乱入者


 屋敷に響いた爆発音に面食らったのはマークと、屋敷の人間だけだった。 廊下の外や庭からは、「なんの音だッ!?」「爆発だ!」

と騒ぐ声と足音が聞こえてくる。


「ああ、アレは仕掛けておいた時限式の爆弾よ。屋敷の人間を脱出経路と反対側に集めるために、置いといたの」

「……驚くんで、そういうことは先に言ってください……」


 ごめんね、とエヴァはマークの肩を叩く。仕掛けた爆弾は故郷で狩りに使っていたもので、簡単な材料で作れる上に派手な音がするから陽動にはもってこいだ。が、作動する時間が大雑把にしか決められない欠点がある。


「おい、作動した以上、ここをすぐに出るぞ」

「そうね」


 拳銃を取り出したエヴァは、嵌め殺しの窓の金具を的確に撃ち抜き、ぐらつくようになった窓枠ごと外した。次いで天井の梁にフックつきのロープを素早く巻き付ければ、後は窓のあった場所から飛び降りるだけだ。


「ロープで降りるからマーク君はしっかり捕まって――」


 ドゴッ!!!! と至近距離からの破壊音により、エヴァの言葉は途切れた。


 部屋のドアが、マークの近くに寄ろうとしたエヴァの鼻先を通り過ぎ、外した窓の外へと落下していったのだ。

 否、簡潔に言い換える。


 ドアが・・・飛ん・・できた・・・


「……オイオイ、どこへ逃げようってんだ?」


 都市最強、《怪物モンスター》。


 嘘でしょ、という言葉すら出てこない。エヴァは喉の奥をひきつらせ、侵入してきた者を見つめた。マークに至っては歯の根が合わずガチガチと音をたてて震えている。


「あ? 女の声がすると思ったが、男じゃねェか」


 色褪せた金髪を無造作に流した大男、《怪物》――彼の本名は誰も知らない――が、濁った色の双眸で室内をぐるりと見回した。エヴァの方を見てガッカリとした表情を浮かべている。リンは散乱した物に紛れて隠れたのか、姿が見えない。


 ――リンが咄嗟に術で私の姿を変えたんだ!


 たぶんそれが唯一できた処置なのだろう。しかし、正体は隠せているとはいえ、この状況はまずい。身体が、動かない。

 七ヶ月・・・前に・・遭った獣・・・・を超える恐怖がエヴァを支配していた。


 ――ごめん、ユアン、リン。マーク君。


「とりあえず死んどけや」


 エヴァの頭蓋を砕くべく、《怪物》の拳が握られる。


「――待て」


 ぴたりと、《怪物》の動きが止まる。彼の背後から新たな人物が現れたのだ。

 麻でできた簡素な外套で身体の線を隠し、日除けのターバンで目元以外のほとんどを覆った男。しかし、陰で目の色も判別できない。


「あぁ? テメェは誰だ。何の用だよ」

「マルコム・チャンドラーの遣い……だ。お前を止め、そいつらを逃がすように言われている。……お前達、伝言・・がある」


 覆面男はエヴァ達の方へ顔を向け、


「『早く戻れ・・・・』。そう伝えろ」


 それだけ言うと、男はエヴァ達に「行け」と顎をしゃくってみせる。


「――っ!」

「え、ぁ、わぁぁぁ!?」


 エヴァはタックル同然にマークを掴んで窓から飛び降りる。直ぐ様飛び乗ったらしいリンの重みも肩に感じる。


 ――事態の把握はもうどうでもいい。とにかく逃げる! 


 謎の人ありがとう! と至極素直に脳内で叫び、着地と同時にロープをナイフで切る。混乱したマークにお構いなしに腕を引っ張って走った。

 予め準備しておいた逃走経路は万全に機能し、エヴァとリン、マークは呆気ないほどすぐに街の通りに出た。

 雑踏に紛れ、建物の影に飛び込むと、塞き止めていた混乱と恐怖、興奮が溢れてきた。


「っはぁ! 待ってなんで《怪物》いるの死ぬかと思ったし途中で現れた人誰マルコムってユアンが言ってた人だよねどういうこと!?」

「おい連邦語になってるぞ小娘。術で姿を変えてるとはいえ、声を押さえろ」

「あ、ごめん……。ねぇマーク君、《怪物》はあの屋敷の人間なの? 私達を逃がしてくれた人のことは何か知ってる?」

「はぁ、はぁ……えっと……《怪物》を支援する偉い人達が、彼に用意した屋敷の一つ……らしいです。あの覆面の人は、僕もちょっと……」


 まだ息が整わないマークは切れ切れに話す。とどのつまり、今この面子では何が起こったのか把握するのは難しいということだ。


「私達は、リンに君の匂いを辿ってもらってここに行き着いただけだから、あの屋敷にまさか《怪物》がいるなんて思わなかった。もしあの覆面の人が来てなければ、全員死んでたわ」


 ――彼は一体、何者?





