Blue Coral Reef

 その日の午後。

 新人教育に使用している会議室に四人で出かけた。会議室に入ると葎が驚いた顔をしていたけれど、私はいつも通りの無表情で何の反応を示すことなく、そのままスルーを決め込む。


「今日から二週間、君たちの教育担当になる企画室の石川です。で、こちらの二人が私の部下と、我等三人を担当している秘書課の人です。皆さんには専門知識の他に、最低でもTOEICを500点以上取ってもらいます。どの部署もそれなりに英語力が必要なので。では自己紹介を」

「石川室長のサブをしている、河野です」

「同じく、美作です」

「三人の秘書をしている、秘書課の在沢です」

「では在沢、テキストを頼む」

「はい」

「あのっ……!」


 周の指示に従ってテキストを配っている側から、新入社員の一人が手を上げる。


「質問か?」

「はい。あの……後ろにいる羽多野君と在沢先輩って似てますけど……ご兄弟か何かですか?」


 その質問に周たちが目を眇め、周囲の温度が一瞬下がる。


(……勇者バカがいました……今する質問じゃないでしょうに)


 新入社員の質問に内心苦笑していると、案の定冷やかな声がした。


「……それは今すぐに答える必がある質問なのか?」


 低く、そして冷たく響く智の声がして、その低さと怒気に新入社員たちはビクリと肩を揺らした。


「もし在沢がクライアントだったとしたら、お前は初対面のクライアントに対して、いきなりそんな不躾な質問をするのか?」

「……っ」

「しかも、お前は営業希望だったな? 我が社は服装が自由とはいえ、もしクライアントが急に来社した場合、そんな格好で対応して相手に好印象を与えられると思ってるのか? お前だけじゃない、他の奴らもだ」


 指摘された新入社員は、腿や膝が切れているジーンズに長袖のTシャツ姿だった。作業をしたりファッションとしてならいいけれど、商談には向かない格好だ。


「ここは会社であって、大学のサークルの延長じゃないんだ、いつまでも学生気分でいるんじゃない!」

「す、すいません!」

「クライアント相手なら、『申し訳ありません』ですね。……石川室長、配り終えました」

「わかった、ありがとう。河野もそこまでだ。お前たちもその場に相応しい質問をしろ。個人的なものは休憩時間にでもその人に直接聞け。いいな?」


 はい、という返事のあと、周の「始めるぞ」との声で営業とその他という組み合わせで二手に分かれる。

 営業チームは智と真葵が、経理、総務、秘書は周と私が担当する。


「さて、総務はほぼぶっつけ本番だから、電話での対応や言葉遣いをレクチャーすればいいか?」

「そうですね。言葉遣いに関しては全員指導する必要はありますが、要は慣れですから、教育中は敬語で話すことにしましょうか。皆さんもそのつもりでいてください」

「はい」


 総務希望の女性が返事をする。


「次に経理だが、二人は資格を持っているか?」


 経理希望の男性二人は、ともに首を横にふる。


「最低でも二級はほしいところだが……」

「受験だけならいきなり一級も受験できますが、知識がないとまず合格はできないので、まずは三級からですね」

「あの、質問していいですか?」


 右側にいた人が手を上げる。


「どうした?」

「僕はいつか一級を取りたいんです。知識が必要なのはわかるんですが、なぜいきなり一級では駄目なんですか?」

「うーん……圭?」


 私に話をふってきた周に苦笑しながら経理希望の二人にあるプリントを渡す。


「はい、どうぞ。これを見てください。室長にもお渡ししておきますね。さて、お二人はこのプリントの問題を解いてください」

「え?」

「経理を希望されているのですよね? それなりに勉強しているなら簡単なはずです」

「……圭、さっぱりわからん」

「室長は畑違いですから当然といえますが……お二人はどうですか?」

「……」

「わかりませんよね? 実はそれ、一級の問題なのです」

「「え……」」


 問題と睨めっこしていた経理希望の二人はパッと顔をあげ、驚いた顔で私を見る。


「簿記検定は、前の級を踏まえていることが多いのです。なので、下から――三級、二級、一級と取ったほうが、わかりやすいんですよ」

「……僕でも取れますか?」

「もちろんです。六月に試験がありますから、それに向けてまずは三級を勉強しましょう。きちんと勉強をしていれば取れますから。三級が取れたら、十一月にも試験がありますから、その時に二級を受験しましょう。室長、それでかまいませんか?」

砂村すなむら経理部長にはそう伝えておくよ」

「ありがとうございます。お二人もそれで構いませんか?」

「はい。お願いします」

「わかりました。それでは、これを」


 二人それぞれにUSBを手渡す。


「USB……ですよね? 中身はなんですか?」

「三級の過去問題です。会社の備品ですので、無くさないよう注意してください。三級に合格したら返してくださいね」

「過去問?! スゲー!」

「『スゲー!』じゃないだろう!」

「あ! すいま……申し訳ありません?」

「なんで疑問符ついてんだ?」

「あ、これで合ってるんすね」

「はあ……先が思いやられる……」


 新入社員の様子に、周はげっそりとした顔で額に手をあて、溜息をついた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る