第2話 Didn’t I

 女子バレー部の部室では先輩後輩入り混じり、みんなで少女漫画を読んでいた。部内で流行っているやつだ。「排球部」と背中にでかでかとプリントされた、部員お揃いのTシャツに短パン、着替え終わっている子も、下だけスカートの子も、無防備に足をさらけ出して漫画に集中している。

「早苗きたー、おつかれー」

「なに、今日どしたの?」

 キャプテンの子がへへっと笑う。

「新刊出たの。回し読みしてたらまた一巻から読みたくなっちゃってね。みんなも読みたくなっちゃって、一巻からまた回し読みしてた」

 割と真面目な活動をするバレー部だが、練習以外は大体こうだ。普段の練習は厳しいが、それは練習時間の中だけで、あとはみんなゆるゆるだ。

 今日の練習メニューの話をしながらみんな私の着替えを待ってくれて、終わるとすぐに体育館に向かう。ここからの時間はあっという間だ。もうすぐ夏の大会があるから、三時間みっちり練習する。気づいたらもう日は沈んで、空は暗い。制服に着替えて部室の鍵を閉め、下校する。


 真っ暗な家に帰ると、ダイニングにいつものメモが置いてある。

『今日の夕飯はカレーです。鍋ごと火にかけて温めてね。弱火だよ。鍋から目を離さないこと!』

 スマホのメッセージに残しておいても良さそうだけど、お母さんは紙に書いて残す。こっちの方が読んだか読んでないかわかりやすいらしい。母さんは仕事で帰りが遅く、夕飯はいつも1人だ。冷蔵庫から両手鍋を取り出して火にかける。ガスコンロから、ジジジジ、ボンっと音を立てて青い炎が上がる。その火を見ながらつまみを動かして弱火にする。固まっているカレーに少し水を足して、おたまでぐりぐりとかき混ぜたら、少しなら放置しても大丈夫。放置している間にぱぱっと家着に着替えてしまう。カレーが温まるまでダイニングに座って借りてきた少女漫画の最新刊の一ページ目を開く。

 家で1人で過ごすのは割と好きだ。自由、っていう感じがする。自分の体、手足がいい感じに緩んでリラックスしている。カチ、カチ、と壁時計の針が規則的なリズムを刻む部屋の中で、私は漫画のページをめくる。学校は好きじゃない。行かなきゃいけないから行っている。バレーも好きじゃない。入ろうと思ったのは、運動部の方が大学進学の時に印象が良いって聞いたからだ。友達は、よくわからない。付かず離れず、誰とでも仲良くしたい。何人かクラスで話す子がいれば、それだけでも十分。どれもこれも、真面目じゃないけど不真面目でもない。本気になれるものが何もない。だらだらする才能だけはあると思う。

 漫画のページをめくる。文化祭で、主人公が彼に二度目の告白をするシーンだ。フィクションだとわかっていても、心の中でついヒロインを応援している。がんばれがんばれ。恋をしている女の子はいつも輝いている。漫画の中でも現実でも。甲子園に行く彼を応援したり、親友と同じ人を好きになって恋と友情の板挟みに悩みながらも正々堂々奪いあったり、バレンタインには一晩かけてチョコを手作りしたりして、いつだって彼女たちは本気、という感じがして眩しい。

 ぼふっ、ぼふっ、と鍋から音がする。読みかけのページを開いたまま漫画を逆さに置いて、鍋を見に行く。カレーに火が通ってきた。おたまで何度かかき回して、鍋に顔を近づけて匂いを嗅く。もうよさそうだ。コンロの火を止めて、白いお皿にご飯をこんもりと盛り、上からたっぷりとカレーをかける。お母さんとお父さんの分が少し足りないかもしれない。賑やかしにテレビをつけて、カレーを頬張りながらお母さんにメッセージを打った。


