第2話「割れる京」

 顕氏は、藤井寺の合戦の後も楠木正行に負け続けた。

 これまでの顕氏の戦歴からすると、信じがたい結果である。

 顕氏本人だけでなく、幕府もこれには衝撃を受けた。


 楠木判官の子は、それほどまでの将か。


 南朝が弱体化しているとばかり思っていた幕府の面々は、皆一様に思い切り殴りつけられたような思いを抱いた。


 連戦連敗の屈辱に耐えながら戻った顕氏を待っていたのは、河内・和泉の守護職解任という処遇だった。

 お前に最前線は任せられない、という室町幕府の決定である。


(それは、やむを得ぬ)


 死にたくなるような恥辱ではあったが、幕府への怒りはなかった。

 敗戦の責任は誰かが負わねばならない。責任を負うのは、指揮官として当然のことだった。


(しかし、わしの後が高師泰か)


 そのことだけが顕氏の気に障っていた。


 高師泰は足利氏に使える執事を務める高氏の人で、兄弟の高師直と並び称される武闘派だった。

 本来、高氏は文武でいうところの文寄りの一族だった。しかし、師直・師泰兄弟は一族の異端児で、数々の武勲を立ててきた。

 顕氏にとっては、見過ごし難い競合相手である。


「なに、気を落とされるな顕氏殿。我らが仇は討ってみせましょう」

「顕氏殿は京の警護をお願い致す」


 豪快に胸を叩く師泰と、物静かな面持ちの師直を見送りながら、顕氏は「ふん」と苛立たしげに地を蹴りつけた。


(何ができようか。高兄弟などとっくに錆びついた刀のようなものだ)


 師直・師泰兄弟は、かつて顕氏と同等の武功を立てていたが、長らく戦場から離れていた。

 武将としては、半ば忘れられかけていた存在と言える。

 出陣する彼らの軍勢も、どこか頼りなさげに映った。


 新進気鋭の楠木正行相手に、どれだけ戦えるか。


(正直、怪しいものだ)


