Thunder Clap

 俺の後ろを見ていた彼女――圭が突然ニコリと笑い、荷物からスマホを出しそれを握って手を振っている。

 そんな顔をさせたのが俺自身ではないのが悔しくて、車に押し込んだあとも彼女の腰を引き寄せ、ギュッと抱き締める。

 腕に思わぬ感触……軟らかい感触が当たり、これはこれでいいかと上機嫌で彼女に抱きついていたのだが、先程の様子を思い出し「楽しそうだったな。何をしていたのかな?」と聞いてしまった。


「え? ああ、受付嬢の一人が同期なのですが、その彼女に在沢室長の新人テストの報告をお願いしていました」


 彼女の答えに案内してくれた人かなと見当をつけつつも、意味がわからない。だから聞き返したのだが、彼女はそれには答えてはくれなかった。


「……あの、そろそろ離していただけませんか?」


 困ったように言われてしまったのでそれを拒否すると「どうしてですか?」と聞かれる。「柔らかくて気持ちいいから♪ (胸が)」と当然のように答えたが、胸の部分は心の中で呟く。


 そんな状態で先ほどのやり取りの続きを聞くのだが、それ以上言う必要はないと思っているのか、或いは天然なのか、きょとんとしている。結局聞き出すのを諦め、羽多野という男のことを聞くことにした。

 それに対して返ってきた答えは実に簡潔で、少しだけ苛立ちを覚え、詰問口調になってしまった。


……あの時君はそう言ったな? それを今話してもらおう。どうして彼と顔が似ている? どうして彼は君を呼び捨てにしている? どうして彼はUSBを大事そうに握りしめた?」


 一瞬だけ俯き、何かを決意したように彼女が顔を上げた瞬間スマホが鳴った。小さく「チッ!」と舌打ちをし、抱き締めていた腕をほどいて電話に出る。


「はい、穂積です」


 電話に出ると、これから行く場所にいる部下からだった。


『泪さん、お疲れ様です。どれくらいでこっちにこれそうですか?』

「ああ、あと三十分ほどでそちらに着く。ただ、渋滞しているから少し遅れるかも知れないが」

『そうですか、わかりました。楽しみにしていますよ。それとですね、今、穂積本社の泪さんの部下から連絡があって、営業部から仕事を回されたので泪さんに手伝ってほしいと言って来たんですが……』

「ったく、我儘な……。ああ、わかった。こちらにメールをくれ」

『わかりました。すぐに転送します』


 電話を切ると「この話はまた今度」と彼女に言い、足元の鞄からノートパソコンを出して立ち上げる。ほどなくメールが届いたので内容を読み返し、さてやるかと思い操作を始める。

 そう言えば「面接がてら」と言って引っ張って来たことを思い出したので彼女の膝にパソコンを乗せて指示を出すと、彼女は質問があると言った。


「必要なのは、でしょうか?」


 その言葉に、正直言って驚いた。そこまで見ているとは思わなかったから。

 ふっと笑って「ドイツ語だけだ」と指示を出すと、彼女は「畏まりました」とすぐに文書を作成し始めた。


 彼女の横でメールのやり取りをしながら、その仕事ぶりをこっそり観察する。

 英文を日本語に、そのあとドイツ語に。無意識なのか、たまに手を止めて「うーん……」と言う呟きが聞こえる以外は、ほとんど手が休まることはない。その動きは思った以上に早い。

 そうこうするうちに「添削をお願いいたします」と言われ、時計を見ると約二十分。「思ったよりも早かったな」とざっと見ると、ほとんど間違った箇所はなかったのでそのまま本社の営業部に電話をかける。


「穂積です。今から文書を転送するから、添削を頼む。違っていたら連絡をくれ」


 向こうが何か言う前に電話を切り、『部署内で処理できない仕事を引き受けるな』と一言添付し、転送先と営業部長にメールを送ると、パソコンの電源を落とす。

 それを見ていた彼女が不思議そうな顔をしていた。


「必要なのは、にとってであって、ではないから」


 そう言ったのだが、納得していないようだった。車が止まったので降りるように促し、エレベーターホールまで歩いて行く。

 また抱き上げられると思っているのか身構えているが、ここではやらないと言うとあからさまにホッとしたので思わず笑ってしまった。

 最上階の事務所に連れて行ってあちこち案内をするのだが、無表情が更に無表情になって行く。外に出た時は表情が和らいだものの、くしゃみをしたことで風邪を引いて休んでいたことを思い出し、中に入れた。

 最後に俺が住んでいるペントハウス兼仕事場に案内し、面接を兼ねた従業員の紹介、と言うところで彼女が、キレた。


「こんな状態で仕事?! 冗談じゃないですよ! あんな汚い資料室から『資料持って来い』って言われても、私は御免ですから!」


 正論だったので、ぐうの音も出なかった。改善要求を出されたので何が必要なのかを問うと、ペンとメモを持って飛び出して行った。


「なんつーか……すごいですね」

「アタシもびっくりだわ……」

「確かに、汚いかなぁとは思ってましたが……」

「どうやら逆鱗に触れたみたいね」


 思わず笑ってしまう。


「泪さん、笑ってる場合じゃないでしょ?」

「そう? 逆鱗の一端は、アンタたちの格好も入ってんじゃないの?」

「「「……」」」


 仕方がないとはいえ、この事務所のメンバーの今の状態は、髪はボサボサ、髭面の面々だ。


「あと、彼女は足が悪いから、床に物を置かないように」

「「「それは泪さんだろ!」」」

「……ま、まぁともかく、彼女が戻るのを待ちましょう」


 そう言ったところで彼女が戻って来たので彼女の要求を飲み、メモを基に次々に指示を出して行く。


 最後に出て行こうとした彼女を呼び止めて俺も改善要求を出すと、渋々ながらも受け入れてくれた。


「ただ、本当に目が悪いので、眼鏡を外すと細かい数字やパソコンでの作業ができません。それに、足に傷があるので、このような格好はあまりできませんし……それに……その……持って、いません」

「あら、そうなの?! ふふふ……それは楽しみね♪」


 良いこと聞いたと楽しくなる……あの綺麗なオッドアイがまた見れる。それに合わせてどんな格好をさせようか。


「……そうですか。楽しみですか。では、お掃除も念入りにお手伝いしていただけますね。私の代わりに、あちこち磨いてくださいね♪」


 浮かれ気分でいたら切り返されてしまった。やるわねと思いつつ、しょんぼりとした気分で「着替えてくるわ」とその場をあとにした。


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