第2話
翌朝、攻撃までには時間があった。晴れ渡ったいい日だ。
アルヴィは、手紙の続きをどうするか考えていた。
考えても、もう書いている暇はないのであるが。
乾パンと水だけの朝食が配られる。
ふっと見ると、一女兵士の鎧の隙間に紫の花が飾られていた。
シーラ・デルフューン弓兵――彼女は、戦場にあればウーレンきっての弓の名手であり、王宮にあればウーレンきっての美貌の持ち主である。
昨日の強行軍では、シーラはアルヴィの隊に参加した。
本人が望んでのことだった。
本来、リラの配下であるシーラは、リラとデューンの隊にいるべき人物だったが、彼女はデューンと行動を共にするのを嫌った。
アルヴィにはなぜかわからなかったが、許可した。
後から考えれば正解だった。体力的に劣るシーラでは、アルヴィよりも厳しい道を選んだデューンたちにはついてゆけなかっただろう。
こちらの隊でも足手まといになってしまい、かなり沈んでいた。
特に、崖から落ちたときなどは、助けは要らぬ、置いてゆけ! と怒鳴り散らし、アルヴィを困らせた。よほど悔しかったのだろう。美しい目に涙すらにじませていた。
だが、今日のシーラは美しかった。
男風に編んでいるとはいえ、ウーレンにしては薄めの赤茶色の髪が後れ毛になって陽光に透けている。胸元の紫によく映える。
当然、花はデューンが贈ったものであろう。
デューンは、クールな見かけによらず、情熱家で熱い男なのだ。あの顔で、真面目に花を手渡したのかと思うと、笑えてきてしまう。
とはいえ、確かにシーラの胸元を飾ることが、スミレの花には似つかわしい。
まさにシーラこそ戦場に咲く花。
一時の安らぎとは彼女のことだ。
思わずぼうっと見つめてしまうところを、同じ花でもアザミのような女が乾パンを運んできた。
「あ、なんだ。リラか」
「なんだ……とはなんだよ。ぼけっとしてないで、早く食べな」
がさつである。
リラも中々の美女ではあるのだが、目も覆いたくなるような傷が顔を縦断している。
赤茶けた髪を男のように編んでいて、鎧も男物を用いている。
シーラと同じ格好なのだが、印象はあまりにもかけ離れている。しかも、体は棒切れのように痩せていて、シーラのような色っぽさもない。
容姿の差は彼女のせいではないとしても、他は何とかならないものか?
たとえば……おもいやりとか。心配りとか。
「おい、水はどうした?」
「自分でくめよ。足、あるんだろ?」
潤いのない女である。荒れた戦場そのもののようなヤツだ。
アルヴィはつまらなそうに立ち上がると、先日の湧き水の場所へと向かった。
幼なじみのリラは、頼りになる女だと思う。
デューンと同じくらい……いや、それ以上に。彼にはないカリスマ性を、彼女は持っている。
多くのウーレン兵士は、彼女のためになら死ねると言う。
顔を背けたくなるほどの傷でさえ、ウーレンの戦士にとっては憧れだ。
アルヴィも彼女を見ていると、心が高揚してくる。戦いの化身のような迫力があるのだ。
でも、こう……なんというか、シーラのような女っぽさがないんだよなぁ……と、アルヴィはため息をつく。
ゆとりがないというか、安らぎがないというか。キリリとした雰囲気が漂っていて、いつもぎりぎりなのである。
まだ、子供の頃は優しさとか、ちょっと生意気な笑顔とかあったよなぁ……と思うと、アルヴィは寂しくなる。
大人になるということは、辛いことを重ねるということだ。
俺も、リラも……乾いた砂漠のような道を、這いずって歩んできたようなものだ。
身も心も、干からびてしまっても、仕方がない。
それでも、進んでいかなくてはならない。
美しいだけでは生きてはいけないのだから。
水場には、デューンが先にいた。
アルヴィの姿に気がついて身を引いた。
「どうぞ、お先に」
「何だ? まだ何かあるのか?」
もう水は飲んだと思われるデューンが去っていかないので、アルヴィは居心地が悪かった。
「シーラの分を汲もうと思っている」
思わず飲んでいた水が気管に入ってしまい、アルヴィは激しくむせた。
この男、いかつい顔をして何を言い出す? アルヴィは真っ赤な顔を上げた。
そこに大真面目な顔をしたデューンは、とどめをさした。
「この戦いが終わり、ジェスカヤに戻り次第、結婚することをお許し願いたい」
「……ぶほっ!」
思わず鼻からも水がふきだしてしまった。
――なるほど、花を摘んだのはそういう意味か。
「今更、許すも何もないだろ? おまえらは婚約者同士だ。こっちはいつおまえら結婚するんだと思っていたぞ」
上衣で鼻を拭きながら、アルヴィは言った。
顔も鼻も真っ赤になってしまった。
デューンは、少しうつむいた。
かすかに浮かぶ眉間の皺は、もうすっかり定着していて、この男が常に思慮深い……もとい、考えすぎるタイプだということを主張している。
「心というものは難しい。いくら婚約しているからといっても、私の心をシーラが受け取ったとは思えなかった。だから、昨夜、改めて求婚し、返事を貰った」
はたから見ても相思相愛の二人に見えていたが、デューンはそうは思っていなかったらしい。
心配性な年上の友人を、アルヴィは笑い飛ばした。
「婚約者に求婚とは、おまえ、変だよ」
「婚約は親が決めたものだ。だから、余計に気持ちを何度も伝える必要があった」
そう言いながら、デューンは皮袋に水を入れ始めた。
「それで……? 花を贈り、水を運び、するわけ? おまえが?」
アルヴィの呆れたような言葉に、デューンが少し微笑んだ。
赤い目がぎらりと輝くのは、彼が何かをたくらんでいるときである。
「王も試してみては? 気持ちが伝わっていると思っている相手ほど、意外に伝わっていないものだ」
気持ちが伝わっていると思う相手ほど、意外に伝わっていない……。
そういうものだろうか?
デューンが去っていったあと、一人になってアルヴィは考えた。
「別に今更……」
水辺の近くの崖には、昨日デューンが摘んだものと同じスミレの花が、かすかに風に揺れている。
疲労にやつれたシーラを、一気に潤わせるような花。
心を伝えるのは……難しい。
心をこめて書こうと思えば思うほど、書き進まない手紙に似ている。
アルヴィは、崖をよじ登り、スミレの花を手折った。
シーラは今頃、デューンから水を受け取り、美しい頬を染めているのかもしれない。
そう思うと、ふっと寂しい気持ちになった。
あの、アザミ女も少しはシーラのようにならないかなぁ? と思う。
戦いだけがすべてであってほしくはない。
「こんな小さな花ひとつで、女はそんなに化けるもか?」
花を鼻に近づけて、アルヴィはくんくん匂いをかいだ。そして、一度くしゃみをした。
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