 朝、教室の扉を開けるとぱせりが寝ている。いつもぱせりは一番乗りで、大きな体を丸めて、四角い机にきゅっとおさまっている。耳にはイヤホン。音が少し漏れている。

 ぱせりはいつも音楽を聴いている。一番に教室にいるのに、授業中も聴いている。この間先生に怒られていた。起こさないようにそっと横を通り過ぎる。

「進藤」

 ぱせりが起きた。

「おはよう」

「おはよう」

 挨拶をして、私は自分の席に着く。


「早苗ちゃん、今日購買一緒に行っていい?」

 四時間目の終わり、お昼ご飯を買うために財布を持って教室を出ようとしたところで吉田さんに声をかけられた。後ろから机の間をするすると抜けて駆け寄ってくる吉田さんを待って、一階昇降口前の購買まで並んで走る。廊下の窓は全部開け放たれていて、風が通る。蝉が鳴いている。

 購買は早い者勝ちだ。お昼のパンにありつくためにはとにかく誰よりも早く昇降口に行かなくてはいけない。急ごう、吉田さんに声をかけて階段を駆け下りる。うちの学校の購買は、近所の商店のおばちゃんが学校にやってきて昇降口に机を並べてお店を出す。コロッケパンが人気で、いつも販売開始と共に秒で無くなる。コロッケパンを狙うなら、授業の終わりと同時に購買までダッシュしないと間に合わない。今日私はコロッケパンの気持ちだったけれど、吉田さんと購買についた頃にはもうコロッケパンはなかった。吉田さんとコロッケパンを天秤にかけるのはよくないと思いつつ、残った商品からサンドイッチとカレーパンを選ぶ。吉田さんはメロンパンを買った。無事にお昼ご飯を買えたのでよしとする。教室までの帰り道、どうでもいい話をしながら歩いていると、吉田さんが突然あのさ、と切り出した。

「早苗ちゃん、今好きな人いる?」

「ううん、いないよ」

 ちょっと驚いた。特別仲が良いわけでもないし、こんなことを聞かれる程吉田さんは私なんかに興味を持っていないと思っていた。

「ほんと? 気になる人とかも?」

「うん、別にいないよ」

 けど、なんで?

「なんか、私の友達の友達に早苗ちゃんのこと気になるって人がいて……」

 あ、一刻も早く教室に帰りたい。階段を登る足が速まる。吉田さんは私に合わせて階段を早足でかけながら、たぶん彼女が見たこともないであろう友達の友達という赤の他人の人となりを詳細に語る。友達は好きでも嫌いでもないし誰とでも仲良くしたいがこういうのは好きじゃない。私の歩くペースがどんどん上がる。それに比例して吉田さんの目は焦りの色をして、頬は赤みを増し、口はせわしなく動く。必死、という顔つきだ。何がそんなに彼女をそうさせるのか。風が止んで、廊下がむっとして暑い。空気がまとわりついてくる。

「いや〜私はそういうのは……」

 いいや。そう言って教室に入って吉田さんと別れるつもりだった。

「よっしー、早苗ちゃん、おかえり〜」

 教室の入り口で、吉田さんのグループの女の子二人が待ち構えていた。立ち尽くす私に腕を絡めて彼女達の席に引き込まれる。髪か、香水かわからないが、彼女達からは強い女性の匂いがして、それだけで頭がいっぱいになる。紹介したいのは、彼女達の友達らしい。別のクラスの同級生。名前は巻田くん。

「顔は知ってるよね?」

 同級生なら当然と言った程で言われたものの、私は興味がないと言えずに誤魔化すように曖昧に笑う。「私はいいや、遠慮しとく」言いかけていた言葉が喉のあたりに詰まって出てこない。吉田さんが、巻田くんの良いところを次々と列挙する。こんなに良い人他にいない、早苗ちゃんだから紹介するのだ、早苗ちゃんじゃなきゃおすすめしないと目をキラキラさせて詰め寄ってくる。

「いや、でも私は……」

「そんなことないよ! この高校で同じ中学出身なの、早苗ちゃんと青山くんくらいだもん、だからぜひ早苗ちゃんに紹介したいの!」

 吉田さんの目が血走っている。こわい。吉田さんからしきりに勧められるLINEの交換をはっきりと断ったが、そのおかげで私の昼休みは全部潰れた。巻田くんと一回会ってお茶をすることに同意するまで解放してもらえなかった。


 今日の掃除も、ゴミ捨てはぱせりが行った。私はぱせりがゴミ捨てに行く間に窓を閉め、二人で最後に教室を出る。

「ばいばい」

「ばいばい」

 昇降口でぱせりと別れた。

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