。その顔はまるで、醜い悪魔がそのまま白骨化したような禍々しい顏をしており、同じく白骨化した鉤爪のような指にはマジックリングと思しき指輪を複数はめている。その死神は敗走するビーストマン達を遮り、地の底から這うような低い声で言葉を発した。


「貴様ら...どこへ行こうと言うのだ?」


それを受けてビーストマンのリーダー格らしき獅子人ワーライオンが片膝を付く。


「王よ!敵は人にあらず、その力はあまりにも強大。我らではとても勝ち目はありません!ここは本国に戻り、今一度部隊を再編するチャンスをいただきたい!」


「...貴様らゴミの意見など聞いておらぬわ。ゴミはゴミらしく黙って逝ね。そしてその血であの国を奪ってこい。それ以外は許さぬ」


「し、しかし王よ! 我らビーストマンはあなたに対し忠誠を───」


「黙れ! ここで敗走でもしてみよ、今すぐこの場でお前らを皆殺しにしてやる。貴様らゴミには端から選択肢などないのだ。さあどうした?分かったらさっさと行けこのゴミが」


「くっ....!」


王の前に跪く獅子人ワーライオンの目がみるみる血走っていく。それを回りで見ていた人狼ワーウルフ虎人ワータイガー熊人ワーベアー鼠人ワーラット達は敗走を止め、何故か武器を持つ手をワナワナと震わせていた。それに気づいたルカがアインズに伝言メッセージを飛ばす。


『アインズそこから見えてる? 一旦兵を引いて、様子がおかしい』


『ああ、こちらからも見えている。各員へ! 直ちに兵による追撃を止め後方に下がり、デスナイト及びエルダーガーダー達の隊列を整えろ。そして指示があるまでその場で待機だ、いいな?』


『ハッ!』


魔導国のアンデッド兵達が戦線を下げ、最前列にはアインズとルカ・そして階層守護者達が横一列に並ぶ。皆が動向を見守る中、魔法のガントレットを腕に装備した人狼ワーウルフの一人が跪く獅子人ワーライオンに近寄り、振り絞るように恨めしい声を出した。


「俺達は...俺達はあんたが現れてからこの1年、皆死ぬ覚悟で働いてきた。ここにいる連中も皆同じ気持ちだ。それなのにあんたは、そんな俺達を...ゴミと呼ぶのか?」


その人狼ワーウルフのリーダーらしき者の言葉に呼応し、それに続くようにして彼の背後に人狼ワーウルフ部隊が集まり始めた。すると今度は熊人ワーベアーの一人が跪く獅子人ワーライオンの右隣に立つ。


「確かにあんたの言う通りにして竜王国の都市を占拠し、食糧事情は改善されたかも知れねえ。いい面もあったかも知れねえよ。だがそれ以上に多くの仲間が死んだ。あんたが勝てるって言ったから、こんなやりたくもねえ戦争を始めたんだ。そしたらどうだ?最後にはこのザマだ!」


その熊人ワーベアーのリーダーはギリリと歯を食いしばり、悔し涙を流していた。それを見て殺気立った熊人ワーベアーの残存部隊も集まり始める。最後に鼠人ワーラットのリーダー格らしき者が、明瞭な殺意を死神に向けて近寄ってきた。


「以前の...あんたが殺した先代の王は、俺達にいつもこう言ってた。(人間共を必要以上に追い込むことはするな、最後に何をしてくるか分からない)と。俺達はその言いつけを守ってきた。だからそれまでは人間と俺達の戦力は拮抗していたんだ。それがどうだ、後ろを見てみろ。見てみろ王よ!!竜王国の女王が放った始原の魔法で軍が半壊したのはおろか、あんな化物みてえなアンデッド軍団を女王は呼び寄せやがった!!あんたがやらせた結果こうなったんだろうが、ああ?!」


鼠人ワーラットの兵達も集まりだして場の収集がつかなくなり、回りの皆が口々に同じことを言い出した。


「兄貴、やっちまおう」


「そうだ。これだけの人数でかかれば、さしもの王も...」


「こんなビーストマンでもねえ得体の知れない王なんて、俺達の王でも何でもねえ」


「大将、やっちまおうぜ」


その大将と呼ばれる、跪いた獅子人ワーライオンはそれを聞いて立ち上がった。その真っ赤に充血した目は無表情に据わり、死神を射抜いた。


「...王よ、撤退すれば我らを皆殺しにすると仰ったな?」


「そうだ。とっとと行って死んで来い」


「お前が今死ね」


獅子人ワーライオンは腰に下げた巨大なフランベルジュを素早く抜刀し、居合抜きのように死神の首へ叩きつけた。それと同時に周囲にいたビーストマン達が一斉に死神へ襲い掛かる。しかしその瞬間、死神がその場から消え去った。ビーストマン達が慌てて周囲を見渡すが、そのどこにもいない。唯一離れた位置から戦況を見守っていたアインズとルカ、階層守護者達だけがその位置を把握していた。


「上だ、ビーストマン!!」


何故叫んだのか、ルカにも分からなかった。しかしその声に反応してビーストマン達が真上を向いた直後、その死神は下方に両掌を向けて魔法を詠唱した。


魔法三重最強化トリプレットマキシマイズマジック不浄なる爆発アンホーリーブラスト!」


すると死神の掌から黒紫色の毒々しいエネルギーが放射され、それが地面に着弾すると周囲50ユニットに渡って広がり、そのエネルギーが黒色の髑髏のような形を取り、ビーストマン達を次々に襲った。そしてそれに触れたビーストマンは、目や鼻・口・耳と、穴と言う穴から吐血し、最後は苦しみの果てに躯と化した。死神が放った一撃で、1000体程のビーストマンが瞬時に絶命してしまった。



それを見てルカは呆気に取られていた。アインズはルカを見るが、頬に一筋の冷汗が伝っている。


「そんな、まさか...何でこいつがこんな所に」


「ルカ、おいルカ!あいつを知っているのか?」


「...あ、ああ、知っている。今の魔法を見てやっと確信できた。あいつは...万魔殿パンデモニウムにしか発生しないはずのモンスターだ」


万魔殿パンデモニウムだと?! それは以前にお前が話していた、あの超高レベル地帯の事か?」


「そう。でも何でこの世界に...意味が分からない」


「とにかくルカ、お前はあいつと戦った経験があるんだな?」


「もちろんあるよ。数えるほどだけど」


「あいつを倒さねば、この戦争に勝ったとは言えないようだからな。指示を頼めるか?」


「分かった、やろう」



ルカは頷くと、伝言メッセージを共有し全員に叫んだ。


伝言メッセージ、ミキ・ライルも含めみんな聞いてくれ!状況・フィールドボス。あの死神はビフロンスというモンスターだ。弱点耐性は物理・神聖系のみ。やつはネクロマンサーベースのモンスターで、レベルは140台後半。HPも火力も高いから決して侮るな。このモンスターは無詠唱で瞬間移動を使うという、非常に厄介な敵だ。そこでこちらも対策が必要となる。いいねデミウルゴス?』


『承知致しました、ルカ様』


『それと物理攻撃・神聖系の魔法を放てるメンバーを厳選してあいつと当たる。まずアインズ・私・シャルティア・ミキ・ライル・アルベド・コキュートス、この7人だ。デミウルゴスは攻撃後すぐに離脱、アウラ・マーレ・セバスは後方警戒と女王達の護衛を頼む。いいねみんな?』


それを聞いて、アインズが慌てて話に割って入った。


『ちょ、ちょっと待てルカ、私が神聖系? お前も私の能力は知っているだろう? それなのになぜ私を...』


『アインズ、昔私に言ったよね? 自分にできる事を今一度思い出してみろって』


『...え? まさか、あれか?』


『あるでしょ? たった一つだけ』


『い、いやしかしルカ、撃てたとしてもあの魔法は条件が揃わなければ───』


『それは私が揃える。お願い、私を信じて』


『わ、分かった、そこまで言うなら』


『よし、ミキ・ライル!今すぐ女王と宰相を連れてここまで飛んできて。着き次第攻撃を開始する』


『畏まりました』


場所は変わり、竜王国東側城壁。今のメッセージの内容をミキが女王たちに説明すると、真っ先に宰相が反対の意を示した。


「バカな!女王陛下を最前線に出すと言うのですか?! 危険にも程がある」


「ルカ様のご判断です。この遠隔視の鏡ミラーオブリモートビューイングを見れば分かる通り、この黒いモンスターが出現した事で状況は一変しました。陛下を前線に連れて行くという事は、つまりどこにいてもその危険度に変わりがないとご判断されたという事です。それならば、魔導王陛下率いる守護者達の下で護衛する事こそ、最も安全だとあの方は結論を出した。宰相閣下、こと戦闘に関して私達はプロです。それはアインズ様もルカ様も同様。どうか私達の指示に従ってください。必ずや女王陛下とこの国を守り通して見せます」


「し、しかし....」


宰相が言葉を継ごうとするのを、横で聞いていたドラウディロンが止めた。


「...分かった。ミキと言ったな、私達をルカ達の元まで連れて行ってくれ」


「陛下!!」


「カイロン、お前も私を守ってくれるな?」


ドラウディロンは笑顔だったが、その目には強い覚悟が宿っていた。それを見て宰相はガクッと首をうなだれてため息をついた。


「...分かりました。但し危険が及べば私は陛下を抱きかかえてでも逃げますからね。そのおつもりで」


「うむ、それで構わない。ミキ、頼めるか?」


「では参りましょう。全体飛行マスフライ!」


ミキ・ライル・ドラウディロン・宰相4人の体が浮き上がり、最前線の中心に集まるアインズ達の下へと辿り着いた。ルカがそれを出迎える。


「女王陛下、宰相閣下、早速ですがこの魔獣フェンにお乗りください。護衛にはアウラとマーレ、セバスがお供致します」


そう促されて2人は魔獣フェンに乗り、アイアンホースゴーレムに乗ったセバスと共に、5人はアンデッド兵達の最後方まで下がった。正面を見ると、未だビフロンスとビーストマン達の戦闘が続いているが、彼らが全滅するのも時間の問題だろう。ルカは守護者の中心に立ち、魔法を唱えた。


魔法最強化マキシマイズマジック不浄耐性の強化プロテクションエナジーアンホーリー


その場に居た全員の体が紫色の防護フィールドに包まれる。そしてルカの指示で、相手がネクロマンサーという事もあり、アンデッド軍団の主従権がビフロンスに奪われる事を警戒し、デスナイトとエルダーガーダーを更に後方へと下がらせた。


「よし、それじゃ行こうか」


前衛にアルベド・コキュートス、中衛にデミウルゴス・ミキ・ライル、後衛にアインズ・ルカ・シャルティアという布陣で敵に突入した。8人ともが恐ろしく素早い速度でビフロンスの下へ到着すると、中衛にいたデミウルゴスが即座に魔法を唱えた。


次元封鎖ディメンジョナルロック!」


周囲100ユニットに渡り転移門ゲート及び瞬間移動テレポーテーションが封じられたことにより、ビーストマンに囲まれていたビフロンスは苦し紛れに空中へ飛び上がろうとしたが、そこをルカは逃さなかった。


影の感触シャドウタッチ!」


(ビシャア!)という音と共にビフロンスの体が黒い靄に覆われ、身動きを封じられる。そこをすかさずアルベドとコキュートスが突進した。そのあまりの迫力に気圧されて、周囲にいたビーストマン達が一斉に後ずさり、戦いのための空間を開ける。


痛恨の斬撃スターゲリングストライク!」


「マカブルスマイトフロストバーン!!」


アルベドの持つ世界級ワールドアイテム、ギンヌンガガプによる、斬撃耐性を20%まで引き下げる10連撃と共に、コキュートスの回転を加え全腕を使用した超高速斬撃がビフロンスに叩き込まれ、大爆発が起きた。しかし衝撃吸収ダメージアブソーバーを張っているビフロンスには決定打とならない。


「何だ貴様らは...我の邪魔をするか!!」


麻痺が解けたビフロンスはアルベドとコキュートスに向けて2つの魔法を放つ。


死の影シャドウオブデス罪深き暴風雨アンホーリーストーム!」


すると黒紫色の靄がアルベドとコキュートスの体を覆い、更に紫の高エネルギー体が濁流の如く二人の体を飲み込んだ。


「きゃあっ?!」


「グオオオ!!」


不浄耐性を40%近く下げられた上に不浄魔法のAoE(Area of Effect=範囲魔法)をまともに食らった結果、アルベドとコキュートスは大ダメージを被り、その場に留まるのが精いっぱいだった。ルカがすかさず指示を飛ばす。


「アインズ、アルベドの回復を頼む!私はコキュートスだ」


「了解、魔法最強化マキシマイズマジック大致死グレーターリーサル!」


魔法最強化マキシマイズマジック約櫃に封印されし治癒アークヒーリング!」


2人が回復すると、ルカは伝言で指示を飛ばす。


『いいか!次に私が唱える魔法と同時に、一斉に神聖属性攻撃を開始する。その間アルベド・コキュートスはブロックに集中、シャルティアは超位魔法準備、いい?』


『了解!』


賢人に捧ぐ運ダンスオブザチェンジフェイト命変転の舞踏フォーアトラハシース!」


ルカは両手を左右に大きく開き、天を仰いだ。その場にいたアインズとルカ、階層守護者達の体が目もくらむような真っ白の光に包まれる。この魔法は次元の狭間に生きるとされる、セフィロトという種族のみが使える奥義の一つであった。戦場に置いて最強と謳われたイビルエッジ、その真骨頂がここにあると言っても過言ではない。アインズはその魔法を受けた事で、ルカの言った(条件は私が揃える)という言葉の意味を理解した。そして中衛にいたミキとライルが恐ろしい速度で突進する。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック結合するライテイスワード正義の語りオブバインディング!!」


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック聖者の覇気オーラオブセイント!!!」


ライルの放った高火力神聖AoEにより神聖耐性が下がった所を、それを更に上回るミキの高火力神聖DD (Direct Damage=単体魔法) により追い打ちをかけられ、青白い炎に包まれながらビフロンスは醜い絶叫を上げた。