 ところが、師直・師泰兄弟は顕氏の予想に反して、四条畷で楠木正行軍を撃破し、更に南朝を本拠地・吉野から追い落とすという恐るべき戦果を挙げて帰京した。

 凱旋した英雄の兄弟は、出陣したときの老いさらばえた様子が嘘のように生き生きとしている。


「さすがは楠木殿のご子息。見事な武者振りでした」


 帰京した後、顕氏と顔を合わせた師直はどこか感じ入ったように四条畷の戦を振り返っていた。


 しかし、味方の勝利を顕氏は素直に喜ぶことができなかった。


「久しく戦場を離れていた高兄弟でも勝てた相手に負けた。細川顕氏はその程度の男だったのか」


 そんな口さがない噂が京の市中に広まっている。

 所用で外出する際も、人々は顕氏に対しどこか冷めた視線を向けてきた。

 藤井寺の合戦で敗走するまでは「足利軍に細川顕氏あり」とまで言われていたのに、酷い転落っぷりである。


「嗚呼、情けないことよ」


 顕氏は嘆きながら酒に浸ることが多くなった。


「父上。それくらいになされませ」

「ふん。高兄弟が吉野を落とした以上、もう大きな戦はなかろう。分かるか、政氏。もはやわしには、汚名返上の機会すらないのだ」

「まだ南朝は健在です。また大戦もありましょう。武功を立てることもできるはずです」

「なるほど、あるやもしれぬ。だが、それまでにわしが生きているか」


 顕氏は、既に老境に差し掛かっていた。

 眼前の政氏の姿が、藤井寺合戦で見た楠木正行と被って見える。

 近頃は、若さへの嫉妬を感じることが増えた。


「我が半生は、楠木と高兄弟によって水泡に帰したわ」


 足利支流のそのまた庶流という立場から、武功によって幕府随一の重鎮まで上り詰めた。

 その経歴は、顕氏にとって誇りそのものだったと言って良い。

 それが、この数ヵ月ですべて撃ち砕かれた。彼を襲った無力感は、想像を絶するものだったに違いない。




 師直・師泰の躍進から一年と少し経った。

 この間、師直兄弟の存在感は建武年間以上に大きくなっている。


 彼らが立てた武功がそれだけ大きかった――というだけではない。

 南朝がまだ侮れない力を持っている。

 それを認識した幕府は、楠木正行を撃破した師直兄弟を頼りにするようになった。


「未だ戦乱は収まらぬ。内向きのことは直義がいれば間違いはないが、戦は師直こそ頼りになる」


 将軍・尊氏がそのように評したという噂が、顕氏の耳に入った。

 幕政は尊氏の実弟である足利直義が担い、戦は師直を中心とする武将たちが行うのが良い――尊氏はそう考えているのだ。


 以前なら「戦は小四郎(顕氏)」と評されていたはずだと、顕氏はやりきれない思いに苛まれた。


 尊氏は顕氏のことをよく評価してくれた。

 血筋で言えば顕氏よりも上の者は幾人もいるが、尊氏は武将としての力量を見て顕氏を押し立ててくれた。


「今は乱世だ。血筋などより、個々の力量こそ信用できる。小四郎、分かるか」


 かつて、尊氏が顕氏に向かってしみじみと語ったことがある。

 尊氏自身、血筋という点においては恵まれていたとは言い難い。


 元々彼は足利氏の庶子だった。母方は上杉氏のため家格はそこまで悪くなかったが、嫡流ではない。

 嫡男が早世したことで、足利氏の嫡流を継ぐことになり、流れに流れて乱世の只中に身を置くことになった。

 安定した世の中であれば信用できる身内がいれば良いが、尊氏が求めているのは信頼できる仲間だった。


 顕氏は、そこで尊氏がもっとも認めた男の一人である。

 それが、顕氏にとっての誇りだった。


「尊氏殿の元へご機嫌伺いに行かれてはどうか」


 そう勧めてきたのは、夢窓疎石という禅僧だった。

 尊氏・直義が深く帰依する高僧で、他にも様々な人物を弟子に持つ傑物である。


「夢窓国師。私はそういったことは駄目な性質なのです」


 顕氏も、夢窓疎石の弟子の一人だった。

 というより、彼が弟子になったことがきっかけで、夢窓疎石は尊氏・直義との繋がりを得たのである。


「確かに顕氏殿は、腹芸に向いておらなさそうだ。思っていることがすぐに顔に出る」

「いや、お恥ずかしい」

「私の周囲には腹の中で何を考えているか分からぬものが多い。顕氏殿の素直さは、羨ましくなります」


 夢窓疎石自身、何を考えているのかよく分からないところがあった。

 ただ、彼は目に見える形で顕氏や尊氏ら兄弟に害をなすことはなかった。関係自体は悪くない。


「国師が仰られているのは、近頃耳にする妙吉という僧のことですか」

「やはり耳に届いていましたか。ええ、私の兄弟弟子になります」


 妙吉というのは、近頃直義に接近し始めた僧である。

 仏僧としては確かな知見を持ち合わせているそうだが、権勢欲が強く、どうも周囲の反発を招きやすい性質であるらしく、顕氏の元に届く噂はあまり良いものではなかった。


「国師が推挙されたと聞きましたが」

「この年になって、耄碌したのかもしれません。昔の私であれば断っていたことでしょう。……尊氏殿はどうも妙吉に嫌なものを感じられたようで、あまり近づけようとはされていないようですが、直義殿は些か心配です」


