Red Eye ★

 秘書課に戻ってノートパソコンを返却すると帰り支度をする。紙袋を持って在沢室長のところに報告に行くと「構わない」と頷いてくれたので、「お先に失礼します」と言って企画室の小会議室内に向かった。

 会議室に入ると三人が明日のことで打ち合わせをしていた。


「申し訳ありません、お待たせいたしました。今からコーヒーを淹れますね」


 そう声をかけてから会議室内にある給湯室に行き、コーヒーの支度をする。

 企画室内にある小会議室は、名前の通り四~五人しか入れない小さい会議室だ。企画室の性質上、トップシークレットを扱う場合もあるので会議室内は防音処理がなされており、尚且つ長時間企画会議をしている場合もあるため、簡易給湯室がついているのだ。

 ここに来いということは、内緒話があるということだ。


(やっぱり、さっきのかな……それとも、智さんや真葵さんのことかな……)


 後者だといいなと思ったところでコーヒーが落ち始めたので一旦部屋に戻ると、備えつけのパソコンを立ち上げて座る。すると、周がすかさず話を切り出した。


「さて、話なんだが……ふたつある」

「ふたつ? さっきの圭の件じゃないのか?」


 周の言葉に、智が反応する。


「それもあるが……仕方ない。まずはひとつ目。お前ら、俺に隠してることがあるだろう?」


 周は智と真葵の顔を交互に眺める。


 周は新入社員配属後の営業部内で、智と真葵の教育担当だった。真葵は途中で営業から営業補佐の仕事に回ったものの、それまでは三人一緒にいることが多かった。

 仕事のことに関してはかなり厳しい人だけれど、よく二人と一緒にいる私を含めて可愛がってくれたのだ。

 当時、営業のエースで既に課長職だった周は、常日頃から文書の注文に煩かった。そんな周の秘書をやりたがらない先輩に代わり、周の秘書をやり始めたのは私が入社した翌年……周が部長職になってからだった。


 コーヒーの香りがして来たので、立ち上がったパソコンにUSBを差し込んでから話の腰を折らないよう席をそっと立ち、コーヒーを淹れに行く。

 均等に分けているところで「やっとくっついたか! おめでとう!」という周の声がしたので、二人が周に結婚を前提にした付き合いを始めたことを伝えたのだろう。

 コーヒーを持って行って皆の前に起き、床に置いてあった紙袋を持ち上げる。


「帰りに渡そうと思ったのですが、周さんにも報告をされたようなので、今お渡ししますね。結婚を前提に、とのことでしたのでいろいろと迷ったのですが……」


 おめでとうございます、と紙袋を差し出す。紙袋が大きめものだったために、智がそれを受け取ってくれた。


「えっ?! 本当?! ありがとう、圭! 開けてもいい?」

「どうぞ」


 嬉しそうな真葵につられて、私も微笑む。

 がさがさと包装を開ける真葵を見ながら、コーヒーを啜ると「嘘っ!」と真葵が叫んだ。


「圭……! これ!」

「来月引越しをすると聞いていましたし、結婚すると言っている人に食器を贈るわけには行きませんし。そういえばそのシリーズを欲しがっていたなあと思い出したので」

「今度の休みに見に行こうか、って話をしてたの! 嬉しい! ありがとう!」

「買う前でよかったです」


 真葵に喜んでもらえてよかったと胸を撫で下ろす。彼女が欲しがっていたのは取っ手の取り外しが可能な、深さや大きさの違う鍋やフライパンが一ヶ所に重ねてしまえる、あのブランドの物だった。同じブランドの電気ケトルはおまけだ。


「ケトルもか? 結構したんじゃ……」

「さあ……内緒です」


 ふふ、と笑ってUSBの中身を確める。


(また厄介な……)