「グギャァアアアアアアア!!」


「もう一息だ、アインズ分かってるね?!」


「ああルカ、理解したとも。魔法三十化トリプレットマジック上位魔法グレーターマジック蓄積アキュリレイション


アインズの目の前に3つの魔法陣が現れ、そこに一つずつ魔法を込めていく。ルカはその間にアルベド・コキュートスの回復を行った。


「よし、準備完了だルカ!」


「OK、みんなビフロンスから離れて! 行くよ...」


前衛・中衛部隊が後方に飛び退くと二人は大きく息を吸い込み、手のひらをビフロンスに向けて照準を定めた。そしてアインズとルカはお互いの目を見て呼吸を合わせ、一気にその力を解放する。


魔法三重最強トリプレットマキシマイズ位階上昇化ブーステッドマジック神炎ウリエル!!』


「そして解放リリース!!」


轟音と共に、2人の掌から巨大な螺旋状の青白い火柱が放出され、避ける間もなくビフロンスに直撃した。アインズの魔法蓄積により合計5連撃となり、その強力な神聖属性の炎はビフロンスの全身を容赦なく焼き、約10秒間に渡り放出され続ける。もはや声すら上げられないほどの大ダメージを食らったビフロンスは風前の灯火だったが、ルカは上空に待機するシャルティアに向けて咄嗟に指示した。シャルティアの体の周囲には、巨大な青白い立体魔法陣が張り巡らされている。


「シャルティア、今だとどめを刺せ!!」


「了解でありんす! みなさんもう少しそいつから離れておくんなまし!」


アインズ・ルカ達6人は更に後方へ飛び退いた。それを見たシャルティアは両腕を地面に向けて振り下ろした。


「超位魔法・急襲する天界ヘヴンディセンド!!」


その瞬間、まるで空そのものが地面に落ちてくるかと錯覚するほどの超巨大な光のブロックがビフロンスに向かって高速で落下していく。この恐るべき広大な着弾範囲ではもはや逃げ場はない。黒いローブが無残に燃えたビフロンスは天を見上げ、全てを諦めたかのように動きを止めた。そして大地を揺るがすほどの凝縮された青白い大爆発が起き、地面には巨大な四角いクレーターが穿たれ、ビフロンスはそれを受けて跡形もなく消滅した。


とどめを刺したシャルティアが空から地面に降り立つと、真っ先にルカの元へ駆け寄ってきた。


「あ〜んルカ様ー!怖かったでありんすぇ。さっきは私を助けに来てくれたのでありんしょう?」


ルカは走ってきた鎧姿のシャルティアを受け止め、笑顔で抱きかかえた。


「当たり前でしょ?私のかわいい子なんだから。でもその後はキレちゃって、何をしたかよく覚えてないのよね...」


「ルカ様が私の事をMy daughter自分の娘って言っていたでありんす。私はそれを聞いて胸が震えたでありんすぇ」


「ほんと?私そんなこと言ってたか...。それよりシャルティア、英語もできるんだね。すごいじゃない」


「大したことありんせん。それよりルカ様、今でも...私の事を娘と思ってくれてるでありんすか?」


シャルティアはルカに抱きしめられながら、頬を赤らめて質問した。


「ああ、シャルティア。私の娘を傷つけるやつは、誰だって許さないよ」


「...嬉しいでありんす。大好きでありんす、ルカ様」


「私もだよ、シャルティア」


ルカとシャルティアは、お互いの首筋にキスした。そして体を離すと、シャルティアは不思議そうな顔をして質問してきた。


「そうそうルカ様。さっき私が放った超位魔法でありんすが、前よりも威力が大幅に上がっていたように感じんした。あれはルカ様が何かしたからでありんすか?」


「それには私が答えよう、シャルティア」


後ろで聞いていたアインズが言葉を挟んだ。


「私達が神聖系魔法を放つ前に唱えたあのルカの魔法はな、私達の持つカルマ値をコントロールする魔法なのだ」


「カルマ値でありんすか?それなら私達ナザリックの殆どかマイナスに傾いていると思われんすが」


「そうだな。信じられない事だが、あの魔法で私達のカルマ値が一気にプラスの方向へ強制的に傾けられたのだよ。だから我々の放った神聖属性の魔法もその影響を受け、通常ではあり得ない程の火力を持つに至った。そうだなルカ?」


(キン!)と血を払い納刀したルカは、人差し指で鼻をこすりながら答えた。


「へへ、その通りだよアインズ、一部訂正があるけどね。一気にどころか、最大値であるプラス500にまで振り切らせる魔法なんだよ。だからその影響をもろに受ける神炎ウリエルも、最大火力で撃つ事ができた。シャルティアの急襲する天界ヘヴンディセンドもカルマ値の補正を受けるからね。まあ一回撃ったら元のカルマ値に戻るけど、こと集団戦に置いては防御にも使えるし、なかなか優秀な魔法でしょ?」


「と言う事は、その逆であるマイナス値に振り切るための魔法もあるわけか」


「そうだね、その通り」


「...ルカ、今まで聞いたことが無かったが、お前のカルマ値はいくつなのだ?」


「ん?プラマイゼロだよ」


「ゼロだと?!そんな事が可能なのか??」


「これもセフィロトの種族特性の一つだよ。セフィロトに転生した時点で、それまでのカルマ値はリセットされ、プラマイゼロに固定されるの。だからこそ、様々な状況に対応できる。便利でしょ?」


「...はー。全く、復帰して早々驚かせてくれるなお前は」


「フフ、褒め言葉と受け取っておくよ。それよりも、彼らはどうする?」


ルカが顎をしゃくった先には、ビフロンスとの激闘に巻き込まれないよう避難していたビーストマン達がいた。皆が皆、幻でも見ているような目でこちらを見ている。それを受けて、代表者としてアインズが前に歩み寄った。


「ビーストマンの諸君! 私の名はアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。諸君らの代表者と話がしたいのだが、前に出てきてくれるかね? もちろんまだやる気というなら受けて立つが、どうする?」


その言葉を聞いてビーストマン達がざわめき始めたが、やがて一人の獅子人ワーライオンがアインズの前にやってきた。そして恭しく片膝をつくと、口上を述べた。


「...偉大なる死の王よ、魔導国の噂は聞き及んでいる。私の名はダシャー・ヴァターラ。我が国家の軍隊をまとめ上げており、先代の王より仕えし戦士である。此度の戦は、我らが意思ではない。先ほどあなた達が倒した、狂王ビフロンスにより推し進められた結果である。しかしそれを強行した我らにもその責任の一端はある。私の首を捧げよう。その代わり、どうか私の背後にいるビーストマンの戦士達には、何卒ご慈悲を賜りたい。そして我が本国には、もはや年端も行かぬ青年と老人、そして子供たちしか戦力として残されておらぬ。我らが国に攻め入るならば、どうか同じようにご慈悲を賜りたくお願い申し上げる」


それを聞いて、アインズは顎に手を添えた。


「ルカ、どう思う?」


「嘘はついてないみたいだね。その上でアインズがどうするか決めてくれていいよ」


そこへアウラ・マーレ・ドラウディロン・宰相を乗せた魔獣フェンもやってきた。アウラ達が危険は無いと判断しての事だろう。アインズは両手を広げて女王を迎えた。


「これはオーリウクルス女王閣下、良い所に来られた。あなたも一部始終は見ていただろう。この者達が慈悲を乞うているのだが、どうしたら良いと思うかね?」


するとドラウディロンはフェンの背中から飛び降りてアインズの隣に寄り添い、首を垂れる獅子人ワーライオンを睨みつけた。


「お前ら、よくも抜け抜けとそんな事が言えたものだな。我が竜王国の民を散々その口で食らっておいて、今更慈悲を乞うだと? お前の首一つで丸く収まるとでも思っているなら、飛んだ愚か者だな、お前は」


予期せぬ女王の登場に、獅子人ワーライオンは更に頭を低くした。


「...ドラウディロン女王陛下、前の戦いであなたが我らに使った始原の魔法により軍が半壊した事で、我らの戦意は完全に打ち砕かれていた。それでも大侵攻を強行したのは、一年前に突如現れたあのビフロンスの強大な力に屈したからである。そしてあなたはこの魔導王陛下をも味方につけた。我らは疲弊しきっており、戦いを避ける為に幾度も腐心してきた。信じてはもらえないだろうが、もう二度と人間は食わないと約束する。望むなら我が国共々今すぐに別の地へ去ろう。私の首で足りぬというなら、今ここにいる戦士達の首も全て差し出そう。だからどうか、我が国に残された女子供だけは見逃してはもらえまいか。頼む、この通りだ」


ダシャー・ヴァターラはそう言うと、両膝を付いてその場に深々と土下座した。それを後ろで見ていたビーストマン達はその場に武器と鎧を投げ捨て、完全に武装解除した状態でダシャーの後ろに集まると、彼らも同じように女王とアインズに対し平伏する。それを見てドラウディロンの腕がわなわなと震えた。


「今こうしている間にも、お前らが占領した我が国の都市では、人間を食らいながら狂乱の宴が繰り広げられているのだろう?それに対してお前はどう責任を取るつもりなのだ」


「...返す言葉も無い。しかし先ほど魔導王陛下が戦っている最中に、伝言メッセージの魔法を使用し、占拠した4つの都市より完全撤退命令を出した。調子のいい話だろうと思われるだろうが、私に出来る事はそれが精いっぱいだった」


「...フン、それほど人間の肉はうまいか?」


「か、勘違いしないでもらいたいが、我らは人間の肉だけを食料としているのではない。普段は野生の動物を主食としているのだ。大侵攻以前に起きていた小競り合いでは、人間の味を忘れられぬ一部の者達によって行われていたに過ぎない」


「ええい、もうよいわ!! ゴウン魔導王、やはりこいつらは滅ぼそう。我ら人間とこ奴らは決して相容れぬ。それか死よりも重い罰を与えたい。そうしなければ、失われた民たちも報われぬではないか」


「...さて、どうしたものですかな?」


アインズは何故か嬉しそうだったが、右後方に控える者の視線を感じ、そこに顔を向けた。


「デミウルゴス、何か良い案はないか?」


「そうですねぇ...いっそのこと我が魔導国に組み込み、ナザリックの為に働いてもらうというのはどうでしょう?実験にも使えますし、女王陛下もビーストマン共の顏を見ないで済むとなれば、一石二鳥かと思われますが」


「しかし一国の人数ともなれば、ナザリックだけでは許容し切れないのではないか?」


「ええ、ですから魔導国の領地であるアベリオン丘陵にまずは居を移してもらいます。あそこなら亜人達しかいませんし、食料となる野生の動物も繁殖しておりますので、十分に賄いきれるかと存じます。そこで他部族に侵攻するような愚行を犯した場合には、本格的に滅ぼすという線でいかがでしょうか?」


「いいぞデミウルゴス、それは名案だ。聞いていたなダシャー・ヴァターラよ。これより私達はお前の国に乗り込む。そこで無礼があるなら即、国がなくなると思え。そうなりたくなければ国を捨て、アベリオン丘陵に新たな国を再建するようお前がビーストマンの民たちを説得し、皆に伝えよ。移動と建国に関しては我が魔導国が責任を持って執り行う。我が直轄領でお前達が平和に暮らせるなら御の字、ダメなら死がお前達を待つ。どうするかね?」


「おお!さもありがたきご慈悲を賜れるとは。このダシャー・ヴァターラ、必ずや一人残らず民たちを説得し、陛下のご期待に沿うよう成し遂げる所存であります」


「女王閣下もそれで構わないかね?」


「...ああ。そいつらの顏を二度と見ずに済むのなら、是非そうしてくれ」


「よろしい、では早速向かおうではないか。ダシャーよ、案内致せ。アルベド、デミウルゴス、兵達をビーストマンの国まで動かすぞ。指示を頼む」


『ハッ!』


「ルカ・ミキ・ライルよ、ご苦労だが引き続き女王の護衛を頼めるか?ビーストマンの国の事後処理は私達だけで行うのでな」


「畏まりました、陛下。何かありましたら伝言メッセージでご連絡ください」


「ああ、お前もな」


アインズ軍とビーストマン軍が移動を開始し、それを見送った後、ルカたちと女王・宰相は平原に残された。何故かドラウディロンがしょんぼりと気を落としているのを見て、ルカは女王の肩に手を置いた。


「陛下、どうなされたのですか?ご納得が行きませんか?」


「いや、そういう訳ではないのだが。何というかこう、本当にこれで良かったのかと思うと、何やら複雑な気持ちになってな」


「陛下の仰るとおり、彼らビーストマンと人間は相容れないのかもしれません。女王陛下は最善の選択をなされた。ならばここは一つ、今後の事は魔導王陛下にお任せして、女王陛下はゆっくりと体をお休めください」


「...そうか。そうだな、分かった。宰相、城へ帰ろう。ルカ、ゴウン魔導王が戻られたら教えてもらえるか? 礼を言いたいのでな」


「畏まりました。転移門ゲート


ルカが城の方向へ向けて魔法を唱えると、暗黒の穴が姿を現した。


「こちらからお戻りください。玉座の間へと繋がっております」


「感謝する」


そして5人は暗黒の穴へと足を踏み入れ、城へと戻った。



───竜王国 居城 3F 客間 22:53 PM



バスタブで体を洗い流したルカは風呂から上がり、ガウンを羽織って武器と防具の手入れをしていたが、不意に足跡トラックが4Fから3Fに降りてくる動体反応を捉えた。しかしルカは警戒せず、手入れを終えた武器と防具をハンガーにかけた。そしてネグリジェに着替えて、部屋中央にあるテーブルを囲む椅子に腰かけてそれを待った。


(コンコン)と扉がノックされ、ルカは立ち上がり扉を開ける。そこには以前と同じくネグリジェ姿のドラウディロンと、円形のトレーを持ったメイド、そして何と宰相までもが立っていた。ルカはそれを見て意外そうな顔をしたが、そのまま笑顔で出迎えると、3人を部屋の中へ招き入れた。そしてメイドがテーブルの上に置いたトレーの上には、コルクで蓋がされた透明なデキャンタとグラスが3つ、そして焼き立ての香ばしい香りがするケーキ1ホールが乗せられていた。


