Kiss In The Dark

 色々あって、精神的にも肉体的にも疲れて眠った翌朝。いつも起きる時間より陽が高い気がする。


(うーん……今、何時?)


 ぼーっとしながら時計の確認をしようとしたら、玄関のチャイムが鳴った。家族の誰かだろうと思いパジャマのままドアを開けると、驚いた顔をした泪が立っていた。


「あ……専務、おはようございます……」

「……!! お圭ちゃん! アンタってコはっ!」

「え? 専務、どうして怒って……」


 ぐいっと体を押し込められると扉が閉められ、鍵をかける音がした。


「また専務って言ったわね? 二回も! しかもそんな無防備な格好で……お仕置きよ!」

「えっ?! ここは職場じゃ……」

「……と言いたいとこだけど、それはあとで! 今は恋人同士の挨拶が先ね。お圭ちゃん……オ・ハ・ヨ・♪」

「あ……おは……んう?! んんーっ!」


 顔が近付いたかと思うと、いきなり唇が塞がれた。舌が唇をなぞり、少し離れたと思うと下唇を優しく噛まれ、思わず口が開く。


「は、あ……」

「そうよ、いいコね」


 そう言われてまた唇が塞がれ、今度は口腔に舌が入り込む。


「んん?! んーっ……っぁ」

「まだ、だめよ」


 上顎を舐められたところで身体がびくんと震え、顔を背けようとして泪に顎を掴まれてしまい、また唇を塞がれて今度は舌が絡まってくる。


(な、に、これ……? キス、なの?)


 口腔を蹂躙されているはずなのに、背中にゾクゾクとしたものが走る。前がスースーすると思った途端、胸が持ち上げられ掴まれた……それも直に。


「んあっ!」

「あら、ノーブラなのね……アタシを待ってたのかしら?」

「違……っ!」


 掴まれた胸を揉まれてしまう。苦しいからブラを外して寝てると伝えたいのにできず、それと同時にまた唇を塞がれ、私の舌に泪の舌が絡まってきて伝えることができない。

 唇を塞がれたまま胸を散々悪戯され、解放されたのは五分後だった。


「ところでお圭ちゃん?」

「な……ん、です、か……?」


 唇と揉まれていた胸が解放され、少し荒い息で答える。


「扉を開ける時は確認くらいしなさい! 恋人のアタシだったからよかったようなものの、見知らぬ誰かだったら、アンタ、あれだけじゃすまないしとっくに犯されてるわよ?!」


 泪はいつの間にか開いていたパジャマのボタンを留めつつ、私を叱った。「ごめんなさい」と言ってからハタと気付く。今、パジャマのボタンを留めていた、と言うことは……。


(体の傷を……見られた?!)


 足は偶然見られてしまっているので隠しようがないけれど、全身に傷があることを話してあるとはいえ、それとこれとは別だ。ビクビクしながらそっと泪を窺うと、普通にプンプンと怒っている。「今の……」と呟くと


「今のが恋人同士の朝の挨拶よ♪ 毎朝しましょうねー♪」

「今のを毎朝ですか?!」

「そう、毎朝♪」

「毎朝は嫌です」

「毎朝じゃなければいいのね?」


 どうしてそんなことを言うのかと内心頭を抱える。


「えっ?! 違います!」

「あらん♪ の? でも、まだダメよ!」


 どうして泪は私が拒否したことを却下するのかと、小一時間ほど問い詰めたい。


「挙げ足取らないでください! 意味が違います!」

「違うの? 残念。じゃあ、毎朝普通にキス。毎晩愛撫とディープキスを両方。たまに寝起きに両方。それでいいわね?」

「あ、はい。って、えええっ?! ディープ?! 愛撫って……却下です!」

「ブーッ、時間切れ! 今、『はい』って言ったわね? なので、却下は受け付けません!」

「ちょっと、泪さん!」


 泪の強引な態度に傷は見られなかったんだと安堵したのも束の間、いきなりそんなことを言われてしまった。顔が赤くなっていくのがわかる。


「あら、真っ赤になっちゃって……可愛い♪ でも」


 恋人同士なんだからちょっとずつ慣れなさいと言われ、またキスをされた。


「お仕置きは帰ってからよ? さあ、着替えてらっしゃい。引越しよ! ……何ならお着替えも手伝う?」

「ばっ! バカー!!」


 クスクス笑う泪に食器を新聞紙でくるむようにお願いし、着替えるために寝室にこもる。


(どうしよう……なんか、身体が変……)


 ブラを着ける時、泪にキスをされて愛撫された手を思い出してしまい、背中がゾクゾクするような感覚が甦ってしまった。


(って……お仕置きっ?!)