 直義は物事に対して真剣で、情に篤く、生真面目なところがある。

 そのためか、どこか周囲の人間に振り回されやすいところがあった。

 もし彼が妙吉に振り回されるようなことがあれば――室町幕府の屋台骨が揺らぐ可能性も十分あり得る。


「皆が顕氏殿のようであれば良いのですが」

「それでは世が立ち行かなくなりましょう。私のような者は、私一人おれば良いのです」


 顕氏がそう言うと、夢窓疎石は穏やかな笑みを浮かべた。




 ところで、この頃の師直兄弟の勢いの良さに苦虫を噛み潰したような顔をしているのは、顕氏だけではなかった。


「我らとて長年懸命に忠を尽くして働いてきたのに、なぜ奴らばかりが大きい顔をするのだ」


 長年幕府に仕えてきた者たちの中には、師直兄弟が美味しいところを持っていた、と捉える者も少なくなかった。

 彼らが不満を訴えたのは直義である。


 この時期、幕府の頂点は征夷大将軍の足利尊氏だった。

 しかし、彼は幕府政権における殆どの権限を弟の直義に与えており、自身は積極的に幕政に関与していない。

 そのため、諸将は実質的な幕政の担い手である直義の方を頼ることが多かった。


 直義は元々師直と幕政における権限について衝突していた――という噂が立っている。

 顕氏はその辺りについて深入りしていなかったので真相は分からないが、それを信じている者は多かった。

 自然、直義周辺は反師直派という色合いが濃くなっていく。


「どうにかして高兄弟を排除できないものか」


 そういう不満を持つだけなら良かったが、ここに妙吉が絡んできた。

 どうも師直たちは、急速に台頭してきた妙吉という僧に悪印象を抱いていたらしい。

 それに対して妙吉も、師直たちに対しては攻撃的な態度を取った。


 反師直派の意見を汲み取り、妙吉は度々直義に師直らに関する讒言を繰り返したらしい。

 このことで、反師直派は過激化した。一時は、直義派による師直暗殺の風聞まで流れたほどである。


 徐々に、京を覆う空気はきな臭いものになっていく。

 顕氏は、そういう流れから少し距離を取っていた。


 顕氏個人としては、謀議による師直排斥を望むつもりはないのである。


「機会さえあれば、わしは結果を出してみせる。つまらぬ謀略に頼るつもりはない」


 しかし、その機会が得られるものかどうか。


 暗殺の噂が流れて程なく、直義が師直・師泰に対する排斥活動に乗り出した。

 師直は足利氏の執事職に就いていたが、これを解かれた。直義が尊氏に訴えたことによるものとされる。


(いかに武勲を立てようと呆気ないものだ)