「済まんなルカ、また寝酒に付き合ってくれ」


「ええ、喜んで。今日は宰相閣下もご同伴なのですね」


「や、夜分に申し訳ありませんルカ大使!そっその、女王陛下がどうしてもと言われましたので、致し方なく...」


宰相はルカの寝巻き姿を見て目を伏せ、顔を真っ赤に紅潮させていた。(別に透けてはいないから、そんなに照れることないのに)とルカは思ったが、宥めるように宰相に笑顔を向けた。


「いいんですよ宰相。あなた方お二人が私を受け入れてくれなければ、今日の戦果は上げられなかった。3人で祝杯を上げましょう」


「恐縮...です」


「...何だカイロン。私のネグリジェ姿を見ても平気なくせに、ルカのネグリジェ姿を見ると照れるのか?それに私のせいにするな。お前も一度ルカと話がしてみたいと言っていたから、誘ってやったのではないか」


「あなたは子供ですから!ルカ大使はお美しいご婦人です!男の私がこのような場にいるのは、失礼かと思い、その...」


「私も大人な件について」


「わ、分かっております!大変失礼を致しました陛下!」


「柄にもなく相当パニクっておるなお前。まあ酒でも飲んで落ち着け。ルカ、頼めるか?」


「畏まりました」


ルカは椅子から立ち上がりデキャンタを手に取ろうとするが、宰相が慌てて椅子から立ち上がった。


「ルカ大使!雑用は私が行いますので、どうかそのままお寛ぎくださいませ」


「そうですか?ではお任せします」


宰相はデキャンタのコルクを抜くと、グラスに並々と注ぎ込んでいく。透明感のある薄緑色の白ワインで、(シュワー)と気泡が立ち上るスパークリングワインだと見て取れた。


次にケーキをナイフで八等分に切り分け、小皿に乗せてルカとドラウディロンの前に置いていく。


「妙に手際がいいな。私の時はこんなに丁寧にはやってくれなかった」


「何年あなたの宰相をやっているとお思いですか。それに今はルカ大使の御前、このくらい当然です」


「宰相閣下、そう硬くならずに。今はもう夜、公務の時間帯ではありません。無礼講といきましょう」


「そ、そう言っていただけると助かります」


宰相が席に着き、3人がグラスを手に取るとルカが音頭を取った。


「それでは、ビーストマン軍とその王の撃破記念に!」


「竜王国の平和に!」


「女王陛下とルカ大使のご無事に」


『乾杯!』


(キン!)と中央でグラスをぶつけ、皆がグイッとグラスを仰いだ。香しいフルーティーな味わいと程よい酸味が非常に口当たりがよく、炭酸が喉を刺激して疲れを癒してくれる素晴らしいワインであった。ルカはその美味さに2口目を付ける。


「んんー美味しいね!スパークリングワインなんて久々に飲んだよ」


「そのケーキと一緒に食べてみろ。美味さ倍増だぞ」


「ほんと?じゃあ早速」


外側をクッキーのようなパイ生地に包まれた真っ白なケーキをフォークで切り分け、一口頬張ると、香り高く甘いハーブと生クリーム、そして僅かな酸味が混然一体となり、サクサクとした生地が香ばしさを与えていた。


「おいしー!これチーズケーキだね?」


「我が竜王国自慢のハーブチーズケーキだ。この国の周辺でしか取れない新鮮な生の香草を生地に練り込んであるからな、よそでは絶対に食べられん代物だぞ」


「これお土産にして持って帰りたいくらいだよ。魔導国のみんなも喜んでくれるだろうし」


そしてそのままワインで流し込むと、その香りが更に昇華し、花畑にでもいるような蜜の香りがルカの鼻孔を満たす。ルカの砕けた様子を見ていた宰相もようやく安心したのか、自分もケーキをよそって一口頬張り、ルカに顔を向けた。


「よろしければいくつか用意させますので、お申し付けくださいルカ大使」


「ありがとう宰相閣下」


「おい、いい加減その堅苦しい言葉遣いはやめろカイロン。この場では私と2人きりの時のように砕けてよいのだ」


そう言われた宰相はグラスを一気に飲み干し、チラリとドラウディロンを見て溜め息をつくと、手酌でデキャンタのワインをグラスに再度注ぎ込んだ。


「はー、分かりましたよ陛下。今日まで名乗りもせず大変失礼をしましたルカ様。私の名はカイロン・G・アビゲイルと申します。カイロンとお呼びください」


「そっか、改めてよろしくねカイロン。そう言ってくれて嬉しいよ」


「ルカ様と魔導王陛下が勇ましく戦われたあの激しい戦闘を見て、私は大いに心を動かされました」


「ルカ、こいつはな、元アダマンタイト級の冒険者だったんだ。それが縁あって、今は私の宰相をやってもらっているのだ。あの玉座の間に私とカイロンの2人しかいない理由も、万が一賊が紛れ込んだとしても、このカイロン一人で撃退できるからという理由なんだ」


「うん、今日の戦の時にカイロンを見て分かったよ。あなたはウォーロックを極めているんだね?」


「ど、どうしてそれを?!」


「あのいびつな形をした黒い全身鎧フルプレート。あれは全て剣から盾に至るまで、魔力が込められたウォーロックの専用装備だった。遠い昔にだが、私にもかつてウォーロックを極めた仲間がいたんでね。その姿を見ているようで、思い出したんだよ。この世界でそれだけの完璧な装備を集めたからには、血のにじむような苦労があったはずだ。ドラウ、君はいい部下を持ったね」


「出会ったのは偶然だったんだがな、全くだ」


「そこまでご存じとは...やはり今日この場に来た甲斐があった。私は齢45になりますが、その15年前、外遊していた女王陛下をビーストマンの手の者からお助けした事により、現在の地位につかせていただいております」


「30の時には既にアダマンタイト級だったんだね。すごいじゃない」


「いいえ、私などあなた達の力の前には虫けらも同然という事は自覚しております。それより以前、私は冒険者組合の中でも嫌われ者だった。その理由は、これもご存じかと思いますが、私の得意とする魔法は精神攻撃系。私としては仕事の効率を求めてこなしていた訳ですが、回りからすればその仕事の汚さという理由から、凶刃などという不名誉な渾名まで頂いてしまった。しかしそれでも私は自分の仕事に誇りを持って当たっていた。自分こそ最強であると認めてもらいたかったからです。しかしある日、そんな私の気概を粉々に打ち砕く出来事が起きました」


カイロンはワイングラスを仰ぎ、何かを思い出すように遠い目をしながら、深呼吸した。ドラウディロンはその話を聞いたことがあるのか、目を伏せて黙っている。


「というと?」


「カルサナス都市国家連合の北西端にある遺跡をご存知ですか?」


「あそこから北西と言うと、レン・ヘカート神殿だね」


「流石です、よく存じていらっしゃる。あの遺跡の調査依頼が来まして、当時組んでいた4人のチームでその依頼を引き受け、地下へ伸びる神殿の奥へと進んでいきました。数々の宝物や歴史的遺物が眠っていたのですが、最奥部の大広間まで辿り着くと、突如部屋の中心に巨大なモンスターが湧いたのです。それは書物でしか読んだことのない伝説の魔物、一つ目の巨人サイクロプスでした。


私達は懸命に戦いましたが、物理攻撃を受け付けない上に、私の魔法もさして効果が無い。撤退しか道は無いと諦めかけた、その時です。大広間の入口に立つ何者かが、一つ目の巨人サイクロプスに向けて魔法を放ちました。すると物理攻撃を弾いていたフィールドが解け、私達の攻撃が通るようになったのです。その後も彼は後方から見た事もないような謎の魔法による火力支援を行い、そのおかげで私達は命からがら一つ目の巨人サイクロプスを仕留めました。私達は背後にいた者にお礼を言おうとその姿を探しましたが、結局その何者かは姿を消してしまっていた。あの火力は常軌を逸していた。ルカ様、あなたや魔導王陛下と同じ力をそこに感じたのです。彼がいなければ、間違いなく私達のチームは全滅していたでしょう」


「”彼”と言っているけど、その人が男だったかどうかはどうやって分かったの?」


「そこで戦っている間中、彼は私達に向けて実に的確な指示を出していました。その声から男性だと把握出来た。実際に姿を見た訳ではないので確証は持てませんが...もしやルカ様なら何かご存じかと思い、聞いてみた次第です」


「うーんごめん、残念ながらそんな人は他に見たことがないけど、興味深い話ではあるね」


「そうですか。いや、過去の話を長々と聞かせてしまい、申し訳ありませんでした」


「いいのよカイロン、そういう話はバンバン私にしてね。何かの謎を解明する手がかりがあるかも知れないし」


「そう言っていただけると救われます」


ドラウディロンはワインとケーキを食べながら、(うんうん)と頷いていた。


「お前にもいろいろと思う所があったのだな、カイロン」


「ええ、でもこれで何かスッキリしましたよ。陛下、連れてきていただいて感謝します」


「普段は礼も言わない男が、こんな時に限って珍しいな」


ドラウディロンとカイロンが笑いあっているその時だった。頭の中に一本線が通るような感覚がルカを過ぎった。


『ルカか』


『アインズ、どうしたのこんな時間に?』


『夜更けに済まない、今ビーストマンの居城にいるのだが、大至急こちらに来てもらえないか。今から俺が転移門ゲートでそちらへ迎えに行く』


『いいけど、また急だね。何かあったの?』


『とにかくこちらに来てから詳しい話をする。装備を整えて応接間まで来てくれ』


『分かった』


ルカが急に黙り込んだのを見て、ドラウディロンが心配そうな顔で見つめてきた。


「ルカ、どうかしたか?」


「ごめんドラウ、カイロン、魔導王陛下に呼び出されちゃったから行ってくるね」


そう言うとルカはハンガーの前まで歩き、(バサッ)とネグリジェを脱ぎ捨てた。それを見てカイロンは咄嗟に顔を逸らす。ブラを付けて黒のYシャツを着ると、その上からレザーパンツとアーマーを素早く装備し、腰にベルトパックを締めてマントを羽織った。


「今アインズがここの応接間に迎えに来てるから、入ってもいいよね?」


「あ、ああ。もちろん大丈夫だ」


「ありがと、行ってくる。2人はここでゆっくりしててね」


ルカは扉を開けると、目にも止まらぬスピードで廊下を駆け抜けて4Fへと階段を駆け上がり、応接間の扉を開いた。そこには暗黒の穴が開いており、半身で乗り出したアインズが待ち構えていた。


「済まんなルカ、転移門ゲートが閉じてしまうから少し急ごう」


「待たせたね、行こうか」


アインズはルカへ手を伸ばすとその手を握り、暗黒の穴へと導いた。するとその先は見慣れない玉座の間だった。部屋の中は薄暗かったが、ルカが来たことで天井のシャンデリアに付与された永続光コンティニュアルライトが点灯し、一気に明るくなる。


そこには階層守護者達と、複数のビーストマンが並んでいた。ルカは部屋を見渡すが、それ以外には別段これといって異常は見当たらない。


「それで、何があったのアインズ?」


「こっちだ。この玉座の大きい背もたれの後ろに来てみろ」


「?」


アインズに手招きされ、背もたれの裏側を覗いてみると、僅かだが空間が歪み、割れた鏡を見ているような不自然な光景がそこにあった。試しにその空間に手を触れてみると、その時空の穴に吸い込まれていく。


「これってもしかして、転移門ゲート?」


「ああ。この転移門ゲートの形、似ていると思わないか?以前にお前が発見した、虚空宮からガル・ガンチュアへと抜ける隠された転移門ゲートに」


「そう言えば...」


「試しにこの転移門ゲートをエルダーガーダーに潜らせてみたが、無事にこちら側へと帰ってきた。と言う事はつまり、この転移門ゲートは一方通行ではないということだ」


「なるほどね。と言う事は、あのビフロンスはこのゲートを通ってやって来たって事?」


「そう考えれば辻褄が合う。そうなるとこの転移門ゲートが繋がっている先は...」


「...万魔殿パンデモニウム、か」


「それでこの先を確認するかどうか、お前の判断を仰ぎたくて呼んだわけだ。もし万魔殿パンデモニウムだった場合、お前の方が詳しいだろうからな。どうする?行ってみるか?」


「...どちらにしろ、この都市は放棄されるんだよね。それならこのまま放っておくのは危険だし、行ってみよう。この目で確認しない事には始まらない」


「了解した。私も同行しよう」


「何かあればすぐに引き返そう。この先で戦闘になって、万が一こちら側にモンスターがなだれ込んで来たら面倒な事になるし」


「分かった」


「じゃあ私から行くから、アインズは後からついてきてね」


ルカは慎重にそのゲートに手を触れて、一歩を踏み出した。暗いトンネルを抜けた先は、空一面が赤く染まり、鋭く茶色い岩山が遠くまで広がる荒涼とした世界だった。即座に足跡トラックで索敵するが、山を挟んだ南東方向に5体程の反応があるのみで、正面には何もいない。後からアインズも続いて転移門ゲートを抜けてやってきた。周囲を見渡すと、正面は直径300メートル程の円形の広場になっているようだった。その周囲には鋭利に尖った山で囲われ、今いる場所が盆地に面している事が確認できる。


足跡トラック、南東方向約800ユニットに敵の反応。それ以外は異常なし」


「妙に暑いなここは...どうだルカ?ここは万魔殿パンデモニウムで間違いないか?」


「ちょっと信じられないけど....間違いなくここは万魔殿パンデモニウムだよ。火山性地帯だからね、温度も高く設定されているんだと思う」


「お前に言おうと思いながらすっかり忘れていたのだが、あのビフロンスと言ったか?そのモンスターは、ソロモン72柱の悪魔の一人ではないか。その系統のモンスターが多いのだろうか?」


「そうだね、私も詳しい事は知らないけど、ここはいわゆる悪魔系最強レベルのモンスターしか出現しない。ガル・ガンチュアに次ぐ危険地帯だし、そうした名前のモンスターは多いと思うよ」