 エヴァ達が逃走した直後の屋敷の一室には、殺気立った沈黙が降りていた。


 しばらくし、はぁ、と面倒な気持ちを隠しもしない嘆息が一つ落とされる。


「なんか白いもんが一緒に出てった気がするが……まァ、いい。んで、テメェはあのクソ片眼鏡モノクルの下僕か。いつものガタイのいい護衛じゃねぇな。新しい狗ってところか」

「……思いの外、簡単に逃がすのだな」


《怪物》が嘲るように視線を寄越しても、覆面男は意に介す様子がない。否、そもそもそんな余裕がないのだ。外套の下に武器を隠し、それなりの実力はあるようだが、覆面男から《怪物》の鼻を擽るような強者の匂いはしない。


「ハッ、ジジイどもに言われて残ったが、オレは強い奴を倒し、嬲って、好きに暮らしてェだけだ。あんなガキは正直どうでもいいんだよ。何よりクソ片眼鏡がどんな話をもってきたかの方が、気になるしなァ」


 マルコムという男は、市議会議員――《怪物》の支援者の一人ではあるが、その出資額は他に比べて極端に少ない。「お前には興味がないがとりあえず支払っている」という態度が顕な、いけすかない人間だ。

 だが、《怪物》を畏怖するだけの腰抜け議員とも、今の地位に縋るための道具としてこちらを見下してくる議員とも、マルコムは違う。あれは、面白いかそうでないかで物を考えるタイプ――《怪物》と同種の享楽家。しかも相当に頭が回る故、議員の中でも異質な存在と聞いている。


《怪物》は、関わりが少ないながらもそんなマルコムを評価していた。


「……あの子供らを殺したら、負荷が大きすぎる・・・・・・・・。本気の決勝戦を楽しみたいなら静観しておくように、というのがマルコムの伝言だ」

「へぇ、よほど美味い奴みたいだなァ、その新人ルーキーは。名前、なんつったか?」


 マークとその救出に向かった侵入者を逃がす、という目的が達された覆面男は、既に踵を返していた。《怪物》の質問に振り返ることなく彼は答える。


「――ユアン・エルフォード」


 ユアン。《怪物》はその名を珍しく脳内に留めた。次に喰い散らかすべき獲物として。





***





「まさか君が直接出張るとは思わなんだ。この剣の代金の取り立て……という訳でもあるまい」

「ええ。あれは僕が勝手に融資しただけなので、気にしなくて結構ですよ」


 代償はその命ですから、と朗らかに宣う青年――ジェフリー・マクレガー。彼の周囲を固めるように立つのは、武装した“鷹”が十四、五名ほど。それぞれがライフルやナイフ、プロテクター等を装備している。


「貴方には期待していたのに、残念です。ユアン君は勝っちゃうし、また傷も負って……僕すっごい機嫌悪いんですよ」

「そうかね? 私は若い才能を見れて気分がいいくらいだが」


 普段通りの穏やかな、けれどヴィンセントにしては皮肉めいた言い方。


 決闘に敗北し救護所に運ばれた後、ユアンは医師から包帯と消毒液をひったくり「自分でやるから! ヴィンセントさんをよろしく頼む!」と言って決闘場コロシアムを飛び出して行った。危険な救出に向かった仲間の元へ駆けつけるためだろう。

 ヴィンセントも脳震盪が回復し次第すぐに救護所を出た。


 マークについての責任まで、あの子ユアンに負わせてはならないのだから。


 しかし、彼――ジェフリーに行く手を阻まれた。決闘場に併設された修練場に連行され、出入り口は閉ざされてしまった。防音施設であるため助けを呼ぶことも不可能だろう。


「“鷹”は市議会直属の部隊だが、一議員が動かすにはそれなりの手続きがいるはず。全て計画尽くというわけだ。君だ・・? マークを人質に取ることを提言した議員は」


 眉間に皺を寄せ、眼光に殺意が灯る。かの《剣聖》がキレている、という事実に、鷹達は少なからず動揺し、警戒を深めた。


「はは、気づかれましたか。今さら遅いですけど。僕は血生臭いのそんなに好きじゃないんで帰ります。せいぜい、鷹の皆さんに最期の稽古をつけてやってください」


 ジェフリーはそう言って言葉通りすぐに立ち去った。残されたのは、臨戦態勢の鷹と己のみ。ヴィンセントは溜まった疲労を吐き出すように、ため息をひとつつき――抜刀。


「……鷹の諸君も、可哀想に。複数人で囲めば殺せると吹き込まれたか? 間違いではない。三十分・・・もすれば私は穴だらけの死体だ。申し訳ないが、それまではお付き合い頂こう」