 その指示を見て苦笑をし、新たにフォルダを作成してその中に智の指示に従って文書を作成していく。


「次はお前だな」

「あいつは圭の何だ? 他人の空似にしちゃ似すぎてる」


 周、智がそれぞれ疑問を口に出す。


「そうですね……簡単に言ってしまえば、元双子の弟です。尤も、二卵性なので一卵性の双子ほど似てるわけではないはずですが」

「元……?」


 説明すると長くなるので家庭の事情や詳しい話は省き、かいつまんで話しますがと断り、中学の卒業間際のことを話す。


「確か、あと一ヶ月で卒業というあたりのことだったと思うんですけれど……」


 そう前置きして話しはじめたのは、図書館の帰りに一緒にいた人を庇って事故に合い、しばらく入院していたこと。

 ほぼ絶縁状態にあった親が入院先に来るはずもなく、着替えは同じ病室にいたおばさんやお婆さんがいらない服をくれたり、下着を買ってくれたこと。

 退院した人が置いていった本を読めるスペースで、仲良くなった女の子がいたこと。


「その女の子と遊んでいる時に、女の子のご両親がお見舞いに来ていて。お見舞いに来る度にに私がいつも一緒にいるものだから、ご両親に『いつも遊んでくれてありがとう』とお礼を言われたんです。その直後に両親が来たんですが、開口一番『何で庇ったんだ! お前にかける金は一銭もないんだぞ!』と言われまして」


 その言葉に三人とも息を呑む。


「それを聞いていた女の子のご両親や、本を読んでいた大人たちが怒ってくれました。それでもなんだかんだと喚く二人に、女の子のご両親が、『なら私たちが養女にもらう』と言ってくれたのです。私はその場凌ぎの冗談だと思っていたのに、あれよあれよという間にいつの間にか本当に親子になっていました」


 養子縁組の場合、十五歳以上は自分の意思で養子縁組ができる。それを知っていたらしい女の子の両親は私の歳を聞き、私に何かを書かせ、それを持って二人を連れてどこかへ出かけ、次に来た時には既に苗字が変わっていた。

 そのあと事故についてその場にいた担当の警察官や警察、保険会社に電話してくれて、入院費などももぎ取ってくれたのだ。


「その女の子の親が、父さん……在沢室長でした」

「失礼ながら似てない親子だと思ってたら……ああ! だから『元』なんだな!」


 周がパチン、と指を鳴らす。在沢と親子関係にあることを、皆が知っている。


「……あの生意気なガキはそれを知ってるのか?」

「さあ……どうでしょう? 先日、『何で他人行儀なんだ』と聞かれ、『他人ですから』『詳しくは自分の両親に聞け』と答えたんですが……」

「あの感じだと、知らなそうよね」

「おそらくは」


 真葵がズズッ、とコーヒーを啜った。はしたないです、真葵さん。


「室長は学校にも連絡をしてくれました。卒業式は間に合いませんでしたが、卒業証書を持って来てくれたのです。退院後は家から高校に通えって言ってくれましたけど、寮に入ることが決まっていたし、高校まではかなり遠かったので結局寮に入りました。それでも、二人揃って入学式にも来てくれて……本当は在沢家に行くつもりはなかったんですが、それがわかっていたらしくて『休みの前は必ず家に帰って来い』と念を押されました」


 動かしていた手を止めて一旦保存をし、文書を印刷する。何気なく画面を見ていた周が「ん?」と呟いた。


「……圭、それ何語だ? 智の指示はなんだったんだ?」

「これですか? ドイツ語です。英文を、日本語とドイツ語に訳せ、という指示だったんですが……智さん、日本語はともかくドイツ語の添削をどうしますか?」

「……ドイツ語は冗談だったんだがな……。本当に訳すとは思わなかったよ」

「……智さん……」

「すまん!」


 じとっと睨み付けると、周に「誰に習った?」と聞かれた。


「室長の奥様……母です。母はドイツ語の翻訳の仕事をしていますから」

「なるほど……あの噂は本当だったのね」

「ああ、あれだろ?」

「「「ヨーロッパ視察や文書は、在沢親子」」」

「……なんですか、それは」


 変な噂話に呆れつつも、USBを抜き取って席を立ち、プリントアウトした文書と一緒に智に渡して私も一息ついた。


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