「しかし今立っているこの小高い場所、妙に整地されているが、ここは何かの祭壇か?」


「どうもそうらしいね。何を祭っていたのか後ろを見───」


背後を振り返ったルカとアインズは、その祭壇に祭られていたものを見て絶句した。そこに建っていたのは、以前にも見たあの巨大な漆黒のモノリスだったのだ。しかしトブの大森林西部奥地で見たものとは違い、びっしりと刻まれたエノク文字が淡く光を帯びている。そしてその土台部分に、今通ってきた転移門ゲートが口を開けているという状態だ。


「こっ、これはおいルカ...魔力が通ってないか?」


「うそ....一体何なのよこのモノリス?」


「俺だって分からん!しかしこのモノリスが転移門ゲートを開いているのだとすれば、迂闊に破壊する訳にもいかんし、ここは一つ先に解読してもらう必要があるんじゃないか?」


「ここに...プルトンを呼ぶ?」


「それしかなかろう。ここで転移門ゲートが作動するかも確認できるし、試してみてくれ」


「そ、そうね、分かった。転移門ゲート


モノリスの右側に向けて魔法を唱えると、心配を他所にあっけなく転移門ゲートが開いた。


「良かった、ちゃんと開いた。じゃあちょっと行ってくるね」


「ああ、待ってるぞ」



───エ・ランテル 冒険者組合 2F 組合長室 23:55 PM



その日の書類を本棚にしまい込み、プルトン・アインザックは大きく溜め息をついて机の上を整理し、帰ろうとしていた矢先、突然部屋の中央に暗黒のトンネルが開いた。(またか...)と思い、プルトンは転移門ゲートの前で腕を組み待っていると、ルカが勢いよく飛び出してきた。それをプルトンは両腕でガシッと受け止める。


「きゃっ?! って、プルトン?」


「...お前なー。毎度毎度ここへ来るのはいいが、油断しすぎじゃないか? 転移門ゲートを出た瞬間を狙って攻撃されるとも限らないんだぞ?」


「だ、だってプルトンの部屋だし、そんな事ないと思って。プルトンだって、あたしを攻撃したりしないでしょ?」


「だから、されたらどうするんだという仮定の話だ!ここにもし俺がいなくて、アサシン系の奴が潜んでたらどうするんだと言ってるんだ」


「え? うーんそしたら、そいつ殺しちゃうかも」


笑顔で答えるルカを見てプルトンはガクッと項垂れ、受け止めたルカの体を離した。


「はいはいそうでしょうとも。それで何か?またぞろモノリスでも見つけてきたのか?」


「そうなの!お願いプルトン、今度は万魔殿パンデモニウムでモノリスを見つけたのよ。解読してもらってもいい?」


「な、何だと?! 万魔殿パンデモニウムって...お前が昔話してたあの超危険地帯の事か?」


「大丈夫、敵はいないから。それに向こうでアインズも待ってるし、急いでるのよ。一緒に来て、お願い」


「わ、分かった分かった!そう急かすな!剣の一本くらい持たせろ」


そう言うとプルトンは渋々クローゼットを開けて白銀の片手剣を取り出し、腰に差した。それを見てルカはプルトンの手を取り、転移門ゲートの中へと導いた。




───万魔殿パンデモニウム 朱の祭壇 モノリス前 0:00 AM



「これは魔導王陛下、奇異な所でお会いしましたな。今度は万魔殿パンデモニウムですか」


「組合長、毎度毎度来てもらって済まない、感謝する。エノク語を解せるのは組合長のみなのだ、どうか許してほしい」


「いいえ魔導王陛下、滅相も無い。顏をお上げください。私がこうやって来ているのは自分の為という事もあるのですから」


「そう言ってもらえると助かる」


プルトンは高さ15メートル程もあるモノリスを見上げ、そこに手を触れた。


「これは...以前見たトブの大森林の時とは違い、魔力が通っておるようですな。それにこの転移門ゲート、これはどこに繋がっているのですかな?」


「遥か東のビーストマンの国家にある、居城内の玉座に繋がっているんだ」


「ビーストマン?....何故竜王国を襲っているあの国家へと繋がっているのか...謎は尽きませんが、とりあえずは解読してみましょう。えーと、なになに?」



──────────────────────────────



そして2125年、私の理論に基づき完成した粒子加速器2を使用して、2123年に完成した粒子加速器1と同様に、極めて長期的に安定したマイクロブラックホールの生成に成功した。その後動作確認のため粒子加速器2に接続されたサーバを介し、強力なパルスレーザーを使用してブラックホール内にデータを照射したところ、2125年に現存する粒子加速器1と、2123年に存在する過去の粒子加速器1より年代を添えてリプライの応答が帰ってきた。私達研究者はその場で飛び跳ね、実験の成功を喜んだ。


つまり簡単に言えば、マイクロブラックホールに接続されたサーバであれば、共通のプログラムを介してどの年代のサーバとも相互通信が取れるということだ。具体的な仕組みはどうなっているのかというと、まずデータを乗せた光速のパルスレーザーをブラックホール内に撃ち込む事により、事象の地平面を超えたレーザーは光速を遥かに超えたスピードで内部に突き進み、瞬時に5次元空間へと到達する。


5次元空間とは、時間・空間が生まれる高次元時空の事である。そしてそこは全てがエネルギー化された世界であり、全てが繋がった世界である。混沌としているようで、何よりも整然とした世界。そこへ強力な指向性(=データ)を持ったエネルギーを撃ち込めば、そのエネルギーは指向性に沿ってあるべき場所へと帰り、あるべき場所へと戻る。それは時間・空間すらも跳躍して未来から過去へ、過去から未来へ、その指向性と関連付けられた時代へと5次元の中を真っ直ぐに飛んでいき、そのエネルギーの望む場所へと辿り着く。そして辿り着いた先で僅かな残滓とも言うべき反射を起こし、その先にあるサーバはその僅かな反射を拾い上げ、その返答をレーザーに込めて撃ち返す。これを無限に繰り返す事が5次元間通信の概要である。


これを応用すれば、50年・あるいは100年・1000年離れた時代に設置されたユグドラシルサーバとの通信も可能となる。私はこれを反射的時間跳躍───リフレクティングタイムリープ機能と名付けた。これで各時代にユグドラシルサーバが一つ作られる毎に、その他の全ての時代がミラーサーバとなり、一つのシステムとして機能するようになる。そしてデータ通信の高速性を維持するため、ホストサーバはその時代の中で最も新しい年代のユグドラシルが自動的に選ばれるようになっており、その時代で最も高速なシステムを積む事を義務化する事により、時代が進むごとに全ての年代のサーバ処理速度が飛躍的に伸びるよう私はメフィウスを設計した。翌年の2126年、全ての準備が整った我々は満を持して、DMMORPG・ユグドラシルを発売した。


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「だめだ、何のことだかさっぱり分からん....ルカ、翻訳してくれ」


アインズはプルトンの翻訳した言葉を聞いて、ガックリと項垂れた。


「OKOK、大丈夫。落ち着いて整理していこう。面白いよこれは。つまり簡単に言うと、ユグドラシル発売までの顛末を書いた文章のようだね」


モノリスを眺めていたプルトンがルカに質問する。


「トブの大森林の時に出てきた言葉もいくつか出てきているな。それは置いといて、初めて出てくる言葉もある。ルカ、粒子加速器とはどういうものなんだ?」


「噛み砕いて説明すると、例えば私のこの指の皮膚があるでしょ?この皮膚の一片は、数十億という原子と呼ばれる小さな粒がくっつき、繋ぎ合わされて構成されているの。そしてその原子の中心には、それを構成する為に必要な原子核というものがある。そして更にその原子核を構成している一粒一粒は、陽子という電気を帯びた粒子で構成されているのね。その小さな小さな陽子という一粒同士を円形のリングに収めて、それぞれ逆方向から光速に近い速度で、真っすぐに正面衝突させる装置が、粒子加速器と呼ばれているの。そこで正面衝突させると何が起きるかというと、この宇宙が誕生するきっかけとなった、ビッグバンという大爆発にも似た超高エネルギー反応を起こすことが出来る。それを観測するための装置なのよ」


「そんな極限にまで小さいもの同士を衝突させる事で、宇宙が生まれるほどの爆発的な高エネルギー反応を生み出せるものなのか?」


「そうよ。単に大きいからエネルギーが大きいとは限らないでしょ?例えば、昔プルトンと一緒に戦った霜の巨人フロストジャイアントは大きいけど、私達を殺せるほどの爆発的なエネルギーを生み出せた? そんな事はなく、私達の方が強かったでしょ? それとは逆に極限にまで小さく、しかも電荷というエネルギーを持ってそこに存在するという事自体が、とんでもない高エネルギーを内包している場合が多い。それこそ私の使える超位魔法なんて比較にならない程のね。その極限に小さなものを調べる為の装置が、粒子加速器というわけ」


「なるほど、そう言われると分かりやすいな。ありがとうルカ、大体理解した」


「アインズも分かってもらえた?」


「今の説明を聞いて、ようやく理解できた」


「オッケ、じゃあ順に追って行ってみよう。まずグレン・アルフォンスは、2123年に粒子加速器1号を完成させた。この時点で小型マイクロブラックホールの生成に成功している。この技術自体は2550年代では確立...というより、若干古い技術ではあるけど、こんな早い時期に確立されていたというのは、私も初耳だった。恐らくは軍が絡んでいるから、このプロジェクト自体が極秘で行われたんだと思う。


そして2年後の2125年、粒子加速器2号が完成。ここでも安定したマイクロブラックホールを生成し、トブの大森林のモノリスでも出て来たけど、粒子加速器2号のブラックホールに、データを乗せたパルスレーザーを照射して、いわゆるネットワーク上のピン反応を測定した。すると、2123年に完成したばかりの粒子加速器1号と、そこから2年後に現存する粒子加速器1号から、粒子加速器2号にピン反応が返ってきた。つまりは過去と未来に存在する粒子加速器1号という2台から、リプライがあったって事だね。


あとは前回トブの大森林で検証した時と同じ結果がもたらされ、5次元間通信の仕組みが書いてあるということだね。ここは本文に記載の通りってとこかな。ただトブの大森林とこの文章がつながっているのかどうか、ちゃんと比較できないからまだ分かりづらいけど、この話はまだ続きがあるみたいだし、そこは追々探していこう。それとここに来てはっきり分かったのは、グレン・アルフォンスが5次元に関してはっきり明言している事だね。


”5次元空間とは、時間・空間が生まれる高次元時空の事である。そしてそこは全てがエネルギー化された世界であり、全てが繋がった世界である。混沌としているようで、何よりも整然とした世界” ってね。私もこの通りだと思う。その上でこの理論を応用すれば、遥か未来・遥か過去に設置されたユグドラシルサーバと相互通信が行える。これを信じるなら、2138年から来たアインズと、2350年から来た私がこうして一緒に居られるのは、この技術があるからだと思われるけど、ここはまだ信ずるに足る材料が足りないかな。ただ面白いのは、その時代を超えた相互通信の機能を、”反射的時間跳躍──リフレクティングタイムリープ機能 ”と名付けている事だね。つまり今の私達の状況は、グレン・アルフォンスによる確信犯という事になる。


もっと面白いのは、”ホストサーバはその時代の中で最も新しい年代のユグドラシルが自動的に選ばれるようになっており、その時代で最も高速なシステムを積む事を義務化する事により、時代が進むごとに全ての年代のサーバ処理速度が飛躍的に伸びるよう私はメフィウスを設計した” とあるよね。つまり把握出来ている現時点で、私の生きる2550年代のダークウェブユグドラシルサーバが最も新しい年代となるから、そこで救出したアインズの脳核がアクティブになっている以上、2138年のアインズではなく、2550年に生きるアインズの脳核がホストとなり、オーバーライドされる形となる。


これに対し過去のエンバーミング社が把握しているのかどうかが謎な点ではあるけど、今間違いなくアインズは2550年に解放された状態で私と共にいる。過去から未来に存在するアインズが全てリンクしているとも考えられるけど、それは今後の検証次第かな。そしてそれらを包括するリフレクティングタイムリープ機能は、全てメフィウスというコアプログラムの中に収められている。それらが全て完成した時点で、2126年に晴れてユグドラシルを発売したと...。まとめればこんな所だね」


そこまで顎に手を当てて聞いていたプルトンが、疑問を口にする。


「だが前回と言い今回と言い、何故グレン・アルフォンスはこのようなメッセージを残したのだろう?」


そこにアインズも同調する。


「確かにな。つまりはブラックホールによる相互通信を機能として盛り込んだDMMO-RPGが、このユグドラシルという訳だろう? そのような稀有壮大な計画の実験として、俺やルカが選ばれたという事なのか?」


「まあ、私達だけとは限らないけどね。でもここに書かれている文は、間違いなく研究者としての視点で書かれている。何が起きているのかを私達に知らせたかったのか、それとも何かを隠すつもりでこのような事を言っているのか...正直現時点では何とも言えないけど、一連のモノリスが何を言いたいのかは、ぼんやりとではあるけど見えてきたよね」


「しかもガル・ガンチュアや虚空ならともかく、ここは万魔殿パンデモニウムだぞ? 新たなゾーンがここへ来て出てくるとは、もはや意図的な何かを感じずにはいられんな。しかもルカ、お前が戻ってきた途端の出来事だ」


