Knock Out

 その日、待ちに待っていた彼女の上司から連絡が来た。


 週明けすぐにでも小田桐商事に行って彼女の面接を行い、引き継ぐ時間があるだろうからと二週間の期限を設けたのだが、小田桐に行く前に上司……最初に問い合わせた時に名乗った在沢室長に電話をかける。

 だが、彼女のことを尋ねると、『出張先で風邪を引いて拗らせ、気管支炎で寝込んでいる』と言われてしまった。


(風邪を引いた……? まさか、一緒にいた男に抱かれて……?)


 そう想像してしまい、モヤモヤしたものが駆け巡る。が、ハタと気づいて内心苦笑する。まだ電話中だったからだ。


「それで、彼女はいつごろ出社できそうですか?」

『さて、どうですか……かなり熱があるうえに、夜中も咳き込んでいますので』


 その言葉に、眉間に皺が寄るのがわかる。


(夜中も? 現状を知ってるし苗字も同じ……。まさか、夫婦?)


 そう考えたら胸が痛くなって来た。


「あの……彼女とは……」

『ああ、申し訳ない。娘です』


 恐る恐る聞くとそんな答えが返って来た。どこか安堵していることに呆れる。

 彼女が出社したら連絡をくれるとのことだったので、「お願いします」と電話を切ったのは三日くらい前だった気がする。


「小田桐商事に出かけて来ます。そのまま向こうのオフィスに行きますので、何かあったらスマホに連絡を」


 部下にそう伝え、出かけた。

 小田桐商事に着いてすぐに受付嬢に用件を伝えると、すぐに連絡をとってくれたのだが。


「申し訳ございません、穂積様。在沢が迎えに来るはずでしたが少々立て込んでおりまして……。ご迷惑でなければ、私がご案内させていただきます」


 そう言われて素直に頷き、受付嬢のあとをついていく。途中で黄色い声が聞こえるが完全に無視していたら「ったく、はしたないっての。あとで上司にチクってやる」という呟きが聞こえた。その次の瞬間俺のほうを向き、「申し訳ございません」と頭を下げ、また歩き出す。


 しばらく歩くと開け放たれたドアに掌を向け、「こちらでございます」と言われたのでお礼を言う。


「で・も! それとこれとは別です! 何が『え~? だってさ~』ですか! 『あげる』ってなんですか! 私はモノじゃありません! プライベートではしばらく口も聞きたくないですね!」


 淡々とした彼女の声が聞こえたのだが、その表情を見て驚いた。それは見事なまでの無表情だった。店で客に対応していた彼女は、もっと軟らかい笑みを浮かべていた。本当に同一人物か不安になっていく。


「あら、珍しい。圭が怒ってるわ」

「あの無表情の女性のことかな? 私には怒っているようには聞こえないのだが」


 受付嬢にしてみれば単なる独り言だったのだろう。俺の問いかけにバツの悪そうな顔をしている。


「馴れていない方は、皆様そう仰います。私は彼女と同期ですので、それなりに付き合いは長いですから。あそこで女性と話をしている男性が在沢室長です。それでは」

「ありがとう」


 頭を下げてから踵を返した彼女にお礼を言い、どのタイミングで上司に話しかけようかと思案したところで彼女の声が聞こえて来た。


「あとは、羽多野君に先日の出張の件でお聞きしたいことがあるくらいです。ですので、それさえ済んでしまえば、私物を紙袋かエコバッグかなにかに入れて片付ければ、すぐにでも行けますよ」

「おや、それは素敵ですね」


 彼女の言葉に答えるように、思わず声が出た。振り向いた彼女は無表情に少しだけ目を見開いた状態だ。

 自己紹介をし、思わず言ってしまった「お持ち帰り」の言葉に突っ込まれたがそれを無視し終えたあたりで、彼女のそばに来たのでわざと「お圭ちゃん」と耳元で小さく囁くと、見る間に無表情が驚きの表情に変わった。

 ナイショという仕草をし、荷物を纏めるように指示し、纏めてもらっている間に、男性――在沢室長に向き合い、名刺の交換をする。


「圭の……娘の何を気に入ったかのか聞いても?」

「優しいところ、でしょうか」

「秘書の仕事に優しさは必要ないと思いますが? しかも、貴方は娘を『自分の秘書にほしい』と我が社の社長にそう仰ったはずだ。少なくとも私は社長からそう聞いていますが?」


 在沢室長の冷たい声に答えを、行動を間違った……そう思って謝罪しようとしたが「もう既に決まっていることです。あとは娘が決めることですから」と言われてしまった。

 そうこうするうちに彼女の準備が整い、そこにいるのが居たたまれなくて引っ張るように連れ出した。それがまずかった。急に腕が重くなる。「どうした?」と一旦止まると怒られてしまった。


「私、足が悪くて……ゆっくりとしか歩けないんです」


 理由を問うとスカートから覗く足をさすっている彼女の足は痩せ細っており、事故にでもあったのか、長短様々な長さの傷が無数にあった。


「それ……」

「……気持ち悪いですよね? 申し訳あり……」

「そうじゃなくて……!」


 そうだ……なぜ気付かなかった? 店で歩いていた彼女はゆっくり歩いていた。それが優雅に、毅然とした態度に見えたから、気付きもしなかった。


「ああ、もう! どうして気付かなかったのかしら?! アタシってば最低!!」


 荷物を持たせ、彼女を抱き上げると見た目以上に軽い。太ってるから下ろせと言う彼女にどこが? と思いつつ目線を下げると納得してしまった。

 ――アンバランスなのだ、体型が。彼女にしてみれば、胸が大きいと太っているように見えるのだろう。けれど、俺にとっては自分好みだった。だから、悪戯心を出してしまった。


「ああ、確かに重そうよね。――胸が」

「む……っ?!」

「アタシ好みのサイズで嬉しいわ♪」


 そう言ってからかい、手を動かし、撫でるように触ると見る間に顔が真っ赤になっていく。


(あら、可愛い!)


 誰にも触らせたことがないであろう反応に、嬉しいと思う。

 仕事で近づいて来た男の情報すらも、あとで必ず聞き出すと決める。そう思い、歩きながら話していても、傍目には支えているようにしか見えない角度で彼女の胸に然り気無く手を置き、大きさや柔らかさを確かめる。


(……あらやだ。アタシってば……何てバカなのかしら。今まで気付かないなんて……)


 あの目を見た瞬間に俺は恋の穴の手前で転び、そして店での彼女に足を滑らせ、そして彼女が頑張ったであろう手術の後が残る足をみて両足を突っ込み、一気に落ちた。



 自分の反応いろに染めたい――。



 赤くなっていく彼女を見た瞬間、そう思った。


 それは、俺が彼女に恋をしていると自覚した瞬間だった。


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