 三十分。告げられた側は堪ったものではない。しかし命令違反は死を意味する以上、彼らに残された選択肢は死ぬまで戦うことのみ。

 一方のヴィンセントもこの状況は人生最大の危機だ。一瞬でも反応が遅れれば蜂の巣になる。必要なのは確実に敵の数を減らしていくこと。

 これは、そう、


「――かかってこい、小僧ども」


 ただの殺し合いだ。






 第一ブロックの美しく舗装された道を、ユアンはひたすら駆ける。

 リンとエヴァ、それに人質となっているマーク。《怪物》が相手では、いくらリンが術による撹乱に長けていても三人の命が危ぶまれる。


「間に合え……!」

「――あれ、ユアンっ?」

「えっ」


 視界の横を流れていくだけだった人影の中から見知った声が聞こえる。足を止めてみれば、特徴的な蜂蜜色の髪をフードで隠したエヴァがいた。リンも彼女の肩におり、もう一人、知らない少年を連れている。彼がきっと囚われていたマークだ。


「よかった! 無事だったんだな!」


 三人とも外傷はないようだ。安堵して、跳ね回っていた心臓が少しずつ落ち着いてく。


「そっちこそ、よかったぁ……」

「その様子だと勝ったようだな」

「ああ。えと、そっちの君はマーク、だよな? 君も無事で何よりだ」


 賢そうな顔立ちの、ユアンと同じくらいの背丈の少年が戸惑いがちに「あ、ありがとうございます」と頭を下げる。


「院長に勝つ人がいるなんて……。それより、院長はッ? まさか大怪我してたりは!」


 マークに容赦なく肩を揺さぶられる。服の下は包帯でぐるぐる巻きの身としては結構ツライ。


「の、脳震盪起こしてたくらいであとは大丈夫だと思う。それより、屋敷に《怪物》がいたのか? ヴィンセントさんの思い過ごしだと思いたかったけど……」

「いや、事実だ。この小娘など遭遇して死にかけたからな」

「はぁっ!?」

「あー、その、ユアン。色々あってね――」


 エヴァが屋敷であったことをかいつまみつつ話す。マルコムの遣いである謎の男の乱入と、その言動も。


「……マルコムの? 伝言……『早く戻れ』……っ、しまった!」


 エヴァ達を通して伝言するなど、相手はユアンのみ。ユアンが戻る場所、つまりそれは――


決闘場コロシアムだ! クソッ!」

「ちょ、どういうことっ?」

「走りながら説明する!」


 エヴァはユアンの焦りに気付きすぐにこちらを追走してくれる。マークもギリギリだがついてこれている。二人には申し訳ないが事態は一刻を争うのだ。


「黙ってたけど、俺は、決闘前にマルコムと取引をした! 準決勝に勝った場合の報酬を用意しろと――ヴィンセントさんの孤児院に、子ども達に、都市が手を出せないようにすることを要求した!」


 リンが嘆息し、エヴァが瞠目する気配があるが、構わず続ける。


「あいつは承諾した。なる・・べく前払いする・・・・・・・ってワケわかんねーこと言ってたのは、マークの救出を手助けすることだったんだ! 伝言は奴なりのサービス、ヴィンセントさんが危ないことを伝えるためのなッ!」

「そんな……そのマルコムって奴、わかってたら何で最初から教えてくれないのよっ!?」


 その答えは知っているが、ユアンは口には出さない。


 ――平等フェアじゃないから。

 

 ユアンが圧倒的に不利な、挑戦者という立場であるからマルコムはこちらを支援する。悪魔的な頭脳を駆使し、絶妙な匙加減を以て。

 やることは複雑怪奇でも、行動原理はシンプルな男だ。理解したくはないが。


「院長をっ、即刻消すメリットが、市議会にありますかっ? 著名なあの人に、今まで簡単に手を出すことは、なかったのに……!」

「ネームバリューを考えれば確かにそうだが、ユアンに負けることで不穏分子を消す理由ができたとも考えられる。むしろ、心当たりがあるから焦っているんだろう、ユアン」


 マークの息も絶え絶えな訴えが悲痛だ。リンは相変わらず図星をついてくる。


「……そうだ」


 ある意味マルコムよりも行動が読めない人物。ユアンに強く執着し、ヴィンセントに力を貸しながら結果はユアンの勝利。期待を裏切られた彼がヴィンセントに何をするのか、わからない。


 ジェフリー・マクレガー。


 何年間もユアンに知識を与えてくれた人。尊敬していた、語らう時間が好きだった人。


 市議会議員として暗躍していたことを知っている今でも、彼の存在はユアンの中で割りきれなかった。遠回しな妨害をしてくるだけだったのも大きい。

 ジェフリーが積極的に殺しの命令を出すなど、考えれられない。否、考えたくないのだ。


 今はただ、信じて走るしかない。


 ――ヴィンセントさん、お願いだ、無事でいてくれ……!


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