「何だろうね...正直私にも訳が分からない。だからこの一件が片付いたら、フォールスに会いに行ってこようと思う。その他にも会いたい人が沢山いるし」


「そうだな、俺もそうした方がいいと思う」


「よし、メモもしたし、このモノリスの魔力を止めないとね。またビフロンスみたいなのに来られたら困るし」


そう言うとルカはモノリスにそっと手を触れた。アインズも隣に寄り添う。


「止めるってお前、何か方法でもあるのか?」


「普通にやればいいんじゃないかな? 試してみよう、上位封印破壊グレーターブレイクシール


(パキィン!)という音と共に、モノリスに刻まれたエノク文字の光が消え失せ、土台にあった転移門ゲートもその姿を静かに消した。ルカはアインズを見て微笑む。


「フフ、うまくいったね」


「...行き当たりばったりすぎるが、まあ封鎖する手段は分かったんだ。よしとするか」


それを見てプルトンが溜め息をつく。


「はー、それにしても万魔殿パンデモニウムか。まさか生きているうちに来られるとは思ってもみなかったが」


「組合長、それは私も同感だ。これでルカの言うユグドラシルβベータという存在が更に裏打ちされたわけだからな」


「...何よ二人とも。そんなにあたしの言う事信じられなかったの?」


「いやいや、そうではないぞルカよ。この世界の広大さ、それを感じて滅入っているだけだ」


「俺は人間だ、ルカ。お前とは過去共に戦ってきたが、お前と違い俺はあと数十年で土に帰るんだ。その間にお前が見せてくれたこの世界の真実が嬉しくもあり、重くもある。そういう意味だ、悪く捉えるなよ?」


「ふーん...分かった」


ルカが拗ねているのを見て、思い出したようにプルトンが懐から年季の入った木製のケースを取り出した。


「ルカ、これをお前に渡しておこう」


「何これ?」


「いいから開けてみろ」


手渡された長方形のケースを開けると、そこには美しい細工の施された銀縁の眼鏡が入っていた。


「これは?」


「それは真実の目アイズオブトゥルースというマジックアイテムだ。俺が若いころエノク語の勉強をしていた時に使っていたもので、それをかければエノク語が読めるようになる。ここにモノリスがあるんだ、試してみろ」


「う、うん」


ルカはそれを手に取り、丸い銀縁眼鏡をかけてモノリスを見上げた。すると、先程プルトンが翻訳してくれた通りの言葉が脳裏に流れてくる。眼鏡をかけたままプルトンを見て目を瞬かせた。


「すごい...あたしにも読める」


「フフ、俺より似合ってるじゃないかルカ。それをお前にやる」


「え、何で? プルトンが翻訳してくれればいいじゃない。これ大切なものなんでしょ?」


「まあ、修業時代の思い出の品だ。それはエノク語だけじゃなく、この世界にある様々な言葉を翻訳してくれる貴重なアイテムだ。俺も毎日冒険者ギルドにいる訳じゃないからな、そういう時はそれを使え」


「...やだ。これ返す」


ルカはかけた眼鏡をケースにしまうと、プルトンに差し出した。プルトンはそれを見て笑い返す。


「おいおい、俺にはもうこんなものに頼らずとも、完璧に読めるんだ。お前こそこれを使ってエノク語の一つでも勉強しろよ」


「....何でそんなウソつくの?」


プルトンを真っすぐに見つめるルカの目から、大粒の涙が零れ落ちる。それを見て、アインズは黙って俯いた。


「おいルカ、何も泣く事は....」


「やだって言ってるでしょ?何で受け取ってくれないの?」


「それはお前に渡すために持ってきたんだ。毎回毎回モノリスが発見される度に呼び出されちゃ敵わんからな。お前も今かけてみてその効果が分かっただろう?だからそれはお前にやるんだ。もうそれはお前のものだ」


「だから、何でそんなウソつくのよ?」


「俺は別にウソなんて───」


「....心の中では、”俺が死んだ時の為に持っていけ”って言ってるじゃない!!」


ルカの命を削るような絶叫に、プルトンは押し黙った。知っていたはずだった。ルカが心を読める事を。一度はルカの導きでセフィロトになろうと思った事もあった。そのルカが何故プルトンをセフィロトに導こうとしたのか、彼はその涙を見て全てを理解した。ルカは失いたくなかったのだ。自分という存在をその原初から知る彼の事を。そして共に戦った、気の知れた仲間を。


プルトンは涙に暮れるルカの肩を抱き寄せた。その懐の中で、ルカは嗚咽混じりに言葉を発する。


「...何が真実の目アイズオブトゥルースよ。私にとっての真実の目はプルトンだけなの。お願いだから死ぬなんて言わないで。ずっとここまで一緒にやってきたじゃない?」


「...お前は俺に一度も嘘をついたことが無いというのに、俺の方が先に嘘ついちゃったな。ごめんな。もう死んだ時とか、そういう事は言わない。でもその眼鏡だけは受け取ってくれ。俺が若いころ大事にしていた品だ。お前にいつか渡そうと、ずっと思っていたんだ」


「....やだよ。あたしプルトンが居なくなるの、やだよ」


「おいおい、お前がそんなに俺の事を思ってくれてたなんて、今日言うのが初めてだろう?俺だって、俺だってなあ....お前を失いたくないから、ここまで生きてこれたんだぞ、馬鹿者が」


遂にプルトンの堰が切れた。共に汚い仕事もした。泣く泣くルカに汚れ仕事を押し付けたこともあった。しかしそのあとは、お互いに慰め合うように酒を飲み、明日を迎えた。そうしてここまで支え合ってきた、仲間から告げられた本音。プルトンは嬉しかった。この世界の真実を教えてくれたルカ・ブレイズ、その彼女からそこまで思われる存在となっていた事を。


「...ルカ、ありがとうな。この20年間俺はお前と組めて、今本当に幸せだよ」


「...プルトンが私の真実の目になって。あとそういう最後みたいな言い方はしないで」


「ああ、分かったよ。悪かった。でも万が一転移門ゲートが開かない場所に当たったら、どうしよもないだろう? そういう時の為に、その眼鏡はお前が持っていてくれ。いいな?」


「...うん、分かった」


ルカは顔を上げると、自分の顏が涙でクシャクシャなのにも関わらず、マントの袖でプルトンの涙を拭った。プルトンは懐からハンカチを取り出すと、ルカの顏を拭った。そして再度ルカはプルトンを抱きしめる。


そして体を離し、ルカはアイテムストレージに真実の目アイズオブトゥルースが入ったケースを収めた。深呼吸し、真っ赤に腫れた目をアインズに向けて笑顔を向ける。


「ご、ごめんねアインズ、みっともないところを見せちゃって」


「魔導王陛下、私からもお詫び申し上げます。お見苦しい所をお見せしました」


「何、構わないさ。私もお前達の本音が見れてうれしく思うぞ。仲間は大切だ、何よりもな。それを尊く思うお前達の気持ち、しかと見せてもらった。ルカは元より、特に組合長、あなたは私よりもこの世界で長く生きた、言わば先輩だ。私にも至らぬところがあろうが、その際はどうか魔導国をフォローしてほしい。今後ともよろしく頼む」


「ハッ!ルカがその身を委ねた王は、私が身を委ねると同義にございます!一蓮托生、このプルトン・アインザック、魔導国の為にどこまでも着いていきましょうぞ」


「その言葉嬉しいぞ組合長。心強く思う。よし、ここでの用は済んだな。ルカは組合長を送ってくれ。私はビーストマンの国へ帰るからな」


「アインズ、それが終わったら竜王国に来るでしょ?」


「何せ人数が多い。転移完了は明日までかかるかもしれんがな。事が終わり次第すぐに向かう。それまでは女王の護衛、頼んだぞルカ」


「了解、気を付けてね」


「お前もな。転移門ゲート


モノリスの左側を指さし、そこに開いた暗黒の穴に入ってアインズは戻っていった。


「俺達も戻ろう、ルカ」


「うん。転移門ゲート


そしてルカとプルトンは組合長室に戻ってきた。先ほどから握っていた手をルカが離してくれない事を受けて、プルトンが宥めるようにルカに言った。


「こらこら、そんなにしてたら妙な噂が立つぞ。俺はどこにもいかないから、いい加減離してくれ」


「....ほんとに?」


「本当だ」


ルカは手を離してプルトンの首を抱き寄せ、左頬にキスした。


「絶対だからね。どこかに行ったら、地の果てまでも探しにいくからね」


「だからどこにも行かん。それにお前の索敵スキルの前じゃ、どこに逃げても結果は同じだ。そうだろう?」


「...よし。もう嘘つくんじゃないよ」


「フフ、これ以上一緒にいると、俺の中の理性が揺らいでくる。ドラウディロン女王の護衛に行くんだろう? 早くそっちに行ってやれ」


「プルトンを見送ってからにする」


「はいはい、ご自由に」


プルトンは腰に差した片手剣をクローゼットにしまうと、組合長室の扉に手をかけた。


「明かりを落とすぞ、ルカ」


「...明日連絡するから。時間ある?」


「夜ならな。分かった、伝言メッセージくれ」


「...おやすみ、プルトン」


「おやすみ、ルカ。我が最愛の友よ」


プルトンは明かりを落とし、組合長室の扉を閉めて鍵をかけた。ルカも暗闇の中転移門ゲートを開き、竜王国へと戻っていった。


───竜王国居城 3F 客室 1:14 AM


ルカが戻ると、部屋の明かりは落とされていた。窓から入る薄明かりを頼りに部屋右奥のバスルームに光をともすと、フードを下げて泣きはらした顔をバシャバシャと洗った。そしてタオルで顔を拭き、マントとレザーアーマーを脱いでハンガーにかけ、椅子に引っ掛けてあったネグリジェに着替えるとルカはベッドに潜り込むが、その奥に柔らかい感触が手に当たった。見るとベッドの奥に、布団を被ったドラウディロンが寝ていたのである。それに気づいてドラウディロンは眠たそうに声をかけた。


「ん、う~ん。遅かったなルカ。悪いが寝かせてもらってるぞむにゃむにゃ」


その小さな少女を見てルカは微笑み、そっと布団の中に入ってドラウディロンの隣に足を滑らせ、彼女の肩に顔を埋めた。


「ん~...どうしたルカ。目が腫れてるぞ」


「いいの、大丈夫。ありがとうドラウ」


そう言うとルカはドラウディロンの頬にキスをし、彼女の体を抱きかかえて、嗚咽を堪えながら再度涙を流した。ドラウディロンはルカの髪を優しく撫で、お返しとばかりにルカの額にキスをする。


「どうした、何があった?」


「ううん、ごめんねドラウ、眠いでしょ?私はあっち向いてるから、ドラウは寝てね」


「そんな顔を見せられては、眠ろうにも眠れんではないか。話してみろ」


「...今日ね、友達から魔法の眼鏡をもらったの。その人は口では嘘を言いながら、心の中では自分が死んだ時の為に使えって。その時私気付いたんだ。その友達が私にとってどれだけ大切な存在になっていたかって...」


「...心を読めると言うのも、存外不便なものだな。ルカよ」


「うん...」


「一杯飲むか?その方がよく眠れよう」


「....うん、じゃあ一杯だけ」


2人はベッドから起き上がると、明かりをつけてテーブルの椅子に座った。見るとデキャンタの中は白ワインで満ちており、ドラウディロンがルカと飲みたくて待っていてくれたのだろうと察しがついた。ルカが(ポン)とコルクを抜き、2つのグラスに注ぎ込むと、2人はそれを手に取って(キン!)と軽く乾杯した。ルカはそのグラスを一気にグイッと仰ぐと、デキャンタを手に取って自分のグラスに再度注ぎ込む。ドラウディロンはちびちびと飲みながら、ルカの様子を見守っていた。


「あまり飲むと、逆に目が覚めるぞルカ」


「分かってる。大丈夫、周囲に敵もいないし」


「そんな事は露ほども気にしてはおらん。私はお前が心配なのだ」


「私は別に...もうケリもついたし」


「先ほど言っていた眼鏡とやら、見せてくれるか?」


「え? うん、いいけど」


ルカは中空からアイテムストレージに手を伸ばすと、木製のケースを取り出した。


「中身を見せてくれ」


「...これでいいの?」


ルカはケースを開けて、中に入った銀縁の眼鏡をドラウディロンに見せた。


「なるほどな...それをかけてみせてくれ」


「え?」


「いいから、その眼鏡をかけてみろ」


「わ、わかったよ...」


ルカはケースをテーブルの上に置いて眼鏡を手に取り、そっとかけてドラウディロンを見た。


「こうでいい───」


その瞬間ルカは目を瞬かせた。目の前にいた少女のドラウディロンの姿が、美しい大人のドラウディロンに映っていたからだ。そしてその瞳孔は縦に割れており、さながらヘビのような目をルカに向けている。ルカはそのまま椅子から立ち上がり、ドラウディロンの頬に手を触れた。ヒンヤリとした感触が伝わり、ルカは咄嗟に眼鏡を外す。その眼下には、幼いままのドラウディロンが微笑を湛えている。


「...真実の目アイズオブトゥルースだな。本物か」


「ドラウ、この眼鏡の事知ってるの?」


「当然だ。その昔、私がプルトン・アインザックに授けたものだからな」


「そう...なんだ。知らなかった」


「あやつがお前にこの眼鏡を託したという事は、それだけ信頼されているという証。お前は悲しむどころか、喜んでいいのだぞ、ルカ」


「それは...私も同じような事を言われたけど」


「今見た通り、その真実の目アイズオブトゥルースは言語翻訳以外に、この世のあらゆる幻術や私のようなシェイプシフターの魔法、その他ありとあらゆるトラップをも見破る力を持つ。化けの皮を剥がすにはそれ以上のアイテムは他にない」


「そんなにすごいアイテムだったなんて...」


「お前が言う友とは、プルトンの事だったのだな」


「...うん」


「運命はどう転ぶかわからぬ。それこそ私のようにな。お前が運命を変えようと思うならば、それはきっと叶うだろう。私はお前とゴウン魔導王が来なければ、死を待つ運命だった。それをお前達は捻じ曲げて見せた。希望はある。希望こそ、生きがいだと私は今強く思う。お前達の事は私が知る由もないが、その手段はあるのだろう?ならば、その時が来れば自ずとそうなるであろう。時を待て、ルカ。例えその先が涙で覆われていようともな」


