Eye Opener

 周の号令で始まった清書は、時間が勿体無いということから全文清書ではなく、10分で何文字打てるかというワープロ検定方式に変えた。葎以外はほぼ横並び状態だった。


「日比野、もう少しスピードを上げろ。最終的には、最低でも十分間で六百字以上打てるようにしてもらいたいが、せめて今は十分間で五百字以上打てるよう、訓練しておいてくれ。最終日にもう一度時間を計る」

「……はい」


 秘書課希望の女性――日比野と名乗った――は、悔しそうに唇を噛む。そこそこ速い自信があったのだろう。だが、まさかおっとりしている総務希望の女性――牧田と名乗った――と同じスピードとは思わなかったらしい。


「羽多野はスピードは問題ないが、打ち間違いや誤字脱字が目立つ。文字を正確に打つ努力をするように。やはり最終日にテストする」

「……はい」


 葎も自信があったようなだけに、やはり悔しそうだった。


「そして、圭……は問題ないな……」

「五年も秘書課にいて新人と同レベルだったら、在沢室長に怒られます」


 苦笑しているところで会議室の内線電話が鳴ったので、「失礼しますね」と断ってから席を立ち、内線に出る。


「第二会議室、在沢です。――はい、少々お待ちいただけますか?」


 胸ポケットからボールペンを出し、少し遠くにあったメモ用紙を引き寄せると「お待たせいたしました」と言って、メモをとる。


「――はい。畏まりました。何時までにお持ちいたしましょう? ――十七時ですね? はい、確かに在沢が承りました」


 受話器を置いたところで周が説明してくれた。


「秘書としての電話対応はあんな感じだ」


 周の説明に苦笑するものの、新人たちは全員が呆けた顔をしていた。そしてチラリと腕時計を見ると、ちょうど休憩時間になる少し前だった。


「室長、いきなりは無理ですよ。私だって散々在沢室長や先輩秘書に怒られたのですから」

「だが、慣れてもらわにゃ困る」

「そうなんですけどね。……徐々にで構いません。秘書課に関しては、部長以上の役職者が絡む場合がありますので言葉遣いはかなり厳しい指導になりますが、部署によってはもう少し砕けた言葉遣いもできますから。それと室長」

「なんだ?」

「在沢室長から急ぎの仕事が入ってしまったのですが……」


 今かかって来た電話の内容を話すことはなく、仕事だと伝える。


「んー……いろいろと聞かなきゃならんこともあるしなぁ……。よし。ノート持って来て、ここでやってくれ」

「ですが電話もかかってくるようですし……お邪魔になりませんか?」

「電話対応があるなら聞かせられるし、秘書課の二人にはどんなことをしているか見せてやれるだろう?」

「私は見たいです!」

「俺も見たい!」


 興味津々な秘書課希望の二人がこちらを見ている。ちらりと周に視線を向けると頷いたので、「わかりました。お言葉に甘えて、取りに行って来ます」と席を立ち、その足で隣にある会議室用の給湯室に寄ってコーヒーの準備をする。

 秘書課に行って在沢室長に第二会議室で仕事をすると告げ、何かあればそちらに内線をくれるように頼むと秘書課内の自分の机に向かい、ノートパソコンと筆記用具や在沢室長から預かったUSBを持って会議室に戻る。

 ノートパソコンを立ち上げている間に、先ほど内線で言われた内容が書かれたメモをセロハンテープで画面の右下に貼り付けると、給湯室に行ってコーヒーを人数分淹れる。真葵用にラテを用意して会議室に戻ると「休憩しよう」という周の声が聞こえた。


「グッドタイミングでしたね。コーヒーをお持ちいたしましたので、皆さんもこちらにどうぞ。真葵さんにはこちらを。お砂糖やポーションのゴミは、この袋に入れてください」


 「やった!」「うまそう!」という声には休憩中だからと目を瞑り、コーヒーを持って電話の近くに置いた。パソコンに近づくと、USBを差し込んでから椅子に座る。


(足が痛いなあ……雨が降るのかな?)


 コーヒーを一口飲み、窓の外を眺めながら足をさする。

 ホッと一息ついたところで「あの……っ!」と遠慮がちに声をかけられた。椅子ごと振り向くと、場違いな質問をした新入社員が立っていた。


「はい、なんでしょうか?」


 無表情のまま小首を傾げると、彼はしばらく黙っていたけれど、意を決したように「さっきはすいませんでした!」と言って頭を下げた。


「いえ……別に気にしていませんから」

「それで、あの……今なら休憩中だし、いいよな……いいですよね? えっと、さっきの質問なんだけど……」


 彼が近くにあった椅子を引き寄せて座ると、何人か寄って来て同じように周りに座る。


「兄弟か、ってことですか?」

「うん、そうです」

「違いますよ? よく見て下さい。そんな『そっくり!』っていうほど似ていますか?」

「『そっくり!』ってほどじゃないんだけど……」

「確かに似てるよね」


 彼らは私と葎の顔を見比べながら、「似てる」とか「いや、似てないって」と話している。


(そりゃあ、二卵性とは言え、双子ですから)


 彼らの話を聞きながら、胸の内で呟いた言葉はおくびにも出さず別の言葉を紡ぐ。


「自分に似た人が世界に三人はいるって言いますから、それではないですか? それに、苗字も違いますしね」

「え?」

「つまり、『他人の空似』ということです」

「ああ、そういうこと!」

「納得していただけて何よりです」


 コーヒーを啜りながらちらりと葎を見ると傷ついたような顔をしていて、その後ろにいた周たちは怪訝そうな顔をしている。


(あの三人の顔……絶対に疑ってる。ちゃんと言わないと駄目かな……)


 思わずつきそうになる溜息を飲み込み、別の人の「このメモの字、何語ですか?」との問いに「速記語ですよ」と答えると、「ええーっ!」という反応が返って来た。

 速記の文字を見ながら、あーでもないこーでもないと話す新入社員たちのお喋りを、メモの内容を話すことなく時々彼らの質問に答えながら静かに聞いていた。


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