 あたふたとしてしまい、着替えの手が止まる。けれど、泪を待たせるわけにはいかないし、待たせたら待たせたでさらに「お仕置きよ!」と言われそうなので、さっさと動きやすい格好に着替え、昨夜下着や服を詰め込んだ鞄を持って寝室を出る。


「泪さん、ダンボール……」


 そういいかけ、口をあんぐりと開いた。いつの間にか瑠香と数人の男性がいたからだ。


「瑠香……さん?」

「あら! お圭ちゃん、おはよう! 小野くん、前嶋さん、充さん、彼女がお圭ちゃん。泪の恋人よ! 覚えておいてちょうだいね」


 瑠香の言葉に三人の男性が頷く。


「えっと……泪さん?」

「あ」


 わからなくて泪を見ると、なぜか目が泳いでいる。


「る・い・さ・ん・?」

「あら、泪が怒られてるわ」

「「「珍しいな」」」


 ねー、と四人で頷きあっている。それを横目に泪に説明を求めた。


「ごめんね、お圭ちゃん……口が滑っちゃったわ」

「どういうことですか?」

「お圭ちゃんと同棲することになったから今日引越して来るって言ったら、『アタシも手伝うわっ!』って姉さんが……」

「あら、いいじゃないの! 人手があったほうが楽でしょ?」

「そうなんだけどね……失敗したわ……。はあ……ごめんね、お圭ちゃん」

「それは別に構わないんですが……。あ、先にコーヒー淹れるので、座ってください。狭くて申し訳ないんですけれど……」


 内心溜息をつきつつそう言ってサイフォンを引っ張り出し、コーヒーを淹れる。

 待っている間に自己紹介をしてくれた。男性三人は瑠香さんの秘書とボディーガード、旦那さんで、秘書は小野さん、ボディーガードは前嶋さん、旦那さんは充さんだという。


「どうぞ。カップがバラバラで申し訳ないんですが」

「ありがと♪ 構わないわよ、そんなこと。……あら、美味しいわね」

「ありがとうございます」


 瑠香の言葉に、泪以外の三人が頷いていた。コーヒーを飲みながらサイフォンを片付ける。ついでに持って行くものを新聞紙でくるみ、いらないものはビニールに入れておく。


「冷蔵庫とかどうしよう」

「いらないのがあるなら、引き取らせるわよ?」


 との瑠香の言葉に驚く。


「そうね。姉さん、お願いできる?」

「いいわよ」


 瑠香がそう言った途端、秘書の小野がどこかに電話しはじめた。


(さすが、穂積の人……じゃなくて!)


 二人の会話や当たり前のように動いたことに焦る。


「ダメですよ!」

「いいから、姉さんに甘えときなさい」

「でも……」

「……言うこと聞かないとお仕置き追加」


 低い声で耳元で囁かれ、ドキッとする。お仕置き追加は嫌なので、素直に頷いた。


「じゃあ、お圭ちゃんはいるものといらないものを分けてくれる?」

「はい。ではすぐにやりますね」


 そう言って、コーヒー豆と茶葉、サイフォンやティーポットやセット、奥から出てきたシェイカーなどのカクテルを作る道具、鞄に入っている服を炬燵の上に置く。


「これにプラス、その食器棚と食器だけです」

「これだけ?! 箪笥は?!」


 私の荷物の少なさに、全員から驚かれた。


「備え付けのクローゼットで間に合っていたので、持っていないです」

「家電品……」

「ノートパソコンはA5サイズなので鞄に入りますし、テレビはほとんど見ないので持ってないですし。電気もここに付いてたものですし、あとは冷蔵庫と炬燵、洗濯機くらいです」

「意外と少ないのね」


 泪と瑠香が交互に質問してきたので、簡潔に答える。


「洗濯機と冷蔵庫は向こうにあるから処分しましょうね。炬燵はどうしようかしら……置く場所がないのよね」

「……では、処分してください」

「いいの?」

「足が冷えるのは困るんですけど、そのぶんヒートテック素材のスパッツとか毛布とかで我慢……うわっ! ……泪さん?」

「……ごめんなさい、考えなしだったわ」


 いきなり抱き付いて来た泪の辛そうな顔を見て、私の足の傷を思い出したのだろうと見当をつける。泪にそんな顔をさせたくなくて「大丈夫ですから」と巻き付いている腕に、自分の手を乗せる。


「でも……」

「では、お布団をもらいに行く時、膝掛けを買ってください」


 気にしてないと言う意味でそんなことを言ってみる……笑顔つきで。途端に笑顔になった泪。


「まあああ! なんて可愛い笑顔なの?! お圭ちゃんの初おねだり、嬉しいわ! もちろん、好きなのを買ってあげるからね♪」


 そんな言葉のあとでチュッと頬にキスを落とされる。


「る、るる、泪さん?! 公衆の面前で、ななな、何を?!」

「アタシのモノ宣言に決まってるでしょ?」

「ばっ……! バカーっ!」


 泪のクスクス笑いと瑠香たちの生温い笑顔に堪えつつ、こんなやり取りも楽しいと思えることに驚く。


 あっという間に引越し準備も終わり、小野が手配した人たちが来て家電品を含め、いらないものを全て引き取って行った。前嶋が軽トラックで来たと言うので、食器棚を含めた荷物を全て運んでもらうことにする。

 マンションの契約更新も瑠香が何か言ってくれたのか、小野が「書類などをお渡しいただければ、私が手続き致します」と言ってくれたので、言葉に甘えて全部任せることにした。全ての荷物を泪のペントハウスに入れ終わったのは、朝の十一時くらいだったのだけれど――


 ――ディープキスと愛撫という言葉に気をとられ、『毎朝』『毎晩』『たまに寝起きに両方』『お仕置き』という泪の言葉を突っ込むことなくすっかり忘れ、その日の夜、しっかり思い出すことになるのだった。


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