「....もう。そんな事言われたらハグしちゃうぞ、ドラウ」


「それはこちらのセリフだ、ルカ。寝れそうか?」


「うん。寝よう、ドラウ」


「何ともう2:00か。明日にはゴウン魔導王も来よう。ルカ、眠れる魔法はないのか?」


「あるけど、強力すぎて寝坊しちゃうだろうから、自然に寝よう?」


「フフ、そうか。では頑張って寝るとするかな」


ルカはドラウディロンの手を取ってベッドに行くと、部屋の明かりを落とし、お互いに抱き寄せあって深い眠りについた。



───翌日 竜王国居城 4F 応接間 2:37 PM



「ゴウン魔導王。此度の助力、感謝してもし切れない。国が疲弊しているので今すぐにとはいかないが、私達の国にできる事があれば何でもしよう。本当に感謝する」


女王と宰相はテーブル越しに深く頭を下げた。


「オーリウクルス女王、顔を上げてくれ。私は何事も中途半端が嫌いでね。打てる手は全て打つのが私の信条なんだ。ここまでやったのは私の我儘だ、気にすることはない」


「ありがとう、ゴウン魔導王。貴国の兵は外に待機させてあるのか?」


「いや、もう用は済んだからな。全て我が本拠地ナザリックに返してある」


「そうか、ならばゆっくり話ができるな。それで、その...ビーストマン達はその後どうなったんだ?」


「彼らは一人残らずアベリオン丘陵に転移させたよ。意外に物分かりの良い連中でね、国の移動に異を唱える者はいなかった。そこで適当な場所を見繕い、私の魔法”要塞創造クリエイトフォートレス”でいくつか仮の住居を作り、そこに匿ってある。現在魔導国の部隊を繰り出して集落の建設を急がせているからな、じきに完成するだろう。彼らはあの地で一からやり直す事になる」


「そうか....私が言うのも妙だが、何から何まで済まない。ルカ大使から聞いたのだが、ゴウン魔導王はエーテルメインの酒なら飲めると聞いてな。我が国でも少量生産している貴重な銘柄がある。些少ではあるが、あなたを労わせてほしい。宰相」


「ハッ。ミーナ、こちらに」


宰相が呼ぶと、部屋の隅に待機していたメイドがカートを運んできた。その上には銀色の容器の中に氷が詰められており、中には見るからに高級なシャンパンボトルが冷やされている。それに6人分のグラスと、デキャンタも乗せられていた。


メイドのミーナは手慣れた手つきでグラスにワインを注ぎ、そのグラスをトレーの上に乗せる。そしてコルクスクリューをシャンパンボトルに差し込み、(シュポン!)と丁寧に抜くと、このために用意されたカクテルグラスに注ぎ込んだ。(シュワー)とエーテルの靄が溢れ、カシスとパイナップルを合わせ、そこへ更に不思議な香りがプラスされたミステリアスな香りが広がり、その色は美しいマリンブルーに輝いていた。それをトレーに乗せてミーナが腰を上げ、上座に座るアインズの下へカクテルグラスが置かれた。次いでルカ・ミキ・ライル・女王・宰相の下にワイングラスが置かれる。そしてグラスを手にして前に掲げ、女王と宰相は立ち上がった。それを受けてアインズ達もグラスを手に席を立つ。


「ゴウン魔導王、私は...いや、私と国民達は、決して忘れない。あなたがもたらしてくれた、今日と言う喜びに満ちたこの日を、そして明日という希望に満ちた空を。...苦しかった。もうだめかと何度も思った。あなたがルカを送り、この国に手を差し伸べてくれなければ、私達は未だ暗い井戸の底にいたはずだ。私は....グスッ、私は.......」


絶望的な日々、抱えていた国民の命。その重責から解放してくれたアインズを目の前にして、ドラウディロンは万感の思いに浸り、思わず涙が溢れた。その様子を隣で見ていた宰相が懐から真っ白なハンカチを取り出し、微笑みながら優しくドラウディロンの涙を拭う。


「...ほら陛下、しっかりしてください。魔導王陛下の前ですよ」


そう言うカイロンも思う所があったのか、目に涙が滲んでいる。


「い、言われなくても分かっておるわ!そういうお前だって泣いているではないか!」


そのやり取りをルカ達は笑顔で見つめる。アインズも「うむ...」と相槌を打ちながら、その様子をみて小さく頷いていた。ドラウディロンは気を持ちなおそうと、右手を胸に当てて大きく深呼吸した。


「...フー。とにかく、ゴウン魔導王が現れなければ、私達は窮地に立たされたままだった。女王として、国家を代表して礼を言わせていただきたい。ありがとう、ゴウン魔導王」


そして女王は天高くグラスを掲げた。


「アインズ・ウール・ゴウン魔導王に栄光を!」


『魔導王に栄光を!!』


そして皆がグラスを仰いだ。アインズの喉に深い青の液体が滑り落ちて気化し、スゥッと肋骨に吸収されていく。その異世界に───瞼は無いが───アインズは目を閉じた。フルーティーな味わいと共に、後から小波のように押し寄せるクリスタル・ムスクにも似た上品かつ色気のある香り。ミステリアスな香りの正体はこれだった。まるで明け方の砂浜で一人日の出を待ち続けるような、心地よい孤独感。空に瞬く星々。そんな風景を連想させる、とろけるように甘美な酒だった。


「...はぁ、美味いな、これは」


ため息混じりにアインズは思わず感想をこぼした。それを聞いてドラウディロンは、子供の外見に反するような、大人びた深遠な微笑みをアインズに向けた。


「その酒の名は、”スターゲイザー”と言う。気に入ってもらえたようで何よりだ。その酒の原料は、我が竜王国周辺でも僅かしか取れない希少種、レムリアンフルールという花から獲れた蜜なんだ。伝説によるとその花は、口にした者に未来を見せるという言い伝えがある。香水の天然素材としても使われていて、我が国だからこそ成し得たエーテル酒がその酒なんだよ、ゴウン魔導王」


「スターゲイザー...占星術師か。まさにこの酒にこそ相応しく、美しい名だ。それと私の事は、気軽にアインズと呼んでほしい」


「ならば私の事もドラウと呼んでくれ、アインズ」


「ああ、ドラウ。立ち話も何だ、皆席につこうじゃないか」


そう促されて全員が席につくと、アインズは再度グラスを仰ぐ。背後でカートと共に控えていたメイドのミーナが、そっとアインズのグラスにスターゲイザーを注ぎ足した。


「ありがとう。ミーナと言ったかな?以前にも思った事だが、君は私のこの姿を見ても恐れないのだな」


「はい、魔導王陛下。陛下には理性があらせられます。それを感じたからこそ、私は安心して陛下のお傍にいられるのでございます」


まるで慈しむような目でアインズを見返すミーナの顏を見て、カイロンが慌てて弁明する。


「ま、魔導王陛下!このミーナは以前冒険者をやっておりまして、そのせいもあり異形種との交流にも抵抗がないのです」


「ほう? して、冒険者のランクは?」


「ハッ、アダマンタイト級にございます。元、ですが...」


カイロンの言葉を受けてアインズはミーナを見たが、彼女は笑顔を返してきた。


「ハッハッハ! 頼もしい限りだな。この場にアダマンタイト級冒険者が2人もいるとなれば、ドラウの身の安全も完璧という訳だな」


「恐縮です、魔導王陛下」


「何、構わないさ。それよりドラウ、早速なんだが約束の書状を一筆書いてもらいたくてな」


「もちろんだアインズ、約束は守ろう。それで、どの国宛に書く?」


「次に向かおうと思っているのは、アーグランド評議国だ」


「....そう来ると思っていたよ。しかしアインズ、老婆心ながら言わせてもらうと、あの国は危険だぞ。もちろん書状は書くが、あの国の評議員達は私を敵視こそしていないにすれ、明らかに私を異端視している。私の中には確かに、七彩の竜王ブライトネスドラゴンロードの血が流れているが、竜が人間との間に作った子の子孫が私だ。彼らの下に何度か使いを出したが、その印象はこうだ。(滅ぶのが運命なら淘汰されるのもまた必然)。純粋なドラゴンでない私を、試す───というより、軽視していたのであろう。正直腹の立つ話ではあるが、それ以来私はあの国に助力を乞うのをやめ、法外な金を支払ってスレイン法国や冒険者達に依頼し、ビーストマンの攻撃から国を守っていたという訳だ」


「なるほどな。ルカ、どう思う?」


そう促されたルカだが、彼女の目は真っ直ぐにドラウディロンを見つめていた。そして顎に手を添えて、冷ややかな視線をアインズに送る。


「そうですね...私としてもあの国とは一応面識があるので慎重に事を進めたかったのですが、今の話を聞いた印象ですと、多少の荒療治も必要になるかも知れませんね」


「やはりそう思うか?実は私も同意見なんだ。あの国の戦力は?」


「最も警戒すべきは、5人の竜王が務める永久評議員と、十三英雄の一人、リグリット・ベルスー・カウラウ。但し実際に会った印象では、白金の竜王プラチナムドラゴンロード・ツァインドルクス=ヴァイシオンとリグリットのみが脅威となる。白金の竜王プラチナムドラゴンロード・ツアーに関しては、常闇の竜王ディープダークネスドラゴンロードと同じか、それ以上の戦闘を覚悟しておくべきでしょう。リグリットに関しては戦いの最中に放置しておくと面倒なので、残念ですが開戦直後にキルすべきです。何故かと言えば、彼らはユグドラシルという世界をほぼ把握している。それ以外のドラゴンに関しては、私達なら瞬殺できるレベルかと存じます」


殺気の籠もる二人の会話を聞いて、ドラウディロンは背筋に悪寒が走り、話に割って入った。


「ちょ、ちょっと待て待て!お前達、まさかアーグランド評議国に戦を仕掛けるつもりなのではあるまいな?」


「場合によっては、ですよ女王陛下。但し情報を引き出す為にも、可能な限り交渉する方向で話を進めますが」


「そうだな。だが、こんな美味い酒を振る舞ってくれたドラウを無下にするような奴等だ。正直あまり印象は良くないがな。まあルカは彼らを知っているようだし、その上でどう出てくるか戦況判断という所か。心配するなドラウ。お前に迷惑は一切かけないと、このアインズ・ウール・ゴウンの名に懸けて約束する」


「とりあえず女王陛下には、親書という形で魔導国の事を絡めて書いていただければと思います」


「...何か、先行き不安だな」


「まあまだ先の話ですし、今は勝利の美酒に酔いましょう」


ルカはグラスを掲げてドラウディロンにウィンクした。それを見て(何を呑気な)と失笑するが、以前にはなかった明るい笑顔がドラウディロンの顏に戻ってきた。


「そうだな。せっかくだ、今日はこちらに泊まってゆっくりしていかないかアインズ?部屋はもう用意してあるんだ」


「ありがとうドラウ。だがルカ達も長く世話になってしまったし、今回は遠慮させていただこう。時間ができた時にまたお願いしたい」


「そ、そうか、残念だ。こうして打ち解け会えたのだし、色々と話がしたかったのだが...」


「またいつでも話はできるさ。君の使う始原の魔法にも興味があるしな、良ければその時にでも聞かせてほしい。それに呼んでくれれば、私達は転移門ゲートを使っていつでも駆けつける。ドラウ、君は伝言メッセージの魔法を使えるか?」


「ああ、普段は禁止されているので滅多に使う機会もないがな。一応使える」


「ならばそれで私を呼び出してくれて構わない」


「了解した、ありがとう」


「礼には及ばないさ。それと書状の件だが、我が魔導国の参謀であるデミウルゴスをこちらに送るので、彼と調整しながら親書を書いてもらいたい。いつごろ出来そうかな?」


「その者がすぐに来れるのであれば、明日にでも用意できると思う。宰相、どうだ?」


「ハッ、問題ございません」


「ではその方向で頼む。済まんがルカ、お前達にはその書状を持ってエ・ランテルへ帰ってきてほしい。それまでドラウの護衛を頼めるか?」


「畏まりました、陛下」


「よし。ではドラウ、私はここらで失礼する。美味い酒に出会えて幸せだったぞ」


アインズとルカ達はスッと席を立った。


「も、もう行ってしまうのか?土産を用意してある、それを持って帰ってほしいんだ」


「土産か...フフ、それは楽しみだ。では入れ替わりでデミウルゴスが来た時に、それらを受け取らせてもらおう。それで構わないか?」


「そうか...分かった、必ず渡そう」


「では書状の件、よろしく頼む。転移門ゲート


アインズの指さした背後に、暗黒の穴が開いた。その中へ一歩入ろうとすると、ドラウディロンは小走りにテーブルを回り込み、アインズを呼び止める。


「...待ってくれアインズ!」


ドラウディロンは駆け寄り、その小さな手でアインズの左手を握りしめた。


「ん?どうしたドラウ」


「これを、これを...持って行ってくれ」


ドラウディロンは首にかけられたネックレスをそっと外すと、アインズの左手に手渡した。手を開くと、そこには見るも美しい金縁の細工が施され、白銀のクリスタルを中心にあしらえた菱形のネックレスが収まっていた。


「ほう、きれいな光だ。これは一体何だね?」


「そのネックレスの名は、竜王の守護プロテクションオブドラゴンロード。我が竜王国王家にのみ代々伝わるものだ。その効果は、この世のありとあらゆる魔法を術者に弾き返すという、絶対反射アブソリュート・リフレックスの魔法が込められたネックレスだ。そしてその弾き返す魔法の中には、私達竜王が使う始原の魔法も含まれている。アーグランド評議国に行くのならば、これを着けていってくれ」


「...しかしこれは、お前の身を守る為のものでもあるのだろう? ましてや王家に伝わるような代物を壊してしまっては申し訳が立たん。ドラウ、これは君に返そう」


「いいんだアインズ! ...後で返してくれればそれでいい。もし壊してしまっても問題ない。だから...持って行ってくれ。そして無事に帰ってきてくれ、お願いだ」


アインズを見上げるドラウディロンの頬に一筋の涙が伝う。それを見てアインズは片膝をつき、ドラウディロンと目線を合わせ、ローブの袖でそっと涙を拭った。


「...分かった。必ずこれを返しに来よう」


「...必ずだぞ。お前とはもっと話したい事が沢山あるんだ。2人でスターゲイザーを飲みながら、夜通し語り合おう。グスッ...」


アインズはすすり泣く少女の腰に手を回して、優しく抱き寄せた。ドラウディロンもアインズの首に手をかけてローブに顔を埋め、その涙が吸い込まれていく。それを見てカイロンは堪えきれずに目頭を覆った。自分の判断は正しかったと。人間ヒューマンとアンデッドが心に血を通わせる事は可能なのだと、目の前の光景が思い知らせてくれたからだ。