 一連の流れを、顕氏は半ば冷めた目で見ていた。

 師直に対しては思うところがあったので、直義派の行動について非難はしない。

 ただ、自分は同じような手段は取るまい、とも思っていた。




 直義派によって師直が執事から解任された、その翌月。

 師泰が軍勢を引き連れて京に近づいてきている、という話が耳に届いた。


「馬鹿者どもが。帝のおられる京で戦をするつもりか」


 顕氏は取り急ぎ手勢をまとめて自邸周辺に陣取った。

 他の諸将も同様に警戒を強めている。

 ただならぬ気配を察したのだろう。京の人々の間でも緊張感が高まっていた。


 師泰が引き連れてきた軍勢は、思っていたよりもしっかりと統率が取れていた。

 京は騒然としたが、一方で尊氏は、予定されていた行事を何事もなかったかのようにこなしている。


 師直・師泰軍がどう出るか分からず、尊氏も具体的な対応を取らなかったので、諸将は判断に迷った。


「父上、いかがいたしましょう」

「いかがもなにもあるか。我らは幕府に忠を誓った身だ。高兄弟にへつらう理由などないわ」


 顕氏は手勢を連れて、直義の邸宅である三条殿に向かった。


 三条殿には、既に反師直派が集まっていた。だが、師泰の軍勢と比べると数の上で心許ない。


 京に多くの兵を留めておけば治安の乱れに繋がるし、各地ではまだ南朝との戦いが続いている。

 そのため、諸将が京に置いていた兵力は、師直たちの軍勢と比べるとどうしても見劣りした。


「小四郎か、よく来てくれた」


 顕氏も多くの兵を連れてきたわけではないが、直義は喜色を浮かべて出迎えた。


「寡兵で申し訳ありませぬ。師泰の動きをもっと早く察していれば、讃岐から軍勢を呼んだのですが」

「細川顕氏が来た。それだけで私は嬉しいぞ、小四郎。師直に対抗できる勇士はそなたしかいない」


 直義は顕氏の手を取って感謝の意を示した。

 これは、自身と縁戚関係にある師泰を敵に回してしまったことの無念があっての言葉でもある。


 師泰は師直の兄弟ではあるが、妻が尊氏・直義の叔母で、建武の戦乱においては直義率いる軍勢の副将を務めていた。

 そのため、直義は直前まで師泰を味方につけようと苦心していたのだが、これは失敗に終わった。

 そんな状況下で、かつて師直と同等もしくはそれ以上の功績を誇っていた顕氏がやって来たのである。嬉しかったであろう。


 直義は、以前会ったときよりもやつれていた。

 幕政の中心となって精力的に活動し続けているように見えたが、余人には分からぬ苦労も多いのだろう。


(気苦労の多い御方だ)


 直義は、足利氏のため身を削るようにして働いている。

 南朝との戦い、室町幕府の運営、幕府と協力関係にある北朝とのやり取り――直義の仕事は多岐に渡っていた。


(この御方がおらねば、幕府は回らぬ)


 ここで死なせてはならない。

 疲れ切った直義の顔を見て、顕氏の思いは定まった。


「しかし、このままでは勝てませぬな」


 顕氏が見たところ、諸将の中でも師直・師泰の軍勢に加わる者が少なくない。

 師直派は当然あちらにつくだろうし、中立派の中にも、師泰軍の勢いに押されて向こうにつく者がいるであろう。


(ここで師泰相手に一泡吹かせて散るのも一興か)


 そろそろ生涯の終着点が見えてきた頃合いである。

 最後に一花咲かせれば、汚名返上になるかもしれない。


 しかし、そうはならなかった。

 師直軍より先に尊氏の使者が直義邸を訪れ、自分の邸宅へ避難するよう勧めてきたのだ。

 さすがの師直たちも、主筋である足利の当主に手は出さないだろう。それを見越しての提案だった。


「しかしここで逃れては、兄上にも累が及ばないか」

「今そのようなことを気にされても仕方ありますまい」


 直義は尊氏の提案に躊躇していたが、顕氏ら直義方の将たちに説得されて、ようやく腰を上げた。


 尊氏の邸宅まで移動する際、顕氏は直義の近辺に従った。

 いざとなれば身を盾にして直義を守る覚悟である。


 表立って戦が始まっているわけではないが、師直らの軍勢に見つかればどうなるかは分からない。

 仮に戦になった場合、数だけでなく士気も劣る直義方に勝ち目はないだろう。


「楠木正行であれば、こういうとき状況を一変させるような妙手を打つのでしょうか」

「あれは、参考にならぬよ」


 思わずひとりごちた政氏に、顕氏は苦々しい思いで答えた。


 幸い、大きな問題が起きることもなく、直義たちは尊氏の邸宅へと逃れることができた。


「おお、直義!」


 憔悴した直義たちを出迎えたのは、いつもと何ら変わりのない様子の尊氏だった。

 彼は直義や直義方の武将たちの肩や背中を叩きながら「此度は苦労であった」と労いの言葉をかけた。


「小四郎も、久しいな。直義を助けてくれて嬉しく思う」


 尊氏の笑みを前にして、顕氏は頭を下げた。

 直義と違って、尊氏の笑みは力強さがある。

 それは、対面する者に眩しさを感じさせるものだった。


(御所様と直義殿がおられればどうにかなる)


