第4話 Many river to close

「一緒に行く?」

 購買に行くくらいの軽いノリのぱせりの後をついて、私達は駅に向かった。私が通う高校は、周りには団地くらいしかない何にもないところで、そんな所だから最寄駅も小ぢんまりとしている。1番線と2番線の2つしかなくて、ホームの真ん中辺りにだけ、白い屋根が設置されていた。お昼の時間帯の駅のホームの人はまばらで、屋根が作るくっきりとした影の下に入ると、周りの景色が余計に明るく、ぼやけて見える。ホームに入ってきた電車に乗って、目的地に向かった。


 ◯


 川面がきらめいて、その上を近未来的なデザインの水上バスが浅草に向かって滑るように進む。水上バスの後ろに大きな波が立つ。昼下がりの隅田川の遊歩道だ。仕事中のサラリーマンがのんびりと川沿いを歩いている。風に乗って近くの焙煎工場からコーヒーの香りがする。電車を降り、向かった先は隅田川。私とぱせりの家は近所なのだ。隅田川は近くで見ると黒緑色で濁っていて、ヘドロ臭い。川の底なんかこれまで一度も見たことないし、小さな泡が浮いていたりする。絶対にこの川には落ちたくない。けれど、絶えずゆらゆら揺れる川面、行き交う水上バス、滑らかなアーチの青い橋、遠くに見えるスカイツリー、川の上に広がる青い空、そういうのを眺めていると頭の中のごちゃごちゃしたものが、すうっとその風景に溶けて川に流れていくようで、不思議と飽きずにずっと見ていられる。ここだけ時間の流れがゆっくりと感じられる。東屋みたいなベンチが川沿いの遊歩道の数メートル置きにあって、丁度いい日陰をつくっている。そのうちの一つにぱせりと二人、並んで座る。ここにぱせりと来るのは一年ぶりくらいだ。

「あれ、川に鉄柱が立ってる」

「新しく水門をつくるんだって。もうすぐ工事が始まる」

「ウミネコが増えたね」

「今年は多いね。なんか。大繁殖したらしいよ」

「いつも来てるの?」

「うん。早苗と来なくなってからも、結構きてるよ」

 私は昔、数ヶ月だけ、この川を眺めにぱせりと一緒に来ていたことがある。ぱせりはこの川にいる時だけ私を下の名前で呼んで、私もここでだけ、ぱせりをぱせりと呼んだ。付き合ってたとか、片思いとか、甘酸っぱい良い関係だったわけじゃない。ならば私とぱせりは何なんだと言われたら何という言葉がしっくりくるのか、まだ私にはよくわからない。

 中学の頃、クラスの友達に無視されていた事がある。取るに足らないほんの些細な事で、今となってはもう思い出せないくらいの小さな事で、それでも女の子達の間で広がった形のないもやもやしたものは、すっぽりとクラス全体を包み込んだ。私はいないものとされた。それならそれで構わない、絶対に休むもんか。そう思って学校には通ったけれど、無言の空気に含まれる悪意だけは一日中ずっと感じられて、数日が1ヶ月、1ヶ月が数ヶ月になると、だんだんと萎れてくる自分の心を持ち直せなくなっていった。

 そんな時、ぱせりが連れてきてくれたのが、ここだった。いつも川の流れを眺めながら、他愛のない話をしてた。

「ぱせりはいつも何聴いてるの?」

「レゲエ 」

「レゲ?」

「レ」

「ん?」

ゲエ 、なの」

 みたいな話だけで、あとは二人、無言で過ごした。ぱせりは音楽を聴いて、私は川の音を聞いていた。久しぶりに来ても私たちは変わらずで、何をすることもなく、ぱせりは音楽を聴いて、私は川の音を聞いた。


「私は、高校では誰とでも仲良くやっていきたくて。だから地元じゃない、遠くの高校に来て、誰も自分を知らない場所で割とそれなりの人間関係やれてるつもりでいたよ。でも、本当は誰とも距離を置いてた。昔の自分みたくなりたくなかった」

 ぱせりは、私の側のイヤホンを外した。


 吉田さんは、友達からお金をせびられている。朝トイレに駆け込んだ時、吉田さんのお友達の会話を聞いてしまった。吉田さんがお金を出すのを拒否したから、友達の友達、つまり巻田を使ってレイプさせて、動画を撮ってもっとお金を出させるつもりだったらしい。察しのいい吉田さんは、お友達の計画に気づいて自分を守るために私を差し出した。ショックだった。可哀想なのは騙された自分だけだと思っていた。吉田さんは今、苦しんでいる。誰よりも苦しんでいる。

 今まで、吉田さんが苦しんでいるのを知ってて何もしなかった。側から見ていて、吉田さんとお友達が対等に付き合ってないことなんてすぐにわかった。吉田さんは辛そうだった。でも、知らないフリをした。吉田さんが何度私を誘っても、何にもせずに一人穏やかでいることを選んだ。他人より自分。高校でやっと手に入れたそれなりの人間関係を壊したくなかった。吉田さんをお友達に差し出して、何にも見てないフリをした。


「私、パセリって、あの、食べる方のパセリね。きっとそういう風にクラスの人たちを見てた。あくまでも添え物で、絶対に必要ってわけでもない。いたらいたでいいんじゃないみたいに思ってたのかも。そんな関係しか作ろうとしなかった。変に目立たないように誰にでも適当だった。そんなことしてるうちに、自分が嫌な思いして、被害者ぶって、へこんでた。自分のせいで、相手も傷ついてたのに、知らないふりして、無関心で」

 ウミネコがみゃあと鳴いている。空は相変わらず雲ひとつない。

「今からでも間に合うかなぁ」

 過去に人に嫌われ、距離を置かれたような私が、自分の都合のために無関心を装って他人を切り捨てようとする私が、手のひらを返して今さら吉田さんを助けようとするだなんてそんなこと、許してもらえるだろうか。

「早苗と早苗が傷つけた子のことは、よくわからないからなんとも言えないけど、俺は早苗の味方だよ。もしその子との関係が上手く行かなかったら、そうなったら気晴らしにどっか行こう」

 ありがとう、と声に出して言いたかったけれど、喉に詰まってただの咳払いになってしまった。

 ぱせりは人の心に寄り添える人だ。私とは全然違う。自分がどんな風でも、私の隣にはあたたかいものがあって、私の心は萎れない。私も、ぱせりのようになれたらいいのに。ありがとうの代わりに、私は何度もうん、うん、と頷いた。

 頷いている時に一つ思いついた。このまま巻田達を放っておくのは我慢出来ない。

「ぱせり、ちょっと手伝って欲しい」

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