2人は体を離し、アインズはゆっくりと立ち上がる。


「では私は行くぞ。ルカ・ミキ・ライル、ドラウを頼む」


『ハッ!』


アインズが暗黒の穴を潜ると、音もなく転移門ゲートが閉じた。


───竜王国居城 4F 執務室 18:12 PM



拝啓



          アーグランド評議国 永久評議員一同 御中



      貴国においては、ますますご健勝の事とお喜び申し上げる。


そして我が国の特産品を変わらず購入していただき、感謝の念に絶えない。私・ドラウディロン=オーリウクルスは、貴国を含め我が国と通商を結ぶ全ての国々に対し、ここに宣言する。我が竜王国は、長きに渡るビーストマンとの闘争の歴史において、遂に終止符を打った。この全ての戦果は一重に、我が国の窮状を理解し、手を差し伸べてくれたアインズ・ウール・ゴウン魔導王の御力によるものである。彼らは良識的であり、慈悲を持ち、庇護する為の強大な力を持って、我が国に平和をもたらしてくれた。我が竜王国はここに深い感謝の念を持って、アインズ・ウール・ゴウン魔導国との同盟及び友好通商条約を結ぶものである。


ついては貴国に対し、アインズ・ウール・ゴウン魔導国と会談の場を設ける事を提案する。貴国には及ぶべくもないが、我が国は代々竜王の血を尊び、その血を絶やさんと守り抜いてきた。その我ら竜族の血をまた魔導国も尊重し、理解し、この私と国民をビーストマンの魔の手から守り抜いてくれた。魔導国の力により、ビーストマン国家はアベリオン丘陵へと居を移した事もここに付け加えておく。


我が竜王国は今、長年耐え抜いてきた窮状を遂に脱し、平和の名のもとに喜びと希望に満ち溢れている。ついては貴国とも、今後より一層の繁栄を極めたいと希望すると共に、我が竜王国と魔導国が互いに繁栄を分かち合う仲であるように、アーグランド評議国とアインズ・ウール・ゴウン魔導国も必ずや互いに栄華を分かち合えるであろうと信ずるものである。


貴国が更なる繁栄に向かって魔導国と共に第一歩を記す事を、ここに期待する。




                 竜王国女王 ドラウディロン=オーリウクルス



─────────────────────────────────



「...素晴らしい!完璧です女王陛下。宰相殿もこれでよろしいでしょうか?」


「ええ、デミウルゴス様。事実に基づいていますし、我が国としてもこの内容ならば問題ございません」


羊皮紙に書き終わったドラウディロンはペンを置き、両手を高く上げてググッと背を伸ばした。


「んー!くはぁ...疲れた」


「お疲れ様です、陛下」


デミウルゴス・カイロン・ルカに囲まれたドラウディロンは、かれこれ4時間近くも書状の内容について議論し、結局はデミウルゴスが皆の考えをまとめた上でアレンジしたものが採用されたのだった。ルカはデミウルゴスに笑顔を向ける。


「さすがだねデミウルゴス、魔道国一の智将の名は伊達じゃないね」


「ルカ様にそう言っていただけるとはこのデミウルゴス、光栄の極みにございます」


「後はアインズの書く書状だけだね。内容は決まってるの?」


「はい、大枠の線ではほぼ内容は出来上がっておりますので、あとはアインズ様のご許可を頂くのみとなっております」


「ちなみに、どんな内容にするつもりなの?」


「そうですねぇ...簡単に申しますと、女王陛下に書いていただいた書状が”事実”を描いたものであるとするならば、アインズ様の書く書状には”真実”を突きつける内容にしていただく予定でございます」


「何よ〜、もったいぶらないで、私だけにこっそり教えて?」


「...内緒ですよ。耳をお貸しください」


ルカがフードを下げると、デミウルゴスはルカの耳に口を近づけて手を立て、コソコソッとほんの短い言葉を囁いた。それを聞いたルカは大きく目を見開き、目の前にあるデミウルゴスの頬に手を添える。


「やだ...天才?」


そのままデミウルゴスの顔を抱き寄せて、思わず首筋にキスした。


「惚れちゃいそうデミウルゴス...どうしよう?」


「嬉しいですがそれはなりませんルカ様。私がアインズ様に叱られてしまいますので。それと今の話は他言無用に願いますよ?」


「うん、大丈夫言わないよ」


ルカが体を離すと、デミウルゴスは自信に溢れた優しい笑みをルカに向けて見下ろした。その頼れる姿を見て、ルカはデミウルゴスと一緒にいる時安心する自分がいる事に気がついた。


「おい、いちゃつくのは構わんが、人目のないところでしてもらえると助かるんだが」


「あ、ご、ごめんドラウ!」


見惚れていた視線を咄嗟に外してルカは謝った。デミウルゴスは平然としているが、ドラウディロンとカイロンの刺すような視線がルカは痛かった。


「...まあよい。それより今の話、竜王国に被害が及ぶような事ではあるまいな?」


「も、もちろんそれは絶対にないから大丈夫。保証するよ」


「うむ、ならよい。ほれ、封蝋もしておいたぞ。持っていけ」


「ありがとうドラウ、カイロン」


ルカは書状を受け取り、そっとアイテムストレージに収めた。それを見てデミウルゴスがネクタイの襟元を整えてルカに促した。


「ではそろそろ私達も退散するとしますか、ルカ様」


「そうだね、色々とありがとうドラウ」


「待て待て、もう忘れたのか?土産があると言っただろうが」


「あ、そうだったね!ごめんごめん」


「全く、鬼神のように強いのにどこか抜けとるなお前は」


「へへ。お土産はどこに置いてあるの?」


「1階の城門前に揃えてある。下へ降りるついでに見送ろう」


そして6人が城門前へ着くと、デミウルゴスが連れてきたデスナイト2体がまんじりともせず待機していた。その向かいには、沢山の木箱や壺が積み込まれた荷台が用意されていた。


「こ、こんなにもらってもいいの?」


「もちろんだ。きっと気に入ってもらえる品ばかりだぞ」


「ありがとうドラウ!」


「それと、これはお前個人にだ」


そう言うとドラウディロンは、宰相が持った縦20センチ・横10センチ程の厚紙で包まれた真っ白なパッケージを3箱手に取り、ルカに手渡した。そこに書かれていた文字を見てルカは驚き、声を上げた。


「あっ!まさかこれ....」


「好きなんだろう? お前の付けてる香水・フォレムニャックの最新モデルだ」


「ど、どうしよう、超嬉しい! ていうか、よく私の香水分かったね?」


「フフ、香水大国の女王だぞ私は。お前の客間に漂っていた香りなんぞ、一発でお見通しだ。しかしまあ...お前が我が国の香水を愛用していてくれた事には、正直嬉しかったよ」


「ドラウ....」


「その荷台にも、様々な種類の香水を乗せておいた。アインズへの土産もあるから、皆に渡してやってくれ」


「分かった.....ねえ、ドラウ?」


「何だ?」


「その...特に用が無くてもいいから、私にもたまには伝言メッセージちょうだいね?」


「ああ。お前もなルカ。色々世話になったな」


「ううん、こっちこそ。それじゃあ行くね」


「またいつでも来い。待ってるぞ」


「分かった! デミウルゴス、お願い」


「畏まりました、アインズ様は現在ナザリックにおられますので、そちらへ飛びます。転移門ゲート。デスナイトよ、その荷台を運び前進せよ!」


ドラウディロンとカイロンが手を振る中、ルカ達3人とデミウルゴスは暗黒の穴へと足を運んだ。



───ナザリック地下大墳墓 第9階層 執務室 20:13 PM



「アインズー、帰ったよー」


「只今戻りました、アインズ様」


「おおルカ・ミキ・ライル、それにデミウルゴス。ご苦労だったな、書状は受け取ったか?」


「はいこれ。デミウルゴスが考えてくれたから、バッチリだよ」


ルカはアイテムストレージから羊皮紙スクロールを取り出し、アインズに手渡した。


「うむ。早速で悪いんだがデミウルゴス、私の書く書状の内容を───」


「あー、待ってアインズ。ドラウからお土産沢山もらってきてるから、ここに運んでもいい? 多分日持ちしないものもあるだろうから」


「え、ここにか? まあ散らからないようなら構わんが...」


「OK。いいよ、運んでー」


すると勢いよく扉が開き、デスナイトが次から次へと荷物を運びこんできた。部屋の右隅に次々と木箱や壺が並べられ、あっという間に部屋の一角を埋め尽くした。


「お、おいおい、まだあるのか?」


「大丈夫、これで最後だから。あーそれ、そっと置いてねー」


デスナイトが最後の木箱を床に置くと、執務室を出て扉を閉めた。


「さてと、いっちょ始めますかー」


ルカは右腕をブルンブルンと振るい、縦横130センチはある2段に積まれた木箱をひょいと抱え上げると地面に降ろし、(メキメキ)と力任せに木箱の上蓋を引っぺがした。


「うわーこれケーキの箱だ!何ホールあるんだろ。それとほら見てアインズ、スターゲイザーも何本か入ってるよ!」


「おお!さすがドラウ...って、お前ここで全部開封する気か?」


「木箱だけだから大丈夫だよ...っと、こっちは香水のボックスだ!すごい、100種類以上は入ってるよ!!これ買ったら高いんだよなー。さすがドラウ、太っ腹。アインズごめん、出したの全部真ん中のテーブルに乗せてくね」


「う、うむ」


その後もルカは木箱を開けては、中身を広いテーブルの上にズラリと並べ、さながら竜王国特産品市場と化していった。そしてルカは壺に手を付け始める。その中には、様々な種類の新鮮な香草が詰め込まれていた。


「あっ...この香り、すごい。アインズ見て、これ多分スターゲイザーの原料になった花だよ! きれい...こんなにたくさん。見かけは胡蝶蘭みたいだね。確かレムリアンフルールって言ってたよね? ほら嗅いでみてアインズ。すっごい良い香り」


「分かった分かった、今行く。どれどれ....」


アインズは書状の下書きを作る手を止めて席を立ち、ルカの傍に寄り添った。そして中腰になり、ルカが持つ壺の中身を覗き込む。


「お、おお....この香りはまさしく!」


「ね?スターゲイザーの香りでしょ?」


「...エーテル酒の時とは違い、より鮮烈な香りだな」


「私は飲んでないから分からないけど、これが原材料の香りなんだよね」


「これは...他の壺も見てみよう。こんなレアな香草は、何かの調合に使えるかもしれんぞ」


「うんうん」


アインズとルカはその後も20個はある壺を嗅いで回り、気づくと2人とも地べたに座り込み、心も体もリラックスしていた。


「はぁ、すごいな。これがヒーリング効果というやつだろうか」


「どれもこれもいい香りだったねー。それでいて個性があるから、脳のスイッチが切り替わりまくりだったよ」


「これはあれだな、ンフィーレア・バレアレに渡して、調合の実験に使ってもらう価値があるかもしれんな」


「いいと思うよ。でも多分だけどドラウは、あのテーブルに並べられた香水の元となった原材料を、見てほしかったんじゃないかな。それでお土産に持たせたとか」


「だとしたら粋な計らいだな。俺の中で竜王国の価値がグンと上がったぞ」


「アインズ、あの香水も見てみようよ」


「いやいや、俺はパスだ。香水には詳しくないからな、好きなのを取ればいいさ。俺はスターゲイザーが飲みたくなってきた」


「フフ、後でみんなで飲もうか。じゃああたしは見てみよっかなー」


アインズは立ち上がると執務机に戻る。ルカは中央にあるソファに座り、テーブルにズラリと並べられた木箱の蓋を開ける。中には色とりどり、形も様々な香水の瓶が升目上に区分けされて25本ずつ収まっていた。合計4箱。その瓶に書かれた銘柄を確認しながら、一つ一つ匂いを嗅いでいく。


「...あーすごい、どれもこれもいい香り。でもあれが多分あるはずなんだよな」


しばらく香水を探っていくと、真っ白に塗られた瓶を手に取り、テイスティングした。


「...あった、これだ! アルベド、こっち来て」


執務机の左に待機していたアルベドが、不思議そうな顔をしてルカの隣に腰かける。


「どうしたのですかルカ?」


「ほら、”ザイオン”!アルベドが付けてる香水の最新モデルだよ」


「まあ!ルカ、よく私の香水が分かりましたね」


「前からいい香りだなって思ってて、エ・ランテルの香水屋で調べたんだよ。あそこ結構品ぞろえいいからね。はいアルベド、これあげる」


「...嬉しい!いいんですかルカ?」


「もちろん!竜王国からのご褒美だよ」


「ありがとう。この最新モデルは以前よりも香りがシャープですね。気に入りました」


「良かった。これさ、他の守護者達にもお裾分けしてあげたいよね。みんな呼んじゃおうかな、伝言メッセージ


そうしてシャルティア・コキュートス・アウラ・マーレ・セバス・ルベドも集まり、階層守護者及び領域守護者8人が集まった。


「やあ、みんな来たね」


「ルカ様、参りんした。どうされたのでありんしょう?」


「実は竜王国から土産の香水を沢山貰ってね。男性守護者にはあまり興味ないかもしれないけど、みんなに一つ好きな物を持っていってもらおうと思って」


「香水?!み、見たいでありんす!」


「こっち座って、ゆっくり選んでね」


向かいのソファにはシャルティア・デミウルゴス・セバスが座り、ルカの隣にはアウラ・マーレ・ルベドが腰かけて、皆思い思いに香水を選び始めた。シャルティアとルカは次々とテイスティングしていき、やがてピンク色をした楕円形のかわいい瓶を見つけた。