 そう思わせる魅力が、尊氏と直義の兄弟にはあった。


 しかし、幕府の頂点に立つ尊氏も師直軍に対抗するだけの兵力は持っていなかった。

 師直たちは既に直義が尊氏邸に避難したことに感づいたらしい。

 ゆっくりと、尊氏の邸宅を包囲する姿勢を見せ始めた。


 この間、尊氏と直義も手をこまねいてその様子を眺めていたわけではない。

 幕府と協力関係にあった北朝に対し、師直を流罪にできないかという使者を派遣して、打開策を探っていた。

 しかし、武装した師直たちを相手に、流罪などできるはずもない。


「やはり、師直らの要求を呑むしかありますまい」


 口惜しそうに直義が言うと、尊氏は納得のいかない表情を浮かべた。


 師直たちが使者を通して最初に要求してきたのは、直義を焚きつけて師直たちの排斥を目論んだ者たちの引き渡しである。

 そうした運動に直接関与していなかったからだろう。顕氏の名は挙げられなかった。


「累代の家人に脅されて人を差し出すのか。それは、足利氏にとって大いなる恥になろう」

「しかし、そうでもせねば師直たちも退かぬでしょう。このまま退けば、主家に弓を引いたという事実だけが残る。師直たちは何か成果を求めるはずです」


 直義が師直の行動に理解を示しているのが、顕氏には少し意外だった。

 政治的に対立しているとは言え、両者は共に尊氏の側に仕えて幕府を盛り立ててきた。

 好悪は別として、何か通じ合うものがあるのかもしれない。


 続けて、師直たちから新たな使者が送られて来た。いずれも要求を伝えるための使者である。


 一つ、直義を要職から解任すること。

 一つ、鎌倉にいる尊氏の嫡男・義詮をその後任に据えること。

 一つ、此度の師直派の武将の行いを罪に問わないこと。


 そして最後に、今回の挙に及んだ師直の心情を伝える使者がやって来た。

 使者は一人の高僧を伴っている。

 それは、夢窓疎石だった。


「京を騒がせる騒動の発端は、私が軽率にも妙吉を直義殿に推挙してしまったことにあります。責任を取るため、調停に務めたく思います」


 そう言って夢窓疎石は、尊氏、直義――そして顕氏にも頭を下げた。

 妙吉を嫌っていた師直も、尊氏・直義が深く帰依し、幕府とも友好関係を築き続けていた夢窓疎石については粗略にしなかった。

 尊氏・直義との妥協点を探る際、その力を借りたいと、夢窓疎石に助けを求めたのかもしれない。


 使者はしずしずと師直の意を述べた。


「解任されたとは言え、私は長年足利氏の執事として仕えてきました。御所様に逆らう意図は微塵もありません。ただ、近頃の直義殿のなさりように納得がいかず、同心する者たちを集めて訴えに出た次第です。元々は直義殿に訴えるだけのつもりでしたが、思いがけず御所様を巻き込む形になってしまいました。このことは誠に申し訳なく思っています」


 これを受けて、尊氏は使者を通して師直に返答した。


「ならば今すぐ包囲を解き、武装を解き、お前が直接こちらに顔を見せよ」


 それに対し、師直は返答を重ねる。


「包囲を解けば直義殿に逃げられるやもしれず、武装を解けば我らは逆賊と誤解され討ち取られるでしょう。私としても単身そちらに行きたいのですが、暗殺されるとの風聞もあるので行くに行けないのです」


 この状況でしたたかなことを言う、と顕氏は感心した。

 確かに、今回の件は師直派と直義派の対立と言える。尊氏は直義を匿ったことで巻き添えになっただけ、と見ることもできた。


「義詮を直義の後任に据えることは異論ないが、直義には義詮の後見役を頼みたい。また、他の要求は呑めぬ。直義なくして我らは立ち行かぬぞ」

「直義殿抜きでも立ち行くようにせねばならぬのです。直義殿は諫言を鵜呑みにして、何の咎もない我らを排除しようと企てられた。そのような在り様では御政道をお任せするわけにはいきませぬ」


 使者を通してのやり取りを重ねるうちに、争論の主題が直義の扱いに絞られてきた。


(明言こそしていないが、御所様は此度の件を穏便に済ませたいとお考えのようだ)


 師直の行為は一見暴挙に見えるが、無秩序な乱暴狼藉の類をしないよう手勢をよくまとめていた。

 尊氏邸に対し一本の矢も射かけてはおらず、使者を通して届けられる言葉からは尊氏への忠誠心が感じられた。

 そうした師直の態度に、尊氏も少しずつ軟化しつつあった。


 その空気を察したのだろう。


「兄上。私は――」


 直義は尊氏の前に進み出て――自ら引退を申し出たのだった。

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