砂の時
橘トヲル
第1話 砂の時
「俺の部屋でごろごろしてんじゃねーよ!」
足の踏み場もないような狭い部屋の中、床に寝転がった方――短髪の悪友がだるそうな目をこちらに向けてくる。
「姉貴の部屋に行けよっ」
「こっちの部屋の方が涼しいからいいんだって」
なあ? と言って悪友が姉貴の方に顔を向ける。そこでは眼鏡をかけた俺の姉貴が行儀悪く座って膝の上で絵を描いていた。
悪友の求める同意に一瞬だけ視線を投げて、そのまま作業に戻る。相変わらず冷たい女だ。
「姉貴も一体何書いてんだよ」
ちらりと視線を俺と、床の上に寝転がる悪友に向けてから。
「……弟と自分の彼氏がイチャイチャしてるところ」
表情を一ミリも変化させることなくとんでもないこと言いやがったぞコイツ!
「あれほどそういうのは書くなっつったろぉぉが!」
俺は頭を抱えて絶叫する。
悪友はと言えば、そんな様子を見て腹を抱えて笑っていやがった。
俺の魂を込めた「出て行けぇ!」という声が口から出たのは数秒後のことだ。
その悪友が姉貴を、車からかばって死んだ。
気が付くと俺は自分の部屋で床の上に転がっていた。あいつの葬式とか色々あったはずなのに。ここ最近の記憶が曖昧だ。
視線をわずかに上へと向ければ、いつものように姉貴が行儀悪く座って、膝の上でノートを開いている。唇を固く引き結んで、一心不乱に手の中の鉛筆を動かしている。顔を見ようとして、窓から入ってくる光の加減でよく見えない。いや、最後に顔をしっかり見たのはいつだった?
「姉貴、何書いてんの?」
体調を慮る言葉は出ず、代わりに出たのはいつかと同じ問だった。
「……人間を滅ぼす呪文」
かすれて、すりきれきった声だった。
「でも、私はあんたのことも好きだったから。あんたは死なない」
「姉貴っ!」
表情を微動だにせず、口だけを動かす様に常軌を逸したものを感じ、俺は跳び起きてノートを取り上げた。
姉貴の眼は深い隈に縁どられ、深い深淵のような闇を灯していた。
「ゴメンね?」
かつて見たこともないような柔らかな笑みを浮かべて、そう言った姉貴に開きかけた口が固まる。
腕の中の姉貴が、さらさらと砂の様に消えていく。残された眼鏡が軽い音を立てて床に落ちて、俺は硬直を解かれた。
俺は、走り出した。
まるで夏が死んでしまったかのようだ。
ただただ言いようのない焦燥感に駆られて街を走り抜ける。
気が付いたとき、俺は浜辺に裸足で立っていた。波は規則正しく寄せては打ち返している。
ここまで見てきた家にも、街にも、どこにも人はいなかった。ただ砂のようなものがあちこちにあるだけだった。
砂浜に膝をついて、今までずっとノートを持っていたことに気が付いた。
姉貴が最後に書いていたモノ。
それを見れば、何かがわかるかもしれない。
俺は喉を鳴らし、恐る恐るページをめくり。
目から入ってくる情報に今度こそ本気の金切り声を上げた。
死。
これは死そのものだ。
自分の背骨が外側へとねじ曲がった感覚を最後に、俺の意識は消え去った。
砂の時 橘トヲル @toworu
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