「んーこれいい香り。シャルティアにぴったりかもよ?」


「そっ、その瓶の形は”ロスロリエン”!それを探していたでありんす!」


「おお!良かったね目当てのものがあって。はい」


「あぁ~これを街で探すのも一苦労なのでありんす。さすがルカ様、鼻が利くでありんすね」


「今度女王に頼んで、いくつかキープしてもらえばいいよ」


「それはいい考えでありんす。竜王国様様でありんすぇ」


シャルティアが小瓶に頬ずりしている最中、右隣にいたアウラが退屈そうにルカの腕に寄り掛かってきた。


「アウラとマーレは、香水とか興味ない?」


「あたし達はほら、配下の魔獣がいやがりますからね。香水とかは付けないんです」


「ぼぼ、僕は少し興味ありますけど、お姉ちゃんが嫌がるので付けません...」


「そっか。2人とも、もう少し大人になってからだね。それならほら、竜王国特製のすっごくおいしいケーキがあるよ。食べる?」


「ケーキ?! いただきます!」


「オッケーちょっと待ってね、今切り分けるから」


ルカは中空に手を伸ばし、小皿を2枚にナイフとフォークを2本取り出すと。15ホールもあるハーブチーズケーキのうち1箱を開封し、六等分に切り分けて小皿に乗せ、2人に手渡した。2人はパイ生地に包まれた真っ白なケーキを一口を頬張ると、満面の笑顔を見せた。


「んんーおいしー!」


「あのその、サクサクしてて甘すぎないし、これすごくおいしいですルカ様!」


「沢山あるから、いっぱい食べていいからね。どうデミウルゴス、何かお気に入りは見つかった?」


「私はやはり、これでしょうかねぇ」


キラリとメガネを輝かせ、確信に満ちた笑みを湛えるデミウルゴスが手にしているのは、ライトブルーの液体が入った長方形の瓶だった。


「”トゥルーリバーヴ”!それシトラスフローラル系の爽やかな香りだよね。さすがデミウルゴス、絶対似合うと思うよ!」


「ありがとうございます。では私はこれをいただくとしましょう」


「セバスはどう?」


「いえルカ様。私自身は香水など付けないのですが、メイドのツアレにどうかと思いまして」


「ああ、噂の彼女ね。セバスがプレゼントしたら絶対喜ぶと思うよ、いいんじゃない?」


「ですがルカ様、私には香水の良し悪しが分かりかねますので、よろしければルカ様が選んではくださいませんか」


「選んでもいいけど、その子を一番良く知ってるセバスが似合うと思う香水を選んであげた方が、ツアレにとっても嬉しいんじゃないかな?」


「そうですか。では一つだけ候補があるのですが、これなどいかがでしょう?」


セバスは四角錐の不思議な形をした瓶をルカに見せた。


「”イシュタル”か!また高い香水を選んだね。...んーなるほど、ホワイトムスクの優しい上品な香り...私はツアレに会った事はないけど、きっとおっとりした子なんだね。目に見えてくるようだよ。こんなのプレゼントされたら、その子気絶するくらい喜んでくれるよきっと?」


「おお...! ルカ様のお墨付きとあれば、何の憂いもございません。これをいただくとします」


「うんうん。で、さっきからずっと立ったままだけど、コキュートスは...興味なさそうだね」


「ルカ様、私ハ武人。戦闘ニ差シ支エルヨウナモノハ身ニ付ケマセンノデ、オ気ニナサラズ」


「そっか、ライルと同じだね。ミキ、”シャドウダンサー”入ってるよ。欲しいでしょ?」


「ええ!是非いただきますわ」


「さて、これでほぼ全員に行き渡ったかな? ルベドはどう?何か見つかっ───」


マーレの右隣に座ったルベドは、歯車のような美しい銀細工が施された円筒形の赤いボトルをじっと見つめ、それを大事そうに両手で握りしめていた───顔は相変わらず無表情だが。


「...見た事のない形だね。ルベド、それがいいの?」


そう問われても、ルベドはピクリとも反応しない。ルカは席を立ってソファーを回り込み、ルベドの後ろに立ってそっと肩を抱きしめた。するとまるで初めて気が付いたかのように(ビクッ)と体を震わせるが、ルカの横顔を見て安心したのか、再び手にしたボトルに目を落とす。


「これがいいんだね。嗅いでみてもいい?」


背にぴったり密着するようにしてルベドの手にそっと触れると、手の力を緩めてルカにその瓶を渡してくれた。ルカはその銘柄を確認する。


「”ヴァイオレーター”....かっこいい!何かルベドにぴったりの名前だね。香りはどうなんだろう?」


ルカはボトルの先端に付いたスプレーを手の甲に向けると。(シュッ)と少量噴射して手首で擦り、テイスティングした。


「...んんーすごい、エキゾチック。ローズヴァイオレット主体だけど、それだけじゃない奥深さがあるね。攻撃的なんだけど、どこか抱擁間もあって引き込まれる。私じゃ絶対に付けこなせないやこれは」


「....これが、一番...気に入ったんだ...ルカ。どう...思う?」


ルベドは肩に寄り掛かるルカの目を真っすぐに見た。


「似合ってるよルベド。というか、多分この香水を付けこなせるの、この世でルベドしかいないと思う。そのくらい似合ってるよ」


「ルカ、私にも嗅がせてください」


後ろに控えていたアルベドが、ルカの手の甲の香りを嗅いだ。そのミステリアスかつ官能的な引き込まれる香りにアルベドの目がトロンと緩み、ルベドの肩にそっと手を置いた。


「ルベド? いい香りですけど、この香水が良いのですか?かなり刺激的だけど...」


「...姉様。だめ...かな?」


「いいえルベド、似合っているわ。私の香水とは正反対の香りだったから、少し心配になっただけよ。私の可愛い妹に相応しい香水だと思う。ルカもこう言っている事だし、これになさい?」


「....ルカ?」


「私は絶対に嘘は言わないよルベド。アルベド姉さんの言う事を信じなさい!」


「....分かった」



そう答えるルベドの横顔を見て、向かいのソファーから見ていたシャルティアとデミウルゴスが、驚きのあまり固まった。


「...ル、ルベドが.....」


「...笑っ...た...」


ルカを見つめるルベドの無表情だった顏が、少しずつ、少しずつ緩み、僅かではあるが、口元に微笑を湛えたのだ。元々姉に似て美しい顔立ちではあったが、その表情はどこかきつく、無表情だった事もあり、他を寄せ付けないものがあった。長年一緒にいた守護者達ですら初めて目にするその笑顔は、何よりも深遠で、何よりも美しかった。ルカとアルベドはそんなルベドにたまらない愛おしさを感じ、2人で肩を支え合う。


「それじゃあ残りの分とケーキは、プレアデスと他のメイド達にプレゼントだね」


「了解ですルカ。後で私から皆に渡しておきます」


「OK。私達はちょっとエ・ランテルに出かけてくる。今日中には戻ると思うから、後はよろしくねアルベド」


「ええ、いってらっしゃい」


ルカ・ミキ・ライルはその場で転移門ゲートを開き、暗黒の穴へと消えて行った。



───エ・ランテル 黄金の輝き亭 1F食堂 22:19 PM



プルトン・アインザックは、右奥の壁沿いにあるL字型のバーカウンターに一人腰を下ろし、エール酒のジョッキを仰いでいた。その背後には、天井が吹き抜けとなった広い食堂に円卓のテーブル席が6つ程並び、貴族階級らしき者たちが皆それぞれに晩餐を楽しんでいる。そのテーブルの合間を縫って、腰に真っ白なエプロンを巻いた女性が忙しく料理を運んでいた。恐らく年齢は30代後半と見受けられるが、長く伸ばしたライトブラウンの髪を頭の後ろで団子上にまとめ、必要最低限の薄化粧しかしていない彼女の顏は張りもあり美しく、その自信に満ちた表情を際立たせている。両耳には怪しく輝く青色のクリスタルがはめ込まれたイヤリングを身に着け、体も引き締まったその女性は、テーブル席に座る着飾った厚化粧の女性たちよりも遥かに若々しく見えた。


とそこへ、黄金の輝き亭入口の扉がゆっくりと開いた。食事を終えた席の後片付けをしていた女性はそれに気づき、顔は向けずに声だけをかける。


「はーいいらっしゃいませ!今席を片付けますので少々お待ちを」


「...私達はそっちには座らないよ、女将さん」


それは聞き覚えのある女性の声だった。咄嗟に入口の方へ振り返ると、そこには黒いマントを羽織った影達が3人、フードを下げてこちらに笑顔を向けていた。その懐かしい顔に女将は重ねた食器を放り出して入口へ走り、そのまま先頭に立つ黒い影に抱き着いた。


「...ルカちゃん!ミキちゃんにライルも!よく戻って来たね、元気だったかいあんた達?!」


「ああ、女将さんただいま。相変わらずそうだね、私達は何も変わりないよ」


「それにしても2年ぶりかい?3人共よく無事で帰って来きてくれたね」


「ありがとう。私のあげた青い証言エビデンスオブブルー、まだ着けてくれてたんだね」


ルカは女将の耳に装備されたイヤリングにそっと手を触れた。


「当たり前さね、これがないと仕事にならない程だよ。まあまあ、とにかく中へお入り!カウンターには先客が一人いるけど、構わないね?」


「彼とはここで待ち合わせてたんだ、大丈夫だよ」


ルカ達はプルトンの待っていたカウンターに腰を下ろした。


「ごめん待った?プルトン」


「いや、ついさっき来た所だ、問題ない」


「もう飲んでるんだね、マスター!注文いい?」


カウンターに背を向けて酒を汲んでいたマスターが振り返る。


「いらっしゃい!...って、ルカじゃねえか?!2年も音沙汰がねえと思ってたら何だお前ら、元気そうじゃねえか!」


「久しぶりマスター。相変わらず繁盛してるみたいだね」


「おう、おかげさまでな。まあお前らみたいな上客はそうそう現れなかったけどな。組合長、待ち合わせって言ってたのはルカ達の事だったんですかい?」


「その通りだマスター。早速だ、何か注文したらどうだ3人共」


「じゃあ私はエール酒で。ミキとライルは?」


「私はワインをボトルでいただくわ」


「いつも通り、地獄酒で」


「あいよ!すぐ持ってくるから待ってな!」


(ドン!)とテーブルに置かれたジョッキとグラスを手に取ると、四人は乾杯して酒を仰いだ。


「かー!仕事のあとはやっぱこれよねー」


「全く相変わらずだなお前は」


プルトンは呆れ顔で笑いながらルカを見る。


「こうやって一緒に飲むのも久々よね。そっちはあれから何か変わったことはあった?」


「お前がこの世界に帰ってきた事が一番変わったことだ」


「フフ、言ってくれるじゃない」


「...よく帰ってきてくれたな、ルカ」


「うん。...ありがとプルトン」


(ゴツン!)と二人はジョッキを再度ぶつける。そしてルカ達3人とプルトンはその日夜更け過ぎまで、マスターと女将さんも交えて多くを語り合った。今思えば、どれもこれもルカにとっては楽しい思い出ばかり。その事を知り、共に戦ってきたプルトンという親友がここにいる事を、ルカは誰にともなく感謝したのだった。



───────────────────────────


■ 魔法解説



読心術マインドリーディング


相手の心の声を聞き取る事が出来るが、雑念まで入り混じってくるため、その深層心理までは聞き取れず不確定要素が多い。あくまで参考程度に使用する魔法



茨の扉ヘッジオブソーンズ


植物の絡みつきトワインプラントの上位互換魔法。敵の体全体に巨大な茨の棘が絡みつき、移動阻害と共に刺突属性の追加ダメージを与える。効果時間は30秒。魔法最強化・位階上昇化によりその威力・魔法効果範囲が上昇する



超位魔法・急襲する天界ヘヴン・ディセンド


失墜する天空フォールンダウンの神聖属性版。信仰系最強魔法で、核爆発ニュークリアブラストに次ぐ広範囲攻撃と絶大なる火力を誇る。術者のカルマ補正値により攻撃範囲・威力が影響を受けて若干変動する



不浄耐性の強化プロテクションエナジーアンホーリー


不浄耐性を60%引き揚げる効果を持つ。魔法最強化・効果範囲拡大によりそのパーセンテージと効果範囲が上昇する



死の影シャドウオブデス


相手の不浄耐性を40パーセント低下させるデバフ属性範囲魔法



罪深き暴風雨アンホーリーストーム


超位魔法を除く不浄系最強の範囲魔法。その効果範囲は約70ユニットにも達し、一度でもこの魔法を受けた相手はその後30秒間、呪詛系DoT(Damage over Time =持続ダメージ)を被り、その火力は総じて大ダメージへと転化する恐るべき魔法



賢人に捧ぐ運ダンスオブザチェンジフェイト命変転の舞踏フォーアトラハシース


セフィロトのみが使える種族特性魔法。この魔法を受けたパーティーは、そのカルマ値が例え最低値のマイナス500であったとしても、強制的にプラス500へとカルマ値が補正されるという極めて特殊な魔法。これによりカルマ補正を受けた魔法の威力を底上げすると同時に、例として強力な神聖属性攻撃を使う敵に対しダメージを軽減するための防御手段としても使われる。被対象者が一撃でも攻撃を行うか、敵からダメージを一撃でも受けた段階で魔法の効果が解け、その者本来のカルマ値へと戻る



結合する正義の語りライテウスワードオブバインディング


センチネルというMelee物理攻撃特殊クラスのみが使える魔法。術者の周囲30ユニットに渡り敵の神聖耐性を40%下げ、その後に強力な神聖属性AoEを頭上から叩きつける範囲魔法。魔法最強化によりその効果範囲・威力が上昇する



聖者の覇気オーラオブセイント


神聖属性単体攻撃に置ける最強魔法。その火力は超位魔法・聖人の怒りセイント・ローンズ・アイル一撃分に相当し、且つ魔法最強化によりその威力は更に上昇する



■武技解説


暴虐の旋風クルーエル・サイクロン


術者の体を高速回転させる事によって、半径50ユニットに渡り闇属性の光波連撃を叩き込む武技。その扇状の刃は貫通属性を持ち火力も高く、主に集団戦闘で敵陣地に飛び込み混乱させる目的で使用される事が多い



痛恨の斬撃スターゲリングストライク


ポールアーム・ハルバード装備者が使いこなせる連撃技。高速で10連撃を叩き込むと同時に、技を受けた敵の斬撃耐性を40パーセントまで一気に低下させる

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